怪物狩らナイト
咲井ひろ
プロローグ 少女
あなたは泣いている誰かに、抱き締められたことはありますか?
私にはあります。
あれは16の頃でした。物心はついていて、右も左も分かっていた、中学生の私のこと。
通販しか放映されないテレビを消した夜中。スマートフォンの明かりに瞳を焼かれながら、ベッドに寝転がる事もせず、ただじっと身を縮めて座っていました。寒かったんでしょうかね? でもそれなら布団を被れば良いのに。
多分、何もする気が無かったんだと思います。
そんな時でした。お母さんが部屋にノックもせずいきなり入って来て──私を抱き締めたのです。暗い部屋だったけどその時の光景も、お母さんが泣いていたことも鮮明に思い出せるくらい強い力で包まれて、『大丈夫、大丈夫だよ……大丈夫だから』と、何度も何度も、私にそう言っていました。
どうして私は今、抱き締められているのか。
辻褄の合わない話や、嗚咽混じりで聞き取り辛い言葉を整合していってどうやら──お父さんが事故で死んだのだと理解するのに、それほど時間は掛からなかったと思います。
しかしどうして、私は今抱き締められているのか。
その時の私は、そればかりを考えていました。
「大丈夫だよお母さん、大丈夫だって」
そう同じように何度も何度も、お母さんに返しながらずっと。体の震えも暖かさの理由も考えず、どうして、私は今抱き締められているのだろうかと。
今となってお母さんの行動は、喪失感を伴う悲しみと将来の不安によるものだったと分かります。ですが当時の私は、やっぱりずっと『抱き締められている理由』ばかりを考えていたんです。別にお父さんを憎んでいたわけでも、お母さんの事を愛していなかったわけでもありません。家庭環境が複雑だったわけでもない。どこにでもある普通の、アルバムを見返したら両親の間で笑う私が写っているような、そんな家族でした。
だけど私はどうしてか子供みたいに。
多分子供だったから、どうしてどうしてって。
そんな私を、抱き締めては泣きじゃくる姿に、遂には気恥ずかしさすら覚えてしまって、私は弱々しく突き放そうとしながら──もう放っておいて、明日も学校があるのに、ベッドで何もしていないあの、心地良い状態に戻りたい、そんな事を考えるようにもなっていました。
本当に酷く、醜い人間です。
そうして、どれくらいの時間抱き締められていたか。
やがて母が部屋から出て行って、私は静かになったベッドの上でまた、スマートフォンの明かりを点けていて、見ていたのは楽しげな動画や、下らないけど面白いゴシップ。親が死んだのにどうしてと、あの時の事を振り返る度、自分には『悲しみに耐えられなかったから現実から目を背けた』と言い聞かせて、納得していました。
遺体を目にした時、葬儀に出席している時、父が焼かれて骨に変わった瞬間、親戚や友達から慰めの言葉を貰った時、現実を直視してそれでも──涙も出なくても、心が動かなくても、ずっと、自分はまだ受け入れていないからって言い訳を続けていたんです。
この時までは。
私は感情豊かで、嬉しい時は笑えて、悲しい時に笑える人間だと思っていました。だから嬉しい時は笑えないのは、悲しい時に涙が出ないのは、嬉しくないし悲しくもなかったからだと。
でも違った。
最初から私にはそんなものなかった。
こういうのを、『自分の中で何かが崩れていく音がした』と表しているのをよく見かけますが、私にはどうしたって思い当たりませんでした。崩れる音がしなかったのは、そもそも備わっていなかったのでしょうか。今だってこんなにも胸が苦しいのに、涙は流れてくれない。せめて、心だけでも泣いていて欲しいのに、息が詰まる事すらもない。
そうして私が、自分自身にぼんやりと、徐々に、それでいて確実に気が付き始めて、そうして心が、瞳はいつしか、
見えてはいけないものを、捉えてしまっていました。
母が亡くなり、私を引き取ってくれた祖母が亡くなり、祖父も、残されたのは遠縁の親戚から資金援助と与えられた狭いアパート、つまり厄介払い。
そんな彼らから陰で『呪われている』なんて言われても、
私には、何も無かったんです。
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