第176話 混ぜるな危険


伝令使を招き入れるよう、ザビーネに命じた。

姉の忠告を確かに聞き入れて、プレティヒャ卿やベルリヒンゲン卿といったものには陣幕から席を外してもらっている。

陣幕を取り囲んでいる騎士は第二王女親衛隊のみで、彼女たちにすら此処からの声は聞こえないだろう。

ここにいるのは伝令使の八人と、私と、ザビーネのみである。

ゆえに、私は本心を語っても良かった。


「何やってんの? ファウスト」


アンハルト王国最強英傑ファウスト・フォン・ポリドロ卿。

彼はケルン派の紋章が刻まれたプレートメイルを身に着け、グレートヘルム姿で変な威圧感を周囲に放ちつつも、私の前で突っ立っている。

どうもデカマラス卿と名乗っているらしい。

いや、本当に何やってんだお前。

そんなキャラじゃなかったでしょう?

封建領主として毅然とした在り方をしているけれど、領民や善男善女には優しく、そして騎士としての誉れに満ち溢れた人物だったはずだ。

それが何で――


「殿下のためです」


ファウストの従者、マルティナが答えた。

私を少し睨みつけている。

礼儀こそちゃんと保っているが、どうも不機嫌なようだ。


「いや、どうしてファウストがデカマラス卿なんていかれたネーミングを名乗っているのが私のせいになんのよ」


ファウストを指さしながらに言う。

前から思ってたけど、マルティナは私の事を嫌い過ぎじゃないか?

私とファウストが楽しそうに喋ってると、明らかに不機嫌なのが空気で分かる。

で、ファウストに声をかけられると、もう本当に甘ったるい声で返事をする。

まだ9歳児だというが、彼女は完全に女の子としての自覚が芽生えているだろう。

……ああ、そうか。

だから婚約者の私が嫌いで仕方ないのか。

自分の手が及ばぬ恋敵が許せないのか。

そう気づいたが、正直嫌われてもなあ。

私やファウストが主体的に決めた婚約ではなくアンハルト王家の意向なので、どうにもなんないのだけれど。

その嫉妬は筋違いと思うのだけれども。

これくらいは子供の嫉妬であり、些細な事だから見逃してあげようと思う。


「ファウスト様、何か言ってください」


マルティナは不愉快そうな顔のまま、ヴィレンドルフとの和平交渉の時に用いたバケツヘルム――今回にあたって流用したその兜を被ったまま。

一言だけ呟いた。


「デカマラス!」


鳴き声か何かだろうか。

ファウストの声は、陣幕内に力強く響いた。

ガン、とマルティナがファウストの腿に強烈な蹴りを入れた。

うん、それは蹴っていい。


「真面目にやってください! デカマラス卿はデカマラス!としか喋れないとか意味不明な設定はいらない!!」


そういう設定がファウストの中では、何故か成立しているらしい。


「なにアスターテ公爵が5秒で考えたようなテキトーな人物設定に固執してるんですか!」


アスターテ公爵の戯言を真に受けないで下さいよ。

彼女は頭の良い阿呆なんですから。

マルティナに泣き言が入るが、私を置いていかないで欲しい。


「ようするに、アスターテ公爵が悪いのね?」


私はマルティナに尋ねた。


「アスターテ公爵と、ヴァリエール殿下が悪いです」


なんで私が悪いことになるのよ。

首を傾げ、どうにも状況が分からないという視線を向けるが。

マルティナが不承不承の顔で答える。


「要するに、殿下の婚約者にして第二王女相談役たるファウスト・フォン・ポリドロ卿はこちらに来ることが出来なかったのです」


思い切り目の前にいるだろと言いたいが、まあそういう話でもないのだろう。

黙って聞く。


「アンハルト選帝侯継承式を目前としている中、特別に帝都に連れてきた騎士であるポリドロ卿が主君たるアナスタシア様を置き去りにして、婚約者たるヴァリエール様をお迎えすることなどできません。今もポリドロ卿は帝都におります」


そこのところは、どう処理したのか私も気にしていた。

なるほど。

要するに、別人を装わなければファウストは私の所に来る事さえも許されなかったのだ。

だから、ファウストは別名を名乗った。


「デカマラス!」


そうだ、デカマラスだ。

ファウストがまた鳴いた。

やはり、そのようにしか喋れない設定らしい。

気に入ってんのか、その鳴き声。

それとも相変わらず変に生真面目なせいで、設定を遵守しようとしているのか。

ともあれ、理由はよくわかったし、姉上の手紙において追而書が妙に保身に走っていた理由もわかった。

姉上がこんな名前にしたんじゃないと弁明していたのか。

全部アスターテ公爵が悪いんだと、これについてを言いたかったのか。

その辺りは理解したのだが。


「え、なんで私悪いの?」


なんでマルティナは私を否定しているの?

私何も悪くないよね。


「殿下が何をトチ狂ったか千名を超える集団で、軍事行動としか思えない行軍を行っているからファウスト様が心配して来ることになったんでしょうが」


いや、まあそうだけどさ。

確かに、ファウストはそれを心配して――あるいはその超人としてのセンスから私の危機を感知して、護りに来てくれたのかもしれないが。


「それにしたって、別に私の意志で帝都に向かってるわけでもなんでもないんだけど。いや、私は姉上の命令で帝都に来いって言われただけだから、もう責任なんか何もないでしょう。上司である姉上の命令で、王族の一員として拒否権なんか何処にもなかったのよ。私に責任があるとすれば、それは自分の部下に対してのみだけよ」


実のところ、そもそも姉上は私などではなくザビーネに用があるのだ。

このヴァリエールなどお呼びではなかった。

それくらい、ファウストが賢い賢いと自分の子供のように溺愛し褒め称えるマルティナなら理解できるだろう。

というか、八つ当たりはよくない。


「いえ、だから部下であるファウスト様に迷惑がかかっているといいたいんですが」


マルティナが理詰めで私を責めた。

いや、まあ、うん。

確かにそれはちょっと悪い気がしているけど。

さすがに婚約者であるファウストが自分の意志で助けに来てくれたぐらいは、甘えてもいいかなって――ああ、そうか。

そのファウストの純粋な好意のことを、マルティナは私に対して妬ましく思っているのだ。

まあ、可愛いものだ。


「デカマラス!」


ファウストが叫んでいる。

意訳すると「マルティナ、ヴァリエール殿下に対する無礼は止めろ!」という叫びだと思う。

そろそろデカマラスしか喋れない設定から解放されてもいい。

別にその設定は今いらないでしょ。


「ファウスト様、目を覚まして!」


ガン、とまたマルティナがファウストの太ももを蹴っ飛ばした。

ファウストはビクともせずに、マルティナの首根っこを掴んで持ち上げている。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿は鉄の棒で殴られてもビクともしない身長2m超え、体重130kgを上回る超人である。

所詮は9歳児たるマルティナは抵抗できず、黙って肩に担ぎあげられた。


「そろそろ、私たちも挨拶よろしいでしょうか?」


神経質そうな、今回ファウストの副官を務めていると思われる伝令使の一人が声を上げた。

見たことの無い顔だけど。


「ええ、その、変な身内のやり取りに付き合わせてごめんなさい。私は一応アンハルト王都の法衣貴族の名は全て憶えているのだけど……」


姉上が使わしてくれた伝令の人たち。

ファウストとマルティナ以外の人たちとは、初見のように思える。


「お察しの通り、初めてお目にかかります。私たちはテメレール公爵家『狂える猪の騎士団』の者です。アナスタシア様の命令に従って、ひいてはテメレール様への忠誠を全うするためにヴァリエール殿下の護衛を務めに参りました」

「テメレール公爵?」


テメレール公爵はさすがに知っているが、その指揮下の騎士団の名は正直聞いたことがないのだが。

そもそも何故、あの猪突公が姉上の言う事なんて聞いているのかしら。

正直、帝都の情報は私にあまり届いていない。

耳ざといザビーネならば何か知っているかもしれないが。

私はザビーネに目の端で軽く視線をやるが――


「……」


何か見た事もない物凄い目つきで、マルティナを猛烈に睨んでいた。

どうも私に無礼な口を利いた事が、死ぬほど気に食わなかったらしい。

気の触れたサイコパスのように、明らかに殺意がこもった視線である。

子供の小さな嫉妬なんだから、それぐらい許してあげなさいよ。

なんで私の部下たちは、こんなにもちょっと気が短くて啓蒙が低いアレな……。


「……」


あれ、なんだかちょっと胃が痛くなってきた。

どうしたのかな。

ファウストが来てくれたから私は胃痛から救われるはずで。

もうポンポンペイン神への信仰なんか必要ないと。


「さて、我らの自己紹介を。まず全員が理由あって名を明かすことを拒んでおりますので、今後はニックネームでお願いします」


お前らも名乗らんのかい。

いや、ニックネームとか意味不明な事言ってないで名乗れよ。

私なんかには名乗る名前もないんですか、そうですか。

すこしヤケになる。

テメレール公指揮下の『狂える猪の騎士団』を名乗る六名を眺める。

胃の痛みを感じながらに、紹介を聞いた。

『勘当者』は「女好き」で主君たるテメレール公の事を愛しているらしい。本格的に駄目な奴だ。

『サムライ』は今回の行軍に特別な貢献があった場合、私から「特別な報酬」を頂きたいとのことであった。特別な報酬って何だよ。私大したもの持ってないぞ。

『ケルン騎士』はケルン騎士修道会出身だから間違いなく頭がおかしい。無駄に良い笑顔なのが怖いので、できれば近寄らないで欲しい。

『敗北者』は大量に林檎を両手に抱えている。林檎好きなの? 好きなのはいいけど、せめて紹介されている時ぐらいは林檎食べるの止めて欲しい。そういう礼儀って大事だと思うの。

『日陰者』は太陽を称賛するようなポーズを何故か取っている。貴女は太陽ですか?と聞いてきた。彼女の信仰もわからなければ、質問の意味もわからなかった。

その全ての説明を終えた『忠義者』は何か物凄く申し訳なさそうな表情をしていた。

私の顔色が真っ青であることに気づいたらしい。

ちなみに彼女がどうでもいいワンポイントとして「最近で一番良かったことは、牢屋に閉じ込めていた嫌いな夫がランツクネヒトに攫われて行方不明になったことです」と一言付け加えた。

知らねえよ。

いや、こんな意味不明な連中を送りつけてきて、何の意味が?

姉上は何考えてるの?

私にはどうしてもわからない。


「……」


ボソボソと、何か小声が聞こえた。

ふと見れば、ファウストが肩に担いだマルティナに何か語り掛けていた。

続いて、マルティナが喋りだした。


「デカマラス卿は神聖グステン帝国の辺境にて産まれた黒騎士です。主君は持たず、領地も持たないフリーランサーの黒騎士です。日々の糧を傭兵業で得るだけの苦しい生活で、そのポケットには銀貨の一枚も入っておりませんでした。しかし彼女はある日神からの啓示を受け、ケルン派の聖人として聖遺物たる聖杯(ホーリー・グレイル)を探して旅をすることになったのです」


別にアスターテ公爵が5秒で考えた人物設定については聞いていない。

私の婚約者は時々「別にそんなこと今聞いてないんだよ」という内容を口にする癖があった。

ファウストは人として良いところがいっぱいだが、こういう性質の悪い部分もたまにあるのだ。

うん、いい人なんだけど。

いい人なんだけど。

なんかもう、ちょっと少なくとも今そんなワケわかんない事を言わないで欲しかった。


「……あ、駄目だコレ」


血の気がぞっと落ちて、背筋に氷水のようなものが垂れるのを感じた。

来る。

強烈な痛みが来る。

ポンポンペイン神が優しく微笑みかけるのを私は見た。


『汝に激痛を与える』


神の声が響いた。

想像を絶する腹痛が私を襲った。

椅子から立ち上がろうとして、力が入らずに止めて、両手を地面に突いた後に仰向けに倒れた。

マルティナは今までの嫉妬に満ちた不機嫌さを打ち消して、私に酷く申し訳なさそうな顔をしている。

意識が落ちる寸前、その表情だけが妙に瞼に焼き付いていた。

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