第118話 少女皇帝マキシーン一世

一人の少女皇帝がいる。

血統的に、多くの超人を産み出してきた一族当主の少女だ。

神聖グステン帝国においては、誰も頭を垂れることしかできぬ最良血である。

古来より続く血の濃さから、どの名家からも崇められ。

超人の発生率はどの血族よりも高く。

同時に、乳幼児の死亡率においては異常に高い一族の当主。

マキシーン一世と呼ばれる少女が眼前にいるのだ。


「血の限界が来ていると思わんか?」

「はあ」


私は少女に、言葉を返した。

先ほど考えた事について。

先ほどから語られていることについてだ。

我ら血統の限界に瀕し、誰もが頭を悩ませている。

超人一族として近い血統、皇帝陛下の近親者から結婚相手を集め、血を集めた結果。

確かに超人の産まれる確率は高まり、その権力により所領を徐々に増やし、一族は隆盛を誇った。

なれど、あまりにも乳幼児の死亡率が高い。

貧しい農村の乳幼児よりも簡単に、我らの子は死ぬのだ。

誰も彼もが死んでいく。

食物の滋養、環境、衛生面、そんな事関係ないとばかりに一族の幼児が死ぬ。

ふとした瞬間に我らの子は発作を起こし、苦しんで息を引き取るのだ。

原因は何か?


「血が濃い。この先は、これを薄めていかねば、我々一族は滅びるだろうな」


血統が限界に至った。

これにつきるのだろう。

未だ医学的な事は判らぬが、どう考えても血に原因があると、そう当主は判断を下した。

真実は判らない。

人ではない、伝書鳩や軍馬における近親交配の結果、あまりにも幼少時の死亡率が高いという結果。

根拠があるとすれば、その程度。

だが、少なくとも陛下は血統に原因があると考えている。

そして、それに反論できるわけもない。

この選帝侯全ての投票を集め、皇帝陛下の地位についた超人の少女に、一族の末端たる私程度が何を言えよう。

血族だからと宮廷に出仕しているだけの、騎士一人に何が言えよう。


「男が必要だ。超人の男だ。何処までも我々一族からは血が遠い男が必要なんだ」


神聖グステン帝国皇帝にして、一族の当主たるマキシーン一世陛下に誰が反論できるというのか。

来歴について。

彼女の来歴について、少し考える。

帝都ウィンドボナの市民全員が知っているであろう、彼女の怒りについて。

父君の死についてを含めた、その後についてだ。


「マキシーン一世陛下、そうは言っても、血からは逃れられぬもの。最低でも貴族。そして超人の子など、世にそうはおりませぬ」


一族の末端としての反論を為し、眼前の少女皇帝について思い浮かべる。

歴史書にはこう綴られるであろうな。


「知っているとも」


飢餓王マキシーン一世。

人生の全てを飢えに苦しんだ皇帝陛下として語られるのだ。


「私の父君とて、遠い異国の地から我が一族の元に売られてきたのだから」


その容貌は幼い。

齢はもう16歳であるが、あまりにも歳は幼く見えるのだ。

13の年齢に届かぬように見えるほどに、身体の線は細い。

もっと幼くさえ見えるのだ。

身長は低く、体重は軽く、ただ爛々とした眼光だけが、この少女が超人の最高峰であると証明している。


「嗚呼」


あばらの骨は浮いているだろう。

もちろん金糸銀糸と絹により作られた豪奢な服からはそう感じさせぬが、あまりにも痩せっぽちの少女である。

食事をとっていないからだ。

幼い頃の幽閉における栄養不足も、間違いなく影響はあるだろう。

だが、それよりも現状に原因がある。


「おいたわしや、マキシーン陛下」


食事を摂れないのだ!

マキシーン陛下の父君の結末、その凄絶な幽閉経験は陛下の心に、心的外傷をもたらした。

食事とは苦痛そのものであるという、強烈な食事への忌避観をもたらしたのだ。

この少女の人生を思うと、その血を僅かなりとも連ねた自分としては、もはや涙しか出てこない。

パンやスープを少量口にするのみ。

肉や魚を食べようとすると、嘔吐する。

その食生活は明確に成長を阻害し、貧しい少女のような、やせっぽちの姿であるのだ。

それは、一つの呪いなのだ。


「時々、お前は妙な言葉を吐く。私の言葉を聞いていたか?」


自分のために飢えて死んだ、父君が望まずして与えた呪いなのだ。

その少女が抱えた摂食障害は、食物から血肉を得ることを許そうとしなかった。

どうでもよい。

そのような表情で、マキシーン陛下は呟かれる。


「マキシーン陛下。我々一族の、血統の将来など、どうでもよいのです。どうでもよいですから」


どうか食事を。

その身体の血肉を満たすことを。

そう望むが。


「知っているだろう。食えば吐くんだよ。別に生きるに困る事は無いし、それでよい。争いごとが起きないように、一族の後継者はちゃんと産むさ」


マキシーン陛下は、この世にめっきり幻滅しておられた。

私を虚しそうに睨み、そうして、大きくため息を吐く。


「虚しい」


ため息には、愚痴が入っていた。


「私は一族の当主として産まれた。だからこそ、その責は全うしよう。それだけはちゃんとするさ。血を繋ぐというのは、何よりも尊いのだ。でもな」


マキシーン陛下の御言葉。

この世に飽いている。

陛下は、我ら一族が産み出した最高峰の超人である。

最良の血の集約である。

神聖グステン帝国史上最高の超人なのだ。

なれど。


「時々、全てが無意味にさえ感じるよ」


それらの事について、すでにマキシーンという少女は何もかも見限っている。

幼い頃より従者として仕え、マキシーン陛下やその父君をお救いすることすら叶わず、こうして帝都ウィンドボナより離れた王宮のある都にて。

何もかもをかなえる事が出来なかった私が、あまりにも哀れな少女皇帝を眼前にしている。

そうしていると、自分など首をくくって死んでしまった方がよいのではないか。

その無力さを味わうことになるのだ。

もっと、何か、できたのではないか。

あの、有能とは言えなかったが、飢え死にした夫と、幽閉されている娘のために命を燃やし尽くしたかのような。

非才にして超人ならぬ自分の人生に全ての努力を払い、何一つ報いられなかった彼女。

先代皇帝陛下に対して比べると、そのような事を思う。

彼女も、3年前に、泣きながらに夫の名前を呼びながら死んでしまった。

自分の人生全てを果たし終えたと思い、亡き夫の遺骸を手に入れ、数年も顔すら見れなかった娘を奪い返し、糸が切れてしまったのだろう。

その後に皇帝の座に就いたのは、眼前のマキシーン一世皇帝陛下である。

当時13歳の幼い少女である。

このような馬鹿な話があったものか。

マキシーン皇帝陛下は確かに優秀であった。

割れた器にしか過ぎない先帝、その破片を接ぎ合わせ、親族の裏切りを追求することすらなく親族を呼び集め。

親の罪など子の罪ではないと、赦免を約束し。

皆の所領の保全を約束し、先の戦にて活躍した選帝侯への報酬を支払い、面目を保ったのだ。

その手練手管に対し、一族と選帝侯全員は確かに認めた。

マキシーン一世こそは、我らの主君にふさわしいと。

それだけ。

それだけだ。

確かにそれは認めてくれたが、マキシーン個人を救う何かを与えてくれたわけではない。

選帝侯全員にとっての都合が良かったという理由は多分にあった。

マキシーン個人を見てくれていたわけではないのだ。

唯一、アンハルト選帝侯の王配ロベルト様のみが気配りしてくださったが。

すぐに、毒殺により儚くなってしまった。

その心の怒り、悲しみ、会話する相手のいない、その全ては戴冠式の御言葉が全てを表している。


「すでにこの身は、我が人生にあらず。ただ父君に与えられた愛に執着し、亡き母君の執着を燃やして生きるのみなり。信仰のために、剣の道のために、恩寵のために身を捧げるものではない」


皇帝陛下が戴冠式にて教皇猊下に告げた言葉は、そのような内容であったと記憶している。

酷い文句だ。

自分の身はどうでもよく、何もかもが父君と母君への愛情により仕方なく、皇帝陛下に成るものと仰られた。

それに対し、教皇猊下は呟かれた。

帝冠を頭に与える際に、こう仰られたのだ。


「貴女は全ての選帝侯から選ばれた真の皇帝である。なれど、貴女に与える帝冠はあらず。死人に与える帝冠はあらず。私は神の代理人にしかすぎず。王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、私はその代理人に過ぎず」


あの恐れを知らぬ教皇猊下は、ひどく残酷な事を告げたのだ。


「皇帝陛下。私個人は貴女を、マキシーン一世陛下を神聖グステン帝国の皇帝陛下として扱います。なれど、私は、教皇は二次的な地位にいるに過ぎません。神より受諾された権限を皇帝陛下に与える過程に過ぎません。この世のありとあらゆる権力は神に由来するものであります。私は神の代理人です。世俗における教皇としての私は、貴女を皇帝として認めます。認めますが」


選挙君主制として選ばれた、マキシーン一世皇帝陛下を、教皇としての立場からは認めると仰った。

なれど。


「はっきり申し上げます。今のマキシーン一世陛下は、神への奉献を果たせるとは言えず。神は貴女を認めることが出来ず。貴方はただの屍にすぎない。父母の愛により生きる屍にすぎず、貴女は皇帝陛下の器に未だ成り立っておらず、今後は……」


噛み砕こう。

噛み砕いて話そう。

要は世俗的な慣習、選挙君主制からくる7人の選帝侯が選んだ皇帝陛下としては認めよう。

なれど、神からの恩寵は与えられない。

父君への悲しみに囚われ、母君の不遇な人生に嘆き悲しみ、神の慈しみなど欠片も感じてはいないだろう。

そう見切られた。

私には貴女が死人のようにしか見えないと。

だから、教皇としてはお前を皇帝陛下としては認めるものの、世俗的立場からそれを仕方ないと認めるものの。

神は貴女に恩寵を、神の慈しみを輝かせることは許さないであろう。

貴女が真の皇帝陛下として認められるためには、これからの神への懺悔が必要であるのだ。

そのように苦言をほざいた。

ふざけるな!

選帝侯の内に、直接手助けしたのはアンハルトとヴィレンドルフだけ。

何一つマキシーン陛下を助けようとしなかった教皇風情が何を言うか!

私などは思ったが。


「なるほど、確かに教皇の言葉は仰るとおりである。私は神の恩寵などこれっぽっちも本音では信じていない。神の恩寵はなく、遠国の海洋国から売られてきた我が父君は、私への愛ゆえに自分のパンを分け与え、飢えて死んだんだ。神などこの世にはどこにもおられはしない」


マキシーン陛下は、もはや神など信じていなかった。


「くたばりやがれ!」


戴冠式にて、そのように叫んだのだ。


「お前が、お前らが信じている神を信じる聖職者と市民は! 帝都ウィンドボナの市民は、パン一つすら差し入れてくれなかったぞ! お前ら聖職者と市民が信じる神は、その信徒は、私の父が痩せ細り衰えるのを笑いながら眺めて、それを放置したんだ!」


血の滲んだ言葉を叫んだのだ。

父君の仇、その家族が、仇の慰霊を弔う事すら許した少女の叫びであった。


「誰が自分の父を殺した奴らを許すんだ! 私はお前らを許さないし、私は私を赦さないぞ! くたばりやがれ!! 私は神など信じはしない!! 神に懺悔せよ、だと!」


神と倫理と現実において、親の罪を子に与えるべきではないと。

そんなくびきすら引いた、マキシーン皇帝陛下は神に対して激怒した。


「神など、この世の何処にもありはしない!」


神の不在を叫んだのだ。


「神の存在証明は――道徳論的証明は、私には証明できかねます。マキシーン皇帝陛下、私は貴女を一度見捨てたのだから。貴女の父を見殺しにした、私を殺したければ如何様にも。誰もその行為を咎めません。貴女は神聖グステン帝国の最高権力者なのです。ただ一つ、ご理解を。神は悲しい迷い子たる貴女に、王権神授に基づく皇帝陛下としての祝福を与えることはないでしょう」


それに対しての、教皇猊下の解答はこうであった。

貴女が私を殺すことは許されるだろう。

なれど、考えを改めなければ神は、貴女を許されないだろう。

マキシーン陛下の返答は、それに対して明確である。


「私は神の赦しなど求めぬ。私は神に認められた皇帝陛下ではなく、ただの迷い子に過ぎないというなら、それでもよい。その立場で民を導いて見せようぞ」


教皇猊下から、帝冠を奪い取り。

自分の頭に、それを被った。


「私は本日をもって、神聖グステン帝国皇帝マキシーン一世である」


戴冠を自ら行ったのだ。

もちろん、世間にはそのように伝わっていない。

誰もが口を塞いだのだ。

醜聞も侮辱する相手の度を過ぎれば、誰も口を紡がぬ。

最高権力者たる皇帝、戴冠を拒まれた教皇、その場にいた選帝侯、全てに喧嘩を売る行動など出来るわけもない。

嗚呼。


「おい、話を聞いているのか?」


長考に入っていた私の耳に、マキシーン陛下の御言葉が耳に入る。

私も、あの教皇猊下――実際には何もしなかった者と同じにすぎない。


「今日の話は、アンハルト選帝侯の戴冠式において、帝都に兵士を埋伏させているものが居ると。私の帝位の簒奪を狙っているものがいると。まあ、推測するまでもなく首謀者はテメレール公だろうが。それがどうなったかの報告を聞きたいのだが」


きっと、マキシーン陛下はどこか、完璧な超人ではあるものの。

何かが足りないのだろう。

いけすかない教皇が見抜いた――神への信頼であるかのような、何か陛下をお救いするようなもの。

不定形の何か、それをどうにかする方法が私には見当たらなかった。

ただただ、ひたすらに陪臣騎士として仕えるのがせいぜいである。

仕事に戻らなければ。


「お伝えします。マキシーン陛下の仰る通り、テメレール公は数年かけて兵を埋伏させております。あの猪突公、ヴィレンドルフの悪魔超人たるレッケンベル卿に負けた頃から、今回の計画を狙っていたようで……」

「本当にしつこいな。何でレッケンベル卿はテメレール公を殺してくれなかったのか。あの猪突公、もう今までに何度も私を殺そうとしてるんだが」

「知りません、と言いたいところですが」


レッケンベルは、皇帝陛下を僭称したマキシーン陛下の親族をぶち殺している。

その際に、漁夫の利を狙って横合いから突撃してきたテメレール公も、一緒にぶちのめしていた。

あの時、殺してくれればよかった。

直接対決にまで及び、一騎打ちにて散々にテメレール公を滅多打ちにし、半殺しにすらしている。

なれど、殺してはいない。

陛下救出の立役者たるレッケンベル卿が見逃した以上、それが全てであり、同じようにマキシーン陛下に赦された私たち一族が殺すよう要求する権利もなかった。

おかげで、今凄い面倒くさいことになっている。


「マキシーン陛下、レッケンベル卿の悪口を言いたくはないのですが、どうしても言わなければならないことが」

「何か」

「レッケンベル卿は、いえ、ヴィレンドルフは」


おそらく、マキシーン陛下も読んでいるとは思うのだが。


「テメレール公の帝位簒奪を強烈に後押ししており、それを狙っていた可能性があります。いえ、より具体的には」


次の言葉を継げようとして。

私はゆっくりと手を挙げたマキシーン陛下に止められ、頷く。

言わなくてもマキシーン陛下ならばわかるのだ。


「レッケンベル卿は、テメレール公に帝位簒奪させて、その後はあのカタリナ女王にぶち殺させて。ヴィレンドルフ王家による帝位簒奪を狙っていた。マキシーン一世には、カタリナ女王が女王として成長するまで、その座を少しばかり預けていただけにすぎないと」


もはや亡くなったレッケンベル卿の真意はわからないが。

少なくとも、今の状況はそれを狙える立場に居た。

レッケンベル卿が愛したヴィレンドルフ女王、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフならば、それぐらいは理解しているはずなのだ。

マキシーン陛下は、少しばかり楽しそうに笑った。

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