第152話 ポストを寄越せ
アンハルト宮殿におけるバラ園の使用許可は、両手の指に数えられるほどにしか与えられぬ。
リーゼンロッテ女王陛下にとっては愛する夫ロベルトが残した聖域であり、その家族たるリーゼンロッテ本人、娘たる長女アナスタシア、次女ヴァリエール。
そして庭師ミハエルを代表とした、生前のロベルト様と特別に親しい人間のみが足を踏み入れることが許されていた。
私はその一人である。
この年若き実務官僚にして、リーゼンロッテ女王陛下の片腕にして、ロベルト様の侍童であった夫を配偶者として迎えた私には。
――王宮のバラ園に立ち入り、そこでかつてのロベルト様のようにして、ガーデンテーブルにて客人を招き入れる権利が与えられていた。
ここで私が今掴んだ地位と権力を見せつけてやるのが、客人への交渉を始める前の貴族の作法というものである。
「立身出世の極みというやつで? まさか女王陛下にここまで愛されておられるとは」
客人であるザビーネ卿が、どうということもなさそうに呟いた。
たいていの人間はここで私との権力差を知り、媚びを売り始めるのだがな。
まあ、眼前の客人がそういう小人物ではないことくらい知っている。
私は彼女に答えてやる。
「さて、どうだか。私はかつて、困窮した法衣貴族の三女に過ぎなかったが――これで苦労も」
私の家庭は世襲騎士と言えど、役職にはありつけず貧しかった。
だが私の家族は皆が支え合うように生きており、娯楽すらないからと姉二人は優しく学校で学んだ物事を私に教えてくれ、水を得た魚のように吸収していく私を撫でて喜んでくれた。
親などは叱責も覚悟の上で、ウチの三女は必ずや王家に貢献できる人材だとロベルト様に陳情してくれたおかげで、私の王宮への奉公が叶ったのだ。
そこでロベルト様の侍童を務めていた今の夫と出会い、恋も成就させた。
すでに子供もいる。
それについてはザビーネ卿もすでに知っており、説明すべき点もない。
「いや、そうだな。私はどうしても人から見ると、恵まれすぎているほどに恵まれているんだろう」
姉に恵まれた、親に恵まれた、上司に恵まれた、配偶者に恵まれた。
そうして私は家から独立して新たな世襲騎士位を手に入れ、法衣貴族として、女王陛下の片腕たる実務官僚としてこの地位にいる。
ああ、もちろん私に優しくしてくれた実家も引き立てており、そもそも姉二人などは元々優秀だった。
法衣貴族として役職にきちんとついているし、家族には多くの仕送りをしている。
というか、私の家族には王城に出入りしている商人から多額の付け届けがあるから、本来は仕送りすら必要なかった。
私は幸福だ。
「君とは大違いだな。ザビーネ卿」
ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンの立場を揶揄してやる。
ポリドロ卿がゲッシュを誓った際は、満座の席で馬鹿にされたヴェスパーマン家。
知るものこそ少ないが、そのポリドロ卿はロベルト様の暗殺事件を解決しており、対してヴェスパーマン家は結局事件を解決することができなかった。
女王陛下においては、もはや彼の紋章官家に何の価値も見出していない。
爵位を失うまではしないが、単なる紋章官への没落までは確定だろう。
私とは真逆。
とはいいたいが、だ。
「まあ、君は実家のことなんかどうでもよかろうがね」
「どうでもいいねえ。潰れるなら勝手に潰れたら?」
ザビーネ卿にとっては実家のことなど、死ぬほどどうでもいい話題である。
そして、私にとっても同様で。
「女王陛下はともかく、アナスタシア殿下がどうされるかは知らんがね。マリーナ嬢くらいはなんとかアナスタシア殿下の御寵愛でやっていくかもしれないが、ヴェスパーマン家はもう『ない』ね」
「そこさ」
ザビーネ卿が、ようやく本題に入るのか。
そんな顔をして、少し愉快気に口端を緩ませた。
「ヴェスパーマン家はもうないとして。さて、女王陛下より御寵愛を賜った実務官僚殿は、はたしてアナスタシア殿下からも片腕として受け入れられるかね?」
「その実力はあるつもりだ」
今回の茶席。
それはザビーネ卿からの依頼であり、このバラ園には私と彼女の二人しかいない。
さて、二人きりで話をするほどの価値はあったのか。
「じゃあ、アナスタシア殿下にも実力を示しておくべきじゃないかね。無事に選帝侯継承式を終わらせて、帝都から帰ってくるまでにだよ」
それを今から判断することになる。
「聞こうか」
私は小さく呟いた。
ザビーネ卿は、まず少しだけ笑った後に。
「法衣貴族の家を大分潰したそうじゃないか」
「必要であったからな」
ファウスト・フォン・ポリドロ卿への侮辱を隠そうともしなかった連中。
ゲッシュ事件において、命を投げ打ってまでも王国への危難を訴えた彼を侮辱した者達。
その無能は、死にも相応しい罪であった。
表向きの顔すら取り繕うこともできない法衣貴族たちをリストアップし、女王陛下の命により爵位を取り上げて家ごと叩き潰した。
で、だ。
「それが何か? アナスタシア殿下も私を評価こそすれ、あれをお咎めはしないだろう」
「別にそれが悪いなんて言わないさ。仰る通りだよ」
そこからの話さ。
そう前置きを置いて、ザビーネ卿は用意しておいた茶を啜る。
彼女の会話方法は少しねちっこくて好かぬ。
頭の良さは認めているのだが。
「さて、沢山の騎士家が消えました。沢山の爵位が宙に浮きました。沢山の役職が空きました。沢山の予算が浮きました。みんな、首になった連中への同情もそこそこに、誰もがそのことを気にかけている」
「なるほど」
私は理解した。
要するに、空いたポストの奪い合いについて噛みたいのか。
「別に、領主騎士の三女や四女など、単純に仕事をこなせる経歴の者であればいくらでもいる。今は順当に配分する予定だが?」
「領主騎士に恩を着せ、縁で繋げるのは悪いこととは言わないさ。でも、結局は領主騎士の紐付きになってしまうのもどうかね?」
考える。
ザビーネ卿が何を言いたいのか。
その前に、次の言葉が紡がれる。
「というか、そもそも実戦経験や遠征経験すら持たない騎士が今のアンハルトに必要かね?」
「ふむ」
優先ではない。
なるほど、潰したのは腹芸もできない無能どもであったのだ。
職務も有能と言えるほどにこなせていたわけではない。
正直言ってしまえば、紋章官や租税官などの実務官僚は人が足りていた。
もちろん沢山居て困ることはないが――
「『戦う人』としての騎士どもを優先せよと」
ポリドロ卿が国の危難を訴えた事を信じ、それこそ十字軍に至るほどの大戦が起きるとするならば。
今必要なのは、即戦力の騎士であった。
「そういうことさ。で、心当たりあるの?」
「さて」
別にアンハルト王国内においても、領主騎士同士の領地境界線における争い何ぞ珍しくもない。
そもそも、それを調停する立場を必要としているから、自分の領地を守る主君を必要としているからこそ、アンハルト王家との双務的契約が存在するのだ。
騎士道精神など都合よい時には利用すれど、誰一人として無私の忠誠を誓っているわけではない。
殺し合いの経験者など、どこにでもいる。
とは言いたいところだが。
それは小規模であり、酷い時には近くの村に掠奪に行く程度が殆どであるとも言えた。
「指揮官にして強力な騎士としての実力を持ち、遠方までの外征経験を持つ軍勢となるとな」
そうはいなかった。
少なくともアンハルト王国にはいない。
領主騎士ならば軍役があるから別だが、それらは当主か嫡女の後継者であり法衣貴族には引っこ抜けぬ。
で、あるならばだ。
「考えていることはわかる。外国から兵を買うんだろう? 勿体なくないか?」
大金を支払って、外国から傭兵団なり領主の軍勢なりを買わねばならぬ。
それは金貨銀貨や物資の外国への一方的な流出であり、その後に王国内で回ることはない。
どうしようもなければやるが、国家経済を担う実務官僚から見て最善手とはいえなかった。
「つまり、ザビーネ卿をさっさと世襲貴族の地位まで上げよと?」
私はあえて間違った回答を為す。
言いたいことは、こんなふざけた私欲ではなかろう。
「違うね。そんなもんは今回の旅でアナスタシア殿下に約束させてるさ」
ならば、次は少し足りない間違いを。
「第二王女親衛隊の騎士全員を世襲貴族にしてほしい?」
「違うね。それはポリドロ卿が訴える大戦で叶うこととなるだろうさ」
では、思いつく正解としては。
「今回のヴァリエール殿下御親征にあたって『長日程での戦陣経験』があり、『多数の実戦経験』があり、『指揮官として強力な騎士』を見繕ってやるから、空いたポストを相当数よこせ?」
「そういうことになるね」
馬鹿馬鹿しい。
私は立ち上がって、話を打ち切ろうとすら思ったが。
あまりにふざけた話であるからこそ、ザビーネ卿の提案は気になった。
実際に用意できるのであるならば、別に悪い話ではないのだ。
私は尻を浮かさずに話を促す。
「続きを」
「まあ『長日程での戦陣経験』。これは単純に王都から帝都に辿り着くだけで済むさ。都市の城壁から出た事もないモヤシどもよりもこれだけで上だろう」
それは認めてやろう。
次だが。
「『多数の実戦経験』なんぞをどうやって用意するんだ?」
「人は助け合って生きてるんだよ」
回答になっていない。
例えばだが。
「圧倒的多数による町や村の掠奪なんぞを実戦経験と呼ぶつもりか? 戦争目的よりも掠奪に目がゆく阿呆騎士なんぞ戦場で何の役にも立たんぞ。騎士道精神は純粋に戦場で役立つ戦士を作り上げる為でもあるのを理解しているか?」
「そもそもヴァリエール殿下が掠奪なんか許すわけないだろ。帝都に行くまでの道中で、地方領主が手を焼いている山賊団や、山賊まがいの荒くれ傭兵団を狙う。これらなら珍しくもない」
確かに、アナスタシア殿下の第一王女親衛隊でさえ旅路にて山賊に襲われている。
探せば山賊団などそこら中にいるだろうが。
「さて、哀れな善良なる人たちが苦しめられている。旅路において、少しばかり寄り道をしてでも見過ごさないのが本当の騎士道精神でなかろうか? 私はそう思うね」
「ふむ」
善良なる人たちを悪党から守る、というよりも。
善良なる人たちが襲われているのだから守るという大義名分で、悪党をいっぱい皆殺しにして実戦経験を身に着ける、としか聞こえない。
そして、そのために帝都への到着が遅れても別にいいよね、と言っているようであり。
それは人として、アンハルト王国に仕える騎士としてどうなのかと思ったが。
「なるほど」
さて、この実務官僚は少々耳が悪いので、どうにもたまに言葉を取りこぼしてしまう時がある。
仮に言葉を取りこぼした時があったとしても。
耳の障害を持つ可哀そうな私に配慮してくれない相手が悪いのであって、私は悪くないと断固として言い張る度胸が私にはあった。
「なるほど、よくわからんが、分かったような気がしてきた。多少聞きづらい点はあったが」
「実務官僚殿は耳が悪いと評判であるから仕方ないね」
さて、なんだかわからない内に話は続いてしまっているが。
「『指揮官として強力な騎士』はどうやって用意するつもりなんだ?」
「これについては少し難しい。出来る限りは育てあげるつもりだが、経験者採用となってしまう事もあるだろう」
経験者採用。
まあ、ない話でもない。
「傭兵団を丸ごと取り込む?」
「そもそもが傭兵団をまとめ上げてる連中なんか、騎士の三女四女や従士の成れ果てじゃないか。よっぽどの才能がない限りは、教育を受けてない奴が傭兵団の頭になんかなれるもんか」
まあ事実ではある。
青い血としての教育を受けた貴族の子女が傭兵団の団長になる。
さして珍しい話でもない。
「そんな彼女たちにヴァリエール様という、いと尊き御方から手を差し伸べてやるのは悪いことかね」
「感動的な話だ」
酷く感動的な話である。
戦場にて貢献した傭兵団の団長、それも元々は貴族の縁がある人間に手を差し伸べてあげる。
王族の人間が直接に。
それも率いている兵隊丸ごと拾い上げてやるという。
名誉も権利も金もやるという。
「美談だな」
「1000年後のアンハルト王国でも語り継がれるほどに」
拾い上げられた連中の末裔が、それこそ誇りのように私の家はこういう来歴でございと語るだろう。
ザビーネ卿は楽しそうに言ってのける。
確かに、悪くない話ではある。
「ザビーネ卿、少しばかり独り言を言うが宜しいか?」
「構わないよ。実務官僚殿は独り言の癖があると聞く」
「有難う」
私は茶を一口だけ、舌を湿らせるように含んだ。
さて。
「確かに、経済的な話を聞いた気がする。外国から雇用するよりは国内に金をばらまいて、兵を調達した方が良いのは明確だ。私が興味を引いたのは、経験者採用だな。何の手柄も上げておらぬ奴らが使えるからといって、傭兵団の頭なんぞに爵位を与えてやるのは体裁が拙い。なれど、ヴァリエール様の御親征において善良なる人たちを守り、悪党を打ち破るにあたって活躍した者に。感動したヴァリエール様が特別に爵位をやっても、何が悪かろう」
それに文句を言うやつが阿呆なのだ。
ポリドロ卿を侮辱した無能と何一つ変わらぬ、空気を読めぬ者ども。
「文句を言う者は、この女王陛下の片腕である私が抑えることになるだろう」
暗に、爵位の空きも、兵士を今後雇うコストも、体裁もなんとかしようと告げてやる。
これについてはよかった。
だが。
「だが、『多数の実戦経験』はさすがに運否天賦であろう。山賊は基本的に逃げるぞ。不利と見れば一目散に逃げる。あくまで最優先の目的は帝都へ到着することだぞ」
「……確かに、簡単にはいかないだろうけどね。本命は経験者採用の方だから次善策さ」
そこらへんは山賊討伐経験多数のポリドロ卿から、自分を見たら山賊は皆逃げるって愚痴られたから知ってる。
まあ身長2m以上体重130kg超えである筋骨隆々のポリドロ卿が、パレード用みたいなグレートソードを片手でぶんぶん振り回して来たら、そりゃ知能が昆虫以下でも逃げるだろうけどさ。
そうザビーネ卿は呟き、ふう、といつの間にか飲み干していた茶のコップを置いた。
「まあ、なんだ。アナスタシア殿下が、無事選帝侯になってお帰りになられた際に、無能を潰して空いたポストが全部戦場で使える騎士に代わってたら喜ぶだろう。それが将来の自分の片腕たる実務官僚殿が手配したことであれば、酷く喜ぶだろう。手腕を認める。そんな話さ」
言いたいことは全て理解した。
悪い提案ではない。
明確に了解した旨を口にしてやる。
「……ザビーネ卿。無事に成功した暁には、君が為した全てを認めてやろうじゃないか。爵位を受けた後の役職も複数用意するし、軍勢を養う給金も出してやろう。それで、他に必要な物は?」
「法衣貴族の三女、四女にも家でくすぶっている奴らがいるだろう。それこそ、その内に家を飛び出して傭兵団の団長に成っちまいそうなやつらが。このザビーネみたいなやつらが。そいつらの尻を上手くひっぱたいてくれ」
「一応は騎士教育を受けた卵どもを、お前に預けろとの事か。指揮官適性があるならば、そいつらも騎士にしてやると。いいだろう」
静かに、茶の残りを最後の一滴まで飲み干して。
ザビーネ卿の要求を、私は大いに受け入れることにした。
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