第119話 カタリナとニーナ

「つまりだ。私に初子が生まれた場合、その名を我が母から頂き、クラウディアとするか。ファウストの母から頂き、マリアンヌとするか。それを悩んでいるのだ」


ヴィレンドルフの超英傑、クラウディア・フォン・レッケンベルの一人娘として。

私ことニーナ・フォン・レッケンベルは、義理の姉のようなものに言いたかった。

知らんがな、と。


「ニーナよ。お前も他人事ではないのだ。血こそ繋がらぬが、私はお前の母レッケンベル――クラウディアから、姉として認められているのだ。お前の最初の姪が、どちらの名を継ぐかは酷く大事なのだぞ」

「いえ、言いたいことは分かるんですがね」


そんなもん私に言うな。

ポリドロ卿と話せ。私は当事者ではない。

確かにポリドロ卿と、母クラウディアが愛したカタリナ女王陛下の血が混ざりあうのは既定路線である。

誰がどうしたところで、覆らない決定事項である。

私はそれを祝福する者である。

さりとて。


「いえ、ほんとポリドロ卿と話してください。私に言う事ではないです」

「そうは言うが、今馬車にはニーナと私しかいないではないか」

「いたら別の誰かに話すんですか? それ」


頭がどうかしてるんじゃないのか?

そう思うが、世俗に対してあまり興味を示さないカタリナ女王が妙に拘っている。

おそらく、自分の子に愛する母の名を与えるという未来に、少しばかり興奮しているのだ。

どうしようもないので話を合わせる。


「やはり、母であるクラウディアの名前をもらうべきでしょう」


母はヴィレンドルフの超英傑である。

歴史にその名を刻み込む強烈な超人であるのだ。

死してなお、その名の影響力はヴィレンドルフ内に強く、誰もが尊敬しているのだ。

カタリナ女王陛下の初子がその名を受け継ぐことは、その子の未来をも約束するとさえ思えた。


「うむ、言いたいことは理解している。国内の評判を考えればそうすべきである。だが、ファウストとて子供に自分の母の名前を付けたかろうと思うぞ」

「ポリドロ卿ならば、話せば意図を理解してくれるでしょう。そもそも、マリアンヌの名はポリドロ領を継ぐこととなる正妻であるヴァリエール殿下の子に引き継がれるのでは?」


ヴィレンドルフではあのような美丈夫の好青年を産んだ存在について、すっかり英雄詩になってしまっている。

ファウストという筋骨隆々の見惚れるような美しさに加え、カタリナ女王陛下の蒙を啓いた情熱の持ち主を育て切ったマリアンヌ・フォン・ポリドロと言う女性。

それに対する賞賛であふれかえっており、謁見の前でポリドロ卿が語られた言葉はヴィレンドルフの国民誰もが知るところとなり、涙を禁じ得ない。

あの良識人気取りの薄汚いアンハルトの貴族から爪弾きにされながらも、ポリドロ卿を必死に育てた母親なのだ。

賞賛されるべきであり、その名は残されるべきだった。

もし自分の子に、自分の母と同じ名を名付けられるとすれば、涙を流しながらに私は血を繋いだとポリドロ卿は喜ぶであろう。


「ヴァリエールの奴、その辺わかっていないところがある。私の子供、どちらの名にすべきかと相談したのに。それはカタリナ女王陛下がファウストと会話するべきであり、私が口を挟むことではありませんなどと」

「まあ正妻の立場について、正直大して意味はないのですが。さすがにヴァリエール殿下に尋ねるべき言葉ではなかった気もしますよ。あちらさん困ってましたよ」


今回の帝都ウィンドボナへの出発時、陛下はついでとばかりにアンハルトのヴァリエール殿下のもとを訪ねた。

私は現在、カタリナ女王陛下の騎士見習いの立場となっており、当然それにも付き従っている。

だが、あの時は少々ザビーネに辟易した。













「なんで産まれてくる子供の名前も考えていないのだ?」

「はあ」


カタリナ女王陛下が本当に不思議そうに幾つかの質問をぶつけるのに対し。

ヴァリエール殿下は困ったような返答をするのみ。

あまりにも覇気が感じられない。

人肉食ってそうと言われるアナスタシア王女の妹としては、あまりにも気迫が足りない。


「おまえ頭が幸せになってんじゃねえよ。今からそんなもん考えてんのお前ぐらいのもんだよ」


どちらかと言えば、あの横合いから口を挟んできた無礼な口調のザビーネという女。

第二王女親衛隊の隊長の方に、興味が湧いている。

硝煙の匂いが漂っている。

――銃兵隊?


「ザビーネか。お前の名は聞いている。銃兵隊を組織しているとも噂で聞いているよ」

「耳聡い事で嬉しいかぎり。まあヴィレンドルフは今は味方だからね。少なくとも東方の遊牧騎馬民族国家に対してはね。こちらの事情を知っているという事は良い事さ」


……評価が難しい。

この女、どうも礼法はもちろん美辞麗句も放てるくせに、あえて無礼な口調でカタリナ女王陛下に応じている。

おそらく、これで女王陛下は怒らない。

そこまで読み切って会話をしているのだろうが。


「ふむ。ザビーネ殿から見て、遊牧騎馬民族国家は来ると?」

「カタリナ女王陛下とて、そうお考えかと。いやー、私は自分の男の判断はある程度信じる事にしてるんだわ。どうしてそうなる? まではわかんないんだけど、ファウストがゲッシュ誓ってまで来ると判断してるんだよ。間違いなく来るさ」

「うん」


カタリナ女王陛下は、少し首肯した。

信じる者が予測した以上、信じるに足る。

そのような考えを、陛下は肯定する。

何故ならば、我が母クラウディアも『遊牧騎馬民族国家が征西する』と読んだからだ。

それは理屈ではなく、多分に超人感覚的なもので。

そして、母クラウディアを打ち破ったポリドロ卿もそう判断をしている。

これを疑えというのは、ヴィレンドルフの領邦民にとって難しい話である。


「レッケンベルが言うならば、それはもう確実と言っていいのだ」


カタリナ女王陛下が以前語った言葉について、誰もがそれを肯定している。

もし東方から征西があった場合、地理的にヴィレンドルフは神聖グステン帝国への玄関口になる。

いや、母は、クラウディア・フォン・レッケンベルの予測では先に――

アンハルトとヴィレンドルフを跨ぐ、北方の草原地帯。

その確保を目指すだろうとのこと。

抑えられれば、馬の飼料補給を確保された時点で、ほぼ確実に神聖グステン帝国は敗北する。

そのような考え。

そもそもがこのように勝ち目の薄い戦で、もし東方の遊牧騎馬民族に対して勝ちの目があるとすれば、それは遠征軍であること。

もちろん相手も補給線を重視してはいようが、本当に完璧とまでは言えない。

そこに活路を見出しているかのような、母にしては自信に欠ける、相手の力をそぎ取ったうえでの斬首戦術といったプラン――そんな思考を続けるが。


「で、カタリナ女王陛下さんよ。聞きたいんだけど、やっぱ皇帝陛下の座を簒奪するの?」

「ザビーネ!」


横のヴァリエール殿下が、ぎょっと目を剥く。

無礼。

ザビーネよ、いくらカタリナ女王陛下が許すとはいえ、そのような無礼なる口。

妹として認められている、このニーナが許すとは言っていない。

ましてや、この女はヴィレンドルフの秘事について、少し推測している。

帯剣を抜こうとして。


「場合による」


それを止めるようにして、カタリナ女王陛下は口を開いた。


「ザビーネとやら。まあ言ってしまうと。我が母たるレッケンベルは、少しばかり神聖グステン帝国に毒を埋伏させているのだ。いざという時に相手を殺すための優しい毒さ」

「それは? 噂に聞いた猪突公とやら? 帝都を襲ったくせに、今は帝国の資産で養われているランツクネヒト?」


閉口する。

なんだ、このザビーネとかいう女は。

よく知らないが、外交について携わっているのでもなければ、神聖グステン帝国の内情をここまで知るまい。

私は先ほどまで、ザビーネの横にいるヴァリエール殿下を少し下に見ていたが。

この女を従わせているというなら、評価を改めなければならない。


「ザビーネとやら。詳しい事を教えてやる前に、少し聞くが。お前ファウストの女か?」

「順番が違う。ファウストが私の男なんだよ。アレは私が惚れて見込んだ男なんだよ」

「よろしい。愛していることは理解できた」


ザビーネの返事を気に入ったようだ。

カタリナ女王陛下は、その冷血じみたポーカーフェイスを少しばかり崩し。


「教えてやろう。我が母レッケンベルは、誇り高い女だ。ヴィレンドルフの建国史上、最高の女だ。必要とあればえげつない手もとるが、基本的には騎士の誇りを重視する。ただ、ただな。時々、周囲が勝手にそのように動いてしまう事もあるのだ」

「言い訳はいいさ。何もかもヴィレンドルフにとっては上手くいっている。私はそれが気になってね。夜も眠れないよ。ヴィレンドルフが皇帝位を簒奪したところで、もう誰も文句を言わない状況になっているのが気になってね」


舌打ちが出そうになるが、止める。

確かに、傍から見れば何事もヴィレンドルフの思惑通りに進んでいる。

現皇帝マキシーン一世は、逆らった者たちの処刑全てを行ったが、その親族に対しての追及はしなかった。

そして皇帝領を完全に守り切り、権力を維持したのだ。

その手練手管は疑いようがなく、あの少女皇帝は間違いなく有能である。

なれど、傷は存在する。

それは強力な諸侯たるテメレール公が、誰の目にも明らかなほどに野心家であること。

いつか皇位を簒奪することを望んでいることは、少し調べればわかるほどだ。

なのに、我が母クラウディアは一騎打ちで破りながらも、それを殺さなかった。


「帝都を襲ったランツクネヒトを解散させず、皇帝陛下に傭兵雇用を継続させる。忠誠を誓っているのは、税収から金を払っているだけの皇帝陛下か? それとも傭兵たちを集め、団を結成し、給料の支払元を確保してくれた偉大なるレッケンベルか?」


顔を顰める。

そうだ。

今でも、我がレッケンベル家にはランツクネヒトの傭兵団長から手紙が届く。

いつでも殺せる。

マキシーン皇帝陛下など何を恐れるものか。

皇位簒奪への誘い。

そうだ、あの残虐なるランツクネヒトは夢を見ていたのだ。


「ザビーネよ、応えよう。お前の想像が全てだ。レッケンベルは望まずして皇帝陛下の地位を簒奪できるほどの力を持っていたし、ランツクネヒトなどはそれを望んでしまったよ。あの傭兵集団の団長、騎士崩れの次女三女はギルド(姉妹団)として傭兵集団の地位を得るだけでは満足していないんだ。レッケンベルを持ち上げることで、我が母の力でヴィレンドルフ王家を皇帝の地位につけることで。自分たち団長は貴族の地位にまで立てると夢を見たのさ」


カタリナ女王陛下は全てを明らかにした。

攻撃的な選択。

我が母クラウディア・フォン・レッケンベルを亡くした今でも、遺産は帝都に残っている。

現在でも、望みさえすれば皇位の簒奪は可能である。

但し。


「もし、レッケンベルが生きていたならば。我が母がそれを望んだならば、その選択もあったろうが」


先ほども言った通り、カタリナ女王陛下は別に望んでいないのだ。


「ザビーネよ、私は別に皇帝位など望んでいないのだ。今はファウストが7年以内に来ると読んだ存在について。東方の遊牧騎馬民族対策が優先だろうと考える」


皇帝位を望むほど野心家ではないのだ。

カタリナ女王陛下にとってはそもそもが皇帝位など興味の範疇外であり、将来産まれる子供の名づけの方がよっぽど大事なのだ。


「つまり、皇帝位を簒奪するとは言っていない?」

「ふむ、ザビーネよ。私は最近、ファウストのおかげで少しばかり蒙を啓いた。なれど、我が母が作り上げた遺産を活用しないとも言わない」


カタリナ女王陛下は、私に以前漏らした結論をザビーネに打ち明ける。


「結局は、状況次第となってしまう。マキシーン皇帝陛下が、神聖グステン帝国が、遊牧騎馬民族国家の征西に対して不十分な対応をとる。そのような醜態をさらけ出す事が予想された場合、私は介入することになる。ヴィレンドルフのためだ。皇位簒奪も選択肢に入るんだ」

「なるほど。場合によっては、ポリドロ卿が皇帝の皇配になる可能性があると」

「安心せよ。そうなった場合でも、お前の大事なヴァリエールはファウストの正妻のままさ。権力差で無理を押すつもりはない。お前はとどのつまり、そんなことが気になっているんだろう?」


ザビーネの心中。

結局この女が大事なのは、ヴィレンドルフの秘事を聞いてそんなことになってんの? と驚愕の顔を浮かべているヴァリエール殿下のこと。

ヴィレンドルフが皇帝位を簒奪しようが、どうでもよいのだろう。

実際のところ、ヴィレンドルフが何もかもに成功しても、アンハルトとの不戦条約が破られるわけではない。

現選帝侯であるリーゼンロッテ女王陛下にとっては、座視するところであった。


「お前は何も困らない。ザビーネ、お前がファウストの妻となるのも別に邪魔しないさ。ヴィレンドルフの女王として認めてやる。この身が皇帝になったとしてもな」

「ならいいさ。約束は守れよ」












ザビーネは確かにカタリナ女王陛下にポリドロ卿の妻の一人として認められたのだ。

一つだけ、奇妙なしこりのようなものが残っている。

あの時、ヴァリエール殿下はカタリナ女王陛下とザビーネの顔を何度も見つめ。

え、なんでそんなことになってんの。

といった呆気にとられた表情をしたが、まさか正妻であるヴァリエール殿下に通っていない話では無かろうし。

まあ、あれはさすがに私の勘違いであろう。

私は考える。

我が母、クラウディア・フォン・レッケンベルよ。

貴女の愛情は確かに義姉たるカタリナ女王陛下に通じたし。

ヴィレンドルフに残した、貴女の遺産は役に立てるつもりだ。

我が国にとって最善となる道を選択するつもりなのだ。

見守っていただきたい。

そう静かな祈りをし、そういえば次女・三女の名前をまだ考えていないと呟いたカタリナ女王陛下に対し。

だから、ポリドロ卿に聞けと。

そう怒鳴るように言いつけて、私は目を閉じて少し眠ることにした。

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