神聖グステン帝国編 下
第129話 年増猪との問答
堡塁の門は、ポリドロ卿によって粉々に打ち砕かれた。
だが、木々の破片や閂などは、もはやそこには在らず。
テメレール公の兵士により片付けられており、門は開け放たれている。
その兵はというと、全てが堡塁から出てきていた。
「準備は整った!」
私は、アレクサンドラはただ、見届け人としての役目を全うしようと考えている。
「兵は見ての通り、堡塁の中から外へと出した。ファウストよ! ファウスト・フォン・ポリドロよ! 愚かしくも、貴様は『狂える猪の騎士団』に勝負を挑んだのだ! 覚悟は良いな」
「承知! 覚悟などとうに済ませている。このファウスト、騎士として死に物狂いでなかったことなどないわ!」
「ならばよい。ならばよいのだ」
テメレール公は、何か感慨深く呟いた後に。
微かに。
このアンハルト王国第二の超人から見て、明らかに今までとは何か違う雰囲気を見せた。
レッケンベル卿を殺したポリドロ卿への、憎悪に満ちた表情ではなく。
何かの勝利を眼前にした、自信にあふれた誇らしげな顔ですらなく。
ひたすらに真顔であるのだ。
ぞくり、と。
嫌な予感が背筋を伝う。
考える。
なぜ、一筋の汗が背中に伸びたのか。
今のテメレール公からは、何か違うものを感じたからだ。
以前の、ポリドロ卿を私の目の前でくだらぬ男騎士と見下した時の。
あのただの愚か者としか、小物中の小物としか見えなかった存在ではない。
もっと大きな、何かを背負うものとしてそこに存在しているのだ。
「お前の望むとおりにした。私が領地から連れてきた『狂える猪の騎士団』でも最強の超人6人を堡塁の各所に配置している。その全てに挑み、勝利せよ。そして、屋上にいる私のところまで登ってこい」
テメレール公は、今のところポリドロ卿の望むとおりにしている。
それは疑いないのだ。
何も謀る気配はなかった。
なれど、この不安はなんなのだろうか。
「なれどなあ、ポリドロ卿」
それがわからないのだ。
しかし、友人である私が分からないことに対し、敵であるテメレール公は分かっているように呟くのだ。
「なるほど、私は確かにお前を侮辱していた。私はお前を舐めていた。それは認めよう。なれど、先ほど口にした言葉は本物か? 本当に死に物狂いであるのか? このテメレールと比べて、本当にお前が死に物狂いであると言えるのか? それは疑わしいな」
テメレール公は、わかった風な口を叩いている。
生命の危険に至り、半ば詰みまで追い詰められて、やっとテメレール公はその本領を発揮しつつあるのだ。
アスターテ公爵に言わせれば、あの年増猪は危険を眼前にすれば、ようやく頭が狂ったように回りだすとのことだ。
「テメレール公が何を言いたいのかが、わからぬのだが」
「ポリドロ卿。私は貴様のことが大嫌いだ。だが、私は何もお前のことを知らぬというわけではない。レッケンベルを倒したと、仮初にもそんな話を聞いた。だから、よくよく調べたのだ。お前の毀誉褒貶ある英傑譚を聞いたのだ。そして、やはりお前はレッケンベルにはとても及ばぬのだ」
ポリドロ卿が、訝し気な顔をする。
テメレール公は朗々と喋り続けた。
「お前は今までよくやってきたのだろう。領民300名の小さな辺境領主騎士としてはだが。民が大切だろう、領地が大切だろう、母の名誉が大切だろう、何もかもを守るために生きてきた。きっとお前は、男ながらにして一騎当千に値する騎士なのだろう。でも、それだけじゃないか」
「それの何が悪い。テメレール公、選帝侯に次ぐ強力な諸侯の貴女とて領主騎士には変わらぬ。民と領地と祖先の名誉以上に大切なものなどこの世にはどこにもない。自分の所有物であり、存在意義たるそれら全てを愛して何が悪いのか」
「お前ごときと一緒にするな!」
突如、激発する。
いくら冷静になったところで、テメレール公の性格ばかりは変わらぬ。
「レッケンベルと比較するとあまりにも小さい。このテメレールと比べるとあまりにも小さい。貴様、別に神聖グステン帝国自体がどうなろうと、知ったことではないというのが本音だろう。貴様の領地さえ守れればそれでよいのだろう。アンハルトも、ヴィレンドルフも、帝国も、守るとすれば、そのついでにすぎぬ」
「……」
ポリドロ卿は、少し沈黙し。
やや苦し気に答えた。
「それの何が悪い!」
「悪いな。はっきりと悪いな。嗚呼! 何も悪いことはしていないなどと、平気で嘯けるそのお前の根性が何より悪いとも!!」
私は眉を顰めた。
ポリドロ卿と同様に、テメレール公が何を言いたいのかがよくわからぬ。
もっともわからないのは。
ポリドロ卿が、何やら苦しそうな表情をしていることである。
あの年増猪が何を言いたいのか、この場では彼にしかわかっていないかもしれない。
何が悪いのか。
それが、このアレクサンドラにはとてもわからぬ。
「出しゃばりすぎなんだよ。小僧風情が。お前だけではない。あの人肉食ってそうなアンハルトも、あのレッケンベルの乳母日傘で育ったカタリナも、誰一人として帝国のことなど何も考えておらんではないか。自分の領地さえ無事であれば、それでよいとばかりに生きている。誰もが自分の都合だけで生きている」
それの何が悪いのだ。
自分の都合で勝手に生きる権利がどの貴族にも有り、その責任など自分の権益以上に求められるべきではない。
このアレクサンドラとて、将来領主騎士になれたのであれば自分の領地が最優先である。
アナスタシア様への忠誠は誓えども、契約以上の義務などあるものか。
だが、年増猪にとっては違うようである。
「お前らにだけは絶対に頭を下げなどするものか。私はシャルロット・ル・テメレールである。私こそが神聖グステン帝国皇帝という至高の座にふさわしいのだ。自分の父の死を今でも嘆いているような、私の年齢半分やっとの拒食症の餓鬼を皇帝の座に据えて、強大な遊牧騎馬民族国家にどうやって勝てるというのか」
テメレール公は、もはや私たちすら眼中にないようにして。
声量を落としながら、独り言のように呟く。
「もうそれしかないんだ。私以外に誰がいるんだ」
本当に、何か。
「お前らは本当に神聖グステン帝国の現状が、何もわかっちゃいないんだ」
自分に対して言い聞かせるような言葉であった。
「話を戻そうか、ポリドロ卿よ。お前は挑戦者である。なれば、どうせなら挑戦者としての格があって欲しいものだ。お前が本当に死に物狂いであるのか? このシャルロット・ル・テメレールと比べ、本当に必死であるのか。少しでも疑問に思ったならば、よくよく考えることだ」
ここで、私は少し判断に困る。
はて、あの年増猪は間違いなく小物である。
ポリドロ卿は侮辱してるし、性格は酷いし、頭を下げないし、どう考えても小物だ。
小物であるはずなのだ。
彼女をまともに評価している人間がいるとすれば、それは才能狂いのアスターテ公爵ぐらいのものであろう。
ポリドロ卿の尻を撫でるのが大好きな変態公爵ぐらいしか目に留めていない。
小さく呟く。
「結局、あの女は何を知っているんでしょうか?」
年増猪の背景が分からぬ。
アナスタシア様はどうにも手に入らぬ神聖グステン帝国の内情から判断に迷ったし。
カタリナ女王は、もういいやと面倒くさくなって、ぶち殺そうとした。
まあ、それは失敗したけれど。
「……」
ぽん、と私の肩が、優しく叩かれた。
ポリドロ卿の手であった。
彼は優しくささやいた。
「直接聞けばよい」
結局、それが一番良い方法なのだろう。
解決方法は単純で簡潔なのが良い。
今のところ、ぶん殴れば相手は従うという単純な話になっているのだから。
ヴィレンドルフ客将、東方人のユエが抱えてきた兜を私に渡してきた。
「ポリドロ卿、兜をお付けいたします」
「自分でもできるのですが」
「私がやりたいのです」
従者の真似事をするのは、いつぶりであろうか。
私は身長2mのポリドロ卿が屈みこむのを待って、兜を両手に持つ。
「……まあよいか」
ポリドロ卿は屈みこんだ。
私は兜をしっかりと被せ、接続具を嵌め込む。
完全武装のファウスト・フォン・ポリドロ卿を見て、一つ息を吸う。
猪突公なぞ何するものぞ。
「貴方が負けるわけないのです」
彼の耳元で囁く。
そんなことは、ヴィレンドルフ戦役を共にした私が一番よく理解している。
いざ戦場となれば、一人で数十の重装甲騎兵を屠る強力無比な騎士であり。
そして、一騎討ちであれば勝てるものなど、神聖グステン帝国中には何処にもいないのだ。
「……さて」
ポリドロ卿は、私の囁きに少し微笑んだ。
そして立ち上がり、アンハルト最強の騎士として叫んだ。
「テメレール公よ。実のところ、貴女が何が言いたいのか、このファウストに完全にはわからぬ。生まれつき頭がよろしくないのだ。それは申し訳なく思う。なれど、貴女ばかりが私に覚悟を問い掛けるのは如何なものか!」
その叫びに対し、テメレール公は奇妙な反応を見せる。
「ほう」
怒りではなく、拒絶でなく、それは関心による返答に思える。
テメレール公は言葉に愉悦じみた声色を交えながら、叫び返した。
「お前が私に覚悟を問うと言うつもりか?」
「いや、貴女ではない。部下は上司の鏡というではないか。『狂える猪の騎士団』に問おうではないか。貴女の騎士団を、私はこの剣を以て今から撃ち破ることとなるが」
ポリドロ卿は、背中の剣帯に帯びているグレートソードを抜き放ち。
大砲の弾を打ち返した時のようにして、テメレール公に差し向けた。
「その際に、剣を持って問おう。さて、テメレール公は本当に神聖グステン帝国の皇帝位を目指すに値する存在なのか。それを尋ねようではないか」
剣を差し向けられた、年増猪は答えた。
「よろしい。存分に問うが良い。私の騎士団に、彼女らに、私に侍っている犬どもは、人としては恥ずかしいものばかりなれど、私の部下にふさわしくないものなど一人もおらぬ」
そう呟き、剣を抜いた。
柄の長いレイピアである。
刺突用に見えるが、片刃はしっかりとついており、おそらく切り裂くこともできる。
刃渡りは異常に長く、ポリドロ卿のグレートソードと同じ長さ。
莫大な金と労力を投じた緻密な魔術刻印によって成立する、ゲテモノ武器である。
アスターテ公爵曰く、レッケンベル卿との一騎討ちはアレで渡り合ったと聞く。
「さて、言葉はもはや尽くした。戦おうではないか」
「よろしい」
堡塁の屋根にいる、テメレール公。
門前に立つポリドロ卿。
二人の剣先が、遠い距離なれど確かに重なり合ったように見えた。
「ポリドロ卿、ここで待つ。お前が私のところまでくらいは辿り着くことを望むよ」
「承知。それまでに、先ほどの問答における回答は導き出せよう。私の問いかけに対し、貴女の騎士団が全てを答えてくれるであろう」
お互い、最後の言葉。
両者が堡塁の屋根にて相対するまで、お互いに言葉を掛けることはもう無い。
「アレクサンドラ殿、ユエ殿、行きましょうか」
「わかりました」
「……」
私は返事をするが、ユエ殿が喋らぬ。
呆けたように、堡塁の屋根で佇む年増猪を見つめている。
「どうしましたか、ユエ殿」
「フェイロンに」
やはり、呆けたようにユエ殿が呟いた。
「私の故郷、フェイロンに、自分の土地だけでなく、自分の一族のためだけでなく。国家の滅亡に至るまで、国家内部の権益争いを続けるのではなく。本当に、ちゃんと全てを守るために自分が上に立とうという人間が――」
それは独り言のようであり。
私やポリドロ卿と違い、彼女はテメレール公が何を言いたいのか少し理解できるかのようであった。
私はそれが何か尋ねようとしたが。
「いえ、なんでもありません。早く行きましょう」
この東方人、自分が言いたいことだけを呟き捨てて話を打ち切ってしまった。
何かを質問しても、何が言いたかったのかは答えないのであろう。
少し苛つきながら、精神安定のために愛しいポリドロ卿の横顔を眺めようとしたが、すでに兜を被っている。
まあよい。
あの年増猪が何をほざこうが、横の東方人が何を考えようが、ポリドロ卿は負けぬ。
この堡塁にて待つ全ての騎士を討ち果たし、あの猪を月までぶちのめす。
そうして、アナスタシア様に屈服させる。
単純な事。
話はそれだけのことだ。
だが、このアレクサンドラとて超人の勘というものがある。
どうも、そう単純な話にはならないだろうし。
最強のポリドロ卿とて、容易には勝利を成しえぬだろう。
その予感がある。
我々三人は、テメレール公が占拠した堡塁の中に、ゆっくりと足を踏み入れていった。
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