第206話 それぞれの在り方
いつまでも茫然としているわけにはいかない。
色々と情報は手に入ったのだから、さっさと足を働かせて動かねばならぬ。
この状況において私が話すべき相手は、主君であるヴァリエール殿下ではない。
現地指揮官という扱いであるザビーネの下に出向くのが正しく、その上で一緒にアナスタシア殿下やテメレール公のところに行くのが正しかろう。
何はさておき、状況を報告せねばならぬ。
「お待ちを」
くい、と途中でマルティナが手を引く。
なんだ、急がねばならぬのというのに。
しかめ面で我が従士を見るが、しかめ面で返される。
「貴方の従士として、まずはファウスト様がどのように行動されるかを聞かねばなりません」
「どのようにも何も」
結論は決まっている。
マルティナがどのように説得を試みたとて、行動を変える気はない。
なれど、相談するという考え自体は悪くなかった。
私は意見を拝聴する。
「一つだけお尋ねします。あまり考えなくても大丈夫ですので、速やかにお答えください」
「ああ」
マルティナはその発達した知能を必死に回転させているらしく、しばし口ごもったが。
開口一番に聞いた。
「アンハルトを裏切る気は?」
「毛頭ない」
考えるまでもない。
主君にして婚約者であるヴァリ様の願いをポリドロ領で叶えること、テメレール公を裏切らぬ約束のこと。
アンハルト王城でリーゼンロッテ女王陛下に誓ったゲッシュのこと、私の考えに賛同してくれた騎士たちの信頼へ答えること。
戦友であるアナスタシア殿下やアスターテ公爵との友情を裏切らぬこと、約束したカタリナといつか子を為すこと。
どれ一つとして、裏切ってはならぬ誓いである。
「私が裏切る理由はない。嘘を吐いたと考えたならば、この場でマルティナが私の喉を切り裂いても構わぬ」
「……ファウスト様にとって一番大事なのは領地領民と、母君の名誉では?」
「事実である。必要とあれば犬畜生にもなろうとも。餓えれば他領を襲いてでも、領民の腹を満たすのが私の誇りだ。だが、そこまで落ちた私ならば、領民が先に私を見捨てるだろうさ」
自明の理である。
明らかなる条理を以て私は宣言する。
今ここまでの道程全てが、私が裏切らぬ理由で満ちているのだ。
「たとえ何があろうとも、私が教皇の誘いに乗る理由にはならぬ」
「わかりました。おそらく、どう最低限見繕っても教皇は嘘を言っていない。裏切ればポリドロ領の安泰だけは約束されるとあっても?」
「くどい」
はあ、とマルティナがため息をついた。
そして――何か眩しいものでも見たように、私を一目だけ見据えて。
「失礼しました。ここに従士長であるヘルガ殿がおられた場合は、同じように苦言されたことでしょうから」
従士長代わりとしての責任を果たしました。
そう言わんばかりに肩をすくめて、私に笑いかけた。
「ファウスト様は裏切るつもりなどないと。報告にはそうお口添えください。少なくとも、アナスタシア殿下は安心いたします」
「私のことを不忠の臣であると?」
「逆ですね。アナスタシア殿下は、自分はひょっとしてファウストの主君筋として相応しくないのではないか? それゆえに見限られるのではないかとお考えです」
何を馬鹿なことを。
……と言いたいところだが。
あのくどいほどに「私は悪くないもん」と皇帝を暗殺した先祖について説明を受けたばかりであったな。
「ああ……まあ、確かに。思い当たるフシはある。直接口添えしておこう」
「そうして頂けると」
異端審問が正式に始まる前に、会話をするとしよう。
思い当たるフシと言えば。
「こちらも、マルティナに質問がある。お前は先ほど、ポリドロ領の安泰だけは約束されるとあっても? と口にしたが」
「少なくとも、教皇は凡愚ではないでしょう。にも関わらず、自分の信じる正統宗教や権勢が絶対的に確約される根拠があると見ています」
本当に?
本当にそうか?
「……テメレール配下の超人『敗北者』は最初から敗北を認め、族長として身内の反抗さえ抑えたにも関わらず、地位は保証されなかった。あの気に食わんロリババアのナヒドは、ただ服従して何もかもを私に捧げろなんて言われたと。馬が走れる場所は全て自分の所有物だと考えているのだと、そう訴えている」
ハッキリ言えば、強者が弱者に配慮してくれる理由など欠片もない。
何らかの担保をとらなければ。あるいは、支配者の先行きにおいて価値ある存在でなければならぬ。
トクトア・カンにとって意味ある存在でなければならぬ。
価値や意味?
何をすれば、何が出来れば認められるかなど何一つわからん。
「では担保を取っているのでしょう。少なくとも教皇が保証を得たと信じ切れる何かを」
「ふむ」
興味はある。
知りたくないと言えば嘘になるだろう。
「それをマルティナは理解できるか?」
「推測ならばできます。ですが、推測は推測にすぎません。言わない方が混乱を招きません」
確かに、私が推測を聞いても混乱するだけだろう。
なら聞かぬ方が良い。
あの教皇ならば、殺し合いの前に全部話してくれそうなものだ。
「さて……ザビーネのところに行くつもりだが」
「ファウスト様」
相談は終わりだ。
マルティナとの会話を打ち切っても良い。
だが、今度は自分の考えを整理するためではなく、マルティナのために告げておくとしよう。
「言いたいことはわかっている。ザビーネが明らかに不調であることだろう。教皇がいくら優れているとはいえ事前に足跡を見つけられるとは、絶不調も絶不調だ。何とかして立ち直ってもらわねばならぬ。教皇暗殺の現場指揮官がこの無様では話にならぬ」
「わかっておられるならよいのですが」
ザビーネが教皇側に仕掛けた細工。
彼女が口ごもるぐらいだから、どんな酷いことをしたのかと考えていたのだが。
教皇から話を聞く限りでは、ちょっと自分の弟だか親族だか知らないが、まあ聖職者に売り飛ばしただけと聞く。
そのうえで買った聖職者をぶっ殺して、すげ変わったと。
なるほど、普通なら隠す内容だとは考えられる。
実に醜いハニートラップだ。
家族に対しての申し訳なさや、後悔の念を抱いてもおかしくないが。
「いつものザビーネならば、堂々と『ちょっと弟を男娼扱いで売り飛ばして、買った聖職者をぶっ殺してすげ替わっちゃったぜ! 情報もバッチリ抜き取れたよ!!』と笑顔で照れ臭そうに言ったに違いないだろうからな」
「いつものザビーネ卿ならそうですよ。むしろ、それが悪い事だとすら思わなかったに違いありません。ヴァリ様と自分のために役立ったのだから、弟も感謝しているだろうくらいは口にしたでしょう。そういう人ですよ、彼女は」
ザビーネはクズだ。
ハッキリ言わなくてもクズだ。
それが誰しもが考える、ザビーネに対するイメージである。
「ザビーネはサイコパスで人間のクズだ。ヴァリエール殿下や身内以外の何を殺しても、何の痛痒も感じない女だ。聖職者を殺せば絹の法衣を奪って、質屋に叩き売るだろう。そんなザビーネが、私は口に言えない酷いことをしているなどと考えている」
「不調です。明らかに不調です。このままで大丈夫なんですか?」
マルティナの心配はもっともだ。
私も不安に感じている。
今、ザビーネに誰もが求めているのは人間性などではない。
人間性を喪失したサイコパスのクズそのものであるザビーネだ。
彼女に人としての心など必要ない。
いらない。
主君のためとあらば、主君の命令すらまともに実行しない。
ヴァリ様と自分と身内のためならば、皆ことごとく使い潰されて死ねばよいと考えている。
人の心は無くて、自分にとって使えないすべての物をゴミクズのように認識して、口の汚れをナプキンでふき取るかのように使い捨てにする殺人コンピューターが彼女だ。
結果的には良かったとしても、ヴァリ様の帝都までの行軍でどれだけザビーネが滅茶苦茶やったかは聞いているのだ。
「ヴァリ様がもし今のザビーネを知ったならば、まあ喜ぶだろう。やっと人間としての善良が芽生えたのだと。涙をこぼして、心の底から神への感謝さえ口にするだろう。だが、それは今やる必要などないしな。ザビーネの改悛を知って喜ぶのは世界でヴァリ様だけだ」
だから、良心回路が後付けで付与されたというならば、それを取り外さないといけない。
余計な良心で性能を落としてもらっては、皆が困るのだ。
世界のためにも、彼女はサイコパスでチンパンジーのクズでなければいけない。
人間として目覚めるのは、もっと先で良い。
初めて会った時には考えもしなかったことではあるが。
「元に戻ってもらうために尽力することにしよう」
「なんとかできますか?」
「どうとでもなるさ」
少々、荒療治のカウンセリングが必要かもしれないが。
要するに、人の心が芽生えるに値する何か素敵なことがあったということであろう。
それがまやかしであると論破せねばならぬ。
「すぐにザビーネのところに行くとしよう。ついでに、ちょっと話もしてみよう」
「よろしくお願いしますね」
異端審問まで、あまり時間もない。
それまでに教皇から得た情報を整理し、ザビーネを元のチンパンジーに戻し、暗殺計画を練り直す。
これが私のやるべきことであった。
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