第175話 ヴァリ様、色を知る年頃

今頃は帝都にて選帝侯継承式を控えているはずのアナスタシア・フォン・アンハルトーー要するに私の姉上から伝令使が来たという。

渡された手紙の封蝋は確かに王族の紋章と一致しており、文面に記された筆跡も姉上のものである。

真偽の保証については申し分ない。

肝心な手紙の内容は下記のとおりであった。



――――――――――――――――――――――――――――



色々と悩んだのだが、結論から言おう。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿をお前の指揮下に一度戻す。

厳密に言うならば、未だ彼は私の指揮下ではない。

お前からファウストを一時的に借り受けていた形となるのだが、少なくとも現在においては――帝都に滞在する私よりも、行軍中であるお前の方が危険な状況にあると判断した。

これは姉妹としての親愛の情から来るものではなく、まだお前が知らぬ現在の神聖グステン帝国における状勢と、お前の身を危惧するファウスト・フォン・ポリドロ卿の真摯なる訴えによるものである。

勿論、別にお前の事が嫌いだなどと言いたいわけではない。

少なくとも最近においては、ちゃんと妹として可愛いと思っている。

私が真に言いたいのは――現状において、これからお前に強烈な危難が迫りくることを真剣に認識してもらいたいという話である。

ならば、どのような危難が予測されるかを教えてくれと思うであろうが。

私もお前が眼前にいればそうしてやりたいとは思うが、残念ながら行軍中である。

そして万に一つも手紙が奪われることなど無いとは思うのだが、何らかの災害や事故などによりて、手紙が紛失されるかもしれぬ。

この手紙が余人の目に触れる可能性を考えるならば、何が帝都に起きているかは一切を漏らせぬ。

また、秘密を詳らかにお前に教えてやったところで、私の大切な妹である――ヴァリエール・フォン・アンハルトの状況がなにか一つでも好転するという話でもない。

ゆえにまず、我が国最強の英傑騎士たるファウストをお前の指揮下に戻す。

そして、お前に危難が襲い掛かるであろうことを今しがた警告した。

今述べたばかりの二つが肝要であることを念入りに踏まえよ。

この手紙は、お前の腹心であるザビーネ・フォン・ヴェスパーマンにのみ見せて良い。

おそらくは適切な忠言を捧げてくるだろう。

私はあの狂人ザビーネが死ねば慶事であると手を叩いて喜ぶが、少なくともあの女の智謀や能力、お前への忠誠に関してのみは信頼を置いている。

同時に、ザビーネ以外には絶対に見せるな。

私の元にも、お前が総員1000名を超える集団にて、帝都にいる私のところに向かっている情報は届いているが、アンハルトの敵はどこに忍び込んでいるのかわからぬ。

我々の敵は、正直言えばこのアナスタシアの手よりも長いかもしれぬ。

忠誠厚き親衛隊以外の人間を一切信用するな。

お前は優しいから、現地任官の新参騎士などにも信頼を置いてしまうのであろうが、それゆえにこそ、お前が今まで母や私から認められなかったことを心に留めておけ。

人は裏切るのだ。

だからお前も裏切ってよいなどとは口が裂けても言わぬ。

言っても無駄だからだ。

お前にはそれが出来ぬ事、姉であるこのアナスタシアが誰よりも知っている。

なればこそ、家族である姉としての真摯なる忠言も受け止めよ。

妹であるお前を失いたくはないのだ。

理解して欲しい。

ザビーネ以外は誰にもこの手紙を見せるな。

手紙の内容についても教えるな。



以上であるが、念のため再度述べておく。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿をお前の指揮下に戻す。

お前には強烈な危難が迫っている。

この二つだけ覚えろ。



追而書


何度も言うが、私はお前の姉である。

性格や価値観こそ明確に異なり、母については全く恵まれずリーゼンロッテなどと名乗るクソババアが酷く残念な事に、私たちを産んだようであった。

私などは木の股から産まれたと主張したいところであるが、それをするとアンハルト王国全臣民が困るので妥協している。

それくらいに、あの母についてはもう見限っているのだ。

だが父については今でも愛おしく、我ら二人とも愛する父ロベルトの子であり、血を分けたその感性は非常に近いと考えている。

賢明なお前ならば、まあ「これについてはアスターテ公爵のせいだな」と気付くだろう。

私のせいではないことを伝えておく。


ヴァリエール・フォン・アンハルトへ


妹の安否を心配して帝都にて待つ、一人の姉として

アンハルト王国第一王位継承者

アナスタシア・フォン・アンハルトより



――――――――――――――――――――――――――――



紛れもなく姉アナスタシアの筆跡であり、私はそれを指でなぞった。

私に優しさや気遣いを見せる手紙などは初めての事であり、普段はその代わりに業務連絡じみた淡白かつ明瞭な物言いなのだが。

姉上が伝えたい肝要なる二つの事については十二分に伝わったものの、追而書についてはややわかりかねるところがあった。

多分アスターテ公爵が何か変な事やらかしたとは思うんだが、それを明確に教えてくれず要領を得ない。

なにはともあれ。


「要するに、ファウストが私の指揮下に来てくれたのね」


これで安心である。

望外の喜びでもあった。

正直言えば姉上がパートナーとして帝都に連れて行ったファウストを返してくれるとは思っていなかった。

もっと言えば、ファウストの立場を考えると選帝侯継承式直前に主君たる姉上を放り出して、婚約者である私の手助けに来ることは難しいだろうと考えていた。

正直、どうやったのか方法が分からないほどだが、まあ姉上は本当に賢いから何とか方法を思いついたのであろう。

心の底から有難かった。

胃からせり上がってくる吐き気と、ずっと続いている鈍痛が和らぐのを感じた。

ポンポンペイン神が優しく微笑みかけてくれた気がした。

ポンポンペイン神は人の胃に苦しみを与える時も、和らぎを与える時も、どちらでも微笑むのだ。

私の想像上の存在だが、厳密に分類すると邪神だろう。

くたばれ邪神。

もう貴様の、なんか胃が痛くなった時に祈ると胃の痛みを気持ち僅かだけ軽減してくれる権能など必要ない。


「さて、と」


早速ではあるが、私の元に戻ってきてくれたファウストを出迎えねばならなかった。

ファウストと一緒に来てくれた伝令使達も、労わなければならない。

そうだ、どうせならば衆目の前で労いの言葉を述べるというのはどうだろうか。

伝令使達の名誉にもなり、姉上アナスタシアの名誉を保つ為でもある。

それよりなにより、私の利益につながるのだ。


「とにかくどうにかして、私が姉上と選帝侯位を争う気など無いというのを理解させなければならないのよ」


どうも、この旅団の中では変な噂が立っている。

具体的には私が姉アナスタシアを武力により脅迫してるだの、酷いのになると殺して選帝侯位を簒奪するつもりだなどと言う者がいるらしい。

ザビーネが連れてきた吟遊詩人に命じて、そんなことはないんだよ、そんなことはないんだよと二度繰り返して、私ヴァリエールと姉アナスタシアの仲の良さをアピールするなんか適当にいい感じのエピソードを無理やり流させようとしたが。

肝心の吟遊詩人が「事に及ぶ前の偽装工作ですね。わかりました。古くは或る将軍などが、自分の愛息を殺され、その人肉を食べさせられたにも関らずに笑顔で雌伏の時を過ごし、最終的に主君へ冷酷に復讐したなどの話があります」などと言っていたので、もうアレは私の話をしっかりと何一つ聞いていない。

完全に何か変なものに魅入られた人であった。

いつのまに私が姉上アナスタシアを殺す事になっているのか、もう私には全然わからないのだ。

そもそも吟遊詩人が例に出したような恨みを姉上に抱いたことはないし、酷い事をされた記憶も一切ない。

いくら姉上がまあなんか人肉食ってそうな外見だとはいえ、なんぼなんでも失礼ではなかろうか。

それだけではない。

それだけではないのだ。


「帝都に攻め込むなんて誰が噂してんのよ。数が足りてないでしょ」


最低でも万を超えなければ、帝都に圧をかけるなどは不可能である。

それこそヴィレンドルフ史上における最強英傑レッケンベル卿が率いたランツクネヒトぐらいの規模でなければ無理だし、何がどう狂おうと、私などがそんな軍勢を集めることは不可能だ。


「アホらしい」


そのような惨事が世に起こるわけがない。

嗚呼、何もかもが馬鹿馬鹿しくなって、思わず微笑んでしまった。

とても胃が軽いのだ。

第二王女相談役にして、実戦経験豊富な封建領主騎士にして、アンハルトの最強英傑にして――私の婚約者であるファウストがすぐ近くにいる。

今までの胃の痛みなど、それだけで吹き飛んでしまうのだ。


「ふふ」


朗らかに笑う。

さて、母たるリーゼンロッテが、姉たるアナスタシアが、従姉妹たるゲオルギーネ・フォン・アスターテが。

仇敵たるヴィレンドルフ選帝侯家の王であるイナ・カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ女王が。

私の忠実なる配下のはずなのに、何故か「ヴァリ様の婚約者であるファウスト、正直言って完全に淫売ですぜ。ゲヘヘ。誘いやがって」と下衆そのものの台詞を耳元で囁いてくるザビーネ・フォン・ヴェスパーマンが。

ザビーネは少し違う方向でなんか駄目として、それ以外の誰もが私の婚約者を「とりあえず初夜は私が貰うとして、まあお前を正妻としては認めてあげようじゃないか。その方が私も世間的には都合が良い」と何故か私に恩義をくれてやった感じで言い放たれている現状で。

そのような他の女からの誘いは全く無視をして、私だけのために。

強烈な危難から私を守るために、私だけを護るためにやってきてくれるのだ。


「私、ファウストには主従関係としての義理以外で愛されてるとは思っていなかったけど。完全に相互利益目的での結婚だと思っていたけれど」


姉上の手紙をちゃんと読むと、そうではないらしい。

ちゃんと、ファウストが自ら私を護りたいと名乗り出て、ここまで来てくれるというなら。

正直に言おう。

私は、もうなんか酷く浮き上がる様な気分であり、もう全く悪い気などしていない。


「ふふ」


ちゃんと愛してくれているではないか。

主人と配下、主君と騎士だけではなく。

女と男として、私たちは愛し合っているではないか。

それをこの世に向かって宣言することが出来る。

私は本当に嬉しかった。


「ちゃんと言ってくれればいいのに」


私は姉上の手紙を胸に押し抱いて、微笑んだ。

ちゃんと、本人が、私を愛していると言ってくれればいいのに。

そう考えてしまう。

私は男と女の色恋話をするなど初めてであり、もう普段は「淫売宿に行きたい。そのお金をください」だの「将来が見えないどころか冴えない私でも、どうにかして侍童などが一方的に惚れてきて何もかも捧げてくれないかしら」だの本当にどうしようもない戯言が、私の親衛隊から嘆願と言う名の形で上がってきて。

正気に返れ、お前を愛する者などいないのだから現実を見ろと教えてやるのが私の仕事であった。

私にとっての恋愛に関する話など、それくらいしかなかった。

これからは違う。

これからは違うのだ。

私にも、ちゃんと私を愛してくれる婚約者がいるのだ。

ぴょんぴょんと、手紙をかき抱いて跳ね飛んだ。


「ザビーネ! はやくファウストをここに連れてきなさい! いいえ、それだけじゃ足りないわね。ちゃんと衆目の前で、姉上からの正式な伝令使が来た事を明らかにするのよ!!」


私の、そんな浮かれまくった様子を不思議そうに眺めながら。

忠実な部下たる、ザビーネは呟いた。


「何言ってるんですか。ヴァリ様の婚約者にして、私の恋人予定たるファウスト卿なんか来てませんよ。来たのはデカマラス卿です」


本当に不思議そうな声であった。

私は手紙と、現実に起きている内容が違うことを知って。

私はそれ以上に気になる事に、思わずツッコミを入れた。


「いや、そもそもデカマラス卿って誰! そんな珍奇な名前の騎士はアンハルトにいないわよ!?」


ザビーネがいや、まあ、そうなんですけど来たらしいですよ。

私は先にヴァリ様への報告を優先しましたので、御逢いしてませんけどね。

そうザビーネが本当に不思議そうに呟いたのを見て、あれ、現実は私の理想とは何もかも違うのではないか。

今まで人生で期待する何もかもを裏切られてきたじゃないか。

色恋沙汰で狂うな、冷静になれと。

私の理性が、静かに私を諭し始めた。

本当に静かに。



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近況ノートにて、8/25発売の書籍化関連について話をしています。

よろしくお願いいたします

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