第40話 憎まれる覚悟

墓地。

クラウディア・フォン・レッケンベルの墓前。

その墓前には、大量の花が捧げられている。

ああ、レッケンベル殿は本当に国中から愛されていたのであろう。

花の質で判るのだ。

平民が小遣い銭で花売り娘から買えるような質素な一輪の花から。

貴族が大枚はたいて買ったような、豪勢な花束まで。

全てが揃っている。

それが一目で判る様子であった。

私が倒した、そのヴィレンドルフきっての英傑の墓の前に膝を折り、アンハルト王宮から盗んで来たバラの花を捧げる。

リーゼンロッテ女王の大切にしている亡き王配のバラ、その価値は捧げられた花の中でも高い方だと思う。

きっと、レッケンベル騎士団長はヴァルハラで大爆笑していよう。

それはよい。

それはよいのだが。

私を貫く視線、それが背後からでもよく判る。

この超人的感覚では、手に取るように判るのだ。

ニーナ・フォン・レッケンベル。

レッケンベル騎士団長の忘れ形見、その一人娘。

彼女はカタリナ女王との謁見を終えてから、墓に案内するまでの間、一言も喋らなかった。

こっちも同様である。

語り掛けることはできなかった。

自分が戦場で殺した相手の、一人娘にどう語り掛けて良いか判らなかったのだ。

目を瞑る。

今はただ、レッケンベル騎士団長の冥福を祈る。

ヴァルハラで確実にエインヘリヤルとして歓迎されたであろう、彼女の冥福を祈るのも変か。

ヴィーグリーズの野にて、敵である巨人どもを相手にまわしての活躍を、代わりに祈る事にしようか。

私は瞑目し、祈りを続ける。

それが数分経った頃であろうか。

私は立ち上がり、ずっと私の背後を貫いていた視線の主に声を掛けた。


「行こうか。ニーナ嬢の屋敷に」

「王都を見て周る気はありませんか? カタリナ女王はそのように」

「いや、目立つのは御免だ。なにせこの体格なのでな。このような背の高さの男、目立って仕方ないだろう」


フリューテッドアーマーはすでに脱ぎ終えた。

おそらく、帰路につくまで着用することは無いだろう。

今は用意しておいた礼服で、ニーナ嬢に相対している。


「そうですか、では我が屋敷に案内します。再び、馬車にお乗りください」

「判った。マルティナ、行くぞ」

「了解しました」


第二王女、ヴァリエール嬢はこの場に居ない。

今日はもう何もしたくない、と憔悴しきった顔で、第二王女親衛隊を引き連れニーナ嬢の屋敷に先に向かった。

可哀想に。

いや、心労の一つ、バラを盗んだのは私のせいだが。

後はカタリナ女王との交渉で気疲れしたのであろう。

ヴァリエール様は初陣で成長した。

私から見ても、そう感じ取れる。

だが、才能としてはやはり凡人なのだ。

女王の気に当てられるのは厳しかったか。

そんな事を思いながら、馬車に乗る。

馬車に乗るのはニーナ嬢、マルティナ、それに挟まれて私。

まだ幼いともいえる少女二人に挟まれる、身長2m超えの筋肉モリモリマッチョマンという構図。

奇妙な光景であった。


「マルティナ・フォン・ボーセル殿」

「はい」


私という巨大な肉塊の存在を無視して。

ニーナ嬢が、マルティナに声を掛ける。


「憎しみはないのですか?」


その発言は、唐突であった。

意味は理解できる。

母親を殺した、ファウスト・フォン・ポリドロという人物が憎くはないのか。

そういう意味であろう。


「ありません」


マルティナはあっさりと答えた。


「母は売国奴でありました。貴女の母のような、国中がその死に涙する英傑とは違うのです」

「だが、母親であった」

「それがどうしました」


ニーナ嬢の問いに、マルティナが跳ね除ける様に答える。


「母親です。しかし、売国奴でした」

「お前は、あの謁見の場にいた。ファウスト・フォン・ポリドロ卿の、母君マリアンヌ殿への慟哭を聞いた。何も感じなかったのか。お前の母は、お前を愛さなかったのか」


ニーナ嬢の、再びの問い。

私を引き合いに出されたが、私は口を挟む気にはなれない。

黙り込み、マルティナの答えを待つ。


「母は、カロリーヌは、私を確かに愛しておりました」

「なら」

「なれど、ファウスト様を憎みなどしませぬ。あまりに筋違いであります」


マルティナが、ニーナ嬢を無視する様に顔を背けていたのを止め、ニーナ嬢の目を見つめる。


「貴女は、ファウスト様を憎んでおいでですか」

「侮辱するな! 憎んではおらぬ!!」


揺れ動く馬車の中、その小さな背でニーナ嬢が立ち上がる。


「正々堂々だ! 正々堂々、ポリドロ卿は我が母上を討ち取ったのだ。そしてその遺体を丁重に返却し、その闘いを生涯忘れないとまで言ってくれた。この王都までの道中にて、我が母上への弔いのようにあらゆる騎士の一騎打ちを断らず、ここまで来たのだ! それを、それを」


ニーナ嬢が、感情的な声を張り上げるが。

やがてそれは途中で止まり、ニーナ嬢の従士であろう馬を引いていた者が馬車の中を覗き込む。

ニーナ嬢の叫び声が聞こえたのであろう。

馬車は一時、停止する。


「失礼します。ニーナ様、何か」

「何でもない。馬車を止めないでくれ」


ニーナ嬢は座り込み、口を閉じる。

従士は馬車の中に突っ込んだ首を引き戻し、再び馬を操る。

馬車が動き出した。


「憎む事など。憎める要素など、どこにもないのだ。憎めば、ヴァルハラにいる母上が激怒するであろう」


ニーナ嬢の、自分に言い聞かせる様な呟き。

嗚呼。

ニーナ嬢は、悩んでいるのだな。

ならば黙ってはおれず、口を開く。


「ニーナ・フォン・レッケンベル殿。貴女の名前を、私は何とお呼びすればよろしいか伺っても?」

「……ただのニーナでいい」

「では、ニーナ嬢。私を憎むと言う感情は悪い事ではありません」


言い聞かせるように、呟く。

憎まれたくはない。

好んで憎まれたくはないんだがなあ。

この子には、私を憎む資格があるのだ。

だから。


「憎むという事も、愛するという事も、執着から産まれます」

「執着?」

「執着です。例えば、私は領地に執着しております」


先祖代々の領地。

ポリドロ領。

大した特産品も無い、どうという物もない領地だ。

300人ぽっちの領民が食べて行き、そして少ないながらも食料を輸出して金銭を得られる程度の領地。

だが。

私が先祖代々、いや、母マリアンヌから受け継いだ領地なのだ。

その墓地では、母の遺骸が静かに眠っている。


「私は、その執着を肯定します」

「どういう意味で肯定すると?」

「貴方が母君、クラウディア・フォン・レッケンベルを心から愛しておられたならば」


一つ呼吸を置き。

続き、呟く。


「貴女には、私の首を討ち取る権利がある」


ああ、言ってしまった。

言わずともよい台詞を。


「私に、ポリドロ卿を憎めと言うつもりか?」

「少なくとも、私は憎まれて当然の立場の人間だと自覚しております」


この国では誰もが私を賞賛する。

騎士の誉れであると。

亡きレッケンベルも喜んでおられるだろうと。

だが、果たしてそうなのだろうか。

本当にそれが正しいのだろうか。

愛する母親が殺されたのだ。

それが私の立場ならば――そんな相手、憎んで当たり前ではないか。

ニーナ嬢の心境を想う。

ヴィレンドルフの誰もが、私、ポリドロ卿を肯定する。

ヴィレンドルフの価値観は、私を、ポリドロ卿を憎む相手ではないと肯定してしまう。

母親を殺されたニーナ嬢は、たまらなかったのではないだろうか。

自分の憎しみの感情は間違ったものであると。

そう、周囲から決定されてしまった。

だが、良いのだ。

私は今まで殺してきた敵の親族に憎まれる覚悟を持って、ここに居る。


「覚悟が出来たなら、いつでも、挑んでおいでなさい。喜んで、とは申しませぬが相手を致します」


私は優しく、ニーナ嬢に語り掛けた。

ニーナ嬢は、少し沈黙した後。


「もう、いい。私のこの感情が、おそらく、憎しみという感情が」


ニーナ嬢が、まだ未成熟のささやかな胸を押さえる。


「間違っていないと肯定されたならば、それで良い。おそらく、私とポリドロ卿が争う未来はないであろう。今回定められた10年の和平交渉は、きっと延長される」


そして、何かを静かに諦めた。

そういう表情で、呟いた。


「だが、ポリドロ卿。刃引きの剣で良い、殺し合いでなくともよい。いつか私が16歳を迎えたら、闘ってはくれないか。ヴァルハラから眺めている我が母上に、自分が如何に成長したかを見せたいのだ」

「承知」


私は短く答えた。

さて、ニーナ嬢と二人で話し込んでしまったが。


「マルティナ」


騎士見習い、我が従士に声を掛ける。


「何でしょうか」

「マルティナの母親、カロリーヌと私は一騎打ちをした」

「知っております」


であろう。

だが、まだお前に伝えていない事がある。


「死の間際のカロリーヌに、何か言い残す言葉があるかと私は問うた。帰って来た言葉は『マルティナ』の一言だけであった」

「……それが、どうしました」


マルティナが不機嫌そうにそっぽを向く。


「お前も、私を憎んでよいのだ」

「私は貴方に、その頭を地に擦り付けさせて、命を救われた身です。恩知らずにはなりたくありませぬ」

「あれは、お前を救いたかったのではない」


そうだ。

厳密にいえば、マルティナ個人を救いたかったのではない。

たまたま、自分の懐に窮鳥が飛び込んでしまっただけ。

戦場でもない平時で、子供の首など自分の手で斬れるはずもない、そんな前世の価値観の暴走。

相手が誰でもリーゼンロッテ女王に懇願し、助けたであろう。


「自分の酷く歪んだ誉れがそうさせただけだ。だから、マルティナがそれを気にする必要はない。何度でも言う。憎んでよい。私はその覚悟の上で人を殺している」

「いつまで、その様な生き方を続けるおつもりですか」

「私が死ぬまで。恐らくは誰かに殺されるまでだ」


きっと、ベッドの上では死ねまい。

それは覚悟している。

それは別に良い。

私が欲しいのは、我が領地を受け継いで、立派な領主騎士として生きてくれる跡継ぎだ。

それさえ作れば、人生に悔いはあれど、死んでしまっても構わないと覚悟はできる。


「ああ、それにしても嫁が欲しい」


少女二人を無視する様に、愚痴る。

いつになったら私は結婚できるのかね。


「……ポリドロ卿にも好みがおありかと思いますが、どのような女ならその身を抱かれると?」


それに反応する、ニーナ嬢の質問。

私は答える。


「純粋であれば、それでよい」


オッパイが大きければそれでよい。

処女、非処女など問わぬ。

誰を過去に愛そうが、どんなに男女経験があろうが構わぬ。

むしろ未亡人は興奮する。


「純粋?」

「そうだ。純粋だ。ああ、男女経験がという意味ではないぞ」


最後に、そのオッパイの大きい女が私の傍にいて、子を産んでくれればそれでよいのだ。

それが私の純粋という言葉の意味である。

どこまでも純粋な私の感情。

巨乳への憧憬。

それが私の恋愛定理である。


「まだ、ニーナ嬢には早いかもしれないがね」

「でもファウスト様童貞ですよね。恋愛経験ゼロですよね。そんなドヤ顔で恋愛語られても」


マルティナの強烈なツッコミ。

事実ではあるが、そう言われても。

アンハルト王国では不人気な容姿の私が嫁を娶るには、童貞であるという貞淑さが必要なのだ。

モテないから、恋愛ができない。

そして恋愛がよく判らないから、ますますモテない。

そしてモテないから、結婚するためには童貞を必死で守らざるを得ない。

負のループである。


「私の、ヴィレンドルフ人の目から見て、ポリドロ卿がモテないというのは正直理解しがたく、貴方が語る純粋という言葉の意味もよく判らないのですが。まあ、よしとしましょう」


コホン、と咳をつき。

ニーナ嬢は、微笑んだ。


「ポリドロ卿、私は貴方を憎んでおりました。ですが、男としての価値を見出してないとまでは言っておりませぬ。私が16歳の時、勝負にて勝利した暁には、その肌身を私に許していただきたいものです」

「12歳のマセガキの言葉としか思えないね」


私は軽くあしらう。

私はロリコンではない。

大きいオッパイを信仰しているのだ。

つまり熱愛者なのだ。

私は良き騎士であり、勇敢な戦士であり、そしてオッパイの熱愛者であって、立派な領主騎士なのだ。

是非とも、そこのところを理解してもらいたいものだ。

だが、もしニーナ嬢が、その未成熟なオッパイが成長したのならば。

その時は相手をするのもやぶさかではない。

まあ、わざと勝負に負けてやる様なマネは、騎士として死んでもせんがね。

ファウスト・フォン・ポリドロはポリドロ領の名誉のため、無敗である必要があるのだ。

少なくとも、私の跡継ぎが産まれるまでは。


「ニーナ様、屋敷に到着しました」


馬車が止まる。

その屋敷は法衣貴族のそれとしては巨大であり、確かに第二王女親衛隊14名を招くスペースもありそうであった。

クラウディア・フォン・レッケンベルが如何に王家から重用され、愛されていたかがうかがい知れる。

正直、大臣が住むような屋敷だろコレ。

さすがに我が領民30名は、王都の宿屋を手配してもらえるようお願いしてあるが。


「では、屋敷にお入りください」


私は先に馬車から降りたニーナ嬢に従い、マルティナを引き連れて屋敷内に入る事にした。

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