君の言葉が耳の奥で、いつまでも鳴り響いている

@kamometarou

君の言葉が耳の奥で、いつまでも鳴り響いている

「好きだよ。れおくんと一緒にいると、安心する」


 始まりは、君のこの一言だった。

 火照った僕の頬を、夏の夜の涼しい風が優しく撫でた。横浜の繁華街を外れた人気のない路地で、木製のベンチに座った僕は、星がチラチラと瞬く夜空を仰いだ。

 汗を吸って濡れていたTシャツはいつの間にか乾き、時折風になびくと、さらさらとした肌触りに心地よさを感じた。


「僕でいいなら。僕も好きだよ」


 顔を突き合わせて言うのが気恥ずかしく、僕は夏の夜空を見上げながら、半分独り言のように呟いた。

 かながどのような表情をしているのか気になり、かなの方を見たい、という欲求が体に疼いたが、同時にそれをしてしまうと、顔の紅潮を抑えられなくなるという恐怖も湧き出て、少しの時間、上を向いたまま押し黙った。

 

 最初に沈黙を破ったのはかなだった。

 

「大好き」


 小さな声でそう言って、かなは僕の方に身をよじると、両手でゆっくりと僕の体を包んだ。

 僕の頬に、かなの柔らかなほっぺたが触れた。ほんわかと甘い香りがして、殺風景な路地裏の景色が、妙にキラキラ輝いてみえた。


「これからよろしくね」


 すっかり体が固まってしまって、かなと目も合わせられない僕に、かなは優しく囁いた。


 僕はといえば、心のなかで、気の利いたことが何も言えない自分をひたすら責めていた。



 僕、小夏(こなつ)れおと、今田(いまだ)かなは、ひと月前に、鎌倉で出会った。少々以外に思われるだろうが、はじめに話しかけたのは僕だった。

 高校の課外学習で集団行動していた僕たちだったが、かなはグループの輪から外れ、一人バス停の前で寂しそうに立っていた。

 グループの輪には入っていたものの、他のメンバーのようにテンポよく会話できず、話に置いていかれていた僕は、他クラスのよく知らない面子だったかなに、話しかけてみることにした。


「あの、これ、さっきお土産屋さんで買ったんですけど、良かったらひとつ食べます?」


 当然、かなも僕のことをよく知らない。かなは、少々顔が緊張していたものの、笑顔で僕に応対してくれた。


「え、いいんですか。じゃあ、ひとつ」



 その時以来、廊下ですれ違うたびにお互い声を掛け合うようになり、いつの間にか一緒に遊びに行くようになっていった。大概は、僕が男友達を連れてきて、複数人で遊びに行っていたが、今日は二人でオープンキャンパスに行こうという話になり、その帰りに、横浜に立ち寄ったのだった。


 かなも、最初に出会ったときに比べて、だいぶ心を開いてくれるようになった。

 はじめは警戒心丸出しで、いつも顔の表情が硬かったが、だんだんと柔らかな表情をみせてくれるようになり、僕に対してはちょっとした心の悩みも打ち明けてくれた。


 僕は、かなの「心の癖」をだんだん理解し始めた。

 かなは、怒りや憎しみなど、ネガティブな感情を忌み嫌っている。

 また、甘えを「悪」として、辛い、しんどい、嫌だ、といった心の声を押し込めてしまう。


 そのせいだろうか、自分の「怒り」や、「辛い」という心の声に気づかない。

 だから、それらの心の声を、言葉にすることができない。


 自分でも知らない間にストレスを溜め込んで、心身にガタがきてはじめて、無理をしていることに気づくのだ。


 自分の内なる心の声に耳を傾け、それを掬い上げ、言葉にする。

 こんなにも重要なことを、なぜ学校では教えてくれないのだろうか。


 否、むしろ、学校では、宮沢賢治の「アメニモマケズ」に代表されるように、自分の気持ちに蓋をすることを美学として教えているような気がする。


 こんなに苦しんでいるかなを、どうにかして、楽にしたい。楽になってほしい。

 僕がかなの世界を照らしたい。



「れおくんと一緒にいると、安心する」


 この言葉が、いつまでも僕の鼓膜を揺らし続けている。

 人の不幸は蜜の味、とは、このことを言うのだろう。


 自分の存在が、かなの苦しみを少しでも吹き飛ばすことができたら。

 そんな欺瞞、あるいは自己陶酔に浸りながら、僕は今日も、かなの笑顔を夢にみて眠る。

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