69 上級への道


 処理済みのサラナを車に積み込んで去っていく檜垣を見送った後、一希は大机にロプタの練習道具を並べてはみたものの、心ここにあらずだった。集中していざ取りかかる、という気分になれない。


 とりあえず始めれば集中できるだろうか。まずは深呼吸。目をつぶり、手順を頭の中でイメージしてみる。しかし、すぐに新藤の土気つちけ色のほおが頭をよぎった。


――ああ、もう……。


 集中できない。一希は目の前の子爆弾を見つめた。これがもし本物の爆発物だったら……。


 今の心理状態では安全に処理できるという確信は持てない。ならば延期するか、新藤のように代理を頼んで自分は手を引くのが正解だろう。使い物にならない状態なら、使わないでくれとあらかじめ宣言するのがプロの責任。一生忘れるなと新藤からきつく言われたルールの一つだ。


 一希は大きく息をついた。やめよう。今日はやめておこう。あくまで本物のつもりで反復練習を積むことが目的なのだから、覚悟が怪しいならやめるべきだ。


――そっか。必要なのはここで引く勇気なんだ……。


 知識や技術や体力以前に、自分の限界を知り、表立おもてだってそれを認めることが安全確保の最低条件。頑張り屋さんと言われ続けて育った一希には、つい限界以上のことをやろうとするくせがある。しかし、この世界では新藤の言う通り、やろうとしたならば完璧にやりおおせなければ自分や誰かの命が失われるかもしれないのだ。


――先生、私も今日はお休みにします。


 胸の内でそう宣言すると、一希は機材を片付け、風呂を沸かした。




 翌朝、一希が目を覚ますと、座敷はすでに開け放たれ、普段の血色を取り戻した新藤が二日前の残り物を掻き込んでいた。一希が遅ればせながらおかゆを作ってやると、昼前にはそれも平らげた。


 本当なら弱っているときにこそ看病してやりたかった。師匠がおのれの弱点の扱い方を重々じゅうじゅう心得ていることに、一希は尊敬の念を抱くと同時に、少々残念な気持ちにさせられた。


 自分が一つ屋根の下に住まわせてもらっていながら仕事を代わってやれない悔しさもじわじわと湧いてくる。昨日檜垣が帰っていった後、一希は処理室の鍵を返されていないことに気付いた。しかし考えてみれば、補助士でしかない一希に鍵を預けるわけにはいかないのだ。


 檜垣が鍵を見つけた棚の一角を見てみたが、そこには戻されていなかった。なのに、今日廊下を行く新藤の手の中に、鍵はいつの間にか握られていた。どこに隠しておけ、もしくは、どこに隠したぞ、というやりとりが電話でなされたのだろう。誰から隠すのかといえば、一希しかいない。


 もちろん二人とも処理士としての規則に従っているだけのことで、他意たいはない。わかってはいても、何だか蚊帳かやの外に追いやられたようで、一希の気持ちは沈んだ。自分にもっと能力があれば、もっと役に立てれば、という焦りがつのる。




 実際、中級補助士として仕事を得ることの難しさを、一希は実感していた。新藤の仕事の補助に指名してもらった以外では、安全化の補助がかろうじて一件。しかし、これも新藤がどこかで聞きつけ、うちの冴島を使ってくれと埜岩のいわにかけ合った成果だった。あとは頼み込んで許可してもらった見学ばかり。


 はっきりと何か言われたわけではないが、行く先々で「女のくせに」という嘲笑の色を帯びた顔に出会うことは日常茶飯事だ。


――一年目で中級受けてたからまだよかったけど……。


 この時点で初級止まりだったらと思うと、ぞっとする。新藤が一希の飛び級を決めたとき、もしかしたら平均的な補助士よりも中級から上級への昇格に長期間を要する可能性を見越していたのかもしれない。


 一度経験した道具渡しと基本的な補助の評判は悪くなかった。しかしそれらは本来初級レベルの仕事ともいえる。実務未経験の段階で中級を取ったのだから最初はそれでよかったが、いつまでもこのままでは上級合格が遠のいてしまう。せめて数をこなしたい。


「同期合格のうち七人に連絡して、これまでに受注した仕事内容を聞いてみたんですけど」


 受注件数が平均よりもいちじるしく低ければ、埜岩のいわにそれを指摘し、もっと使ってくれと交渉できるかもしれない。


「なるほど、賢明だな」


「デトンかザンピードの補助はゼロから三件、探査が二、三件って感じです。あとはマリトンの補助経験者が一人いました」


 マリトンはデトンの小型版といったところで、五百キロに満たないものを指す。


「合格から三ヶ月で補助三件は怪しいな。単なる見栄みえじゃないか?」


「ああ、それは確かにあり得ますね」


 さも活躍しているふりをして何人かが実務歴を誇張こちょうしたとすれば、多少様相ようそうは変わってくる。


 ちなみに、オルダは安全化に関わる要素すべてが凝縮されていることを理由に中級の試験科目に含められているが、普通は補助士には回ってこない仕事だ。つまり、日常的に解体にたずさわれるのは一希の特権。しかしこれはグレーゾーンゆえ、誰にも自慢するわけにはいかない。


「まあ正確な平均値は調べればわかるが、そこまでする必要もないだろう。現時点で大型の補助一件は妥当と見てよさそうだな。それはそうと、現場はどうだ?」


「はい、見学も含めて、毎回とても勉強になります」


「そんなことを聞いてるんじゃない。何か困ったことはないか?」


「いえ、特に……」


「何もないってのか。どんだけ運がいいんだ」


 だめだ。見抜かれている。一希は一応無難なところを白状する。


「まあ、さげすむような目で見られたりとか、安全化のときも、何となく手を出させてもらえなかったりは多少……」


「目つきはまあ生まれつきだとでも言われればそれまでだな。補助範囲に関しては、たとえ不当だとしても残念ながら処理士の裁量に補助士は逆らえん。あとは?」


 しばし考えるふりをし、曖昧に首をかしげてごまかす。


「それ、ぐらい……ですかね」


「迷彩服の若いのがぞろぞろ見学に来なかったか?」


「……よくご存じで」


「俺の探査にも来たからな。しばらくは何度か見かけることになるらしいが、今年の奴らは特に行儀が悪い。目に余る部分はその場で注意して埜岩にも苦情を言っといたが、あの分じゃ改める気もなさそうだ。大方、腰かけ連中だろう。入隊して基礎訓練を受けたって経歴が欲しいだけの奴らだ」


 実を言うと、一希にとって目下もっか最大の頭痛の種が彼らだった。その「目に余る」振る舞いを思い出すだけで怒りと悔しさが湧き上がる。



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