第89話 領主館で昼食を

領地経営において、人間関係は重要だ。

人と人との関係における摩擦という物は、生きている限りは避けて通れないところがある。

それは同輩や、同じ貴族間においても起きるものではあるのだが。

特に祈る人、闘う人、働く人。

その三者においては、特に大きいのではないかと、私ことマルティナとしては思う。

聖職者という役割、騎士と言う軍事階級、その二つの活動を支える税を納める都市の市民、或いは農民。

いや、平民だから豊かでないと言うのはイコールではなく、そこらの貧乏法衣貴族より豊かな平民など沢山いるが。

まあ殆どの平民などは収奪される立場である。

多くの農民は、この時代においても腹を満たす機会は少なく死んでいく。

――話を戻そう。

なにはともあれ、今の時代における人の摩擦というものは、特に階級差によるものが大きいといえるだろう。

領主というものは、どれだけちっぽけでも君主たりえ、一人の王であるのだ。

為政者として、統治や経営を行わなくてはならない。

土地と民を支配し、同時に自分の所有物として執着を抱き、その価値を維持する事も必要だ。

領主裁判権を持ち、審判し、判決を下す立場である。

領主として罰を与える事もあれば、逆に平民同士の争いを仲裁する事もある。

難しい立場であるのだ。

特権的階級ではあるものの、そう単純に恵まれた立場と捉えてよいものでもない。

結論として、何が言いたいのかといえばだ。


「それで、娘さんの具合はいいのか? 乳は良く飲んでるのか?」

「ファウスト様、お産から一か月は過ぎました。そろそろ働いても……」

「あまりにも短い。最低限、二か月は欲しいところなのだが」


今の状況はおかしいだろう。

何故にファウスト様は領主館に平民を招いて、食事を一緒に取っているのであろうか。

ファウスト様が居ない間にお産を行った平民に対して、その身体を労うためと仰っていたが。

いくら小領主とはいえ、それだけのために食事に招くなんて話聞いた事ないぞ。

こういうものは、村長のやる仕事ではないだろうか。


「ファウスト様は心配なさりますが、子など乳をやれば育ちます。その乳とて、姉妹が交代でやればよいのです。子供は家族で育てるものであります。まして、家には夫がおります」

「そうは言っても、自分の子は可愛いものであろう。今は家で娘と食事を楽しんでいるであろうヘルガなど、軍役が長引いたせいで、また子に顔を忘れられていたと泣いていたぞ」

「ヘルガは情が深すぎるのです。そもそも、そのような事をファウスト様に気遣われるなどと恥を……」


何故、領民の子の心配を、その親より領主であるファウスト様がしておられるのだろうか。

木製の食器がテーブルに並んでいる。

一応は領主なのだからとファウスト様は銀の皿とスプーンを用いていたが、格好だけである。

この間など、このスプーンは小さくて使いにくいからヤダなどと愚痴っていた。

ポリドロ領のご先祖様がケチったわけではなく、巨躯たるファウスト様に確かにあのスプーンは小さい。

超人ゆえに毒が効かないから、まあ正直毒を判別するための銀食器など要らないのだろうが。

だからとはいえ、貴族たるファウスト様が平然と木の食器を使うのは見栄えが悪い。

古いパンを皿代わりにしていたような大昔ではないのだ。


「皆はヘルガが優しすぎるのではないかと危惧しているが。私はよくやっていると思う」

「我々が危惧しているのは従士長よりも、むしろファウスト様の情の深さなのですが」


一番拙いのはアレだ。

今やってる行為だ。

宴の主人として客人をもてなすために、ファウスト様が肉を切り分けるのはまあ良い。

だが、今回の客人は客人といっても、あれである。

領内の平民である。

それも村長や従士でもなく、もう、普通の――言っちゃなんだが、特に特権的な地位を持つわけではない平民だと聞いている。

その平民に対し、笑顔で肉を切り分けて与えている今の姿は何なのか。

ファウスト様が、にこやかに笑った。


「情が深いのは悪い事か?」

「少なくともファウスト様の情を頼りにして、その足を引っ張る様な真似を我々は望んでおりません。私が戦場で致命傷を負い、足手まといになるようであれば。ファウスト様には、その場にて見捨てて頂きたく思います。その際に私が如何に嘆こうが、狂ったと思うて下さいませ。そこに居るのは、もはやポリドロ領民の私ではないのですから」

「お前が命を失わぬ限り、私はお前を見捨てないだろうさ。死んだところで、その遺体は必ず領地に持ち帰る」

「……ファウスト様がそのような事をなさらなくとも、我々は魂となり、ポリドロ領に帰るでありましょう」


もちろん、何もかもを否定するつもりはない。

私とて、所詮は王都のように繁栄した城塞都市とは程遠い、領民1000名程度の街出身である。

特に我が母カロリーヌは、軍役の全てに出陣していた。

従士長はもとより、従士や働きが抜群な平民に対してはその功績を皆の前で褒め称えた。

私はそれを幼き頃から見ているように言われたし、お前も同じように人は褒め称えろと言われた。

相手の名誉を守る事こそが、その貢献を何より大事にする事こそが、貴族や平民の垣根無しに重要なのだと。

もちろん、従士達に対しては食事を共にする事など良くあった。

戦場においては、兵と自分との食事の質に目立った差など与えず、同じ釜の飯を食べていたと聞く。

だが平時においては、その食事を共にするなど一度として無かった。

人間には、立場と役割がある。

厳しくするところは厳しくせねばならず、許すところは許していかねばならない。

あれだ、格差を設けるのは重要であるが、それが当然のことであると納得させることが大事なのだと。

納得というその名のバランスが何より重要なのだ。

――うん、つまり。


「この領地に何がある?」


二人に聞こえぬよう、小声で呟く。

人は人だ。

特に理由もなく恵まれた境遇を与えれば、調子に乗る人間も多かろう。

特に無教養な人間は、自分の領分もわきまえず調子に乗ることが多い。

世の物語には理不尽な貴族が多いが、無秩序な平民の方はもっと多いのが現実である。

だが、どうもファウスト様はこの無茶苦茶な方法で上手くやっているようなのだ。

豪農、貧農の差を問わず、領主館に平民をローテーションで招き入れる。

そこで歓迎し、飯を腹いっぱい食べさせる。

それでどうにも、ファウスト様は領民300の小領主としてバランスをとっているようなのだ。

そもそも、所詮騎士見習いにすぎない私が――いや、違うか。

忠言は確かに必要なのだが、それは従士長であるヘルガ殿の仕事であるのだ。

それを奪うような真似はすまい。

それにしてもだ。

疑問に思う点が、一つある。


「何度も言いますが、このポリドロ領にとっては、御身が何より大事なのです。ファウスト様に何かがあれば、領地は王家に奪われるでありましょう。それだけは御免被るのです」

「私とて、死ぬ気はないのだがな」

「そのように思えぬ事を度々なさるから、私達は困っているのです」


この、領民達の一種狂気的とすら感じる忠誠は何なのだろうか。

私の母カロリーヌとて――今となっては、愚かな母としか言えぬが。

このような言い方をすると、酷くファウスト様には悲しい顔をされるのだが。

軍役を共にしてきた平民達には厚い忠誠を誓われていた。

それこそ、母カロリーヌを敵国に亡命させるため、自分達が命懸けの楯となるまでの忠誠を。

「この主のためなら自分が死んでもいい」と思わせる姿をそれまでの人生で、配下に見せてきたのだ。


「……」


母カロリーヌは、あれで上手くやっていたのだろう。

だが、家督の簒奪に失敗した。

どこで間違えてしまったのだろうか。

やはり、根回しが足りなかったのだろうな。

それはどうにも、目の前に立ちながら、椅子に座る領民相手に肉を切り分けている人物。

この領地の支配者であるファウスト・フォン・ポリドロ卿にも通じるところがある。

直情的な性格。

その性格は、良きところもあれば、悪いところもある。

これからの状況に対応できるのだろうか。

今までは、その誰にも有無を言わせぬ実績と、妙に鋭い感性と機転――いや、知能の分類だろうか。

それによって物事を成してきたが、これから先、それは通じるのであろうか。

遊牧騎馬民族の襲来が本当にあるとするならば。

ファウスト様は、まだ多くの困難を乗り越えていかねばならない。


「お前から見て、ポリドロ領に何か変化はあったか?」

「皆元気です。ヴィレンドルフ程に冬が厳しいわけではありませんし。今年の収穫も期待できると村長が言っております。先代マリアンヌ様が生涯をかけて行われた食料増産計画は見事に成し遂げられたのです」

「子供の頃は、皆が腹いっぱいになる事などは宴の時ぐらいであったな。今、皆が十分に腹を満たせているのは――母上を含めた、この数世紀をかけて領地を発展させてきた御先祖様のおかげだ」


横で、ファウスト様の、少し過去を引きずるような声を聞きながら考える。

アンハルト王家における次代を担う人間。

これからの、ファウスト様に関係する事になる役者たち。

アナスタシア第一王女、アスターテ公爵。

その両者は理解ある上司ではあるものの、ファウスト様を配下として使役する立場である。

ヴァリエール第二王女。

一応の上役ではあるが、能力自体にはあまり期待できない。

正直言えば、あの目端が利くが、どうにも頭がおかしいと聞く女。

第二王女親衛隊隊長であるザビーネの方が、役には立つと思われる。

結局、ファウスト様に何が足りないと言えばだ。

その性格がもはや矯正不可能である以上は、補佐役が必要である。

的確な助言を行い、暴走を制御する人間が必要なのだ。


「時が経つのは早いものだな。子供の頃が懐かしく思える」


残念ながら、その候補は一人も思いつかないが。

本気でファウスト様が暴走された時に、止める事の出来る人間など一人でもいるのだろうか。

私には見当がつかない。


「質問、よろしいでしょうか」


ファウスト様がやっと椅子に座ったタイミングで、横から口を出す。

ファウスト様からの平民に対する行動を咎めるつもりはない。

ただ、純粋に聞きたいことがある。


「なんだ?」

「民を食事に招くのは、ファウスト様の代からなのでしょうか?」


この平民に対する態度がファウスト様の民に対する信頼――過信、侮りから行われている事なのか。

それとも昔からそうなのか。


「いや、私が知る限りでは初代ポリドロ卿からだ」

「私もそのように記憶していますが?」


ぐるぐると回る、豆と麦のスープ。

鶏肉と玉ねぎ、そして塩で味付けされたそれを、スプーンでかき混ぜているファウスト様。

カチャカチャと音が鳴っている。

どうも食事中に度々その仕草が見受けられるため、ファウスト様の手癖と思われる。

アンハルト貴族のテーブルマナーにおいてはよろしくない。

マリアンヌ様は注意してくれなかったのだろうか?

だが、そのような事を咎めるのは後でも良い。


「初代から数代にかけては、そもそも一緒に食事を取っていた。違うのは量ぐらいだったと聞いている」

「人数が少なかったからですね。我らの曾祖母の代にてようやく、林檎などを植樹できる程度の余裕が出来たと聞いた記憶が」


領主と民の距離感が近すぎる。

すでに述べたように、ポリドロ領民はポリドロ家に狂信的な忠誠を誓っているのだろうが。

今の話を聞くに、それはファウスト様の代からではない可能性が高い。

このように近い距離感で、どうして主従関係が成り立っているのだろうか?

どうも気になる。

少し探ろう。


「領民の方にお尋ねします。先代マリアンヌ様をどう思っておられますか?」

「……偉大な方であったと思っています。あまり物を語られず、その心内を明かすような事はされませんでしたが。着実に領地を開拓し、立派に軍役を果たし、領民を一人も飢えさせず、そして跡継ぎであるファウスト様を育てられました」


少し、もの悲しそうに語る。

先代マリアンヌ様は周辺の領主騎士はおろか、領民にすら気が触れてしまったのだと諦められていた。

そうヘルガ殿は以前語っている。

酷い事をしてしまったと、ずっと後悔していると。


「愚かな私、そして領民の殆どが、生きている間はマリアンヌ様の御心が判らぬままでしたが」

「だが、皆最後まで母上に付いてきてくれたじゃないか。口では反対すれど、皆が優しく私と母上を見守ってくれた」

「それは領民として当たり前の事なのですよ。ファウスト様」


だが、ファウスト様がフォローしたように。

その気が触れてしまったマリアンヌ様に対しても、どうも領民は逆らわなかったようである。

もちろんマリアンヌ様が実のところは気など触れておらず、領地内に限っては統治や経営でのミスはせず、ファウスト様を超人として完成させたという事実はあるのだが。

それはそれとして、だ。

やはり周囲の貴族から絶縁状態になったことは、マリアンヌ様の明確な失敗と言えた。


「……」


口に出そうものなら殺されてもおかしくないので、口が裂けても言わないが。

ポリドロ家による統治権を、簒奪する事は考えなかったのだろうか。

もはや気が触れたと領民が見做した領主から、村長や従士達がマリアンヌ様を蟄居に追い込み、幼いファウスト様を当主にして周辺領地との関係をやり直す。

その案もあったはずである。

だが、実行には移していない。

状況的に不可能だったのではない、可能ではあったものの、やらなかったのだ。

その原因が、色々なリスクを鑑みてやらなかったのか、単にマリアンヌ様への忠誠が勝ったのか。

「ポリドロ家に逆らうなど死んでも有り得ない」という代々における忠誠なのか。

そこの所が判断できない。

今のところは、だ。


「食事が終われば、果実などを籠に入れて持ち帰ると良い。家族によろしく言っておいてくれ」

「ファウスト様からお気遣いの言葉があった事、しかと家族に伝えます」


まあ、その謎はファウスト様に騎士見習いとしてお仕えする間に、理解できることだろう。

領民が帰り次第、スープの中身を音を立ててかき混ぜる手癖を直すようファウスト様に忠告する事。

それだけは忘れないよう、ポリドロ領の謎については心に留置くことにした。

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