第150話 酒保請負契約

アンハルト王都において、ポリドロ家には王家より下屋敷が貸与されている。

第二王女相談役としての役得であるのだが、この屋敷の利用権は元々第二王女である私のものとされており、ファウストが不在の間は自由に利用することが出来た。


「これでいい?」

「はい。これにてヴァリエール・フォン・アンハルト殿下と、このアンハルト市民たるイングリットとの間に契約が結ばれました」


机上の書類にサインを済ませ、それをイングリットが受け取る。

現場の事はザビーネに任せようと思ったのだが。

酒保契約において、今回の指揮官たる私が直接にサインをしなければイングリットは承知しなかった。

まあ、別にそれはよいのだが。


「あのね、イングリットさん」

「イングリットで結構ですよ殿下。市民として立場はわきまえております」

「じゃあイングリット。なんでこんなに商人多いの?」


もう明後日には出発しちゃうしさあ。

酒保周りの事は私やザビーネわかんないから、全部イングリットにぶん投げたけどさあ。

減らせとはいわないけど、これ明らかに多いわよね。

第二王女親衛隊って兵数100なのに、なんで付いてくる商人が300人もいるのよ。

人員比率がおかしい。

そのような事を口走る。


「いえ、こちらについてはザビーネ卿からすでに許可を取っているのですが」

「そりゃわかってるから私もサインしたわよ。でも説明はしなさいよ。ザビーネ誤魔化すかもしんないから、イングリットの口から聞きたいのよ」


ザビーネは信用できないのだ。

アイツは事後報告で何もかもが終わった後、「実はこういうことだったんですよ」と答えるやつなのだ。

そして怒り狂った私に全力で殴られて、その与えられた痛みで凄く興奮するところがザビーネにはあった。

ザビーネがその類の変態であることを、私は理解していた。


「ヴァリエール殿下。今回の行軍は、このアンハルト王国からグステン帝都ウィンドボナまでの旅路となります」

「そうね」


イングリットが瞳を輝かせながらに呟く。

そうして、まあそこそこの教養があれば誰もが承知している理屈を口にする。


「商人の仕事の基本とは、必要のないところで余っているものを、必要のあるところに運び、その差額を得て利益とする。それは理解されておりますね」

「まあ基本ね」

「我々が向かう帝都には何でもあります。この王都にて不足する物があったとて、帝都で探せば見つからぬものなど無いでしょう。さて、それがどうしてかはおわかりになりますか」


私は、ん-、と一つ唸りながら答える。


「流通が発展しているから?」

「それは一つの正解でしょう。大河を用いた水運により、グステン帝国では最も流通が発達した都市が帝都ウィンドボナです。ですが、まあ違います。水運にしたって河川に辿り着くまでは陸路ですし、我々が帝都まで行く道は馬車一台がなんとか通れる程度しか舗装されておりません」


イングリットは否定した。

間違ってはいないが、それだけでは全ての物資は集まらないとの回答である。

他に理由があるならば。


「単純に市場が大きいから?」

「それも一つの正解です。売る場所が多く、買う人間が多い。単純に人口が多いのです。運んだものを捌く場所があるからこそ、商人は物資を運びます。ですが、私たちアンハルトの商人たちは、帝都において販売する許可を得ることが出来ません。帝都の商業ギルドが場所も権利も全てを仕切っており自由市が無いのです」


ギルドにみかじめ料を払えば別でしょうが、そこまでする気はありません。

私たちが持ち込んだ商品は全て帝都の商業ギルドに売り払うことになるでしょう。

そうイングリットは答えて、ヴァリ様はまた呟いた。


「言いたいことは分かったわ。そこまで流通に苦労して運んで、市場で自由に捌けないことを考慮してでも。それでも単純に物を運ぶだけでお金になるのね」


別に今までも間違ったことは言っていないが、結局商人の動く理由など一つだけである。

『金になるから』に他ならぬ。

難しい理由などいらないのだ。


「そうです。卵が先か、鶏が先か。都市が発展するには立地や水運など、様々な条件がありますが結局は商人にとっては金になるかどうかなんですよ。諸条件はどうでもよろしいのです。物資を持ち込んで、最も単純に金になるのが帝都なのです」

「なるほど」


商人が帝都に行きたい理由はわかった。

それは理解できたのだが。


「とにかく、私たち商人は誰もが王都にて商品を仕入れ、それを帝都に持ち込んで利鞘を稼ぎたいのです。一声かければ300人くらいならば、すぐに集まりますとも」

「それはわかったんだけど、そんなの姉さまの時にやればよかったんじゃないの?」


私たち第二王女親衛隊の旅になんぞ加わる必要がない

先んじて出発した第一王女アナスタシアの酒保商人として――ああ、そうか。


「要するに、姉さまの許可をもらえないような連中が今回集まっているのね?」

「そういうことになります。王家の御用商人が酒保を務めることになり、イングリット商会の規模では相手にされません。入り込む隙間が無いのです」


しかして、このイングリット商会はポリドロ家の御用商人であります。

現領主ファウスト様の婚約者にして、将来ポリドロを名乗ることとなるヴァリエール様の酒保商人を務めておかしいことは何一つありません。

彼女は微笑み、楽しそうに呟く。


「仮にもアンハルト選帝侯家の第二王女殿下が、急用ありて帝都に赴くのです。旅路においては様々な交通路、橋において関所が設けられており、本来は通過料がかかってしまうのですが、殿下は真面目に料金を支払うおつもりですか?」

「え、うん、いや」


私は言葉を詰まらせた。

私としては少々気まずい思いはあったが、正直関所の通過料なんか払いたくはない。

払わなくて済むものならば、払うつもりはなかった。

なにせ第二王女親衛隊は金が無いのだ。

そんな金を払うならば、パンの一個でも兵への配給を増やしてあげたかった。


「とにかく、威圧の為には数を増やす必要がありました。利益を増やすためには商人をできる限り集める必要がありました。殿下の兵数100、アンハルト商人300。傍目には400からなる軍集団となります。さすがにこの数に加え、殿下の名分があれば関所の兵も通過料など請求してはきません」


だから、まあイングリットの言いたいことはわかるのだ。

一銅貨も金払いたくないんです。

その気持ちは痛いほどに理解できた。

私これでも税を徴収する側の第二王女なんだけど。

そもそも姉さまとて『何、このアナスタシアの兵に通過料を課すだと。選帝侯継承式にて皇帝陛下に謁見するが故の通行と知ってのことか。この侮辱、必ずや皇帝陛下に掛け合って貴卿の一族郎党滅ぼしてくれる! 覚悟しておれ!!』とか言って、一銅貨も払っていないに違いないのだ。

もう絶対確実に払ってない。

それどころか、もう通過する領地の貴族から『皇帝陛下に直接かけあってやるゆえ、各領地間での騒動があるならば私に言え。まあそう、なんだ。相談料はわかるな』と言っては金を要求するぐらいはするのが姉さまだ。

しかも、金貰うだけもらっておいて『あれは相談料だろう。皇帝陛下にかけあった結果までは保証すると誰が言ったのだ』と強弁するだろう。

だから月に一度は気に食わない貴族を殺しては、その心臓を食ってるとか言われるのだ。

――姉さまの事は良い。

話を戻そう。


「関所の通過料本当に払わなくてもいいのね? 領主にとっては重要な収入源だと思うんだけど」

「これは商人の知恵というやつです。少しでも酒保商人として経費削減しようというイングリット商会からの、殿下への敬意とお受け止めください」


ただそれは商人の知恵などではなく、単なる暴力を背景にした脅迫である気がした。

酒保商人を300人も連れて行くなんて、ザビーネは馬鹿かとは思ったのだが。

そういう事情なら仕方なかった。


「もちろん、旅路においても酒保商人としての役目は果たします。さすがに補給せねばならぬので、旅路にて寄った町々にて物資を買い込むことになりましょう」

「そうなるわね」


酷い話になると、兵隊や傭兵団だと掠奪を行って物資を補給するのだが。

その都市や街の市民の代表役に対し、海千山千の商人が交渉するのだ。

恥ずかしながら、私などが交渉をしてしまうと舐められる可能性があった。

ザビーネが交渉をしてしまうと、その場の気分で顔役を殺して掠奪する可能性があった。

そうしないために、酒保商人たるイングリット商会がどうしても必要なのだ。


「100人からなる第二王女親衛隊がマスケット銃を背負って街を取り囲み、我々300人の商人が笛や打楽器を打ち鳴らしながらにして都市の顔役との交渉に臨みます。必ずや安価にて交渉が成立するでしょう。これも商人の知恵です」

「ちょっと待って」


だからそれは、商人の知恵などではなく、単なる暴力を背景にした脅迫である。

いや、理解してはいるのだ。

もう舐められないためにはそれしかないと理解してはいるのだが。


「私たちは山賊じゃないのよ? 荒くれの傭兵団でもないのよ?」

「ご安心くださいませ、我ら商人もピストルにて武装しております。多少の傭兵も雇っております。顔役がギリギリまで追い込まれて暴走しても、そうやられはしませぬ」

「人の話聞いてる?」


多分聞いてなかった。

というより、意図的にイングリットは聞かないようにしていた。


「私たちは帝都に行くのが目的で、酒保商人が交易するのは認めるし、確かにできれば関所の通過料は払いたくないし、物資の補給も安価にて行いたい。それはそれ、これはこれとして」


私たちは掠奪しに行くわけではないのだ。

このイングリットなる商人はわかっているのだろうか。


「わかっております」


彼女の瞳を見た。

中肉中背の彼女の瞳は、少し潤んでいた。

莫大な利益のために、狂気さえ口に含んだ商人の目をしているのだ。


「全てはこのイングリットがすることであります。ヴァリエール殿下は何一つ指示しておられませぬ」


スゴイこの商人。

何一つわかってない。

私の手は汚したくないから、お前が手を汚せとかそういう話をしたいわけではなかった。


「んとね、えとね、イングリット。私そういう話はしていないんだけど」

「全て私にお任せください。ヴァリエール殿下の御心のままに」


だから、御心のままじゃないから文句言ってんだけど。

いや、でも、仕方ないのだろうか。

ザビーネが財務と交渉すると言ったからには、確実に必要な行軍費用をぶんどってくるだろう。

だが、財務のケチンボがそう簡単に金を出すわけがない。

本当に必要最低限ならば、貧乏行軍となってしまう。

兵にパン一つで行軍を命じるのは、私の矜持が良しとしなかった。

ならば、自分の可愛い兵が泣かないためならばだ。


「……全て貴女に任せるわ。イングリット。私の兵が餓えないようにしなさい」


私は妥協した。

これはもうどうしようもないのだ。

どうしようもないのならば、私が嫌だからと拒否することなど許されない。


「全てお任せを! すでにケルン派教会とも通じて弾薬、ケルン派信徒の傭兵ともに用意しております。戦とあらば、全てを殿下の兵に任せて足を引っ張るなど致しませぬ。我ら自らが馬車と財産を守るために闘うつもりです!!」


許されないし、確かに旅路は平和とは言えない。

陸路は馬車一台が通れるぐらいに細く、それを狙った山賊団に襲われることもあろう。

だから、商人たちが武装してるのは当然と言えた。

だが、だが。


「私たちは別に戦争に行くんじゃなくって、交易に行くんでもなくって、姉さまがザビーネいるからちょっと来いって言われたから――」


ただ行くだけであって、もうそれ以外に何の目的もないのだが。

なんか話がデカくなりすぎてないか。

そう呟こうとしたが、なんか瞳をギラギラに輝かせているイングリットの耳に言葉が届くとは思えない。

私は諦めて、ザビーネが財務からちゃんと予算を分捕ってくることと、とにかく目の前の酒保商人が善良なる人々に迷惑をかけないことだけを祈りながら、大きなため息を吐いた。


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