カレイド・オブ・ヒューマニティ
ふらすか
プロローグ(1)
愛だ。人は愛に飢えている。そして愛に狂っている。存在を肯定されるための対価を、どこか誰かに託している。
「これで、最後か」
さびれた都市の片隅。その屋敷に残った僕はひとり、大げさに溜息を吐いた。
最初の契約は神の前で行われた。片方がそれを守り、片方がそれを破った。つまり──よくある話だ。世俗を知らぬ女の過ぎた欲望に、愛を信じた男が身を焦がした。
体形は醜悪に変わった。優男だと嘲られたこの人相も、金勘定ばかりをしているうちに特有の下卑たいやらしさを放つようになった。頭痛の薬を慢性的に手放せず、肉のついた体は医者から赤信号だ。それもようやく、ようやくだ。意識を失うようにして眠る日々の最中で、ようやく寝入る前に思考する時間を持てるようになった。
そしてすぐ、この屋敷には4人のメイドが来た。
「どうぞ」
結論もありきたりだ。静かな部屋にはっきりと響く、控えめなノックの音。張り上げた声の懐かしさも、孤独を感じるには十分なスパイスだった。
女が4人、広間に並んだ。彼女たちを雇ったのは僕だ。
「初めまして」
誰の声だったかさえ覚えていない。素っ気ない返事だった。結局のところ、彼女らにとってこれはただの仕事だ。人生の隙間で、金を求めて集まったスカベンジャー。そういえば僕も、金のために自分の身を削ったのだ。そう思うと、同類相憐れむというヤツかもしれない。
一人目はイヌのようだった。二人目はバラのようだった。三人目はビオラのように佇んでおり、四人目はヒトのかたちをしていた。
ポチはよく懐いた。容姿は決して端麗とはいえないが、愛嬌のある顔立ちをしていた。ビオラは、犬のように懐くポチのその姿を、いつも気持ち悪そうな表情で蔑んでいた。
「約束してください。誰とも、そういう関係にならないことを」
ビオラの言葉は端的で、確かに呪いのようでもあった。周りに誰もいないことを大げさに確認して、決心と共に放たれたであろうこの約束を僕は少し首を
「承知した」
彼女は
ただ、明確に分かっていたことは「そういうもの」として見られたくない、という確かな決意だ。仕事の都合上、二人きりになることはあるかもしれないが、決して間違った気は起こすなよ、という念の入れようだった。
「少し顔をみせてくれ」
その視線は、まっすぐに僕をみている。意図を、色彩を、構成を、昆虫のように静かに、模範的な
「……私の顔に、何かついてますか?」
「いや、可愛い顔だから、心配にもなるだろうと思って」
じっと、その顔を見つめ返すと言われ慣れてはいないのか、少し恥ずかしそうな顔をしながら「ありがとうございます」とはにかんだ。
ローズ。彼女はバラのように艶やかな肢体を、過剰な自意識が蝕んでいた。顔もスタイルも十分に通用するレベルだ。ただ、自分は不幸だ、というエピソードを微に入り細を穿つまでくどくどと説明する。面倒くさいかどうかと聞かれれば、確実に面倒くさいだろう。一旦会話を手で静止して、彼女のその顔をみつめた。
泣いている。苦しかったのだ。辛かったのだ。誰かに声を聴いてほしかったのだ。解決はしない。けれど、彼女が共有したいと望んだことには意味がある。
その顔をみて、僕は彼女の幸せを願った。しかし同時に、僕は彼女の願いを叶えることはできないだろうなと理解した。
つまるところ、ここには4人のメイドがいた。ポチ、ローズ、ビオラ、ウサギ。最後の一人は、たまに充血した目がウサギのように赤かっただけ。特徴はそれくらいだ。
金というものは力であった。彼女らは持たざる者であった。金のために働き、金のために死ぬような人生で、最も美しく欲深い時代を使い果たすのであろう。ビオラが願ったことにどんな意味があったのか。僕がどうして彼女にそんな下卑た機能を求めていると思ったか。つまりは単純に、彼女らにとっての僕もまた持たざる者であった。それは、腹を抱えて笑うほどに正しかった。
この現実を叩き割って終わらせてしまえば楽になる。何度そう考えたのかは分からない。あまりにも無粋だから、誰も言葉に出さないだけだ。誰だって分かる。美しいものを愛でるという行為は、ゴルフクラブ一本分の誠実さだ。
誠実さ──沁みだした記憶が、脳裏でいつも僕の名前を呼ぶ。そして、ぶつけられた感情は、どれも誠実さからは程遠い願望であった。
「こんな端金でッ──!!」
そのときの僕はひどく怯えていた。自分が何に腹を立てていたのかもよく分からなかった。凡人。それは自意識過剰な僕の性根を激しく揺さぶった。些細な怒りだったのか、虫の居所が良くないだけの悪態だったのか、それを聞く勇気はなかった。支え合うという「約束」はこんなにもちっぽけな感情だったのか。「愛」とはこれほどまでに脆かったのか。この理不尽が、すべてが、僕のせいだというのであれば──きっと僕は、やはり「持たざる者」なのか。
「旦那様。おはようございます」
その日、ウサギは心配そうな顔で僕を見つめていた。彼女の声を皮切りに、始まった仕事は夜遅くまで続く。夕飯の前、少しの余力に運動する時間を詰め込んだ。
胃の中の酸素まで出し切るように、重い体を引きずって走る。秋の夕闇は、どんな感情でも引きずり込んでしまうような、底のみえない暗闇をうすぼんやりと広げていた。
不安で眠れない夜は、ウサギをベッドのそばに呼んで縋るようにその手を握ることもあった。彼女の手は小さく、そして柔らかくもあったが冷たかった。
覚えていることは、その手が握り返されることは決してなかったことだ。
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