第154話 テメレール先生の授業


テメレール公邸の庭にて。

帝都を騒がせた事態が片付き、皇帝への『言い訳』などを顔も合わせずに各々が済ませる中で。

未だ頭の傷が癒えぬ彼女のお見舞いに訪れている。

まあ、お見舞いというよりも、知恵足らぬ私への授業と化している側面もあったが。


「テメレール公、ご機嫌如何?」

「すこぶる良いさ。ファウスト」


テメレール公は公邸の庭にて、日向ぼっこをしていた。

私がかち割った頭蓋も引っ付いたようで、完治には遠いが庭に出るくらいの気力はあった。


「さて、帝都の様子を探る分だとまだ時間はあるな。アナスタシアにカタリナ、あの二人が呼んだという刺客のザビーネが到着するにも間に合うであろう」

「……」


ザビーネか。

まあ、すでに伝えられた話ではあるし、必要とあれば教皇の暗殺でもなんでもやるべきではある。

なれど。


「ザビーネ卿に暗殺が向いているとは思えないのですが?」

「お前は反対か?」

「手段の反対ではありません」


私が疑問視しているのは、聖職者を殺すのが嫌だのと騎士として軟弱な考え方や、教皇を殺して悪名を為すが嫌だとかの名誉的な話ではなく。


「なるほど、ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンであれば暗殺の対象が教皇であろうと、物怖じすることがなく遣り遂げるであろうかと。それに疑問を挟む気はありません。性格も才能も、聞くところによれば刺客としての教育すらも受けている。教皇の死体から絹の法衣を奪い、古着屋に売り飛ばすぐらいはするでしょう」

「では?」


テメレール公が顎をしゃくり、促す。

私の疑念は、というと。


「暗殺どころか、帝都の時刻を告げる大鐘の代わりに教皇の死体をぶら下げて帝都を騒がせる。それぐらいならばやりかねない。彼女に手段を任せると、どうも話が派手になりそうな……」

「……」


テメレール公が、胡乱な目つきをした。

お前が言えた義理ではないだろうといった目つきである。

このファウスト、脳筋であることを自覚しているが、自分としては問題解決のために穏当な手段を今までとってきたつもりである。

何一つ恥じる行為などしたことがないことを、いずれ黄泉路で再会する我が母マリアンヌに誓えた。

誰から見ても大人しい人柄であるのだ。


「派手が好きなら別に派手でもよい。教皇の殺害が確定すればよい。どうしても殺害による混乱は起きるだろうが……元々は巨額の賄賂によって枢機卿たちの票を買いまくった前教皇から追い出された後、火薬売買で大儲けしていたケルン司教に枢機卿を与える約束で膨大な出資をさせ、その金で新たな教皇に成りあがったのが今の教皇だ。ド派手に殺しても神はお許しくださるさ」


派手というならば宗教合戦の方がよほど派手である。

公然と汚職が為されており、お互いに平然と告発しあっており、それが真実か虚偽かを公判にて左右するのは論争ではなく純粋なる金貨と暴力のパワーゲームでしかない。

教皇選出は誰が本当の権力者かを、グステン皇帝や他国の王に公示するための殺し合いなのだ。


「それは先日お聞きしました。恥ずかしながら、この私にとっては雲の上の話なので」

「まさか、教皇の名前すら知らないとは思わなんだが。前回の授業の復習だ。教皇の名前を言ってみよ」


そりゃ皇帝はまだしも、教皇に会う機会など一生なかろうと思っていたから興味もない。

しかし、アレだな。

そこらの力自慢の強盗騎士程度では宗教戦に関わったところで一時間後には五寸に刻まれ、野良犬の餌になっているのがオチとなる。

前世はどうだったか知らぬが、聖職者とて淫欲にふけって普通に隠された子はおるし、聖職は実家からの支援という形で平然と売買されておるし、それにより社会は構築されている。

これに文句をつけた他国の学長もおり、その際には十字軍も起こされたが――テメレール公に言わせれば、聖職者に清貧に生きろなどとほざくのは現在の社会秩序の否定だから、ぶっ殺されて当たり前だろの一言で済まされた。

それなりの地位がある聖職者ならば、隠して作った子供も、自分が運営する教皇領も、そこに住む家人や領民もいるのだから、それを公然と非難されたらたまったもんじゃない。

清貧そのものなケルン信徒たる私には初めて耳にする話であったが、まあ私とて辺境領を統治する領主騎士であるのだからこそ、理解はできた。


「ファウスト?」

「失礼。回答します。教皇の名前はユリア2世。公にはユリア教皇で通っております。世間での通り名は戦争好きの政治屋、『暴力教皇ユリア』と謡われております」

「続きを」


テメレール公がチェックを入れるように呟く。

彼女は28歳巨乳眼鏡美人のハスキーボイスで、その本性は人にビシビシ指摘するのが好きときている。

私の前世からの厳しい眼鏡女教師萌え基準を極端に満たしており、私は興奮することしきりであったが、そんなことを口にすればゴミ屑のような目で見られてしまう。

それはそれでよかったが、今はそんな時間ではない。

必死に頭を回転させ、習ったことを口にする。


「経歴は托鉢修道会出身。超人として生まれ、スコラ学(自然科学)に優を見せて成り上がり、若くして枢機卿への推薦を受ける。コンクラーベ(教皇選出)では強力な賄賂の手段に優れる前教皇に一度敗れてしまいましたが、それで諦めるユリア教皇ではない。前教皇から仕掛けられた自派閥に対する断罪、粛清、殺害の暴風雨を生き抜いて、対抗策として火薬売買にて財を成していたケルン司教に枢機卿の座を約束する」

「続けて」

「代替として膨大な出資を要求し、その資金を用いて強力な政治戦力を構築。神聖グステン帝国はもちろん外国に対して影響力を強めていき、ついに他国の王すら動かすことに成功。教皇領に攻め入って、前教皇を散々に打ちのめした後に断罪処刑。威勢にのって、どさくさ紛れに教皇領を占領しにきた貴族どもを打ち払うために自らが教会軍を率いて断罪、粛清、殺害を繰り広げました。故に、謡われるその名は暴力教皇ユリア」


軽い拍手の音が鳴る。

もっと細かな内容を質問されると困るのだが、大部分は私より遥かに賢いマルティナからも補習を受けたので大丈夫である。


「大変よろしい。質問はあるか?」

「ではお聞きします。ユリア教皇は自らケルン司教に枢機卿の地位を与えておきながら、それに異端審問を仕掛けるのですか?」


宗教も政治も複雑怪奇の世界であることは理解しているが、小市民的な自分にはどうも腑に落ちぬ。


「昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の敵。かつてユリア教皇は、教会軍総司令官の地位を得ていた前教皇の娘すらも教皇領侵攻時に内応させている。そして、利用し終わった後は処刑した。ケルン司教ですらも、彼女にとってはもう用済みであろうさ」


前教皇の娘が軍人として堂々と表舞台に出ており、母親を殺すのに内応して協力している時点で、このファウストにはもう理解が付いていかないのだが。

そんな情けないことを口にしたら、従者たるマルティナにいつものジト目で見られたのでもう言わない。

言わないが。


「テメレール公、私は信徒としてケルン司教を救うのには協力しますが」


やはり聖職者を殺すというのは別に良いが、教皇相手となるとやり辛かった。

相手に敬虔さなど無いと知ってはいるが――


「神が恐ろしいか?」

「……なんとも言い難いです」


神の存在証明。

どうしても宗教に関わると、それについて考えざるをえない。

この世界には魔法があり、ゲッシュなる神への誓いも存在している。

だが、人々は貧しく、誰もがその日のパンを得るために生きており、それを身内に与える為ならば他人なんぞ平気で殺せる。

人々は生きている限り、争いを止めない。

さて、神が本当におられるならば、何故このような醜い世界の存在を許すのか。


「私は神の存在を信じています。ですが神はもう世界から去られたのではないかと思っています」


もっとはっきり考えていることとしては、神はシステムとして機能しているが、もはや意思など存在していないのだ。

醜い人を憐れむでもなく、観察して楽しむでもなく、そもそんな感覚を抱いていない。

訴求に対して返答を機械的に為すだけのシステムと看做している。

人を産み出したことにすら何の意味もないのだ。


「我ら騎士が神の恩寵を与えられ、死んだ際に辿り着くヴァルハラすら信じておらぬと?」

「ヴァルハラは存在しますが、それすらも人々を機械的に振り分けているだけだと思うのです」


騎士として徳というポイントがあって、それをガン積みすればヴァルハラに行くことができる。

もちろん、私ごときがその採点基準を知ることはできないが。


「……失礼を。宗教家ではないのだから、この話はやめにしませんか」


ここら辺を考え続けるときりがない。

私は本を読むのは好きだが、哲学は限界がないため好まないのだ。


「構わんよ。お前と話せるならば、どのような話でも良いさ。同時に、嫌な話題というのであるならば止めよう」


テメレール公は眼鏡をひと撫でした後に、そう呟いた。


「有難うございます。では、話を戻しますが――大丈夫です。ザビーネ卿に任せるとは聞いていますが、私とて目的があります。ゲッシュにて誓った、モンゴルの侵攻に立ち向かうという目的です。そのためならば教皇であろうが皇帝であろうが殺しましょう」

「そう言ってもらえると心強い。まあ、いまさら覚悟を疑ってなど居ないが――そうそう」


これで政略の話は終わり、と言ったところで別な話が持ち出される。


「ザビーネ卿を呼ぶのが目的であるとは聞いているが。その、なんだ。お前の婚約者も来るというじゃないか」

「そうですね」


まあ、ザビーネは本人だけを呼んでも来ないだろう。

ヴァリエール様も来るのは当然であった。


「正直、あまり詳しくない。私はアンハルトの情報を収集していたが、特にヴァリエール嬢に秀でた点を感じられぬ。無能ではないが、優秀とも呼べないだろう」


事実である。

私とて、ヴァリエール様が優秀だとは少しも思っていない。

優等生といった呼び方がふさわしく感じられ、知能明晰とは程遠い。

ただ、人は必ずしも優秀さだけで上役を選ぶというものでもないのだ。

あまり悪口は言われたくないと思ったが。

――テメレール公が言いたいことは、どうも能力へのこだわりではなくて。


「お前から見てどうなのだ? その、なんだ。お前の婚約者というからには、私も、その、色々と話したいことがあるんだ。様々な条件交渉とか。狂える猪の騎士団のサムライなども、是非一度お会いしたいと言っててな」

「はあ」


何を話したいのかは知らないが、話したいというなら咎める点はない。


「構いませんし、御引き合わせはしましょう。ですが、私は正直ヴァリエール様の婚約者という実感がないのですが……」

「おや、そうなのか?」

「嫌いではありませんし、確かに結婚はすることになるでしょう。まあ私が二年後も生きてたらの話でしょうが」


人柄は好ましいと思っているし。

お互いを支え合える幸せな結婚生活も送れるだろう。

性格面には非の打ち所がない素敵なパートナーである。

我がポリドロ領を運営していく上でも、血統から得られる権力としても不足などなかった。

だが、それでも。

ヴァリエール・フォン・アンハルトは乳が無い短躰のメスガキであるという致命的な欠点が存在した。

それはオッパイ星人である私にとっては、罪とすら言い換えることが出来た。

だから、だから。

まだ14歳だし、あの母と姉がいるのだから、どうにかしてオッパイの大きなお姉ちゃんに成長しないかと私は毎週日曜日、礼拝にて神に祈っている。

だが神はもう世界にいないから、多分叶えてくれないだろうなと。

オッパイ神からの恩寵を受け賜るための、その徳の積み方も知らないから、どうにもならないんだろうなと。

私は半ば諦めかけていた。

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