75 花火


 夫人がビニール袋から缶入りのみかんジュースを取り出し、新藤に渡す。それを見るや、


「なんだおめえ、こんなんよりビール持ってこんか」


と灯台守。


「車でいらしてんでしょうが。あんたのはここにあるがね」


「おう、そうか」


「お嬢さんは飲む人?」


「あ、いえ、未成年なので……」


「ほいじゃこれね」


と、みかんジュースをくれる。


「すみません、どうもありがとうございます」


 海に面した通路は車座くるまざには狭すぎるが、ジグザグに座って何とかつまみを囲む。


「今年は随分おとなしいのお。もっとドンパドンパ上げたらんか」


とぼやく灯台守を夫人がペシッと叩く。


「まだ始まったばっかしでしょ。せっかちしないの」


 一希が遠慮していると、新藤が枝豆をひとつかみ一希の手に握らせた。


「あっ、す、すみません」


 跳ね上がった心拍数を悟られたくなくて、目の前の光景に見とれているふりをした。


 薄紅に銀白、だいだい群青ぐんじょう。夜空に花が咲くと、海のおもても素直に同じ色に染まる。後に残るのは、清々すがすがしいようでどこかもの悲しさを帯びた旋律せんりつ


 まともに花火を見るのなんて、いつ以来だろう。一時は、花火の音があのサラナの爆発を連想させて怖かったこともある。高校に上がるぐらいまでは、近所から聞こえてくれば耳をふさいでやり過ごしたものだ。あれから、子供が大人になるだけの年月が経った。


 夫妻は二人とも人懐ひとなつっこそうなのに、せいぜいつまみや飲み物のお代わりを勧める程度で、ろくに話しかけてこなかった。二人きりでいるときとおそらくはあまり変わらない調子で感想を述べ合い、うなずき合っている。


 そこへまぎれ込んだオレンジ色の二人組は一体何だと思われているのだろう。邪魔してはいけない関係だとでも勘違いされていなければいいが。


 ここにたどり着いた経緯を説明するどころか名乗る機会もないまま、適当に塩気をつまんでは夏の終わりの花火をでる。


 作業服のまま夏祭り気分を味わえる手段を瞬時に思い付き、図々しく実行してくれた新藤に、一希は感謝した。いや、これは感謝よりももう少し親愛に近い感情だろうか。


 誰よりも尊敬する師匠と、急な思い付きで花火を見ている。こんなに近くにいるのに、身動きすればそでが触れ合うほどなのに、そっと横顔をうかがうことすら不自然に思えてできない。仕事の帰りにぶらっと立ち寄っただけの師弟という関係を、なぜか演じてでもいるかのように思えてもどかしかった。事実はそれにほかならないのに……。


 先生の瞳に映る花火はどんな色をしているだろう。あるいは、ただ終宴の時を待ちわびながら、明日の仕事のことでも考えているのだろうか。そっと肩にもたれてみたらどうするだろう。驚いて飛びのくだろうか。それとも……。


「おおー」


と、隣から新藤の声。いつの間にか変わり花火が始まっていたらしい。星型やハート型、渦巻きなど、あらゆる形が夜空に描き出される。


「ん? なんだこりゃ」


「リボンじゃないですか?」


つづみじゃろ」


「ちょうちょでしょ」


「これは……ボルトとナットか?」


「違います、キノコですよ」


「いや、栗じゃ」


「ウニかな」


 てんで意見の合わない四人が勝手なことを言い合う。


 灯台守夫婦がそろって頬を赤く染めた頃、花火大会も終盤を迎えた。フィナーレの乱れ打ちがとどろき、これでもかと町中をかせる。


 最大級の破裂音の嵐にも耳が慣れた頃、ほんの一瞬の闇と静けさが訪れ、白い火の玉が幾筋いくすじか夜空を駆け上った。そのすべてが次々と咲き誇り花びらを散らし始めた頃、ひときわ強固な決意を秘めた炎が悠々ゆうゆうと黒のキャンバスの上方を目指す。


 誰もが手元のすべてを忘れて見入った瞬間、見事な大柳おおやなぎが世界を照らした。地上の小さなオレンジ色は、その圧倒的な光にあっさりと呑み込まれた。



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