ヴァリエールの帝都進撃編 上

第149話 異端とピストル

私ことザビーネ・フォン・ヴェスパーマンの口元に聖餅が与えられた。

異様に塩辛いパンであるが、汗をかいた訓練後の身体にはちょうど良かった。

頭上から、聖職者の言葉が与えられる。


「天にいます我らの母よ、主よ。私たちが『物質を超えたパン』を、我らがいつか作り出せることを御見届けくださいますように。世の初めから終わりにいたるまで。アーメン」


聖餅の儀式を行う聖職者は、ケルン派所属の者である。

アンハルト王都からは離れた辺境領、ポリドロ領にて『助祭』を務める者であった。

今はポリドロ領との連絡係を務めるために王都に出向いており、ついでだからと全員ケルン派の信徒であるヴァリエール様と私たち指揮下の兵に、聖餅の儀式を行ってくれている。

彼女の腰には、ケルン派の間では廃れつつあるメイスがぶら下げられていた。

無用の長物とは言えないし、以前のケルン派では珍しくもない武装である。

なれど、ケルン派の騎士や聖職者における流行からは少し遠かった。

そのような事を思う。


「助祭さんはピストルを買わないのかい?」


私は疑問を口にした。

最近ケルン派になったことで知ったが、ケルン派が開発している火器はマスケット銃などの歩兵運用を基礎としたものばかりではない。

携行性の高い、片手にて扱うピストルなる火器も信徒に販売していた。

最近のケルン派聖職者などは、好んで腰の鞘にそれをぶら下げている。


「いえ、一丁は所有しております。ですが、そもそも火器自体が戦場においては役に立てども、普段の護身用としては如何かと……」


助祭はピストルの効果を疑問視しているようだ。

メイスの方が護身としては良いとのことらしい。

対して、私はピストルに一定の評価を置いていた。

装填の問題などは確かにあるが、数さえそろえれば良い。

甲冑を身にまとって馬上でのマスケット銃の装填などは確かに難しいが、ピストルであれば馬の鞍などに鞘をつくり、数丁を保持すれば良い。

そう考えたのだが。


「使えないのかね?」

「ポリドロ領地にて、ファウスト様や信徒マルティナと話をしましたが。なるほど、確かにピストル自体は効果的な武器なれど、まだ『早い武器』である。命中率が低く、射程が短く、装填に時間がかかる。現在における銃器の欠点をピストルはより明確に表していますよ」


6mのパイクを持つ槍歩兵なる戦列を打ち破るには、10mの射程を持つピストルを機動力に勝る騎兵が数丁持つこと。

単純論で言えば、これで解決するはずなのだが。


「マルティナの嬢ちゃんは批判的と」

「信徒マルティナは明確に否定しておりました。現在の馬上火器においては、これならば覚悟を決めた重装甲騎兵の秩序ある突撃の方が勝ると。ピストルを捨て、騎士として突撃せよと」


未だ騎士の暴力は火器に対抗できるということか。

結局、火器は新たなる兵科にして、まだ発展途上なのだ。

マルティナはピストルがまだ騎兵にとって有効ではないと見切っている。

私は意を汲みとったと同時に、ピストルへの評価を少し落とした。

マルティナという9歳児が異常な才能の持ち主であることを理解しているからだ。

ふと思う。

はて、ピストルなるもの――語源は。


「なんでピストルって言われてるんだっけ」

「前世紀に起きた戦争が原点ですよ。きっかけは『異端』です」


助祭は、どこか馬鹿にしたように口を開く。

教皇が十字軍の遠征費用を稼ぐために贖宥状の売買を始めた。

それをきっかけにして――とある国家の大学長であった聖職者が、本家本元の神聖グステン帝国における教会の現実を公然と罵倒したのだ。

金で罪の赦しを売り払うとは、聖職者として見苦しいことこの上ない。

男娼を買って市街にて悦楽を楽しむ詐欺的な姦通者、金により権限を売り渡す聖職売買者、肥えた身体を揺すりながら、貧乏で痩せた農奴に説教をする聖職者。

これらが教会の有様である。

かつて『グレゴリウス改革』においてグレゴリウス教皇が綱紀粛正を図ってから何世紀経つと思っているのか。

要するに。

神聖グステン教会の聖職者は自分で定めたことすら守れない堕落した欲望の豚どもにすぎないのだ。

お前らは聖書に従っていない。

悔い改めよ。

そう公然と罵った。

対する教皇からの返答は、グステン教皇と教会を批判したことに対する『異端審問』であり、異端者たる学長の火刑死である。


「経緯は知ってるよ。ヴェスパーマン家の御先祖様は立派だったからねえ。ご先祖様は」


どう考えてもこれ学長の方が正しくないか、などと私的落書きの跡が残った文書を見たことがある。

ヴェスパーマン家はアンハルト王国を支え続けてきた紋章官であり、諜報統括を一手に引き受けた貴族の一門であった。

今は糞だけど。

もう零落して滅びさるのみだろうと、私はかつての実家の事を看做していた。


「ともかく、学長が火炙りにされたことで切れた信徒が大暴れして、結局学長だけでなく、その信徒も全員異端認定されて十字軍が発動されました」

「アンハルト王国も巻き込んでね」


一世紀ほど前、神聖グステン帝国が教皇の要請に従って異端審問の十字軍を起こした戦争。

その経緯はそのように救いが何一つないもので、まあアンハルト王国も選帝侯としての立場上、巻き込まれて参戦している。

なお、その十字軍は何回も負けた。

グステン教皇側に神の恩寵が無かったせいだと思う。


「少し長くなりましたが、まあその学長側の信徒たちが当時、初めて戦場に火器を持ち込みました。その火器を『口笛(ピューレ)』と呼んでいたことが語源ですね。そこから帝国語に変化してピストルと呼ばれています」

「異端が使用した武器が語源ねえ」


尤も、本当に異端かどうかといえば話は別である。

結局は気に食わない人間を殴り、土地や財産を奪い、命さえ掠奪するための大義名分にすぎないのだ。

私は十字軍なるものを心の底から侮蔑していた。

同時に、異端が初めて戦場に持ち込んだ兵器を、ケルン派が好んで活用しているというのは少し笑えた。

助祭は目前から立ち去り、仲間の騎士の口元に聖餅を運んでいる。

聞こえないように、小さく呟いた。


「お似合いかもね」


ケルン派は異端である。

少なくとも私にはそう感じられた。

なるほど、知れば知るほどケルン派の聖職者たちは清貧であった。

さすがに全員が全員とまではいかないだろうが、少なくとも私が知る限りの聖職者は誰もが姦通や聖職売買などとは縁遠い存在である。

飢えるほどの生活は送っていないものの、ケルン派教会の倉庫には火薬と塩しかない。


「……」


火薬の流通はケルン派教会がほぼ握っており、莫大な寄進に対して貴族や傭兵に火薬を融通しているにも関わらず、生活は質素。

それは火器開発に全力をつぎ込んでいるためであると。

世間での風評ではそうなっている。

だが、私には少し違うように思えた。

彼女たちは、ケルン派の聖職者たちは、何かやりたいことがあって全身全霊で進んでいる。

別に神を否定するわけではなく、戒律を好んで破るのではなく、きっと何かを目指して行動しているのだ。

私は彼女たちの在り方を、少なくとも高位聖職者の行動においては、一つの目的を目指している組織として見ていた。

もちろん、何の確証も無いのだが。

ケルン派の説話を聞けば聞くほどにそれを感じている。

象徴的なものとしては、15世紀も前に贖罪主がマスケット銃一つで多数の異端相手にやりあったそれであり、教会では贖罪主の像がマスケット銃を抱えている点である。


「ケルン派は贖罪主や聖人をなんだと思っていやがるんだ?」


馬鹿にしているわけではないのだろう。

理屈も筋も一応は通ったことを言っている。

自分に鉄砲と火薬さえ融通してくれるなら、ケルン派が異端でも別に良かった。

だから、気にしない。


「利用できるものは利用するさ」


この考え方は、ケルン派にも通じるところがあった。

多分、ケルン派は話の整合さえとれれば、聖人や贖罪主を如何に説話にて利用しようがどうでもよいと考えているのだろう。

宗教は信徒の心を安んじ救済するために存在しており、神を崇める為ではない。

そのような割り切りが感じられるのだ。

ケルン派についての思考をしばらく続けていると――


「ザビーネ、調子はどう?」


横から、可愛い声が飛んだ。

すたすたと歩き、愛しい殿下の御前に立つ。


「ヴァリエール様、本日は礼拝に参加されなかったようですが?」

「いや、参加したかったんだけどね。お母様に呼ばれてたから時間的に無理だったのよ。助祭には悪いんだけど、礼拝は後で個別にやってもらうとして……」


真面目で優しいヴァリエール様にとって、騎士団や従士隊と一緒に礼拝に参加しないのは珍しかった。

リーゼンロッテ女王陛下から呼ばれたとあっては、まあ仕方ないのだが。

気にかかっているのは、その用件についてである。

ろくでもない用件なのはわかっている。


「ザビーネ、悪いけどちょっと帝国行ってきてくれない? 兵隊もつれて」

「あの人食いが何か言ってきたんですか?」


深夜に墓場を徘徊し、親が泣きながらに土葬した赤子の死体を掘り起こし、食べてそうな目つきのアナスタシア殿下。

ヴァリエール様に命令できるとなれば、陛下とあの女しかいなかった。


「いや、姉さま別に人肉食べてないから。詳しくは話せないけど、ザビーネが必要だっていってるのよね。うまくやれば世襲騎士への昇進も保証してやるって」

「お断りしますよ。なんで私が」


アホらしい。

私はヴァリエール様指揮下の第二王女騎士団長であって、他の何者でもない。

たとえアナスタシアが将来のアンハルト女王となろうが、表向きの敬意以外を払う気などなかった。


「筋が違うと断って下さい。と言いたいところですが」


まあ、無駄だろうな。

あの人食い、このような断りが通じる程度の盆暗ではない。


「ええ、まあ姉さまもザビーネが断ることは予想していて。もう私がザビーネと従士隊を引きつれて帝都に来なさいって言ってるわね」

「断るべきです」


どう考えても面倒ごとであった。

アナスタシアが別にヴァリエール様を敵視していないことはもう分かっているが、そもそも自分の手札では処理できない事があったからこそ、このザビーネを呼んでいるのだ。

ロクでもない事態になっていることは容易に理解できる。

……それで済まないのは分かっている。


「無理よ。姉さま本気で困ってるみたいだし」


立場的に拒否はできないし、そもそも拒否できるような性格であるならば、もうヴァリエール様ではなかった。

仕方なく、頭を動かす。


「承知しました。帝都へ向かうための食料や装備、旅費などはすでに計算しております。ヴァリエール様は財務にすぐ請求してください」

「……あれ、もう計算してるって?」

「何があってもすぐに行動できるように、第二王女騎士団の行動費は逐次計算しております。財務の許可さえ下りれば、すぐにでも動きましょう」


元々、私は紋章官でも最大の一門の当主となる予定だった身である。

この程度なら容易くできた。


「さて、動くとなれば酒保商人も、従軍神母も必要となります」

「酒保商人は、あの、なんだっけ。ファウストが前に紹介してくれたポリドロ領の御用商人がいるじゃない。彼女でいいでしょ」


イングリット商会。

ポリドロ卿が私とヴァリエール様に紹介してくれた、中肉中背の女が脳裏に移る。

ヴィレンドルフへの和平交渉時にも同行していたな。


「それでは、酒保商人は彼女で良いとして、すぐにイングリット商会にも連絡します。目ざとい商人の事です。帝都までの交易護衛をしてやると言えば、すぐにでも飛びついてくるでしょう」

「お願いね。従軍神母は……まあ、ケルン派に依頼しに行くとして」


手が上がった。

ポリドロ領の教会において、助祭と呼ばれる人物の筋肉質な手である。

メイスを奇声とともに叩きつける毎日の鍛錬を忘れていない、武骨なる手である。


「私が行きます!」

「……じゃあそれで」


ヴァリエール様は、おそらくケルン派に頼んだところで、帝都までの旅に派遣されるのは若い聖職者であろう。

どうせならば、気心の知れたポリドロ領の聖職者が良い。

そう考えて、応諾したと思われる。


「ザビーネ、あと何が足りない?」

「色々と足りませんが。まあ、最悪は道中で掠奪すればよいだけです」


我々は兵隊なのだから、最悪はそこら辺の村を掠奪すればよいのだ。


「良いわけないでしょ。そもそも私は皇帝陛下にお呼ばれしたわけじゃなく、次代のアンハルト選帝侯の妹としての立場しか無いし……。通過する土地の領主からのお呼ばれも、何もかも断って一直線に行軍するわよ」


まあ、ヴァリエール様はたとえ合法だとしても、掠奪など好む人柄ではない。

それを知っている私は、そんなヴァリエール様が大好きである。

それでいてヴァリエール様のため、自分の為ならば、どんな畜生働きをやったところで心が痛まない。

自分でも奇妙に思える。


「まあ、そんな私を必要とする現状が、今の帝都では起こってるんだろうけどね」


昇進といった報酬が約束されているならば、ある程度は働いてやるさ。

私はそんな事を考えながら、何が足りないのか指折り数えているヴァリエール様の短躰を愛おしく見つめた。


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近況ノートにて報告ありますので、よろしくお願いします

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