第201話 アナスタシアの言い訳


 古い話をしようか。

 東方植民が活況を呈し始めたころの時代だ。

 神聖グステン帝国の選帝侯が規定七名の選帝侯ではなく、選帝侯会議主宰者がマインツ大司教選帝侯でもなく。

 それどころか皇帝選挙というシステムそのものがなくて、当時のアンハルトが王国ですらなく、選帝侯でもなかった時代。

 まだ皇帝が、現在のあの皇帝座についている一族の時代ではなかった頃。

 神聖グステン皇帝の位が実質的に空位である、大空位時代に入る以前の話だ。

 今から300年以上も前の話で……どこまで説明したものか。

 さて、長々と話をすべきかと考えたが、ファウストよ。

 私の愛しいお前は、実は酷く気が短い男であることを知っているのだ。

 少し頭が悪いことも知っている。

 私は、このアナスタシアは、そんなお前の朴訥なところが大好きなのだ。

 だから、先ほどの会話を分かり易く縮めてあげようと思う。


『皇帝にそれなりのカリスマがあり、舐められておらず、中央集権的な側面すらあった時代。世俗諸侯が独自の領邦政策を展開して封建的な分裂状態となる前であった、400年ぐらい前のこと』


 そう考えて欲しい。

 事細かに話せば面白いのだが、どうせ私の愛しいファウストは興味がないだろう。

 マルティナがいれば面白く受け答えしたであろうが、あの子に教えるわけにはいかぬ。

 あのくるくると頭が回る少女が知っては、いらぬことも考えるかもしれぬ。

 よく考えれば、お前が彼女に色々と聞いても困るなあ。

 テメレール公辺りは、まあそれなりに今は信頼しているので、この場にいてくれても良いぐらいなのだが。

 そうだな、そうだ。

 よくよく考えたが、まあファウストは極々一部を知っていればよい。

 お前が気に食わぬ年齢不詳の『山の老人』、横で小首を傾げて少女のふりをしているロリババアのナヒドが生きていたと言い張っている事件の話。

 それもピンポイントなところでよいな。

 この国の正統を名乗る宗教が集め、神聖グステン帝国を含めた軍勢がパールサへの侵攻に参加した際の話だ。

 さて、世間ではどう言われていたかな。

 一応、表向きの理由は聖地の再奪還というのが目的である。

 我らの信仰する正統にとって、聖地にして聖市が異教徒によって奪われてしまったという事件が当時あった。

 これは正統な信仰を掲げる諸国に、とても大きな衝撃を与えたとのことだ。

 おお、なんてことだ。

 これは麗しき単頭鷲の紋章を帝国に掲げ、教皇から皇帝の冠を戴冠され、国民を安んじることを求められる。

 神聖グステン帝国の皇帝たる私が、邪悪から聖地を再奪還せねばならぬと。

 当時の皇帝などは口にしたと語られている。

 それだけではない。

 なんと、カエル食いのいけすかない連中や、自らを淑女だの連合王国だのほざいている連中まで参加してくれたのだ。

 諸王による軍勢だ。

 どれほど聖地の奪還のため、信仰への証明のためにありとあらゆる王と騎士が怒りに震えながら参加したのかと。

 そういうことになっているのだ。

『聞こえ』がよいからな。

 まあ。

 そんなこと誰も信じちゃいないのだがな。

 多分、まともな人間は誰も参加など望んでいない。

 本当のところを言えば、多くの人々にとって、聖地などはどうでもよかったのさ。

 だって、見たこともない聖地などどうでもよいだろう?

 聖地がパンになるのか?

 聖地がワインになるのか?

 贖罪主はもういないことぐらい誰だって知っているだろう?

 聖地への巡礼者なんか知ったことではないだろうに。

 途中で異教徒に殺されたら、そいつに運がなかったで終わりにしてよいだろう?

 彼らの中に、聖地にまで旅に赴いて喜ぶ余裕がある人間などが、どれだけいたと思っているのだ?

 隣の集落に交換婚で婿に行った息子の顔を見に行く旅でさえ、盗賊騎士や山賊に襲われるかもしれぬという命懸けの時代だぞ?

 神聖グステン帝国における当時の皇帝でさえ、そんなものよりも我らが名乗るかつての帝国首都であり、正統たる信仰の中枢であるグステンを確保する方が重要であると考えていた。

 かつての故地を、かつての帝国首都を手に入れるために異国に遠征することは確かな栄誉であるが。

 さて、聖地なんて興味がないものを手に入れたところで、我らの生活を安んじるために何の価値があるのだ?

 本当にそんなものを信じていた王などは、おそらく一人ぐらいだろう。

 勇ましく、それ以上に愚かしくて、国家経済を傾けて国を無茶苦茶にした目立ちたがり屋の、淑女にして連合王国の女王。

 いわゆる獅子心王ぐらいではないだろうか。

 母は、リーゼンロッテなどは彼女を心底馬鹿にしているのだよ。

『聖地なんてもののための遠征費、自分が捕らえられた際の身代金、好き勝手にやらかした結果の軍費で国家経済を無茶苦茶にしておいて、領民の慰撫なんて何一つせず、自分が巻き起こした問題は何一つ解決せずに次の王に押し付けて死に逃げた。あんな愚劣な英傑にはなりたくない。王の為すべきところは、如何にして今の領民を安んじて、次代に対して責任をとるかでしかない』が口癖だったな。

 戦争などは二の次として、国家政治に全力を傾けることを王の本分としていた。

 ファウストが、モンゴル帝国が攻めてくるから警戒をと訴えていたことに対して。

 そんなことに何の意味が? 戦争なんぞより自分の領民をいかに安寧に導くかの方が大事であろう? と心底から不思議そうに母が首を傾げていたことにはその側面も――あれは母の悪いところが出たな。

 私は心の底からクソババアだと思っているが、悪い面もあるが、国家経済においては本当に何の隙も無い人物だったと尊敬している部分もあるのだ。

 母には直接言わないがな。

 内政には優れているが、軍事となるとウィンドボナへの軍勢ですら出し渋るのだ。

 レッケンベルによるウィンドボナ遠征ですら、あまり私兵を出さずに金で済ませた。

 また話が逸れた。

 人には個性があるということだ。

 獅子心王と言われた彼女とて、武勇で有能だったことだけは貶す者なんぞいないだろう。

 異教徒だって、まあ一応は褒めてくれたさ。

 武勇面だけはな。


『話を戻そう。さて、ごく一部の誰かさんぐらいしか興味を持っていなかった聖地のために、誰もが巻き込まれた理由についてだ』


 聖地が奪われてしまったことは知っているな。

 まあ、別にどうでもよかったのだ。

 誰かが余計なことさえ言わなければどうでもよかったのに。

 当時、87歳の腐れた老いぼれがそれを聞き及んで、ほざいたのだ。

 教皇に在位して三か月も満たずにぽっくり死んだ、本当に死にかけの老いぼれがほざいたのだよ。


『聖地を異教徒から取り戻せ! 聖戦だ! これに参加しない教徒は罪なるぞ!』


 そうほざいた。

 教皇によくある名前の、はて、何代目だったかな。

 どうでもいいが、そいつがほざいたのだよ。

 皆が嫌なのに、多くが望んでいないのに、聖地を取り戻せなんて口にした。

 本音を言えば、教皇本人が本当に口にしたのかさえも疑いがあるよ。

 誰も責任を取りたくなかっただけじゃないのか?

 正統なる教会側としては立場的に言わないわけにもいかなかったが、まあ教徒の皆が嫌ならスルーしてくれてもいいかなぐらいの発言だったのではないか。

 そんなことさえ思う。

 教会の方だって聖戦が失敗した際の責任なんて取りたくないから、死にかけの老いぼれを無理やり教皇に仕立て上げて言わせた疑惑があるのだ。

 誰もが望んでもいない異教徒征伐が始まった。

 ああ、畜生。

 仕方ない、行きたくはないけれど仕方ない。

 教皇に命じられ、誰もがもう仕方なく行くことになったのだ。

 あれ、行きたくないんじゃなかったのか?

 断れば済む話ではないのか?

 違うんだよ。

 外国なんて遠いし。

 地元を離れるなんて怖いし。

 隣の集落に行くのも命懸けなのに、そんなことしたい奴なんて滅多にいないんだよ。

 でも、教皇に言われたのはともかく、主君や身内に言われたら面子のために行くしかないんだよ。

 近くの領地の騎士をぶち殺して財産を略奪するためならば、喜んで行くやつも沢山いたんだろうがな。

 何が悲しくて、見たこともない聖地のために戦う奴がいるんだよ。

 いない。

 一部の勘違いしている馬鹿しかいないだろ、そんなの。

 そうはファウストとて思うだろうし、私が呼び掛けたところでお前は拒否するだろう。

 軍役義務がないからと。

 つまり、なんだな。

 昔は本当にみんな行きたくないけれど、軍役義務がないからって拒否できる自由な領邦騎士が沢山いる時代ではなかった。

 中央集権的な時代だったんだ。

 一応は「戦う人」として、信仰を守るという大義名分を行動規範に置いている騎士階級が聖戦への参加を拒んだら、他から舐められることになるのだ。

 みんな仕方なく一族から生贄の騎士を出して、お茶を濁したり。

 最悪は自分を生贄に捧げて、娘や他の親族に領地を託して、地獄に旅立ったんだよ。

 そうしないと、周りの貴族社会から村八分にあうんだ。

 あれ、本当に正統を信仰してるの?

 実は異教徒と戦うのが怖いんじゃないの?

 騎士の癖にビビってんのか?

 そんな酷いことを言われるんだ。

 いや、まあ面と向かって言われただけならば、そいつを殺して『今私を笑ったか?』と死体に唾を吐けば解決するんだが。

 周りからヒソヒソと笑い声をたてられて、馬鹿にされるのは耐え難かった。

 それが貴族の名誉なんだ。

 貴族社会に生きる騎士ならば、舐められることだけは許されないんだ。

 もちろん喜んで参加した騎士がいなかったとは言わないが、まあ勘違いをしていたか、物を知らなかったんだろうな。

 もっと昔にあった聖地への遠征者が、異教徒の死体を鍋で煮たり、串焼きにして食べたという逸話もあるんだ。

 異教徒だから何をしてもいい。

 そんな感じの意味がよくわからない、異常な名誉からの行動ではない。

 異国にて食料が手に入らぬ飢餓に苦しんだ挙句に、仕方なくも口にしたらしいと聞く。

 そんな話を事前に知ってたら、誰がそんな地獄に喜んで行きたいと思うのか。

 とにかく、とにかくだ。

 一部の何か勘違いした騎士はいたが、誰もが望んで異教徒から聖地を取り戻すために旅立ったわけではないことを、ともかくも理解して欲しい。

 そこから本題に入らねばならぬのだ。


『ここで、一人の女性が登場する』


 私たちの開祖だ。

 もちろん、もっと古くの歴史も辿れるが。

 アンハルト王を名乗る王族としては開祖だった。

 彼女が行きたくもない異教徒への遠征軍に参加して、いくつか戦もこなしてだ。

 それでも故郷に帰してはくれない皇帝に反意を抱いたところで、何が悪かろう?

 彼女が戦場で、一人静かに口にした言葉はこうだった。


『異教徒ではない。皇帝をぶっ殺して領地に帰ろう。皇帝さえ死ねば、我が故郷に帰れるはずなんだ』


 そう呟いたのだ。

 今まで説明したようにだ。

 開祖がそのような論理的に明快な決断に至ったことは、理解して欲しい。

 もうアンハルト開祖は何一つ悪くなかったと弁明しておきたい。

 当時の神聖グステン皇帝をぶち殺すために、敵の異教徒を案内したことが。

 それの何が悪かろう?

 アンハルトの末裔たる私としては、そう思うんだ。


「ええ……。結末に至るまでの言い訳が糞長くないか、おぬし。自分の主君をぶち殺すために、異教徒の暗殺者と秘密契約結んで手引きした言い訳にはならんじゃろうに、それ」


 うるさいナヒド。

 私は、このアナスタシアは、なんか当時も生きていたと言い張る胡散臭いロリババアに、そう言い放った。


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今回、史実(偏見も交じってます)知らんと分かりづらい気もするので

分かりにくい点があったら言って下さい

ある程度修正します

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