第200話 褐色ロリババアのひみつ


 色々悩んだ挙げ句に、アナスタシア殿下のところに案内することとした。

 このナヒドとか名乗る、年齢不詳の褐色ロリババアが望むところはアンハルト王家後継者との謁見である。

 リーゼンロッテ女王陛下が帝都におらぬ以上は、正統後継者である彼女に会わせることが正解だろう。

 ヴァリ様?

 一応は継承権を持っているが、もはや後継者とは言えないだろう。

 すでに私の婚約者としてポリドロ家当主になることを覚悟しており、誰もがその気になっている。

 実質的な王家の権力譲渡は、すでにアナスタシア殿下に対して為されているのだ。

 ……本音を言えば、今更余計なことに婚約者たるヴァリ様を巻き込むのは可哀想だ。


「さて……ご苦労だったと言っておこう、ファウスト。別に貴卿が意図した行動ではないだろうがね。前々から彼女を、『山の老人』を探してはいたんだよ。探してはいたけれど、何処にいるのかまではさっぱりわからなかった。何せ、恥ずかしいことにアンハルトの諜報網は一度死んだものでね。辛うじて……叔母上であるリーゼンロッテ女王陛下が、パールサから彼女たちが脱出したことを突き止めたのみだった」


 アスターテ公が、労うように私に微笑みかけた。

 機嫌は上々のようであり、何処か安心したような素振りさえ見せていた。


「ナヒド殿も、よく私たちにコンタクトを取ってくれたものだ。今後の話し合いがどうなるかはわからぬが、まずは感謝をしておくよ」


 優し気な声で謝意さえ示すのだが、別に油断しているというわけではない。

 最大限の警戒をナヒドに放っており、いつでも腰のナイフに手を伸ばせるようにしている。

 まあ、さすがにアナスタシア殿下、アスターテ公爵、私の超人三人がかりならば殺しきれるだろうが。

 だがそれは、眼前のロリババアが戦いに徹してくれた場合であって。


「まあ、額面通りに受け取っておこうかのう。とはいえ、こちらの事情も鑑みて欲しいものじゃ。ワシは確かにアンハルト王家にコンタクトを取ったが、それはかつて秘密契約を結んだ縁というものじゃ。場合によってはヴィレンドルフにでも行くし、落ち目のマインツ辺りでも構わん。多少は腐っても選帝侯の格であることには変わらぬ」


 逃走に転じられた場合、このポリドロの膂力を以てしても捕縛は難事であると思うのだ。

 実力を計算している。

 レッケンベル卿ほどではないだろうが、さて、テメレール公よりも弱いかというと微妙なラインだ。

 単純な身体能力だけではなく、暗殺者としての技術も加えれば――完全に見極めるのは難しい。

 アスターテ公は、表情を変えずに言葉を繋げる。


「……念のために尋ねておこうか。教皇や皇帝はどうだろうか? ナヒド殿にとっては」

「愚問じゃのう。何が悲しゅうてワシらをパールサから追い出した連中に、あの憎たらしいモンゴル帝国に尻振る連中に従わねばならんのじゃ。どう思うかの、ファウスト・フォン・ポリドロ卿」


 何故か、私の方に話が飛んだ。

 わかっているじゃろ?

 わかってる?

 ねえねえ、本当にわかってる? とばかりに、何故かナヒドは私の表情を伺っている。

 どうして無意味に私を挑発するのだ、この褐色ロリババア。


「お互いに腹の探り合いをしているのだろう? さっさと本題に移ればよろしい」

「まあ、そうじゃの。おぬし、頭が悪そうじゃからの。解説役なしで話を済ませると、何がなんだかわからないかもしれんと思うての。腹の探り合いは、諧謔は大人の会話に必要なものじゃぞ。お互いに知能レベルが釣り合う存在であるか、巧言くらいは操れる存在か。ああ、そこらへんを考えるとお前はてんで駄目じゃの。さっさと本題に入れなんて言う奴は、絶対に世の中上手く渡っていけんわな」


 よく今まで貴族の世界で生きてこられたのうと。

 そのようにして、小馬鹿にしてくるのだ。

 何か私に恨みでもあんのかよ、この褐色ロリババア。

 嗚呼、正直言えばマルティナが欲しい。

 9歳児を連れてきて補佐役ですと言い出したら、余計に馬鹿にされそうな気もするが。


「おぬしに期待できるのは、ウチの分家たるヴェスパーマン家を事実上滅ぼしたレッケンベル卿に勝利したこと。その騎士としての武力のみじゃのう」


 別に、私には剣一つさえあればよい。

 それの何が悪いと言おうとしたが、はて、このナヒドとやらは幾つか判らぬ点がある。

 本人の言葉を信じれば、ヴェスパーマン家の一族開祖らしいが、じゃあお前幾つだよと。

 かなりの高齢どころか数百年生きているはずだが、眼前のナヒドはどう見ても褐色ロリババアである。

 神聖グステン帝国の皇帝陛下が、総司令として挑んだ聖戦は何百年前なのだろうか。

 この国の正統を名乗る宗教が集めた軍勢によるパールサへの侵攻なんて、前世の知識を引っ張りだしてきても、いつだかは怪しいぞ。

 なんとかサラディンだけは世界史を選択した人間として思い出せるから、アイユーブ王朝の頃だとしてだ。

 まあ、第三次十字軍の時だと仮定しよう。

 その後にマムルーク朝があるが、モンゴル帝国相手に『防衛』を成功した数少ない例の一つとして覚えている程度でしかない。

 ならばモンゴル帝国が滅ぼしたホラズム・シャー朝に仕えていたのか?

 いや、全然違う気がする。

『山の老人』にはマルコ・ポーロ関連で聞き覚えがあるが、イスマイール派?

 ならばイスラムといってもシーア派に近いはずで、ファーティマ朝……はサラディンの前だ。

 お前は何処の王朝に仕えていたんだ『山の老人』、もう高校世界史で触った程度の人間には判る知識ではないと。

 脳みそを限界まで絞り出して、ようやく辿り着いたのがモンゴル帝国に滅ぼされたセルジューク朝だが……これも怪しい。

 私はイスラム社会に対する地理をよく知らぬ。

 いや、ここまで考えたところで意味はなかった。

 別にこの世界の歴史、前世とは似ているようで全然違うのだから、本当に意味がない。

 私の懊悩には意味がなかった。

 多分こいつ、自分の意に沿うか沿わないかはわからないが、どうにも幾つかの王朝に仕えているから特定すら意味がない。

 前世の知識を利用したところで、お前が何者か、お前が何を考えているか特定できない。


「お前分かりづらいんだよ。ぶっ殺すぞ。何一つわからんじゃないか。お前の人生無茶苦茶すぎるだろ」


 思わず罵りの声を上げる。

 その対象であるロリババアは困惑の声を上げた。


「え、なんでワシ怒られてるの? 今殺すって口走らなかった!? しかもワシが一族のために一生懸命やってきた人生を貶さなかった!?」


 お前が悪いからだよと、舌打ちをする。

 アンハルト王家と、パールサの暗殺教団との秘密契約とは何なのか。

 気にはなるが、私に王家の秘事に対する発言権などない。

 聞く権利など欠片もない。

 うんうんと唸っていると、少し不安そうな顔でナヒドが尋ねた。


「ワシ、何か悪いことした? 心当たりないんじゃけど……おぬし、何を悩んでおる」

「私は世界の歴史など知らぬ。よく考えなくても、この世界の歴史など知らぬ。貴女の、ナヒドがどのような人生を送ってきたのかわからぬ。幾つの王朝に仕えたかもわからぬ。貴女が何歳なのか興味あるが、まあ聞くのは失礼かなと思っている。パールサにおける暗殺教団とアンハルトとの秘密契約って何なのと気になってはいるが、秘事であるがゆえに聞くのは拙いかなと思っている。全部聞きたいけど、まあ聞かぬことにする。私に質問をする権利はない」

「ええ……おぬし正直すぎるってよく言われない? 聞いたら拙いって思うなら、じゃあ最初から聞かないようにしない? 口にすらしないのが普通じゃろ? お前、嘘じゃろ……。何かワシに恨みでもあるの? 今の発言のせいで、ワシとアナスタシア殿下の腹の探り合いは全部台無しになったんじゃよ?」


 信じられないと、褐色ロリババアは呻いた。

 マルティナからも同じことをたまに言われる。

 だが、まあ別に正直で困ったことはない。

 9歳児にして私の従士ならば全部知っているのだろうが、傍におらぬ。

 というか、もうお前は誰なんだよ。

 『山の老人』とか暗殺教団『宵の明星』とか御大層に名乗っていたけれど、正直言えばお前なんか知らないよ。

 というか、もう正直言えばロリババアの事を私は嫌いだった。

 性的に魅力はないし、ヴァリ様に対してのような敬意も感じないからだ。

 なんで生きているんだお前。


「というか、正直連れてきたの失敗だったか? お前みたいに怪しいのを主君の前に連れてきてはいけないんじゃないのか。すいません、アナスタシア殿下。怪しい奴なので、そこら辺の街角に捨ててまいります」

「ええ……ワシ初対面の人だからと、何も知らんじゃろうと、割と懇切丁寧に最初から説明したつもりじゃったのに……。第一印象結構良い方だと、強い印象をおぬしに与えたと思っていたのに。そんな野良猫の子みたいに扱われるの?」


 野良猫の子なら、親猫が近くにいないかを数時間観察した後に、いない場合は仕方ないから拾って帰るよ。

 猫ちゃんと同じくらい自分が可愛いと勘違いするなよ、この褐色ロリババア。

 お前の正体が本気でわかんねえんだよ。

 なんで私は主君たるアナスタシア殿下の前に、お前なんかを連れてきたんだろうか。

 正直、自分の常識を疑っている。


「まあ、落ち着け。ファウスト。お前は嫌っているようだが、私には用件がある。そして、まあヴァリエールの婚約者であり、王族の一員でもあるのだ。部屋に入ろうとするマルティナには席を外してもらったが、お前にはアンハルト王家の秘事を知る権利がある。お前だけならな」


 ようやくにしてアナスタシア殿下が口を開き、目配せをする。

 アスターテ公爵がそれに応じて頷いて、説明するべきだろうという視線を。

 お前の疑問に対し、一部だけなら教えてやろうじゃないかと口端を緩めた。

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