第157話 心配性のポリドロ卿


ふと、直感がよぎる。

それは第六感覚的なものであると同時に、ある種の経験則的な要素も含んでいた。

このような時、私の勘はまず外れぬ。


「ヴァリエール様が、なんだか酷い目に遭いそうな予感がしている」


そのようなことが頭によぎり、思わず口走る。

私の従士たるマルティナが、新聞を読みながら答えた。

いつものジト目が入ったすまし顔である。


「いつもの事ではないですか。あんなチンパンジーなのか人なのか、なんだかよくわからないザビーネ卿を筆頭とする頭悪い部下たち抱えて、平和な日々を過ごせているわけないでしょうに」

「うん」


よく考えれば、いつもの事である。

何を当たり前の事を口にしているのだろうか。

ヴァリエール様が不幸なのは誰にとっても当たり前で、私もマルティナも周知の事実である。

私は笑って、自らの短髪を掻きむしった後に――いや、違うなと否定する。


「そうではない。今回の帝都までの旅にて、いつもよりも酷い目に遭いそうな気がしているのだ。なんなら初陣の時よりも酷い事になりそうな気がしている」

「はあ」


じゃあ、いつもより酷い目に遭ってるんじゃないですかね。

だから、それがどうしたんですか。

別に酷い目に遭ったところでいいじゃないですか。

私の知った事じゃないですもの、と言わんばかりにマルティナは新聞を折り畳んだ。

マルティナは何故だか、私の婚約者に刺々しいというか、冷たいところがある。


「先日、テメレール公にも婚約者ではないのか?と問われたばかりだ。よくよく考えたが、ヴァリエール様の相談役でもある私が、こうして何もせず帝都で腰を据えているのはどうか」

「出迎えに行くとでも?」

「それを今考えている」


真面目な話、まあこの世界では男が家で大人しくしている。

女の訪れを心待ちにしているというのは、世間体が悪い話ではない。

だが、私としては好ましい在り方に思えなかった。

このファウスト・フォン・ポリドロは騎士として生まれており、その誇りがある。


「ヴァリエール様が困っているというならば、それが予測できてしまうならばだ。配下として手助けするべきではないか。私は領主騎士として領民を無為に犠牲にすることなどせぬが、ファウスト個人としてならば主君のために力を尽くそうと誓っている。それを違えることなどせぬ」

「……まあ、ファウスト様の性格は理解しております」


さすが私より賢いマルティナだ。

ならば、言いたいことも分かっているだろう。


「真面目な話、拙いだろうか?」


私がしたいのは、そのようにして何の問題もないか?

貴族的な感覚としてそれが問題なのかが、どうも分からぬ。

悲しいかなこのファウストは社交にはとんと疎く、常識など知らなかった。

ゆえにマルティナに問い、解答を求める。


「拙いに決まってるじゃないですか」


我が知恵袋の答えは明瞭である。


「あのね、ファウスト様。確かにファウスト様の婚約者はヴァリエール様ですよ。それは誰もが知っています。さりとて、その婚約者の了承を得たうえで、選帝侯継承式にあたってアナスタシア様に付き添い、パートナー役として祝宴やら夜会やらに参加しているわけです」

「うむ」


相変わらずアナスタシア様が何を考えているかはわからぬが、この帝都で私は彼女のパートナー役を務めている。

この帝都に入る前に彼女と約束した通り、なんとかこなしてはいるのだ。

テメレール公の夜会ではもう酷い目に遭ったし、結果的には色々とやらかした。

占拠されていた堡塁の門は大砲を打ち返して門扉ごと破壊し、三桁のランツクネヒトをぶっ殺した狂える猪の騎士団を全員半殺しにし、テメレール公の頭蓋をかち割って殺して蘇生した。

テメレール公は覚えていないので良かったが、彼女は出血性ショックで一度心臓が停止している。

輸血が間に合って生き返っただけだ。

何もかも、このファウストから見れば仕方ない事であった。

精一杯に状況を解決しようと、こじんまりとした努力を重ねた結果がアレなのだ。

どこまでも大人しく立場をわきまえているのだから。

化物に怯えるような視線は止めて欲しいし、握手していると突然相手が泣き出すのもやめて欲しかった。

怖がって泣かれるのはまだ良いとして、騎士として光栄であると感極まって泣くのがたまにいるのは止めて欲しかった。

もう私、夜会に呼ばれない方がアナスタシア様のためになるんじゃないかと思うんだが。

なんで呼ぶのあの人。


「この帝都におきましては、もうアナスタシア様のパートナーはファウスト様であると周囲に認識されているわけですよ。まあ、その目的は個人的な欲望――いえ、それは今どうでもいいことです。ともあれ、この状況で出ていくのは拙いです」

「私なりに答えを出すとだ。将来の主君たるアナスタシア様を見捨てて約束を破り、婚約者を優先したことになるのか。臣従の義務に違反しているな」

「そうなります。アンハルト選帝侯継承式が目前なんです。そのような明確な侮辱を殿下に浴びせることは許されませんよ。ああ、あの人食い、パートナーにすら見捨てられて婚約者に逃げられたぞ。そう世間で言われるのは間違いないです」


そこらの浮浪児にすら馬鹿にされるような境遇に、アナスタシア様を貶めたいんですか。

そうマルティナに忠告される。

確かに、私はそのようなこと全く本意ではないし、面子商売では許される行為ではない。

騎士道としても当然許されるべき行為ではない。

ただ、アナスタシア様の場合は浮浪児に馬鹿にされようものなら、その場で浮浪児の心臓をナイフでえぐり出して齧るぐらいはしそうであるが。

ともあれ。


「理由は分かったが、なんとでもなるだろう?」

「どのようにすると?」

「この私が、ファウスト・フォン・ポリドロ卿がヴァリエール様を出迎えに向かった事さえバレなければよい。パーティーのお呼ばれだって、もう完全に挨拶周りが終わった後だろうに。要するに、帝都にはキチンと滞在していることにしておけばよい」


別に、誰にも見える形でヴァリエール様を公式に出迎えたいわけではないのだ。

今回かかっているのは婚約者の面子でもなければ、私の領主としての責任でもない。

単に、私がもう心配で仕方ないから、出迎えに行って手助けしたいというだけの話である。


「なんだ、マルティナ。この私の勘はもう確実に当たる。なんなれば、放置すればヴァリエール様は死ぬ予感さえしているのだ。行かねば拙い」

「人はいずれ死にますよ」

「そういう観念論を話しているわけじゃないんだが」


前から気になっているのだが、なんでマルティナはヴァリエール様に冷たいのだろうか。

いくらド短躰のド貧乳とはいえ、私がピクリとも性的に魅力を感じないロリータとは言え。

そのように人様に対して、無礼や失礼を働いてはいけないのだ。

正真正銘侮辱されたならば、人は殺し合うしかなくなるのだ。

私はそれをテメレール公との殺し合いで学んだ。


「ともあれ、決定した。これよりファウストは怪我や病気をしたとして屋敷に引きこもる」

「無理があります。誰も信じてくれません」

「――何がいい?」


確かに、このファウストは怪我もあまりせねば、病などかかったこともない。

何か適当な理由が必要であった。

賢いマルティナにこじつけを求める。


「こうしていては身体がなまると、近くの盗賊団を殺して回っているので忙しい」

「金にもならん盗賊団をわざわざ殺しに行くなど、不名誉である。却下」


浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ、とはよくいったもので。

確かに探せば小さな盗賊団くらいはいるだろうが、何故わざわざ悪人退治などせねばならんのだ。


「騎士としては一見名誉だが、何の利益もないことを誉とやってる愚か者と笑われるのは嫌だ」

「……私の命を救ったファウスト様がそれを言いますか?」

「マルティナを救ったことを馬鹿だと人が笑うならば、別に私はそれでよい。例外だ」


別に私は善人でもなんでもないが、親の罪を背負って幼子が眼前で殺されるなど認められぬ。

全くもって不愉快だから、単純に私が耐えられんのだ。

馬鹿にしたきゃそうしろ。

前世としての私はどうしても許せないし、騎士としての私は愚かな行為をしたと自分を嘲笑っている。

私は二律背反したこの誇りを、私の本性とした。


「ともあれ、帝都の治安維持機構たる騎士や衛兵たちを馬鹿にする行為など論外である。それこそ事前に許可を得てならばともかく、人の仕事の領分に首を突っ込むな。このファウストにそのような権限はない。繰り返すが論外である」


盗賊に法の保護など存在しないが、人様の恨みを買うような行為は避けたい。

騎士道物語的には王道かもしれんが、世知辛い騎士界隈的にはよろしい行為ではない。


「ファウスト様は我が儘ですね。それ以外だと、あまり思い浮かびませんよ」

「賢いマルティナ。私の従士よ」

「下手糞におだてても駄目です。単純に思いつかないんですよ」


ジト目で私を見るマルティナ。

絶対嘘だろう。

いくつか『こじつけ』は思い浮かんでるくせに、わざと教えてくれない。

私は溜息を吐いた。


「結局のところ、何が言いたいんだ?」

「……私を置いていくつもりですか?」


そういう話か。

まあ、そういう話になるんだろうな。

我がポリドロ領にて、今頃は小さな娘と食事をしている――従士長たるヘルガとて同じことを言うだろう。

貴方は、従士たる私を置いていくつもりなのか、と。


「私はヘルガにさえ言い聞かせたのだぞ。この帝都に付いてくることは許さぬと」

「あれは物知らぬヘルガ殿を騙したのでしょうに。十分な護衛を連れ、金をもらって帝都に遊びに行くようなものだから。お前は付いてくる必要は無いのだと」


――嘘ではない。

私は従士長たるヘルガに問われれば嘘など決してつかぬし、本当にそのつもりであった。

だが、もうそういう話ではない。


「ヘルガ殿が聞けばお嘆きになるでしょう。9歳児にすぎぬ私の足元にしがみついて、大泣きしてファウスト様の従士として務めを為すよう頼み込んできたヘルガ殿が」


……それを言われると痛い。

要するに、これは従士マルティナとしての言い分なのだ。

貴方が騎士として務めを果たすというならば、それはそれでよい。

よいが、私も従士の務めとして付いていくことに当然なるよな、まさか置いていくつもりではあるまいな、と。

そう遠回しに責めているのだ。


「……いいだろう。マルティナ。騎士として命じる。従士として付いてきなさい」

「素直に最初からそうすれば良いのです」


幼子はあまり連れ歩きたくはない。

本音はそうだが、さりとて単なる子供とマルティナを見るのも失礼であり、これ以上は侮辱に値する。

まあ、下手な大人より強いマルティナを心配する方が馬鹿を見るのだ。


「さて、早速アナスタシア様に会いに行きましょうか、ファウスト様。どのみち、主君の許可を得ずに勝手にヴァリエール様の元へ出向くわけにもいかないでしょう」

「そうするか」


私は大きくため息を吐いて、頷いた。

しかし、どうにもヴァリエール様のことが気になる。

まさか、このファウストが到着する前に悲惨な事にはなるまいな。

婚約者に対する恋慕などではなく、純粋な主君に対する敬慕として、私はヴァリエール様の事がひたすらに気がかりであった。

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