第178話 汝は異端者なりや?


私には状況が理解できない。

先程までは膨れ上がる旅団の規模に胃を痛めていたが、私が悩んでいたのは秩序の崩壊により私の軍が山賊化して何の罪もない善男善女を殺しまわり、街にて掠奪してしまうことである。

そこから、その無茶苦茶な私の軍勢が『絶望的な暴力による一方的な敗北』などという結末に至るとどうして想像できるのか。

だが、私の身に迫りくる現実であった。


「どうなっているの!?」


マインツ選帝侯が6000の兵を率いて、帝都までの街道にて陣取っている。

それだけの兵力を集めたとするとなれば、単なる威圧行為、選帝侯としての示威を果たすための暴力仕草などではない。

その半分の3000足らずを食わせるために四苦八苦している私とて、それくらいの事は理解できる。

明らかに私たちに襲い掛かるつもりではないか。

交渉の結果がどうあれ、殺し合いを結論とした覚悟があることは容易に知れた。

この私にさえ理解できるのだから、生死の境を生業とする者ならば、もっと恐怖している事だろう。

食うや食わずの貧民が殆どで構成されている私の軍勢には、もはや異様な雰囲気が広がっている。


「普通ならば、ここまでの覚悟をマインツ選帝侯にさせるまでの経緯があって、いくつかの先触れがあって、どうしようもなくもつれた結論として殺し合いが発生するべきで――」


愚痴を含めた常識論を唱えている。

そして、それだけだ。

もはやこのようなことを言ったところ何にもならない事は理解できているが、口にでもせねば思考がまとまらない。


「私のせいだろうな」


声を張り上げる私に対して、アメリア卿が静かに理由を告げた。

まるで、幼い頃の私に言い聞かせる姉上のように冷静で――ただただ、事実を教えてやると言った声色であった。


「このアメリア・フォン・ベルリヒンゲンを殺すことだけが、マインツ選帝侯の目論見であろう。まあ、表立っての理由付けは――その先触れに書かれてある通りだが」


マインツ選帝侯の先触れの騎士は私に対して、一つの書面を示した。

内容は率直である。

私は明確な内容にして、どうしてここまで一方的な通告を投げつけることができるのかと。

マインツ選帝侯と、その背後にいるであろうユリア教皇の正気を疑った。



――――――――――――――――――――――――――――



聖界諸侯筆頭として、七選帝侯家の一員として

このマインツ選帝侯がアンハルト選帝侯家の第二子女である

ヴァリエール・フォン・アンハルトに問う


汝は異端者なりや?


このような事を突然尋ねても、何の事かはわからぬであろう

ましてやこのマインツ、聖職者として清廉であることを自負しているのだ

そこらの暴力のみが取り柄の強盗騎士のような、学も教養もない地を這う虫がごとき蛮人と一緒にしてもらっては困る

なればこそ、私は汝に全てを説明する義務がある

これは「レクツィオ」(読解)の段階であり、汝はまず私の話を聞かねばならぬ

まずは、ユリア教皇が私に対して仰られたことをお話する


ケルン派は異端である

排撃し粛清せねばならぬ

ケルン派の教義や指導者が聖書を冒涜していることは明らかである


「何故ケルン派を異端としたか?」と、私は一人の聖職者として問うたが

ユリア教皇は宗教的逸脱を論拠としていると語った


ケルン派というセクトは聖書を冒涜している

そもそも聖書は神と人との出会いと契約を語ったものである

言葉、行為、死、復活、様々な形によって神が救い主である聖人たちに伝え、そして実現されたことを知った全ての証人による体験記を綴ったものである

贖罪主の生涯と、その使徒の伝道についてを記したものである

神が人間に伝えようとした全ての言葉を読み解くために必要な書物である

なれど、ケルン派というセクトにとっては違ったようだ

ケルン派が崇めているのは神ではない

救い主そのものである贖罪主や聖人、使徒そのものを崇めている

贖罪主の像があれば腰にメイスをぶら下げ、手にマスケット銃を捧げて

ピストルを使徒のコメカミに突きつけたこととする

聖書に明らかに書かれていないことを記し、書かれていない事実を発見しただのと嘯くのだ

これが聖職者として相応しい行為であろうか

一言にしてしまおうか


ケルン派というセクトは純粋な神聖グステン帝国の民の信仰を傷付け侮辱している


これは誰の目にも明らかである

異端としてしかるべきである

ケルン派の聖職者たちが褒められるべき点など、聖なる生活を送り、断食と禁欲を行い、日夜を問わず祈り、生活に必要なもののみを求めて働き、善男善女から財貨を求めず、貧しい人々にパンが行き渡る方法のみを常に必死に考えている

人々に救済が行き渡る方法だけを考えているのみだ

それぐらいのものではないか

かえって性質(タチ)が悪いとは思わんか

かの異端と比べてさえ腐敗した我が正統の問題点は改善すべき必要があるが、それはそれとしてケルン派は排斥せねばならん

ゆえに教皇ユリアとして、マインツ大司教に以下の内容に関する全件を委ねることとする

以下が条件である


①帝国中から集結した軍勢を直ちに解散すべし

②ケルン派が【聖書】と称する『新世紀贖罪主伝説』を跡形残らず徹底的に焼き払うべし

③ヴァリエール・フォン・アンハルトは異端ケルン派から正統へと転向すべし

④ケルン派信徒が転向を明らかにしないのであれば処刑すべし

⑤帝国への街道にて封建領主から徴発した財産の処分をマインツ大司教に一任すべし

⑥ケルン派の聖職者は転向したとしても、以後は農奴として扱うべし


また、神聖グステン帝国の法の見地から、今回にあたって述べることがある


前々からマインツ大司教が献策していた内容である「帝国内における一切のフェーデを禁止すること」を目的とした「マインツのラント平和令」であるが、これを教皇ユリア及びマキシーン皇帝の名のもとに、限定的に承認することとする

帝国最高法院からの依頼として「最も邪悪にフェーデを悪用し、掠奪を働いた大悪人」の象徴として最初に罰を与えるに相応しい強盗騎士アメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿の逮捕権を、マインツ大司教に委ねる


以上である


この書状に対する返答は衆目の中にて、誰の目にも明確に為される形で頂くこととする

よくよく考えよ

私が差し向けた騎士は紋章官であり、交渉の機微もよく理解している

私と貴女が理解を深める余地は残っていることを伝えておく


真に神聖なるグステン帝国における七選帝侯家の一員として

アンハルト選帝侯家第二子女 ヴァリエール卿へ

マインツ選帝侯より



――――――――――――――――――――――――――――




「どこに理解を深める余地が残っているのよ!」


最終通告じゃないか。

完全に殺し合うことを前提とした要求であった。

マインツ大司教は明らかなる完全服従を求めていたし、選帝侯家として世俗における要求を剥き出しにしていた。

そして、私が呑める要求など最初の一つだけ。

軍勢の解散だけであろう。

いや、ケルン派からの転向も、呑めない条件では――だが。


「安心しなよ、ヴァリエール殿下。ユリア教皇やマインツ大司教も、本音ではここまで望んでないさ」


交渉するならば、最初に相手が絶対に呑めない要求を突きつける。

そうして、妥協ラインまで持っていくのさ。

少しづつ、少しづつとね。

そのように交渉達者であるベルリヒンゲン卿が呟く。

彼女以上に交渉に卓越した人物など、帝国中のどこを探したところでいないだろう。


「まず①である軍勢の解散、これは言うまでもなく殿下だって呑める条件だ」


むしろ、有難いんじゃないかね。

ヴァリエール殿下だって集めたくて集めた軍勢じゃないだろう?

そのように。


「そもそも、殿下に求められた条件を冷静に考えよ。ケルン派の聖書を焼き払うのも、転向しない信徒を処刑するのも、転向した聖職者を農奴にするのも、別に殿下にこれをしろと求めたんじゃないさ。マインツ大司教が泥を呑んで、異端たるケルン派の排斥はこの手でやるって言ってるのさ。殿下に求められたのは、ケルン派から個人的に転向して、おまけに自分の身内や地元から連れてきた人間も、ちゃんと説得して異端認定されることとなるケルン派から逃げろってことで――」


アメリア卿はそのように言うのだ。

確かに、言われてみればその通りではあるのだ。

だが、どう考えても。

どう考えてもだ。


「実のところ、殿下個人に求めている事は、それほど多くもないだろうに。軍勢を解散して、ケルン派から正統に転向して、どうしても交渉するべきところは――そうだな、封建領主から徴発した財産の処分をマインツ大司教に一任せよってことか。ここだけは相手も譲るだろう。あの欲豚なら金が欲しいだろうが、金を集める行為にも名誉は重要だからな。今回の相手は名誉優先で殴りかかってきたんだ」


このまま交渉したところで、貴女の逮捕だけは免れないのよ。

正直、貴女だけは守る術が見つからないというのが、このヴァリエールの本音だった。

アメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿。

逮捕とは、つまり死を意味するのだ。

法の遡及を、過去に犯したフェーデにまで罪を言及して、アメリア卿の逮捕を要求すると言うことは。

もはや死刑宣告に他ならない。


「そう悲しそうな顔をするなよ、ヴァリエール殿下」


アメリア卿が両手を花のように開いた。

片腕は魔術刻印が施された、鉄の塊で出来ていた。

どうでもいい、と。

花のようにと例えた通りに――何か、隔世の感さえ漂うような風情で。


「殿下のせいじゃないのさ。これは。マインツ大司教が前々から献策していて、教皇や皇帝が追認したってことは、まあ、何かの切っ掛けがあればいつでも私を追い詰められるように準備が為されていたんだろう」


此の世の者ではないような雰囲気さえも漂わせながらに、帝国史上最悪の強盗騎士であるアメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿は。

自分の事であるのに、心底どうでもよさそうに呟いた。


「繰り返すが、これは殿下のせいじゃない。いつか私に来た未来だったのであろう。それが今日だっただけだ。私を見捨てろ。一々言うまでもないだろうが、それは大前提だ。そして、金銭面だけは交渉して勝ち取れ。そこだけは譲るんじゃないぞ。なにせ、殿下が金を分捕られると明日から食べて行けずに飢え死にするようなのが、この旅団にはウヨウヨいるんだからさ」


まるで、アンハルト王宮に稀に見る枯れきる前のバラのような風情で。

奇妙な麗しさを保ったままで。


「まあ、これ以上は止めておくよ。そこのザビーネ卿であれば、なにもかも良いようにするだろう。さよならだ、殿下。そこそこ楽しかったよ」


私を売り飛ばせと。

神聖グステン帝国史上最悪の強盗騎士である鉄腕卿は、そう告げた。


「元よりそのつもりだ。全部問題ない。金に関しては決して譲らんし、お前など守る気はない。ヴァリエール殿下の許可を得る前だが、お前の言ったことの全てはすでにマインツ大司教の使者である紋章官に提案したさ。交渉は順調に進んでいる。まあ、そうだな。アンハルトから連れてきたケルン派聖職者に関してだけは、アンハルト選帝侯家による裁定待ちであり、そこに言及する権利などないと何とか逃げるとするさ」


私の親衛隊隊長である、ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンは冷たく現実を告げた。

爬虫類のような顔つきをしていて、舌など伸びているようにさえ見えた。

何もかもが上手くいったという表情であった。


「……」


それに、何か本当に酷く気に食わない雰囲気をあからさまに周囲に漂わせながらも。

私の婚約者であり、今はバケツヘルムを被っているファウストは、黙したまま何一つ語らなかった。

その甲冑には、ケルン派の紋章が大きく刻まれていた。

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