エピローグ(アリティーSide)
第1話 知らない痛み ★
アリティーが「諦めない」と告げた時のセシリアの笑顔の美しさは、極上のものだった。
彼女が立っていた場所の後ろにはちょうど大きな窓があって、そこから差し込む陽の光が彼女の姿を照らし出していた。
白い肌がまるで透き通るように美しく、元々オレンジガーネットの色をした彼女の髪がどこからともなく吹いた風にフワリと靡く。
スッと伸びた背筋が彼女の品性を主張していて。
つまり色々諸々、それこそ彼女を構成する全ての物が、彼女を美しく穏やかな伯爵令嬢に仕立てていた。
元々容姿の良い娘だったが、「これほどまでか」と思う暇さえ与えてくれない。
そんな完璧さだった。
万人とは言わず、今なら億人も丁人をも魅了する事が出来るだろう。
そんな風に思うと同時に、真っ直ぐこちらに向けられたペリドットの瞳のその奥に自分が映し出している。
その事実に、胸が上限知らずに高鳴った。
そんな彼女だったから、最初は一体何を言われたのか分からなかった。
「私、殿下が大嫌いです」
相変わらずの笑顏である。
何もかもがそのままの状態で健在している。
だからこそ、彼女が言葉がアリティーの中で宙ぶらりんになってしまった。
脳が認識することを拒否したお陰で、意味を理解するまでに時間を要する。
そして意味を理解すると同時にまず最初に思ったのは、「聞き間違いかな」という事だった。
しかしそれもすぐさま現状に否定される。
彼女の目から、怒りと拒絶がひしひしと伝わってきた。
相変わらず、黄緑の優しい色をした目だ。
それなのに。
そのひんやりとした反応が、アリティーに容赦なく冷水を浴びせた。
「コレは現実である」と否応なく実感させられて、心の奥の大事な所が奪われてしまった様な気持ちになる。
たった一度聞いただけ。
なのに、その言葉が何度も何度もリフレインする。
残酷な音で「大嫌い」と。
「ぶっ、無礼だぞ! セシリア嬢!」
ジェームスのそんな声で我に返る。
視界の中に、彼女の姿はもう跡形も無かった。
緩慢な動作で振り向けば、彼女の背中はもう、ひどく遠くの方にあった。
遠くてもう手は届かない。
しかしそれよりも、何よりも、「彼女の目にはもう自分が映っていないのだ」という事実がアリティーをひどく落ち込ませて。
「――っ、殿下! あの者達を『不敬罪』に処しましょう!」
そう御命じください。
ジェームスが、鼻息荒くそう告げる。
しかし正直こっちは、それどころではない。
もう言葉を発することさえ億劫だった。
だからそれだけならば放って置いても良かったのだが、後ろに控えていたもう一人・護衛騎士のランバルトが「お、仕事か?」と言わんばかりに腰に携えた剣の柄に手を添えたので、流石に制止の声を掛ける。
ただし。
「――いやいい、やめろ」
たったその一言だけしか言えない。
この時のアリティーがもし本調子ならば、おそらく「危害を加えてきたわけでも無い貴族令嬢を相手に、剣で止めようとするバカがどこに居る」という様な事を言っただろう。
しかし今は、目の前の脳筋バカに苦言を言う気力さえ無い。
ショックに鈍化してしまった彼の頭に今あるのは「とりあえず止めねばマズい」という、辛うじてその一点だけである。
勢いの枯れたその声は、従者2人の闘争心を掻っ攫っていく。
反抗したジェームスが「しかしあの者は、殿下を……!」と食い下がったが。
「『この場限りの言葉にする』という約束だ。その約束をこの場で破り、私に恥をかけとでも?」
どうにか回った頭が、従者による醜態の予感を止めにかかる。
それは確かつい先程、誰でもないセシリアによって貼られたばかりの『安全装置』の筈だ。
それをまさかアリティー自身が思い出せた事に感謝しながら発するとは、何とも滑稽な話である。
しかし効果はテキメンだった。
流石に「主人に恥を掻かせるわけにはいかない」とでも思ったのだろう。
2人は完全に鎮火する。
そして代わりに意識が主を愚弄した憎きセシリアから、やっと主人に向いたのだろう。
アリティーを視界に入れて、次に瞬間その目に困惑と動揺の色を灯した。
「殿下……?」
その声は、たしかに「どうしたのか」と聞いてきていた。
アリティー自身は、自分が今どんな顔をしているのかなんて分からない。
おそらくは、心配させるほどを物なのだろう。
しかしそんな事も、従者の心配も全てそっちのけで小さく呟く。
「……何故、なんだろうか」
自分たち3人だけが残された静かな廊下に、アリティーのそんな声がポツリと落ちた。
無意識の内に、右手が胸まで伸びていく。
そして丁度心臓の上の服を鷲掴み、かすれた声でこう言った。
「――痛いんだ」
胸が、痛い。
それに耐える為に服を鷲掴みにすれば、強いその力にシワがギュッと深く刻まれる。
セシリアの事を最初は、『面白い』と思ったのだ。
そして次に「この面白さが得られるならば、どんな関係性でも良い」。
そう思って手に入れると自分で決めた。
自分の妻でも、側近でも、敵だとしても。
本当に、どれでも良かった。
ふとした時に手が届いてソレで『遊ぶ』事が出来さえすれば、それだけで満足だった。
その筈なのに。
「どうして、こんなに」
こんなにも痛いのだろう。
大嫌い。
それは正しく、彼女がこちらに敵対意識を抱いたという何よりの証拠だっていうのに、それなのに。
せっかく手に居入れた「彼女の敵対者」という事実が、どうしても痛くて辛い。
ダイレクトに示された彼女の拒絶が、その声が、心の奥のどこか柔らかい所に深く突き刺さったまま取れてくれない。
他人から、初めて完全に拒絶されたから。
コレはそんな安っぽい理由だけでは説明がつかない痛みである。
だからこの時アリティーは、自分の気持ちを否応なく自覚させられた。
彼女の行った方向にゆるりと視線を向けてみれば、そこにはもう誰も居ないし何も無い。
それがひどく寂しくて。
追いかけたいのに追いかけられない。
そもそも追いかけてどうするべきなのか、何を言うべきなのかも分からない。
それがとても虚しくて。
だから彼は、その場に立ちすくむしか無かったのだった。
――立ちすくむ。
この時の彼にとって、それはある意味最善の選択だったのかもしれない。
新しい痛みを存分に思い知って、その理由と意味を理解して。
そんな風に焦燥感片手に過ごした日々が、やがて彼を変えていく。
それが果たして良いことだったのかどうなのかは分からない。
が、未来の彼がもし「目の前に敷かれたレール以外の道を歩みだしのはいつなのか」と聞かれたならば、間違いなくこの日この時を上げることだろう。
〜〜アリティーSide、Fin.
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