第179話 Heartless Scat(無情のスキャット)


ヴァリエール殿下の陣幕を後にして、外へと出る。

夜中になれば、いつもはそこかしこで戦功を挙げた傭兵団などが狂ったように喧しく吠えており、まるで獣のようだと眉を顰めるのだが。

今夜はひっそりと静まり返っている。

そりゃそうだ。

明日は自分の身がどうなるのかわからんのだ。

もはや誰一人として誤魔化すことなど出来はせぬ。


「そうだ、世の中そんなものなのさ」


このアメリア・フォン・ベルリヒンゲンの予想したところとは少し違う破滅の仕方ではあるものの、結末は同じである。

皆、夢から醒めたのだ。

自分の人生何もかもを、この旅にて変えることが出来るという夢を捨てたのだ。

マインツ大司教によるケルン派への異端審問と、ヴァリエール殿下の軍勢に対する解散命令で全ては終わりを告げた。

寂しい道を歩く。

このアメリアはずっと一人で歩いている。

母を亡くしたその時から、このようにして道を歩いてきたのだ。

いつでも変わらぬ。

自分で自分の肩に剣をやり、暴力に誓いて、一介の強盗騎士と成り果てた時から。

グステン帝国史上最悪の強盗騎士と成り上がったあとも、何一つ変わりなかった。

自分の城も、領民も、騎士位も、ベルリヒンゲンという領地に付随してきた名を手に入れた時すら何も変わらなかった。

今この時、全ては無為であったかのようにさえ思える。

きっと、ずっと、自分を誤魔化し続けて私は生きてきたのだろう。

いよいよもって死を目前とすれば、何もかもが虚しく思えた。


「……寂しいな」


誰も叫ばぬヴァリエールの旅団は、とても寂しい風景を維持している。

本当に声一つ、このアメリアの耳には届かぬ。

二度言うが、いつもならば本当に煩いのだ。

帝都までの道行きにて武功一番となりて、見事ヴァリエール殿下からのオマージュ(騎士叙任式)を勝ち取りて騎士となったもの。

その配下や朋輩として、山賊団紛いの傭兵業から無事に抜け出して王国正規兵となったもの。

彼女たちなどがいつもは景気よく金を使い果たしては、今後はよろしくとご機嫌伺いに来た馬借などの商人すらも交えて冗談など言い合っては杯を掲げて叫んでいるものなのだが。

もう、誰も、何も語らない。

誰もがマインツ大司教の大軍勢を前に息を潜めて、明日からの自分の立場がどうなるのかだけを気にしている。


「それでいいんだ」


ついに誰もが気づいたのだ。

これはやっぱり夢だったんだと。

夢の行軍でしかなかったんだと。

自分の夢が叶う、幸せになれる、ヴァリエール殿下についていきさえすれば、この御方が自分にとって都合の良いところに連れて行ってくださるのだと。

そんな、何もかも都合が良い話はないんだと。

誰もが阿呆な夢を見ていたのだと。


「あのお優しいヴァリエール殿下にとっては、その方が都合が良い。これでよかった」


誰が見てもどうしようもない事情がある限りは、あの方が責められることもあるまい。

今回の事態の因果の一つが、私自身にあることは理解できているのだ。

なんなら、殿下を庇うために、このアメリアが原因であるような噂を旅団に流してもよいかもしれない。

本当に死に物狂いで、殿下がこの旅団を維持してきたことを知っている立場であるのだから、それぐらいのことをしてやってもよい。

それをすればマインツ大司教に逮捕されるどころか、本日この場にて身体を八つ裂きにされるかもしれぬが、まあいい。


「ふむ」


正直言えば、別に自殺願望など無いし、死ぬのは普通に嫌だ。

なれど、いつかはこのような結末が自分に訪れることは理解していた。

もちろん若い時の無我夢中だった自分が、このような醒めた人格をしていたわけではない。

あれは、そう――。

山賊団を討伐してやったのに既定の料金を払わなかった村長の頭蓋に一撃をくれて、そのまま村長の家を燃やして去った時でもない。

ちゃんと街道を護衛してやったにもかかわらず、街に入った瞬間に強気に出て「金など払わない、大声を出して市警を呼んでやろうか?」とほざいた商家の屋敷に火をつけて財貨を奪った時でもない。

そのような強盗騎士として日常茶飯事の些末な行いではない。


「嗚呼、そうだ。そうだな。教会に火をつけた時の事だ」


そんな振る舞いとて、別に珍しい話ではない。

むしろ、強盗騎士であることとは関係なく、騎士なれば、まあ教会に火をつけて一人前として誇れるところもあった。

もし年老いれば、子供や部下に『私は教会にだって火をつけた事があるのよ?』が一つの自慢話になることは疑いの余地などない。

外連味は騎士にとって大事な要素である。

真に誇るべき騎士としての正しい在り方である。

ただ――そうだな。

教会を燃やしたことは、私にとっては明確な罪であると認識している。

厳密にいえば教会を燃やしたことなどどうでもよく、それが原因として死んでしまった者への罪悪感だが。


「まだ、若い頃だったな」


18歳の時だった。

私の懐にはまだ十分といえる財貨などなく、一人の強盗騎士として、そして一人の黒騎士として、ある選帝侯の軍勢に加わっていた。

選帝侯が兵を集めた理由はもちろん国境の境界線上での敵に対する掠奪であり、このアメリアは街を襲う一員として働いていた。

戦況はこちら側に優勢ではあったが、決定打となるべき街の中心部にある教会の占拠だけは難儀した。

教会に立てこもる騎士や兵が、教会内から猛然と弓や投石による攻撃をこちら側に加えてくるのだ。

時々、思い出したように撃ち放たれるケルン派信徒のマスケット銃が特に厄介であり、たった一人でこちら側の二十余名を射殺していた。

選帝侯は困り果てた。

そこで、ついに占拠を諦めて、火薬による爆破を試みた。

教会に立てこもる人間を聖職者だろうが騎士だろうが平民だろうが、誰一人構わず火だるまにして皆殺しにしてしまうことを決意したのだ。

そうだ、それ自体は何一つ構わなかったんだ。

選帝侯も、その陪臣騎士も、正規兵も、傭兵も、そして私ですらも、燃える教会と火だるまになって飛び出してくる有象無象を指さして笑っては拍手喝采したであろう。

それだけのはずだったんだ。

ただ一つだけ違ったのは、教会の屋根に一組の親子がいた事だった。

神様!!と何一つ頼りにならぬものに対して、懇願の叫びをあげた母が、自分の子を抱えて。

一塊になって教会の屋根から落ちてきたのだ。

それを知ったのは、肉の塊が固い地面にぶつかる音を聞いて少し後の事であった。

嗚呼、今でもはっきり覚えているのだ。

忘れられるものか。

このアメリアは、もう一生あの時の事が忘れられないと思うのだ。


「……あれは何か?」


選帝侯が、誰かに尋ねた。

別に親子を気遣っての事ではなく、本当に突然のことで何があったか分からなかったのだろう。

まるで襤褸切れの塊のようにさえ見えたのだ。

私は目を凝らして、その塊をよく見た。

継ぎ接ぎだらけの服を着た、貧民と思われる親子の姿であった。


「親子です」


思わず口にして、選帝侯が私を見た――ように感じた。

なれど、私はその時、選帝侯という此の世でも有数の立場ある騎士に注目されたことなど、どうでも良い事のように思えた。

私は燃え盛る教会の事などを気にせずに、少しずつ親子に歩み寄った。

そして、もう一度目を凝らしてよく見たのだ。

やはり、継ぎ接ぎだらけの服を着た、貧民と思われる親子の姿であった。

墜落の衝撃で、親の方は頭から血を流して事切れているようであった。


「嗚呼」


自分から、思わぬ哀れみの声が漏れ出るのを感じた。

何故、親子が教会の屋根などにいたのか。

貧民ゆえに、教会に匿われるのを下衆な聖職者に拒まれたのかもしれぬ。

教会を防衛拠点とするゆえに、騎士や兵などに追い出されたのかもしれぬ。

だが、彼女達親子には戦火の中でどこにも頼れるところなど無く、頼れるよすがなどは微かにある神への信仰であったのかもしれぬ。

ゆえに、彼女達親子は教会の屋根に登って、戦火を免れていた。

だが、私たちが教会を燃やしてしまった。

火が足元に迫り、煙が親子を包み込み、もはや逃げ場所などなかった。

――火と煙が迫ると、人は唯一の解決策として、神の加護を信じて飛び降りるのが正解であるように感じてしまうなどと物の話で聞いたことがある。

だから、この事切れた母は、自分の子供を庇うために必死に抱きしめて飛び降りたのだろうと。


「なるほど」


いつの間にか、選帝侯は私の近くまで馬を寄せており、私の説明に感心したように頷いた。

何か、不思議そうに貧民の親子の死体を眺めていたように思う。


「……どれだけ貧しくても、どれほどの愛情で子を想っていたのであろうな。子を想う母の心は、例えそれがどのような階級の者であろうが、尊いものだ」


憐憫と感傷を寄せたような言葉を口にして、選帝侯が馬を親子に近づけながらに言った。

私はその時、今更どうしようもないことに気づいたのだ。

嗚呼、そうか。

そうだったのか。

私は哀れな貧民の死を目前として、本当に愚かな話ではあるのだが。

18歳のようやくにして、このアメリアは、母が何を考えて自分を育てたかを理解してしまったのだ。

最底辺の黒騎士に過ぎなかった母が、必死に財布の底を漁りては、私のために文字や計算、交渉といった教育を与えた理由を。

私を救貧院などに捨ててしまわなかった理由を。

たった銀貨数枚のために、無謀な盗賊働きなどを行おうとした理由を。

全て理解してしまったのだ。

立派な騎士になりなさいと。

立派な騎士になっておくれと。

母は何度となく私の耳に語ったが、それに私は反感を抱いていた。

馬鹿な事をいうな、このような最底辺の出自から何処に立派な騎士になる方法があると?

暴力以外に立身出世の方法などないではないかと。

そんな愚かな反発さえも抱いており、実際に口にしたことさえある。


「自らの出自を哀れんで、うわ言のように、自分の身の悲惨さの代替とするために、母がやりたかった願望を私にわめくな!」


その時は、本当にそう思っていたのに。

違うことをついに知ってしまった。

あれは不器用な母が、たった一度も言いはしなかった言葉を繰り返し言っていただけなのだ。

私などどうでもよい、私の身体が薪で、火にくべてお前の身を暖められるのならば、そうしてしまってかまわない。

お前を愛している、と。

私はそれに対して、一度も答えなどしなかった。

それをようやく理解して呆然としながら、私はただ選帝侯が貧民の親子の死体に近づくのを眺めていた。


「おや?」


選帝侯が、不思議そうに首を捻った。

そして、唐突に笑い出した。


「おい、名は知らんが、妙に教養深き黒騎士よ。やはり親の愛というものは尊いものだ」


教会は燃えている。

燃えている教会の中では、火だるまになった人の叫び声などがまだ響いていた。

そんな地獄のような状況下で、選帝侯は馬を降りた。

貧民の死体に近づき、その死体から指を少し握りては大事そうに離して、子を抱え上げた。


「子は生きておるぞ」


我々は酷い事をしている。

戦場の習いとはいえ普通に街で掠奪はしているし、教会には火薬をぶち込んで燃やしている。

そのような事は、このアメリアにとって、そして眼前の選帝侯にとってもどうでも良い事であった。

それどころか、選帝侯が今大事そうに抱えている子の親は殺している。

だけど、どうしてか。


「誰か、この子を今すぐ戦場から遠ざけて安全な場所に移せ。無論、この子はこの私が選帝侯の名誉に誓って育てることを保証してやる。地獄の戦場の生まれだ。いずれは立派な騎士になること請け合いだぞ。その死体もちゃんと回収して、しっかりと埋葬してやれ」


どうしてか、いくら悲惨な結末と言えども。

この子の母を殺した原因の一つが私であるといえど。

その母の死体が埋葬され、この子供の未来が保証されたと知って、このアメリアは初めて開く薔薇のようにして微笑んだのだ。

ああ、あの時笑ったのは。

多分、間違いなく、母の愛が実りて、子の将来が約束されて。

その母が崇高なる名誉を持って弔われることが保証されたことを知った事にあるのだろう。

私は罪悪感を抱えると同時に、あの時は、あの傍から見れば悲惨以外の何物でもない事柄が。

自分にとって全ての幸福が眼前にある様な気がした。


「……あの選帝侯は立派な人物だったな」


教会に火薬をぶち込んで、聖職者も騎士も平民も有象無象の区別なく皆殺しにするような性格であったが。

騎士としての毀誉褒貶で言えば、誠に正しいと世間でも評判の人物であった。

問題は、ただの黒騎士である私を何の理由もなしに配下にしてくれるわけもないという現実が立ち塞がっていた事と。

正直言えば、このアメリアでさえ、あの豪放磊落さには付いていけない点だ。

少なくとも、理想の主君とはいえなかった。


「……うん」


そうだな、そうだ。

あれだけだ、あれだけが私が目撃した此の世全ての幸福であった。

自分の身は全ての幸福が眼前にあることを目撃したにも関わらず。

今の自分は、それを何一つ叶えていない。

母の望みである立派な主君に仕える騎士という、母にとっての幸福を実現することもできず。

子を育て切った母親が、崇高な名誉を持って弔われることも。

どれも実践できてはいない虚しい立場だった。


「真に虚しい人生だった」


振り返ってみれば、何もかもが玩具のように思えた。

領地も、城も、特注の義手も、鎧も、剣も兜も。

自分を構成する騎士としての全ては誰に与えられたものではなく、全て紛い物のように思えた。

だけど、それでも。

一つだけは泣き言を言わせてくれよ、母さん。


「母さんが信じたような、私が見栄えの良い立派な騎士様としてパレードを歩けるような。私が本心本気で忠誠を誓えるような立派な主君なんざ、この世の何処にもいなかったんだよ。私がそれすら見限って、此の世の理不尽そのものにフェーデ(自力救済)を叩きつけ、ひっくり返すことが出来ると信じたもの。『超暴力』でさえも、何処にも在りはしなかったんだよ」


だからもう、このアメリアの結末はどうしようもなかったんだ。

残酷なまでに理不尽な此の世には、結局生涯をかけて探したものなど何処にも有りはしなかった。

確かに目撃した他人様の幸福は稀に見る幸運でしかなく、このアメリアと愛しい母には与えられなかった。

全てが無為だった。

母が私にくれた愛も、私が母に抱いた愛も、何もかもが無意味であった。

ならば、せめて最期くらいは潔くあろうと思う。

今回の結末に対する因果の一つが私であるならば、せめてヴァリエール殿下に迷惑をかけるようなことはすまい。

大人しく、マインツ大司教に逮捕されるとしようじゃないか。

そして、大人しく帝国の裁判所にて首をくくられることとしよう。

それで何もかもよろしい。


「これで終わりさ」


そう吐き捨てた。

それに呼応するように、ふと何処かから嗚咽の声が聞こえた。

もちろん、それが誰かの声かはわからぬ。

夢破れた黒騎士かもしれないし、明日が見えない傭兵かもしれないし、財産が奪われることを危惧する貧しい馬借の声なのかもしれぬ。

だが――このアメリアの耳には、何処か母の声に似ているように聞こえた。

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