第96話 安息日にて礼拝を

先日も思ったが、ポリドロ領における教会の造りは質素である。

石造りではなく木造教会であるし、領民300人どころか30名も入ればぎゅうぎゅうになってしまうほどに窮屈であった。

故に、安息日の礼拝は教会の外で行われる。


「それでは、礼拝を行います」


神母様に目をやる。

神母の横には頭がおかしい助祭、そして数人の教会仕えがいた。

教会仕えとしたのは、修道女と称するには少し違うものであるからだ。

ポリドロ領民の十数名が教会に属しており、ケルン派の教会所属耕地を耕している。

ポリドロ領における代々の神母が自ら農婦として耕してきた畑を、ポリドロ家が教会所属耕地として認め、一切の徴税なしとしている。

代わりに、教会側は三女以降の各家庭の領民一部を受け入れ、これを教会所属の農婦としていた。

畑を耕す代わりに、収穫物や金銭を分け与えているのだ。

要は、ポリドロ家もケルン派も、何とかして全ての領民に食い扶持を与えねばならないと腐心しているのだ。


「我が信徒よ、口を開けなさい。これより聖餅を与えます」


そして、そのような事が、この礼拝の儀式に影響しているのかもしれない。

何せ、礼拝と言えば色々な手順があるが。

楽器を奏でて祈りを深める――楽器などケルン派の質素な教会には無い。

あるのはマスケット銃だけである。

音と煙は出るものの、さすがのケルン派もあれを「笛の一種です」等と言い張る度胸はないようであった。

歌を歌う事もない。

聖書を読み上げる事もない。

代わりに行うのが、この聖餅の儀式である。

週に1度、この聖餅を神母自らの手により、信徒の口に与える儀式がケルン派にあった。

音楽より飯である。


「信徒ファウスト・フォン・ポリドロ、まずはどうぞ」


身長2mを超える巨躯である、ファウスト様が屈みこむ。

腰を二つに折り曲げる様にして、やっと手の届く位置となり、神母が口にそれを与えた。

ファウスト様の顔が、何とも言えない表情に変わる。

そうだ、この聖餅は塩辛いのだ。

理由は先日聞いた通り、戦闘糧食が起源なので仕方ないと言えば仕方ないと一瞬思ったけど、やっぱりなんか違う。

ワインは聖人の血、パンは聖人の肉である。

お前等ケルン派の神学的見解では、聖人の肉は塩辛いと判断しているのか。


「信徒マルティナ、口を開けなさい」


不承不承口を開く。

聖餅が口に与えられる。

酷く塩辛い。

塩に賞味期限が無いとはいえ、ケルン派の教会には必ず一室は塩の貯蔵庫があると聞く。

ふんだんに塩を使い過ぎなのだ。

ケルン派の司教区である、統治下の工房都市は河川沿いにあると聞いたことがあるが、それだけではなく海に近いのだろうな。

或いは、岩塩が余程に獲れる山を所有しているのか。

どうでも良い事を考えていると、神母が私を咎める。


「聖体を有難く噛みしめなさい」


塩辛いと言っているだろうに。

唾を大量に作り、味を軽減する。

私の横では、なんとか頬肉をむにむにと動かし、なんとも言えない表情で聖餅を食べているファウスト様の姿があった。


「辛くありません?」


私は問う。

ファウスト様は答えた。


「味を薄めよう」


その食事の様子を眺めていると、腰にぶら下げた水筒を取り出した。

中にはワインが入っているのだろう。

私も真似して、煮沸した水を入れている水筒を取り出す。

ファウスト様が居ない間、この礼拝を何度も経験したので慣れているのだ。

というか、領民の誰もがそうしている。

もう誰か一人でも良いから、塩を減らせと申告すればよいものを。

その様子を無視するようにして、神母は笑顔で領民全員の口に聖餅を与えている。

やがて、全員に分け与える儀式が終わった。


「聖餅の儀式は終わりました。続いて、説教に移ります」


本来、別の宗派などでは聖書の朗読などを行う――もちろん文字を読めない農民が聖書を読めるはずもなく、そもそも本自体が貴重である。

活版印刷の技術により聖書をはじめとした印刷物が大量に作られるようになり、水車を使った製紙工場もあるとは聞く。

だが、さすがにポリドロ領のような辺境地で全員に聖書が配布されるまでにはならない。

基本的には聖職者が聖書を朗読し、無学の者はそれを聞くだけとなる。

話が少しそれた。

ケルン派では、その聖書の朗読を行わず、代わりに説教の時間が多い。


「神の言葉とメッセージについてお話しをします」


無論、その内容は聖書からの引用であることが基本とはなるのだが。


「それでは聖ゲオルギオスの――どこまで話しましたっけ?


何故かケルン派には、確かに聖人ではあるものの、なんか違う話が多い。

何故そこで聖ゲオルギオスの話になるのだ?

それがよく判らない。

ポリドロ領民は、おそらくそれが聖書におけるスタンダードな内容であると誤解しているのではないかと思う。


「そうそう、殉教のシーン。王配までもがゲオルギオスの信念に打たれケルン派に改宗しようとしたため、自尊心を傷つけられた女王が怒りに駆られたシーンでしたね」


声を大にして、こんなのと違うと言いたい。

あと、ゲオルギオスはケルン派ではない。

私は幼いころから母カロリーヌに連れられ、教会の図書室にて毎日本を読んでいたが。

そんな話を一度として目にした覚えはない。

というか、まず聖ゲオルギオスは聖書に出てこないだろ、普通に考えて。


「神母様、一つ言いたいことが」


ファウスト様が、私の想いを代弁したかのようにして、口を開くが。

残念なことに、私の言いたい事と違うのは判っていた。


「私が不在の間に、大分話が進んでしまっています。聖ゲオルギオスが『皆、ケルン派教徒になると約束しなさい。そうしたら、この竜を殺してあげましょう』と、皆の前に家畜のように竜の首に紐をつけて、引きずってきたシーンが前回までの話でした」


ファウスト様が気になっているのは、聖ゲオルギオスが出てきた事へのツッコミではなく、不在の間にストーリーが大分進んでしまっている事への苦情であった。

嗚呼、そうだ。

ファウスト様も、すっかり騙されてしまっているのだ。


「ああ、確かにそうでしたね」


にっこりと微笑む神母。

ファウスト様を含めたポリドロ領民は、全員が騙されてしまっているのだ。

よく考えろ、確かにケルン派の歴史は古い。

とはいえ、著名な聖ゲオルギオスが、ドマイナーなケルン派なわけないだろうが。

気付いてくれ。

そう言いたいところだが、さすがに聖職者の前で嘘つくな馬鹿とは言い辛かった。

何より辛いのは、ファウスト様までがめっきり騙されてしまっていることだ。

そんな頭悪い人じゃないだろうに。

どうも、ちゃんと聖書を読んでいないらしい。


「説教の最中にお尋ねするのは失礼かもしれませんが、問います。何故、聖ゲオルギオスは民衆の前にわざわざ竜を連れて来たのでしょうか? 竜を殺した名声や栄誉が与えられるべきというのは理解できます。しかし、首一つ持って来ればよかったと――思うのですが」


やや、言い辛そうにファウスト様は尋ねる。

何もかもを、複雑に思考してしまうファウスト様らしい質問と言えた。

その妙に発達した知能で、ちょっとケルン派がおかしいこと言ってる事に気づいて欲しいものだが。


「確かに、そう思われるかもしれませんね」


神母が、堂々と答えた。

領民に思い切り嘘を吹き込んでいる背徳感は欠片も見られない。


「殺してから持って来ればよい。確かにそう考えるでしょう。聖ゲオルギオスが、民衆を脅して転向を無理強いした。そのような見方がとれるかもしれません」


というか、事実その通りだろと思う。

私の感想ではそうであった。


「ケルン派の解釈では違います。聖ゲオルギオスが竜を殺し、その首を持って帰るのは容易い。冷静に考えれば、家畜のように竜の首に紐をつけて、引きずってくるよりもよほど容易です。ですが、あえて聖ゲオルギオスはそうしなかったのです」


何やら自慢げな表情をする神母。

もうなんか、その独特の感性でトチ狂った事を言うのは判っている。

私の心は、その発言を受け止める準備を整えた。

神母は、両手を挙げ、領民全員が聞こえるような大声で語る。


「考えてもみなさい。竜が一度来たのです。二度来るかもしれません。三度来るかもしれません。脅威が一度だけなどと、誰が言えるのでしょうか。そのような約束を、誰がしてくれるのでしょうか?」


一番性質が悪いのは、ちょっと筋が通っている事をケルン派は語るのだ。


「二度目があった場合、聖ゲオルギオスは助けられるのでしょうか? 残念ながら、そうではありません。聖ゲオルギオスは通りがかりの者にすぎません。そこにずっといられるわけではないのです」


神母の説教は熱を帯び、さらに声高になる。

ここまではよい。

確かに筋は通っている。


「では、どうするのか? たった一つの答えがあります。そこに居る民衆全てがケルン派を受け入れ、武装する事で解決するのです!」


何故そうなるのだろうか。

そこが判らないのだ。


「民衆が、彼女達こそが、二度目の脅威に立ち向かうのだ。通りすがりの者に頼りきりになるなど愚かしい。脅威から身を守るためには、自らが強くなる以外の救済方法など、この世の何処にありや? ケルン派の聖人たる聖ゲオルギオスはそれを知っていたのです」


神母の説教は最高潮に達している。


「民衆がケルン派に転向し、皆が武装する事によって問題は初めて解決を見る。二度目の竜に立ち向かう事ができる。そう聖ゲオルギオスは考え、あえて自らが民衆を脅すような真似をしてまで、人によっては侮蔑すら覚えるような事をしてまでも、皆をケルン派に転向させたのです」


何度も言うが、聖ゲオルギオスがケルン派であったという事実はない。

ちょっと信じそうになるのが性質悪いが。


「信徒ファウスト・フォン・ポリドロよ。これで答えになったのでしょうか」


ファウスト様、確かになんか筋が通ってるように思えるが、よく考えれば色々と間違っているぞ。

その事に気づいて欲しい。

横で思念を送りながら、ファウスト様の顔を見るが。


「……私が間違っていたようです。確かにその通りだ」


うん、駄目だ、この人も。

最初に言ったが、めっきり騙されてしまっているのだ。

聖書をちゃんと読んでいないファウスト様に反論する事は出来ない。


「判って頂ければ嬉しいです」


神母が笑顔で呟いた。

ともかく筋が通っている以上、それを否定する気は信徒たるファウスト様に無いのだ。

なるほど、確かに聖職者が無学の者を、問答で言い負かすことはこの世によくある。

それにしたって酷い。

これも何度も言うが、聖ゲオルギオスは聖書に出てこない。

ケルン派の聖書には掲載されているのかもしれないが。


「さて、ファウスト様。申し訳ありませんが、領主といえどもファウスト様だけを特別扱いするわけにはいきません。説教は殉教のシーンから再開します。王配までもがゲオルギオスの信念に打たれ、ケルン派に改宗しようとしたため、自尊心を傷つけられた女王が怒りに駆られたシーンから」


満足そうな神母が、朗々と語りだす。


「煮えたぎった鉛で釜茹でになったところで、ゲオルギオスは信念を曲げません。異教徒の神殿で棄教を迫られても、ゲオルギオスは信念を曲げません。それを見た王配は、ついに心を打たれてケルン派へ改宗しました。しかし女王はそれを許さず、王配を殺そうとしました。王配は殺されることを覚悟し、最後にゲオルギオスに問いかけます。『私は洗礼を受けておりません』と」


なんかどうでも良くなってきた。

ケルン派が改竄した聖人の話に、耳を傾ける事としよう。


「ゲオルギオスは答えました。『弟よ、戦いなさい。女王を貴方の手で殺すのです。貴方が今流す、敵の血が洗礼となるのです』と」


聖ゲオルギオス、絶対にそんな事言ってない。


「そして王配は、ゲオルギオスが投げ与えた聖なる戦棍で、女王を殴り殺しました。それを見届けたゲオルギオスは、今までの戦いで傷ついた身体を地面に伏し、満足げに息を引き取ったといいます。ケルン派はこれをもって、殉教としています」


聖ゲオルギオス、絶対にそんな最期じゃなかった。


「今ではエインヘリヤルとして歓迎され、ヴィーグリーズの野にて、敵である巨人どもを相手にまわしての活躍をしている事でしょう」


正しいのは最後の描写だけである。

今でも聖ゲオルギオスは死せる戦士たち、エインヘリヤルの戦士団の先頭をきって、ヴィーグリーズの野を駆け回っている事であろう。

それだけは間違いなかった。


「聖ゲオルギオスの最期に残した言葉から、私達ケルン派の信徒は何を読み取ることができるでしょうか。これは先ほど信徒ファウストが尋ねた内容に対しての返答と、何一つ変わらない信念であります。信徒よ、人に助けを求めてばかりではいけない。自ら戦棍を手に取り、立ち上がり、自らの敵を討つ。これこそがケルン派の精神の表れであります。信徒の皆がこの精神を忘れない限り、神は祝福してくださるでしょう」


ケルン派の主張は一貫としている。

汝らを守るため、その汝らが所属する共同体を脅かすものからの防衛のため、全ての力を貸そう。

だが、汝らも自らを救うために、自らの力をもって戦うべきであるのだ。

その事実を以てして、神は初めて祝福してくれる。


「……」


このマルティナ・フォン・ボーセルには、辛い事実であった。

私はもはやファウスト様の騎士見習いとして、立場を守られた身であり、その待遇を甘受するよりほかない。

仮に――私が自ら戦おうとすれば、何をする事が出来るのだろうか。

それを神に問いたかったが、おそらく神ですら、これに返答はしてくれない。

その事実だけを、私は嚙み締めていた。

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