47 傷


 一通り泣き切ると、息切れだけが残った。


「冴島」


「はい」


「一つはっきりさせておくが」


 一希は懸命に呼吸を整えた。


「あの事故は、お前には何の責任もない。まあ本来言うまでもないほど明らかなことだが」


 新藤の言葉が全身にみ渡るようだった。言うまでもないからこそ、これまで誰の口からも聞くことはなかった。もし言われても、一希は否定していただろう。


「違うんです……」


「違う?」


「私のせいなんです」


 一希は訥々とつとつと語った。


 自分が一緒でなければ、忠晴があの袋小路の奥で壁を凝視ぎょうしする状況にはならなかったこと。忠晴が死んで、自分は望んでいなかった忠晴との結婚話から結果的に解放されたこと。もしかしたら自分の潜在意識が忠晴を邪魔に感じており、その気持ちが何らかの邪鬼じゃき餌食えじきになって事故を導いたかもしれないこと。


「実は……まだ誰にも話したことないんですけど」


 墓場まで持っていくと思っていた。たった今、この瞬間までは。


「従兄の、声が聞こえたんです。何だこれ、って」


 一希はあの岩壁を後ろ向きに下りようとしていた。その途中で聞こえた声だった。


「私が見てない間に、きっと触ったんだと……」


 見つけただけで爆発するとは考えにくい。普段から乱暴な子だから、もしかしたらったりしたのかも……なんてことは、医者にも、警察にも、両親にも、叔父叔母にも、言えるはずがなかった。まるで彼の自業自得だと責めるようなものだ。忠晴のせいになんて絶対にできない。


「何だこれ」という忠晴の無邪気な声が、今も耳に残る。一希だけが知る、彼の最期さいごの言葉。


 それが発されたとき、何だかいやな予感がしたのに。下り切る前に、あのとき忠晴の方を見ていればよかったのに。たった一度、この目を向けてさえいれば……。どうして? どうしてあの壁を下りることに気を取られてしまったのだろう。


「防げたはずだと思うわけか」


 一希は、作業服のそでで涙をぬぐいながらうなずく。


「うぬぼれるな」


 思いがけぬ苦言に、一希は息をんだ。


「お前は爆弾を見つけるという任務を負ってあの場にいたのか?」


「いえ……」

 

「二つ目を見つけてるから余計に悔やむんだろう。一つ目も防げたはずだと」


 図星だった。


「お前が二つ目のサラナを見つけたのは偶然だ。多少の知識があるってだけで、素人が全部漏れなく見つけるなんて、できてたまるか」


 それは理屈ではわかっている……つもりだった。


「子供が謎の物体を見つけてから触るまでなんて一瞬だ。誰も止めることなんかできん。そこにそれがあったのが悪いんだ」


 あんなところに爆弾なんかなければ。それは一希も数え切れないぐらい考えた。 


「事故筆録を何度でも読め。あれが協会と軍の理解であり、唯一の事実だ」


 新藤から借りた日に、震える手で開いたあのページ。客観的事実と、推測される状況。原因と防止策。プロの視点で冷静につづられた文字だけが並んでいた。


「病院にもいろんな人が来て、状況とか聞かれたんですけど……ずっと黙っててすみません。従兄の声を聞いてたこと」


「お前の証言はもちろんあれば助かったろうが、なかったからって見当違いの結論を出すほど協会も愚鈍ぐどんじゃない」


 実際、警察や不発弾処理協会は、一希の肝心な証言なしに事実通りと思われる解釈にたどり着いた。爆弾は大なり小なり露出していた。それを亡くなった八歳男児が触ったから爆発したのだろう、と。


「最大の原因は処理士の怠慢たいまん。それを招いたのは協会の責任だ。お前は純粋な被害者だってことを忘れるな」


「はい……」


 自分もまた被害者であることは、毎日服を脱ぎ着するときにいやでも思い出す。体の左側、ほぼ全体にランダムに散らばった茶色のすじや斑点。さすがに年月が経って薄くはなってきたが、如何いかんせん数が多い。ああ、これが天罰なのだと、今でもよく思う。顔と首筋の傷が目立たないのだけが救いだ。


「いいか、冴島。爆弾処理に感情を持ち込んでもろくなことはない。大抵のことは物理と科学で説明がつく。誰がどんな気持ちで作ったか、これまでにどんな奴がどんな風にこれで死んだか、そんなことを作業中に気にするな。距離や角度によって周囲にどんな影響があるか、どう対処すればいいか、それだけに集中しろ」


 それができなければ危険を招く。


「そういえば、昔テレビの不発弾特集で、先生のお父様がインタビューを受けてらして……」


 かの内戦に関し、スム族を一方的に責めるスタンスで報じるメディアは少なくない。その番組も例外ではなかった。不発弾処理の第一人者を前にして、「スムの蛮行ばんこう尻拭しりぬぐいも大変ですね」と言わんばかりのインタビュアーの態度に、一希は辟易へきえきした。


 しかし、当の隆之介はやんわりとそれを否定し、こう答えた。「このまんま置いておいたら危ないでしょう。だから片付ける。それだけのことです」、と。


 一希がそう伝えると、新藤の頬がかすかにへこんだ。


「そうだ。まったくその通り」


 さすが新藤隆之介。単に業界の始祖しそであっただけでなく、この職業の本質を的確に見つめていたのだ。


「信念と感情は違う。俺らの仕事は罪滅つみほろぼしじゃない。ましてや敵討かたきうちでもない。そこを勘違いするな」


「はい……」


 しかし、こういった気持ちの問題というのは、どうやって克服すればいいのだろう。


「焦るな。まだ時間はある。差し当たり……」


 新藤は棚から何かを取り出した。


「こいつを返しとくぞ」


 渡されたのは、一希が預けていた教本。


「あ、ありがとうございます」


「サラナの解説があるな。解体手順じゃない、基本情報の方だ。そこを毎日、百回ずつ声に出して読め」


「えっ? あ、はい」


「暗記するんじゃない。文字通りの意味だけに集中する訓練をしろ。よそで聞いた話やお前の経験は一切除外だ。勝手なイメージを抱くな。サラナとは何か。その答えは全部そこに書かれてる」


――サラナとは何か……。


「はい」


 ストロッカでは模擬解体まで進んでいるのに、随分と逆戻りした気分になる。だが、現物を前にして手順が真っ白になってしまったのだから仕方ない。自分に妙案があるわけでもなく、新藤を信じるしかなかった。



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