第147話 あとしまつ

「ファウストは完璧に仕事を果たした」


アスターテは、静かに呟いた。

決して大仰な表現ではなく、確かに仕事を達成したのだ。

テメレール公を心身ともに打ちのめした上に、彼女が隠している全ての情報を明かした。

目的は全て果たされたのだ。

これで仕事をしていないなどと誰が言えようか。


「テメレール公はもはや敵対者ではない。私たちの言うことに――いや、厳密には『ポリドロ卿が言うのであれば仕方ない』という形を彼女は踏まえるだろうが。当初の目的通り、私たちはテメレール公を屈服せしめた。完全な勝利だと言えるだろう」


分析するかのような、我が従姉妹の言葉を聞く。

全て事実である。

何一つ間違っておらぬ。

なれど。


「ただ一つ、問題が。それは、私たちがテメレール公をくだらぬ老猪と侮っていたことだろうか? 彼女の信念を見間違えていたことだろうか?」


未だ寝台に伏せており、この場にはいないテメレール公。

彼女が明かした全ての事。

ついに明らかになった遊牧騎馬民族国家の国号たる「モンゴル」について。


「もちろん違う。彼女がただの盲猪でないというのならば、それはそれで良い。今後は強力な支援者となってくれるだろう」


テメレール公はよくもまあ、というほどに情報を手に入れていた。

モンゴルが実務官僚に異邦人を大量に抱えざるを得ない現状を上手く利用し、内部に多数の部下を潜ませている。

帝国に征西する軍団の規模も、軍の編成も、侵略ルートも、侵攻目標も、何もかもを掴んでいた。

あの猪はそういった手練手管に異様に長けている。

大規模な遠征や、神聖グステン帝国領邦内以外との戦役経験があるのだ。

これは喜ばしいことで。


「では、問題とは何か? 全員が理解はしているよな?」


アスターテが周囲を見回して呟く。

私の長椅子の前、その机の向かい側に座るヴィレンドルフ選帝侯カタリナ。

彼女が、朴訥じみた表情で答えた。


「テメレール公とレッケンベルが友誼的な文通相手であったなどと知らず、私があの猪公を殺そうと目論んだことか? あれは拙かったであろう。ヴァルハラのレッケンベルが頭を抱えていそうだ」


別にそんなことどうでもよいだろう。

私はカタリナの言を否定する。


「何も弁解しなかったテメレール公側に原因があるのでは?」

「人の心がわからぬ私とて、そうとは思えぬのだが……。よく考えれば、テメレール公が私に対して敵対的姿勢であったのは、レッケンベルの愛情を死ぬまで理解できず、何も知らずにいた私への敵意からであって。私がもう少ししっかりしておれば。人の心を理解できていれば」


カタリナは理屈で考えるのが悪いのだ。

基本的には相手が悪いと考えれば良いのだ。

自分は此の世全てにおいて完全な正義であり、それを邪魔する者は悪ととらえる。

私は相手の物を掠奪してよいが、相手がこちらの物を盗んだなら泥棒であり殺して何もかも奪ってよい。

そのような心持ちで生きていれば、もう何もかも相手が悪いと断言することができる。

それくらい自由に考えるべきである。

私はそうカタリナに諭す。

カタリナは訝し気に答えた。


「お前はお前以外の、他人の気持ちとか考えた事があるのか?」


誰もが自分の役割を果たすために一生懸命に生きていると考えれば、そのような事は口にできないはずだ。

感情があまり理解できない冷血女王カタリナはそのような事を口走る。

みんな一生懸命生きているんだぞ、と命の尊さを訴えてくるのだ。

大丈夫かコイツ。

なんかレッケンベルが絡むと、前後の判断が覚束なくなるようだが。


「自分の母たるリーゼンロッテすら、私にとっては私と妹たるヴァリエールを産み終えるという役目を終えた老婆にすぎず、それはもはや他人よ」


ファウストの子が産みたいと。

あの32歳の母が馬糞ほどの価値もない戯言をほざいたときに、私はそう決めたのだ。

これは当然の帰結と言えた。


「え、いや、母親は大事にすべきであると」


カタリナは訝し気に呟くが。

カタリナも母親とはレッケンベルの事で、本当の自分の母親などどうでも良いと考えているだろう。

自己矛盾に気付いてないだけで、そもそも彼女はヴィレンドルフの継承権争奪において実姉も実父もその手で殺している。

産みの母の名すら覚えていない毒親持ちのお前が何をほざこうというのか。

自己矛盾は感じないのだろうか?

感じないのだろうなあ。

所詮我らは腐れ外道なのだ。

このアナスタシアとカタリナの差はそれを理解しているかしていないかの差に過ぎぬ。

そう把握できたが、まあ突っ込まない。

代わりの言葉を叫ぶ。


「人は生まれた時から一個の人間たる資格があるのだ。お前はそれを分かっておらぬ」


独立独歩の人間であるのだ。

だから、私はあの『お前の惚れた男の子が産みたい。次女の婚約者であるファウストとの子が産みたい』などと戯言をほざく母の事は認めぬし。

なんなら、殺す権利すらあるのだと。

母殺しの権利すら産まれもって所持しているのだと。

私はそう考えている。

そして、宣言した。


「私は私の母親を詐称し、あのリーゼンロッテ女王とか名乗りながら玉座でふんぞり返っている32歳のババアを殺してやりたい」


今の現状を考えれば、そんなことをしている余裕は全くないのだけれど。

カタリナは信じられない目をして――だが、少し諦めた顔で答えた。


「いや、まあ、うん。そうしたいなら好きにすればよいが……」


隣国にして仮想敵国たるヴィレンドルフ選帝侯カタリナにとっては、極論どうでもよい話ではあった。

大丈夫だ、私はあと4年もすれば、20歳になりさえすればだ。

あの婆の能力を超えていると思うのだ。

上手く国を回せるので何も問題ないと続けて言おうとして、困ったようにしてアスターテが話を遮った。


「話がずれている」


確かに話はずれており、馬車は横転していた。

アスターテが大柄な体でぱん、と手を合わせて、室内に響く音により焦点を戻す。


「困るのは、カタリナ女王が懸念するようにテメレール公をぶち殺しかけた事ではないし、叔父ロベルトが亡くなってから寝台を寂しくしている叔母上の事でもない。というか、叔母上がこっそり子供産むくらいは認めてやれ」


アスターテはどうしようもない変態だから、母がファウストの子を産んでも良いなどと考えるのだ。

彼女は指を、二つだけ立てる。

その二本指の意図は理解している。


「テメレール公の予想では、モンゴル侵攻まであと二年しかない。あまりにも時間がなさすぎるだろうに」


話の焦点を合わせる。

私は人差し指を眉間に当て、少し力を込めた後に。

小さく呟いた。


「もっと他にも問題は――ないか」

「ないな」


カタリナが合わせてくれる。

他に問題はあるが、それは短期的な問題であり、モンゴルが二年で来るほどの大きな話ではない。


「教皇が裏切った? 殺せばよい」

「皇帝が裏切った? 殺せばよい」


二人合わせて呟く。

それだけだ。

邪魔をするならば、我々を売りとばしてまで権力を保全しようと考えるならば、そいつを殺して地位も名誉も権力も財産も土地も何もかも奪ってしまえばよかろうなのだ。

騎士としてあるならば当然の事。

自己救済の権利――暴力を行使する。


「そうだ、何の問題もない。短期的に最初にすべき行動としては、テメレール公の情報が真実本当であるか精査の必要がある。彼女が抱える神聖グステン帝国の内実の情報も、モンゴルの情報も」


本当に教皇は裏切ったか?

本当に皇帝は裏切ったか?

テメレール公の予想と情報は何もかも正しいのか?


「テメレール公は嘘を吐いたと? 私はテメレール公の証言を信じているが」

「私も信じているよ、カタリナ女王」


もう一度、アスターテが両手を強烈に叩いた。

その反動で大仰に手を開きながら、犬歯を覗かせて口を回す。


「だが、彼女が信じていても、それが真実とは限らぬではないか。私たちがテメレール公とレッケンベル卿が友誼を結んでいたなどと知らなかったように。それに、皇帝や教皇を殺すとなれば簡単ではない。いや、殺すだけなら簡単だが」

「後始末に困るな」


殺すのは良いのだ。

だが、殺せば皇帝領や司教領といったものの奪い合いや、帝国の混乱は避けられぬ。

殺すこと自体に問題は無いと口にしてしまえるが、どうしても後始末は必要であった。


「殺す理由が必要だ。殺す権利を持った人間が必要だ」


自己救済がための暴力を行使するならば、最低限の面子は整える必要がある。

面子――体面という意味で、そして人手という意味で。

少し考え、口に出す。


「まあ、裏切ってないことを祈りつつも、手配は必要となるだろうな。ヴェスパーマン家を使うか」


アンハルト王国の諜報統括たる名を口にする。

今は帝都の情報収集を行わせているが、テメレール公からの情報を照査させるべきである。

それと――可能ならば密殺する方法も。


「ザビーネを使え」


そう口を開いたのは、アスターテではなくカタリナであった。

何故、彼女がウチの妹の親衛隊長の名なんか出すんだ。


「なんでザビーネ?」

「アイツもファウストの妻となるならばキチンと働いておくべきだ」


しれっと呟く。

あの気狂いがファウストに懸想していることは知っているが、それは置いといて。


「嘘を吐くな」


カタリナが彼女の名を口に出したのは、そういう理由ではないことはわかっている。

顎で促して、訂正させる。


「じゃあハッキリ言おうか。敵国として言ってやる。貴様の所のヴェスパーマン家は役に立つとは思えん。あの紋章官家、結局我がヴィレンドルフの諜報を一度も破れなかったではないか。そして、私はあの気狂いザビーネの方がそう言ったことに『強烈に向いている』と考える」

「――そう」


何か言おうとして、止めた。

カタリナが、そういう評価を下した理由は全て正当である。

私とて、ヴェスパーマン家自体は情報網だけでしか評価しておらず、今の家長たるマリーナも私と合わせて成長していけば良いと考えただけで。

マリーナは別に働かせてやるとして、ヴェスパーマン家自体は別に潰してよいとも考える。


「使うならザビーネを使え。お前の妹が抱えている銃兵隊ごと、今すぐ帝都に呼び寄せろ。諜報も、教皇や皇帝を殺すのもだ。ヴィレンドルフとて協力はするつもりだが、私はあのザビーネという女を見込んでいる。お前が使っているヴェスパーマン家よりもな」


確かに、ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンは能力だけ見れば申し分がない。

諜報員としての教育を受けており、人殺しとしては十分である。

だが気が触れている。

同時に、気が触れているのだから、そこらの教会に忍び込んでカモを盗んで奪い取ってくるぐらいの感覚で。

教皇だろうが皇帝だろうが、あっさり殺すだろう。

公に殺すならばファウストを突撃させれば、それで済む話となるが。

密殺するのであれば、ザビーネが都合よい。


「……そうね」


さて、問題はヴァリエールである。

どうも、最近は母もどきのリーゼンロッテ女王などは「今日はお空が綺麗だったから」という理由で殺してしまいたくなってしまうのと裏腹に。

無性に妹として甘やかしたくなってしまう時がある。

私も気弱になったのだろうか。


「カタリナの言う通りにしてもよい。けれど、使い潰しはしない」


ヴァリエールの大事な部下を、一方通行の銃弾にしてしまうのは拙かった。

ザビーネを使うのは良いが、それなりの待遇が必要である。

それと――


「そして、ヴェスパーマン家にも最後のチャンスを与えるわ。どうせなら使い潰す」

「ザビーネさえ使えれば、私は文句などない」


カタリナは冷血女王の表情ままにして、何一つ微笑まずに頷く。


「……選帝侯同士の話がまとまったところで、じゃあ長期的な話をしようか」


それとは対照的に。

アスターテが少しだけ微笑んだ後に、私たちの前のテーブルに資料を広げた。

さて、長期的な話をしよう。

モンゴルの侵攻をどう排撃するのか。

ファウストが仕事を成し遂げたのだから、後は我々の仕事であった。

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