第130話 desdichado(勘当者)
堡塁内部はやや薄暗い。
たまに鎧戸はあれど、そもそも防御用の要塞であるのだ。
採光、そして外気を最低限取り入れるためだけの鎧戸であり、華美なステンドグラスなどどこにもありはしなかった。
世界は薄墨色である。
我ら三人の靴音だけが響き、静寂に包まれている。
はて、この堡塁は大きいけれど、そろそろ――
「ポリドロ卿、人影が」
このような事を口にするまでもなく、ポリドロ卿ならば気配だけで気づいているだろうが。
鎧戸のささやかな採光。
その光によって影が伸び、地面に人の形が描かれているのだ。
大柄な女騎士がいた。
いや、騎士か?
『明けの明星』、ようするにモーニングスターといわれる鈍器を手にした人間が立っている。
甲冑姿から見るに、間違いなく騎士ではあるのだが――様子が少し違う。
所属や身分を証明するために刻む盾の紋様、そこにはテメレール公家の紋章でもなく、さりとて彼女の家紋でもなく『desdichado』という文字が記されているのみ。
このアレクサンドラ、アナスタシア様に無理やりに親衛隊長にされた立場なれど、多少異国語の心得があった。
「恥さらし? いや、臆病者?」
西方の海洋国家の言葉にて、そのような意味があったはずだ。
「違うね。勘当者って読むのさ」
恥さらしも勘当者も、大差ないではないか。
そのように考えるが、まあ理解する。
「要するに、家から追い出された元騎士の出身であるのか。西方の海洋国家から参られたと推察する」
「ご名答」
彼女は悪びれた様子もなく答えた。
「家から叩きだされて、家名すら名乗れない騎士なのさ。流れ流れてテメレール様の領地に辿り着いた、要するに強盗騎士だな」
「強盗騎士か」
ポリドロ卿が、少し興味ありげに呟いた。
戦時には傭兵として戦い、平時には強盗を行って生計を立てる存在。
紛うことなきロクデナシであるが、まあ騎士身分であっても金が無ければ食べてはいけぬ。
人殺し、掠奪、男をさらう、農民や市民を奴隷として捕まえて売り払う。
戦の際には教会を見つけ次第「貯金箱だ!」などと叫んでは全てを掠奪して火を放つ。
世間では良くある話である。
このアレクサンドラとて、戦における敵領地とあれば教会を見つけ次第「貯金箱だ!」と叫んで襲うだろう。
教会が貯金箱なのは騎士界隈の常識であるのだ。
違うのは、火薬と塩しか倉庫に無い気狂いのケルン派教会ぐらいのものだ。
火をつければみんな諸共爆発して死ぬから、暗黙の了解で誰も襲わないのだ。
「これでも、昔は傭兵やってたんだぜ。領主が軍役で不在の領地を襲ったり、司教領を襲って坊主の財産を掠奪したり、上手いことやってたんだ」
鼻を鳴らすような声。
勘当者――勘当騎士とでも呼ぼうか。
神に認められぬ自分の罪を、どうでもいいように勘当騎士は語る。
そして、やはりどうでもいいように、開始の言葉を告げた。
「じゃ、やろうか」
彼女は、甲冑姿にして右手にモーニングスター、左手に『勘当者』と書かれた鋼鉄製の盾を構えている。
ポリドロ卿は問う。
「まだお互いの名乗りを上げていないが? これは決闘であり、戦場ではない。前口上ぐらいは述べてもらいたいものだ」
勘当騎士は答える。
「すでに名乗った。私は『狂える猪の騎士団』の一員、ただの勘当者である。家名は捨てたし、名などテメレール様一人が知っていればよい。我が団の超人騎士達とて、私の名前は『勘当者』としか呼ばぬ」
無茶苦茶である。
だが、その放埓が、かえってポリドロ卿の興味を引いたようであった。
「ならば、何故貴女が『勘当者』を名乗るかを問いたい。貴女も先ほど、私がテメレール公に呼びかけた言葉を聞いていたと思うのだ。テメレール公は本当に神聖グステン帝国の皇帝位を目指すに値する存在かを、貴女の部下に問い掛けるぞと」
「確かに聞いた」
勘当騎士が頷いた。
ポリドロ卿の大音声は、堡塁内部におろうが兜を被ろうが、全てのものに聞こえたはずである。
「で、あるならば。私はテメレール公の部下がどのような者たちであるのか。それを知る権利がある。なぜあなたは『勘当者』という名前に固執するのか。それをお聞かせ願いたい」
勘当騎士が、少し黙り込んで。
「いいだろう」
やがて、渋々と語りだした。
「ちいとばかし昔の話だ。今じゃ少しは違うらしいが、私がいたころの出身国は地獄みたいでよう。ああ、横の背高のっぽのお前、名前は」
「アレクサンドラだ」
「アレクサンドラ、お前異端審問って知ってるか? 魔女狩りとかじゃねえぞ」
知ってはいる。
アンハルトとて、放浪民や、神にまつろわぬ民はいる。
わが国では、今は亡きリーゼンロッテ女王陛下の王配たるロベルト様の努力によって、なんとか共生の道を探してはいる。
西方の海洋国家では、特別『酷いこと』が行われたようだが。
「……知っている」
「私の子供の頃なあ、一人の友人がいたんだよ」
知ってはいるが。
お前の過去などどうでもよいというのが、私の本音である。
あまり愉快な話ではないだろう。
そう思うが、ポリドロ卿が手を横に伸ばす。
黙って待て、と言いたいのだろう。
「私の友人は、邪悪な信仰に固執して贖罪主を殺した、いわゆる神殺しの民なんて言われる異端者でよう。まあ、その異端者にはわりといる金貸しのところの子供でな。家が貧乏騎士でそいつの家から金借りてて、いつもそこんとこの子供が利息の取り立てに来るんだよ。私とそいつバカだから、その金いくらかちょろまかして、いつも二人して市場で串肉食ってたり、アホなこと一緒にやってつるんでたんだよ」
このような勘当騎士の話聞いて何か良いことあるのか?
そういった目線を送るが、ポリドロ卿は沈黙している。
兜を被っているため、表情は窺い知れない。
「貧乏騎士家の長女と、高利貸しの長女の、奇妙な友情ってやつだよ」
ポツリと、勘当騎士が吐き捨てた。
少し、黙る。
だが本当に少しだけで、再び口を開いた。
「そろそろ、私が家を継ぐって頃かな。まあ、なんだ。ずっと長い間、この世の地獄みてえな国で続いてた戦争が終わってさ。そろそろ貧乏騎士家にも明るい未来が見えてきたかなって思えた頃にさ。ある日、そいつが。高利貸しの長女が、家に利息の取り立てに来なくなってよう」
話の流れは読めている。
「仕方なく探し回って。やっとこさ見つけたら、そいつ首括られて火刑にされてたよ。そいつの両親も、妹も、家族みんなまとめて火炙りにされてたんだ」
西方の海洋国家、そこで異端審問と称される『酷いこと』が起きた。
異端である「神殺しの民」への強制改宗運動。
それとて酷いことであろうが、異端ではない、このアレクサンドラにとってはあまり気にするところではない。
眉を顰めるのは、そこではないのだ。
先ほどから、眼前の勘当騎士が口にしている内容は――
「要するに戦争が終わったから、次はアイツら『神殺しの民』だって事だったんだよ。昔の流行り病は聖体冒涜を繰り返すアイツらのせいに違いないとか。まあ、正直理由なんてなんでもよかったんだと思う」
異端審問という名の虐殺である。
アンハルトでは起きなかった異端者への大虐殺が、勘当騎士の国では起きたのだ。
理由は一つだ。
異端者を皆殺しにして、その財産を没収したかったのだ。
「高利貸したちを異端審問によって社会的に抹殺できれば債務が帳消しになるって考えが本音だと、私は知っているんだ。戦争で抱えた借金を返したくなかっただけだと知ってるんだ」
そして勘当騎士の言う通り。
教会を貯金箱だと笑いながら掠奪し、火をつける騎士と同じ理由なのだ。
金が絡めば、誰もが信仰などに価値を見出さなかった。
「私の友人を火にくべた神母が言うんだ。安心しなさい。貴女の友人は異教徒として死んだわけではありません。異端者としての罪全てを告解したのです。この火刑は霊的救済のために行われたものです、と」
勘当騎士の、歯軋りの音が聞こえた。
「そうだな、神母の仰る通りだ。私の友人の遺骸には、確かに拷問の跡があった。生きながらに火にくべられたのではなく、異端審問により酷い拷問を加え、家族を売るような告解と神に対する懺悔を無理強いされ、証言をとれたと分かれば家族全員皆殺しにして火にくべたのだと、ハッキリと理解できたよ」
ごり、と音がした。
首の骨を鳴らす音だ。
「私は何もできず。泣きながら家に帰ったよ。そしたら、母親が言うんだ。こう言ったんだ。高利貸しのクズめがくたばった! これで借金を返さなくてすむ!! そうほざきやがったんだ」
首の骨を鳴らしたのは、ポリドロ卿であった。
話に飽きたのではないだろう。
優しい男であるのは、マルティナ・フォン・ボーセルの助命嘆願の時に十分理解させられている。
「だから、私は母親を殴ったんだ。皆くたばりやがれって言って、泣きながら」
私にとっては、まあそういう悲惨な話もあろう。
それで済むのだが、横のポリドロ卿はめっきり同情してしまう。
だから、あまり聞かせたくなかったのだが。
「出て行けって言われたよ。あの神殺しの民とともに、この家から、国から出て行けって言われたんだよ。だから私は家からも国からも叩き出された『勘当者』なんだよ」
彼女は過去を懐かしむように語りながら、呟き捨てた。
「そうこうしているうちに、いつの間にか強盗騎士になってた。最後にテメレール様の領地へ入ったのが間違いだった。いや、良かったのか? 良かったんだろうな」
話が終わる。
私は頃合いを見計らうようにして、ようやく口を開くことができた。
「テメレール公にぶちのめされたのか?」
「ぶちのめされたとも」
へっ、と鼻で笑う。
狂える猪の騎士団。
アナスタシア様とアスターテ公爵が必死に駆けずり回って調べた限りでは、なんとも無茶苦茶な騎士団である。
テメレール公領の生まれでない者どころか。
神聖グステン帝国の生まれですらない者とて、当たり前のようににいる。
「テメレール様が先陣を切って指揮官突撃してきて、その一撃だけで見事にぶちのめされた。配下の全員が死に物狂いでテメレール様のケツにくっついて騎馬突撃してきやがって、私の傭兵仲間なんか全員轢かれて死んだよ。まあ、今じゃ同じようにテメレール様のケツにくっついてる私が文句言うことじゃないかもしれんがね」
私に聞かせたいのか、ポリドロ卿に聞かせたいのか。
それとも、ただの独り言か。
「私はテメレール様に言ったよ。負けだ。私は罪人だ。強盗騎士なんて名乗っても、どう考えてもぶち殺されて仕方ないことをしてきた犯罪者だ。アンタの領地を襲った以上、どのようにされても仕方ないだろう。好きにしなと。だけど――」
どちらかは分からないが、少しだけ。
ほんの少しだけ、勘当騎士は楽しそうに呟いた。
「言われなくてもそうするだろうが――私の死体は火にくべて燃やしてくれないか。墓になんぞ埋めないでくれ。そう地面に倒れ伏しながら、お願いした。テメレール様は答えたよ」
「何と?」
ポリドロ卿が、興味深げに呟いた。
勘当騎士は答えた。
「テメレール様はこう言ったよ。そうしてもよい。死にゆく者の望みならば叶えてやってもよい。だが、我が領地においては一つルールが存在している。お前は知らぬであろうから、教えてやろう。テメレール領に存在する全ての人において、才能があるのに私に仕えないやつは有罪である。異端者、異邦人、何の神をあがめようが、どのような出自であろうが、そのような『どうでもよいこと』を問わぬ。お前、私にぶちのめされてまだ生きているなら見込みがある。超人ではないか。私の配下に加われ、と」
そう、楽しそうに答えた。
ポリドロ卿は、また、何を悩んでいるのかわからないが。
ごきり、と首の骨を鳴らした。
勘当騎士は、それを合図にしたようにして呟いた。
「だから、私は『勘当者』であり、テメレール様の『狂える猪の騎士団』の超人騎士として仕えている。以上だ。ファウスト・フォン・ポリドロ卿、テメレール様が神聖グステン帝国の皇帝の座にふさわしいか、ふさわしくないか。よくよく私の言葉を嚙み締めた上で考えろ」
「ああ」
また、ごきり、と。
ポリドロ卿は首を鳴らす。
やはり、ポリドロ卿の表情はわからない。
「まあ、私はあの人、無茶苦茶過ぎて皇帝なんか絶対駄目だと思うがね。男嫌いだから子供作らないとか言うし、頭下げるの死ぬほど嫌いだし、控えめに言って糞みたいな女だ。イカれてるよ」
逆に、勘当騎士が何を考えているのかはわかるのだ。
先ほどの過去へのさもウンザリとした発言と違い、彼女の言葉は。
「でもそれは別の話さ。自分が死に物狂いで仕えるに値する相手だと認識して、それこそ自分の命を擲っても良いと気狂いの猪になれるかどうかは、全く別の話さ。さあ勝負しようか、ファウスト・フォン・ポリドロ卿」
テメレール公への、至上の忠誠に満ちているのだ。
ポリドロ卿はゆっくりと、背中の鞘からグレートソードを引き抜いて。
それを斜め下に構えた。
決闘が開始された。
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