第88話 ファウストと教会

ファウスト様が旅の垢を落とすために湯浴みをされて、ぐっすり眠られた後の翌日早朝。

私ことマルティナとファウスト様は、二人して道を歩いていた。


「どこへ向かわれるのですか?」

「まあ、まずは教会だな」


人によっては黒猫のように嫌われるケルン派の教会である。

ちなみにファウスト様の愛猫、マリアンヌは黒猫である。

先代の御領主であるマリアンヌ様が、軍役である街を通り過ぎた際の事である。

自分の不幸を猫に八つ当たりするような、ろくでもない人間に殴られたのか。

酷く痛めつけられて地面に転がってるマリアンヌを見つけて可哀想に思い、ポリドロ領に連れてきてしまったらしい。

猫好きであったのだろうか?

自分と一緒の名前を付けるぐらいであるから、そうだろうな。

確かに黒猫は不吉の象徴とも言われるが、地方によっては吉兆の前触れでもあり、ポリドロ領においては明確に後者である。

ファウスト様に言わせれば、猫は黒かろうが白かろうが、みな平等に可愛いと仰せであるが。

まあ、ファウスト様と愛猫の話をいつまでもするわけにはいかない。

そう広い村でもないし、教会にはあっさりと着いた。

小さな教会、ではない。

割と大きな教会である。


「この教会、何時の時代からあるんですかね?」

「ポリドロ領の先祖が、この地に根付いた時からあるらしいが。無論、増築に増築を重ねて、少しづつ大きくなっていったのだが」


窓は、王都の教会のようなステンドグラスではない。

光を採るのはガラス窓ではなく、木製の鎧戸である。

そもそもが石造りではなく、木造教会であるのだ。

教会自体は大きくはあるが、外観は質素な物である。

これはケルン派の嗜好というより、おそらくは単に原材料の木材が多くとれるからだろうな。

この領地に石工は居ないと聞くし。


「どうも、アンハルト王国に当地の初代ポリドロ卿が騎士として取り込まれる事になった際、すでに領地においては、ケルン派が祭事を取り仕切っていたらしいのだ」

「はあ」


生返事をする。

少し言葉の意味が分かりづらかったからだ。

うん?

騎士として取り込まれた?


「ファウスト様、少々疑問が有るのですが。取り込まれたとはどういう意味で?」

「どういう意味も何も、そのままである。もう本当に大昔からこの地に住んでいたポリドロ家がアンハルト王国とヴィレンドルフの小規模戦争に巻き込まれ、初代ポリドロ卿となる方が領民を引き連れて嫌々アンハルトに味方した。その後アンハルトがその戦争で勝利した際に、そのまま初代ポリドロ卿を封建領主として認めたのだ」


なるほど。

まだ王領ではない土地における開拓団のリーダーが、そのまま騎士になった形なのか。

多くの封建領主が、自らの土地を一家伝来の土地と発言することがあるが、基本的にそれは嘘である。

もちろん数世紀前の事なので、まあ一家伝来と言い張っても許されるところはあるかもしれないが。

古きを辿れば軍事力を維持するため臣従の誓いを立てた従士達に、王が領地を「恩貸地」として与え、代わりに戦場に出る軍役義務を負わせたというのが本当である。

封建領主達が、それをそのまま自分たちの領地であると決め込んで、奪ってしまったのだ。

元々は王か教会が所有する土地であり、本当に先祖代々の土地と言う事は少ない。

少なくとも私が住んでいたかつての領地ボーセル領は、遥か昔にアンハルト王家が切り分けて与えた土地のはずである。

今はまた王領となってしまったが。


「珍しいケースですね。本当に一家伝来の土地だとは」

「そうらしいな。まあ王家に血が繋がってるわけでもないから何の意味もないのだが。基本的に軍役以外は王都と関わって来なかった家系であるし」


確かに。

良く考えれば、アンハルト王家に本当に昔から何代、下手すれば十数代も古くから仕える騎士と言えば聞こえはいい。

だが、まあ聞こえが良いだけで、王家や他貴族との縁故は悲しい程に無いといえばそうであろう。

猫とファウスト様には優しかった先代マリアンヌ様は周囲の貴族に狂人のように扱われ、周辺封建領主との拙い縁も完全に途切れてしまったと聞いているし。

まあ、そんな話はどうでもいい。


「アンハルト王家なんぞ関係ありませぬよ。お帰りなさいませ、ファウスト様」


ケルン派の普段着であるカソックを身に纏って現れた中年女性が、ゆっくりと現れた。

もちろん週に一度の礼拝は欠かしていないので、顔は良く知っている。

ファウスト様の騎士見習いにあたって、ケルン派への宗旨替えも済ませているのだ。


「ファウスト様。もうご存知でありましょうが、王都にて第二王女親衛隊長ザビーネ様がケルン派に改宗したと聞きましたが」

「王都を離れる際、ザビーネ殿から直接聞いたよ。親衛隊及び、新たに雇い入れる従者も全員改宗させるとか言ってたが、本気なんだろうかアレ?」


ザビーネ殿も改宗したのか。

改宗で思い出した。

どうも週に一度口に施される、ケルン派の塩っ辛い聖餅の味が嫌いなのだが。


「本気であれば嬉しいですね。なんだかんだ、信徒の数は力ですので。もちろんザビーネ様が代わりに何を欲しがっているのかは理解していますが」

「マスケット銃か」


神母、ファウスト様、私の三人で教会の中央。

教会の中央に飾ってあるマスケット銃を見る。

……ポリドロ領みたいな、言っちゃなんだが辺境も辺境まで一々マスケット銃を配布してるのかケルン派?

何故そこまで火力を信仰しているのだろうか。

ケルン派に聞きたいことが三つほどある。


「唐突ですいませんが、神母様。三つほど質問があるのですが」

「構いませんよ、信徒マルティナ。何でしょうか?」


まずは一つ目。

先ほども頭に思い浮かべた事だ。


「何故ケルン派の聖餅はあんなにも塩辛いのですか?」

「戦場では汗をかきやすいので」

「……」


ケルン派の聖餅が塩辛いのは、戦闘糧食だからだ。

なるほど、単純な答えであった。

ケルン派は頭がおかしいから仕方ない。

それはケルン派に対する、一般良識人の合言葉である。


「納得しましたか?」

「納得しました」


一つ目の質問終わり。

二つ目の質問。

これは毎朝迷惑してる事だ。


「何故ケルン派は猿に似た奇声を発しながら、狂ったように大木をメイスで殴りつける習慣があるのですか?」

「ウチの助祭の事でしょうか?」

「そうです」


毎朝の事だ。

どうも靄もまだ晴れぬ朝方、どこからか猿に似た奇声が聞こえる。

キエーだの、ウララーだのようわからん叫び声も混ざる。

猿には似ていたが、確かに人の声だった。

正直9歳児の身の上としては怖くて仕方なかったのだが、気になったので見に行った。

そこに居たのは奇声を発しながら、狂ったように大木をメイスで殴りつけている助祭であった。

修道女の服を着ているが、将来は目の前の神母様の代わりを務めることになるであろう人物である。


「アレはケルン派の習慣ではありません。ファウスト様の英傑歌に憧れ、いつか私も戦場に連れて行って欲しいという彼女の憧憬の発露であります」

「朝はゆっくり眠りたいので、すぐに止めるよう言っといてください」

「善処いたします」


少し横に立つファウスト様の顔を覗けば、やはり辛い顔をしていた。

いくら優しいファウスト様でも、ポリドロ領の全てをフォローする事は出来ないのだ。

だが、少し思うところがあったのか口を開いた。


「私の幼少の頃の記憶が確かならば、確か神母様も若い頃は同じように大木をメイスで殴りつける癖があり、母上に叱られていたような気がしたのですが」

「あの頃のマリアンヌ様は苦境にあり、病弱の身を押して軍役に出陣される有様でした。何か少しでも自分は力になれないのか。そのような事を考え、とりあえずのアピールとしてメイスで大木を殴りつけていたのです」


聖職者としての仕事しろよ。

なんで戦場で貢献できることをアピールしようとするんだ。

真剣に頭がおかしいのか?

そのような言葉が頭に思い浮かぶが、ファウスト様が悲しい瞳の色をしていたので止めることにした。

ケルン派は頭おかしいのしかいない。

それはアンハルト王都のみならず、かつてのボーセル領のような封建領主の隅々にまで知れ渡っていた。


「三つ目の質問、よろしいでしょうか?」

「どうぞ」


もうなんだか9歳児としてはファウスト様の手をそっと掴み、屋敷に帰る事を促したいのであるが。

一番気になっている三つ目の質問を行う。


「ファウスト様が使用なさっているグレートソード。それはかつて、教会に飾られていた魔法の品であると伺いましたが」

「はい、そうですよ。今マスケット銃が飾られている場所には、本来はファウスト様のグレートソードが飾られていました」


教会中央の祭壇に祭られたマスケット銃。

火力偏重であるケルン派。

そのモットーである「味方を救うためには、敵を一兵でも多く殺せ」を象徴した火器が飾られている。

少しげんなりしつつ、素直に疑問を口にする。


「なんで魔法の品があったのです? お高い物でしょうに」


ファウスト様愛用のグレートソード。

英傑譚を支える武器であり、チェインメイル程度であればバターのように切り裂いてしまう。

ポリドロ家先祖代々の品であり、初代ポリドロ卿の頃から教会に飾られていたと聞いている。

ファウスト様が手にするまでの経緯がよく判らない。


「身も蓋も無い事を言うと、高くなかったからですよ。むしろタダでした」

「タダ?」

「一から説明しましょうか。そもそも、あれは初代ポリドロ卿が討ち果たしたヴィレンドルフの騎士が所持していたものなのですよ。先ほどファウスト様が仰られていた話は覚えていますね」


覚えている。

アンハルトとヴィレンドルフの小規模戦争が起きた際、初代ポリドロ卿がアンハルト側に立ち、その返礼として騎士任命とポリドロ領の支配を認められたと。

要するに、だ。


「初代ポリドロ卿が参加した戦にて、敵から奪い取ったのですか?」

「そうなりますね。どうやって、魔法のグレートソード所持者の、おそらくは指折りの超人であろう騎士に勝ったかは記録に残っていませんが」


ファウスト様の先祖と言うからには、ひょっとしたら一騎打ちで倒した可能性も無くは無いが。

古すぎて、ヴィレンドルフの方でも記録が残っているか怪しい物だ。

私の顔を眺めながら、神母は話を続ける。


「で、奪ったは良いのですが。どうも初代ポリドロ卿には扱えぬ品だったようで、教会に飾られる事になりました。そこから数世紀となります。一度として、このグレートソードを扱える人間は領内に現れなかったのです。何せ、取り回しが悪い。魔法の品と言えば聞こえは良いのですが、信徒マルティナ。貴女はあのグレートソードを見事振り回す事が出来ますか? 大人に成長してからの想像でいいです」

「不可能です」


あっさり答えた。

そもそもグレートソードと呼称しているが、今時においては神聖グステン帝国皇帝直下の傭兵部隊ランツクネヒトが使用する大剣の分類、ツヴァイヘンダーと呼ぶのが正確ではないか。

それもパレード用ないし展示用でしかない、およそ実用とは思えないサイズと重量のそれである。

長柄のハルバードよりは短いが、それでも剣としては長大で重量のある品。

両手でも厳しいのに、それを片手で容易く手足のように振り回すファウスト様がおかしいのだ。

一介の騎士見習いとして言わせてもらうならば、あの異常な光景を見ただけで誰もが戦意を喪失するだろう。

勇気を振り絞ってファウスト様の眼前に立ち塞がる者は、その時点で勇者と認めて良いのではなかろうか。


「ですが、ついにファウスト様という超人が現れました。15歳の初陣の際、教会に訪れてファウスト様は仰いました。教会の飾りにし続けるのは勿体ない。アレは元々はポリドロ家の所有品であるし、返してもらうぞ、と」


その初陣にてファウスト様は敵山賊30名の内、20名を自分で斬って捨てたと聞く。

初陣の時、ファウスト様はさすがに自分の死も覚悟していたとも聞くが、絶対嘘だろと思う。

山賊が可哀想になるほどに、一方的な殺戮が繰り広げられたに違いないのだ。

一撃で人が真っ二つになっていく光景に、何の覚悟もない山賊などあっさり恐慌状態に陥ったのは間違いない。

恐慌状態の山賊を容易く惨殺していくファウスト様と、それに従うポリドロ領民達。

ファウスト様は、こと自分の事に関しては全く信頼できない語り手なのだ。

とにかく惨い。

――ファウスト様を御恨みするつもりは全くないが、母カロリーヌはどのような心境で立ち向かったのであろうか。

いや、このような事を考えるのは良くない。


「まあ、ともあれそのような経緯で、今はファウスト様があのグレートソードを使用しておられるのです」


少し頭によぎった苦悩を断ち切るように、首をぶんぶん横に振る。

とりあえず、なんだ。

三つの疑問は解決した。

私の感想としては、こうだ。

ファウスト様も、ケルン派も、何か私の常識とは範疇外の世界で生きているのだ。

全く何の変哲もない普通の9歳児、マルティナ・フォン・ボーセルとしてはそのような事を考えるのだ。

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