46 罪の記憶


 新藤は、壁の棚からプラスチックの箱を持ってきて大机に上げた。中身はいくつかの工具と、太い円柱一つ。


――サラナ……。


 特徴的な蝶番ちょうつがいの軸の部分。その色や形は、あの事故の記憶と直結している。反射的に体がこわばった。


「解体済みを組み立て直した不活性のサラナだ。こいつで教本の手順を再現してみろ」


――教本の手順……。


 一希が読み飽きている教本の記載事項を、新藤はいちいち説明しない。質問がなければ、その部分の理論は把握はあくしているものとして話が進む。これまでもずっとその方式でやってきた。これこそ一希が切望した理想の学習法だ。


 なのに、今日はどうしたのだろう。まず何をすべきかが一向に浮かんでこない。


 目の前にサラナがある。解体の最初のステップは何か。一希はその情報をどこか遠いところから必死でたぐり寄せていた。


「どうした? 難しいか?」


「あ、いえ……」


 教本を思い出すことを一旦あきらめ、ストロッカの解体練習ではどうしていただろうかと考えてみる。しかし、気持ちばかりたかぶって思考がまとまらない。


「やっぱり思い出深いみたいだな、サラナは」


――え?


 作業服の中で、脇の下がじとりと汗ばんだ。


 一希とサラナが、新藤の中で結び付いている。その心は……あの事故以外にあり得ない。


「ご存じ、だったんですか?」


「まあな」


「もしかして、協会とか埜岩のいわの皆さんも?」


「いや、それは今のところなさそうだ」


 その言葉に安堵する。


「爆弾事故の被害者名ってのは、ごく一握ひとにぎりにしか伝わらんからな。それに、まさか好き好んで爆弾の世界に入ってくるなんて誰も思わんだろ」


「先生はお父様から……」


「まあ、そういうことになるな。名前でぴんと来た」


 隠してきたつもりだったのに、まさか名乗った時点でバレていたとは。


「プライバシー保護ってことで、お前も従兄も身元は慎重に伏せられてたが」


 新聞やテレビでも、専門誌でも、二人の名前と性別には言及せず、年齢のみを公表していた。もちろん、事故が起きた藁志ヶ谷わらしがやと、一希が住んでいた曽呉李そごりでは知らない人はいない。


「処理士の手が入ってる場所で一般人の死傷事故ってのは初めてだったもんで、親父も神経をとがらしててな。事故調査と被害者対応にはなるべく身内を使いたかったんだろう。俺も中級を取ったばかりだったが関わることになった。お前の名前も、極秘資料の中で何度見たかわからん」


 しかも、女子で「一希」はさほど多くない。


「お話ししていなくて……申し訳ありません」


 一希は誠心誠意、頭を下げた。


「別に言う義務はないからかまわんが、仕事に影響があるとなれば放ってはおけんな」


 その通りだ。一希自身、こんな影響が及ぶとは予想していなかった。


「何が問題なんだ?」


「手順を忘れました」


「珍しいな。なぜそんなことになる?」


「わかりません」


「わかるまで補助士にはなれんぞ。今は始める前だったからどうってことはないが、作業の途中で次にすべきことを忘れたらどうなる?」


「危険です」


「そういうことだ。自分の腹の中に手を突っ込んでよく考えろ。何がお前に手順を忘れさせたのか」


――何が私に……。


 目の前のサラナをもう一度見つめる。


 鈍く光る鉄の蝶番ちょうつがいが気になって仕方ない。これによく似たものをあの日に見た。土の中から斜めに浮き出て、ちょうどこんな暗い色をしていた。周囲を取り巻く岩壁。そばにしゃがんでおろおろする男。担架たんか。救急車。ブルーシート。


 病室で叔父が怒鳴り散らし、家に帰れば電話が鳴り続けた。母はついに電話線を抜き、直接訪ねてきた人のごく一部だけを家に上げた。二階で耳を澄ましていた一希は「ほしょうきん」という言葉を聞き取り、辞書で意味を調べた。


 一歩外に出れば町中から指差された。


 従兄をたてにして自分だけ生き残った浅ましい子。後遺症も障害も残らないなんて、いい気なもんよね。女の子なのに爆弾に詳しかったって? わかっててわざと危ない方へ行かせたんじゃないの? 親同士も何だか複雑だったらしいじゃない……。

 

 人々の言葉は、爆弾の破片以上に一希を刺した。どれも否定できなかったから余計に。


「質問を変えよう」


 新藤の声に、一希は我に返る。


「お前が言う『罪』ってのは何のことだ?」


 心臓が止まるような思いがした。


〔人類の一員として罪の意識を感じます〕と書いた、あの志望動機。嘘は書いていないが、すべてを書いてもいない。肝心な部分はうまくかわしおおせたつもりだった。喉がしぼられ、熱いものが胸の奥から駆け上ってくる。


 人類の罪。そして自分自身の。


 あれから十一年。忠晴の声が聞こえない日はない。


 はしゃいだかと思えば、激しく照れる。そしてあの音痴な歌。


――タッちゃん、タッちゃん、タッちゃん……。


 一希はしゃくり上げるのをどうすることもできなかった。師匠の前で、ただただむせび泣いた。


 この痛みがえることなどない。それはとっくにわかっているが、悲嘆に暮れている場合ではない。この思いを償いに変えると誓ったのだ。でも……。


 あの日、たった一人の命を救えなかった自分に、償いなど許されているのだろうか。



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