第195話 老猪テメレール公の献身


 形の良い唇に、物言わぬ骸骨のしゃれこうべを住み処にしている蛇のようにして。

 長い舌を伸ばしながら、アナスタシアは吐き捨てた。


「ケルン枢機卿の身柄が、教皇に捕縛される事をみすみす見過ごせと言うのか?」


 トントンと、指でテーブルを叩いている。

 機嫌は悪いようだ。

 周囲を、軽く見渡す。

 アンハルト選帝侯家、第一王女アナスタシア。

 ヴィレンドルフ選帝侯家、当主カタリナ。

 マインツ選帝侯家、指名後継者オイゲン。

 そして、テメレール公爵家の当主たる私ことシャルロット。

 この四人にて会議は進行している。

 アナスタシアの相談役であるアスターテ公爵、またそれぞれ信頼のおける人間なども背後に並んでいるが発言権はない。

 さて。


「私の騎士団に派遣されている『ケルン騎士』にご機嫌伺いをさせたのだがね。帝都から身をかわすのはもちろんのこと、私たちに保護されるのもお断りするとのことだよ」


 どうにかして、この「教皇暗殺」を目的とした会議を暴走させず、コントロールせねばなるまい。

 若い連中を導いてやることが、この老猪の務めというものであろう。

 そのように誘導されていると若者に気づかせずに、とはいくまいが。

 酷く単純な男であるファウストとは違い、この選帝侯や後継者連中を騙すのは不可能だ。

 まあファウストはあの単純なところが酷く私の心を掻き立てるのだがね。

 私の言葉を素直に聞いて、真っすぐに見つめてくれる時などは、背筋がぞくっとするのだ。

 そんな性癖話は置いておくとして、だ。


「ケルン枢機卿は、もし身柄を捕縛されて異端審問に付されても拒否をしないと?」

「教皇が何を御考えになっているかを問い質し、結局この『帝国』と『宗教』をどう導きたいのかを尋ねたいとのことだ。そのために自分の命がどうなるかは埒外だと」

「愚かな」


 アナスタシアが愚劣と切って捨てる。


「異端審問など乱暴で恣意的な結論を口にするための偽物の法廷に過ぎず、自分が完全な正義だと口にするおぞましい宗教家は血に飢えた弾圧者に過ぎぬ。正義もなければ公平もなく審判でさえない。我、斯様な神の力をば得たり。我を見よ、我を見よ、我らは正義の代行者なりと神に仕えるのではなく神の力に酔った阿呆が異端審問官だ。そのようなこと問い質す間もなく殺される」

「ケルン枢機卿はそう考えていないようだ。付け加えるなら――」


 一度、意図的に口を澱ませて。

 これは私の意見であり、まあ間違ってはいないのだと情報を提示する。


「少なくとも、教皇はケルン枢機卿に対しての『お前を殺す理由』について異端審問という表向きの理由をとってこそいるが。隠している本当の意図があるだろうし、それを枢機卿には処刑直前に口にするだろう。このテメレールが保証してやる」


 教皇は自らが信仰して守護すべき『正統』が本当に綺麗で正しいものだなんてこと、欠片も信じていないのだ。

 むしろ腐敗した現状を嫌ってすらいる。

 もっと、何か、別な価値観を信仰しているように思えた。

 彼女は帝国をモンゴルに売り渡す裏切り者で、売り渡した結果帝国の民がどうなろうが知ったことではないと考えていることには違いなく、断じてこのテメレールとは手を結べないが。

 私は教皇が考えていること『だけ』には、少しばかり興味がある。


「そんな事を知ったところでどうしたいのだ? 何の意味がある? 何の価値がある? ぶち殺してしまえば全てが解決する。ぶち殺さなければ何も解決しない。それが全てだ」


 カタリナが、本当に不思議そうに尋ねた。

 彼女にとって、ヴィレンドルフの女王にとってはどうでもよいことだからだ。

 教皇の首を刎ねて、木材や葡萄の枯れ蔓、麦わら、使い古した網などと一緒に燃やせば全て片付くと考えている。

 シンプルに、敵対者をぶち殺すことだけで、眼前の問題を解決しようと考えていた。

 そいつが何考えていようが、燃やしたら何もなくなるから気にする意味などないという思考回路なのだ。

 ヴィレンドルフにはこんな奴しかいない。

『あの』レッケンベルは英明であったが、同時にこういう性格でもあったなと懐かしさを覚える。

 感情も知らぬ冷血の娘であろうが、『あの』レッケンベルに育てられたならこうもなろうが。


「……レッケンベルの娘よ。人は理解を求める。納得を求める。共感を求める。このテメレールがお前らに協力しているのは、断じておのれら選帝侯の利益のためではない。おのれらより帝国における爵位が下だからといって、私が家来同然に扱われてよいなどとは思っていないことを知れ。人を動かすには利益と納得が必要であることぐらいは理解しているだろう」


 思わず罵ってやりたくなるが、そのようなことをしても問題は解決せぬ。

 私は私で、アナスタシアやカタリナの納得を得なければ目標は達成できぬ。

 仕方あるまい。


「ファウスト・フォン・ポリドロ卿がおのれらに従うのも利害関係だけではないように」


 本音であると同時に、アナスタシアとカタリナが懸想する男騎士の名を出す。


「アナスタシア殿下が私のために頭を下げて、モンゴルに抵抗するための協力をアンハルトの騎士に呼びかけてくれたのだと。ゆえに私は信頼を達成せねばならぬと彼は語っている。仮に私が彼女に誓いを果たせぬときは自刃して詫びるのだと」


 アナスタシアの瞳を見つめながらに呟く。

 お前如きに、惚れた男であるファウストの事を口にして欲しくないと睨んでいる。

 彼女は気性難の蛇女だった。


「私はかつてカタリナ女王と母への愛と、その捧げ方について共感を共にした仲である。将来、子供を作るために番うことを約束した仲である。私はカタリナ女王を裏切ることは生涯において有り得ぬと誓っていると、あの男は語っている」


 カタリナの瞳を見つめながらに呟く。

 お前如きに、惚れた男との関係について、何故そのように口にされねばならぬのかと睨んでいる。

 彼女は気性難の冷血だった。


「貴女達とファウストの間には王と騎士の主従関係があり、利害関係があり、それ以上に信頼と愛による理解と納得と共感がある。人は納得せねば動かぬ。殺される恐怖への妥協は殆んどの者がするが、もし納得に至らねば首を刎ねられても人は断じて動かぬ。どうしても納得をせねば他人は思うように動いてくれぬ」


 業腹ではあるが、ファウストとの関係について触れてやることにする。

 ファウストが、アナスタシアとカタリナを心から信頼していることについて。

 なんで私が惚れた男であるファウストと、他の女との関係における尊さを口にしてやらねばならんのか。

 ウンザリとするが、この二人の機嫌をとってやる手段が他に思い当たらぬ。

 褒め称えたのに睨まれているのが現状だが、水面下では彼女たちの機嫌は改善されている。

 そうであってほしい。

 そうでなければ、私が惨めになる。

 ファウストに砕かれた頭蓋の傷口が、まだ痛む気がした。

 医者からは完治を告げられたのだが。


「要するに何が言いたいんです?」


 オイゲンが空気を読んで呟いた。

 コイツもコイツで何を考えているのかわからぬが、母親であるマインツ選帝侯を侮辱された事実だけで、教皇をとにかくぶち殺したがっていることだけは理解している。

 殺意の高い連中しかいないのか、ここには。

 私とて裏切り者である皇帝も教皇も死んでしまえばいいとは思っているが、正直手段としてモンゴルからの防衛さえ成り立つのならば、誰が皇帝でも教皇でも文句などはなかった。

 だが、もう教皇は殺すべきだろう。

 あまりにも選帝侯達を舐め過ぎた。


「教皇は殺す。必ずや殺す。その手段はもちろん、世間に公になることも、逆に秘匿されることになっても問題はない。ぶち殺せば、どうとでもなると考えている。暴力こそ全てだ、それが世の中だ。教皇が私たちを舐めた以上は、必ずやぶち殺さねばならない。妹君であるヴァリエール殿下が教皇に意図的に殺されかけたという風評は、すでに帝都にて流れ始めている。こうなっては、アナスタシアなどは必ずや教皇を殺さねば面子に関わる。それは事実だが」


 三人の意に沿う回答を先に告げる。

 私は若さゆえの暴発を恐怖している。

 この三人なら教皇を殺すという目的を達成するだけならば、それは容易いであろうさ。

 めでたしめでたしで、グッドエンドだ。

 だが『教皇暗殺計画』というシナリオのトゥルーエンドを達成するにあたっては足らぬ。


「ケルン枢機卿の納得をそれで得られるのか? というのが私の懸念するところである」


 あの狂った異端どもから、それで納得は得られないと考えている。

 お前らの達成目標と、私の達成目標は異なると理解してもらわねば困る。


「ケルン枢機卿の個人的な納得を得られぬから今は待てと? 坊主の戯言など無視してしまえばよろしい」


 オイゲンが吐き捨てた。

 三聖職諸侯になる予定であるお前も、一応は坊主だろうが。

 問題がそう容易く解決するならば、このテメレールとて教皇をさっさと殺している!

 激怒しそうになって、ファウストに叩き割られた頭蓋がまた痛む。

 これは冷静になれと、自分の体が訴えているのだと解釈する。


「ケルン派全体からの理解を得られぬと口にしているのだ。はて、何故ケルン派は異端審問を受けたのかと、枢機卿も信徒も疑問に思っている。おそらくは教皇から真意を聞くまでは納得せぬ」


 私はそのように呟いて、周囲を見渡した。

 アナスタシアが、『人食い蛇姫』が不思議そうに呟いた。


「ケルン派が異端だからだろうが。異端じゃないか。どう見ても異端だろ」


 アナスタシアが三度も指摘した。

 無視をする。

 そんな誰もが知っている事実を聞いているわけではない。


「ケルン派にとって今回の異端審問は本当に意に沿わぬことである。贖罪主のエピソードを沢山『発見』して最も尊い神の言葉を民衆に伝えてきたと思っていよう」


 そうだろう、とカタリナに視線をやる。

 彼女は答えた。


「ヴィレンドルフのケルン派などは、魚の頭でも信仰は集められるのだ。大事なのは、その宗教によって本当に人が救われるかどうかという結果に過ぎぬ。私たちは善男善女の救済のためなら手段など問わぬし、異端と呼ばれても何も気にせぬ。何故なら私たちは狂っているからと。そう語っていたが」


 異端だと自分たちで認めているんじゃねえよ、クソボケども。

 ヴィレンドルフは狂っているので、その中でのケルン派はより一層狂っている。

 そう呟こうとして、辛うじて堪える。

 私は一応、念のためオイゲンを見た。


「異端です。もうケルン派なんて消えてなくなってしまうべきと考えています」


 オイゲン・フォン・マインツよ。

 お前はケルン派に改宗したばかりだろうが!

 そう言いたくなるが、まあ彼女は別にケルン派を本気で信仰してはいないだろう。

 この帝国の状況を生き抜くための手段として、ケルン派を装っているだけに過ぎぬ。

 ここでケルン派は異端ではないと言われたら怖い。

 ケルン派最高! ケルン派最高! などと叫ばれたら会議室からすぐ叩きださねばならなかった。

 狂人とは会話が出来ぬからだ。

 認めよう。


「ケルン派は確かに異端だ。だから、どうしたというのだ」


 もう、異端かそうではないかなど、議論する意味はない。

 モンゴルから帝国を護れる人間なら皇帝や教皇が誰でもいいのと同様に、宗教が正統であろうが異端であろうがどうでもよかった。


「大事なことは、ケルン派が銃や砲兵に関わる開発状況の全てを握っているということだ。絶対に胸襟を開かせ、モンゴル戦のために必要な全ての知識を手にせねばならぬ」


 今、ケルン派の意向を無視して機嫌を損ねるわけにはいかんのだ。

 オイゲンは酷く不満そうな顔をしている。


「そのために、ケルン派の好きなようにさせろと? 私たちが今こうして、舐められている現状を無視して?」

「少なくともケルン派枢機卿が納得して、正統に逆らいて銃を向ける気になるまでは、好きなようにさせてやるべきだ」


 舌打ち。

 それを放った相手はアナスタシアであり、食した人肉が不味かったような表情で顔をしかめている。


「計画を中断せよと」


 とん、と人食い蛇がテーブルの上の資料を指で叩いた。

 そこにはザビーネ・フォン・ヴェスパーマンという名前の紋章官もどき、いや、殺し屋か。

 彼女が考えた教皇殺害計画が記されている。


「そもそも、大聖堂を火薬で木っ端みじんに破壊して、そこから這い出てきたものは教皇だろうが司教だろうが全て皆殺しとは何だ。暗殺でも何でもないだろうが。これに書かれている教皇100点、司教20点、司祭10点、助祭2点とは何だ。何の点数だ」

「聖職者を沢山殺して点数を集めると、騎士受勲や大金貨などの褒美をやるシステムを作った。聖職者を殺す人間はヴァリエールの傭兵でも、ランツクネヒトでも、なんならそこらの浮浪者を束ねている乞食親方でも良い。色々なところに手を伸ばし、殺害希望者を募るつもりだ」

「すぐに計画を破棄しろ」


 もはや暗殺でもなんでもない。

 面子を潰されたアンハルト選帝侯による報復であり、一方的な聖職者の虐殺が巻き起こったと歴史書には書かれるだろう。

 教皇側も抵抗するだろうが、穏当な手段を選択しない場合のアナスタシアには勝てないだろう。

 性質が悪いことに、ここまでやったところでアナスタシアの名誉は別に地に堕ちず、選帝侯継承者としての面子を施したにすぎぬレベルの世論まで彼女は持っていくつもりだということだ。

 いや、事実それぐらいやってのけるだろう。

 このようなことをして、帝都がどれだけ混乱してもよいのか。

 一応はそう告げてやるが。


「別に帝都が混乱したところで皇帝が困るだけだろう。アンハルト選帝侯家は何も困らん。自分の領地でもなんでもないんだぞ。なんで自分の国民でも何でもない連中の為に心を砕いてやらねばならんのだ。阿呆らしい。アンハルトの面子と帝都の混乱を比較するなら、当然アンハルト選帝侯家の面子が優先されるべきだ。教皇を殺す。死体を椅子に座らせて罪を問う。操りやすい別な誰かに教皇座をくれてやる。それだけだ」


 ……まあ、そう言うだろうな、お前は。

 極論言ってしまえば、ここにいる私以外の誰もが帝都の民がどうなろうが知ったことではないのだ。

 このテメレール公爵家を含めて皇帝には一応忠誠を誓っているということに表向きはなっているだけで、なっているだけだった。

 帝国がどうなろうが、最悪は自分の領地領民さえ安泰ならどうでもよかった。

 だから絶望をしたのだ、私は。

 あの帝国を本気で守ろうとも考えていない皇帝が、こんな連中を、選帝侯達を纏められるわけがない。

 ちゃんと協力し合うことで、ようやくモンゴルに対する勝ち筋も見えようというのに。

 なんで私は、このテメレールは皇帝でもなんでもないというのに、この化け物どもを纏めようとしているのだろうか?

 理由はたった一つだ。

 騎士として、私に一騎打ちで勝利した男と交わした約束のため。


「ファウストは今頃何をしているのだろうか?」


 この場には存在しないが、やはりアナスタシア同様に怒り狂っているはずである。

 ケルン派への信仰厚き騎士である彼の事が気になったが。

 何はともあれ、選帝侯達による教皇への性急な殺意を止めるのが、グッドエンドからトゥルーエンドに事を運ぶことが、この猪突公テメレールの役目だった。

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