150年延期する大阪万博のために、たこ焼きを作る話(夕喰に昏い百合を添えて 9品目)

広河長綺

第1話

たこ焼きの香ばしい匂いが、あたり一面に充満している。

とても食欲を刺激してくる匂いなのだが、あまりにも濃密で、少し気持ち悪くもなってくる。


なにせ、524人もの中高生の少女たちが、一斉に「大阪万博限定たこ焼き」を作っているのだ。

山のふもとの広場、つまり屋外で調理しているのに、たこ焼き器が多すぎて煙がきつい。視界が白く濁っていく。

さらに調理中の女の子の周囲を踊る鹿の皮を被ったシャーマンが、気持ち悪さに拍車をかける。見た目が不気味なだけでなく、体に神聖な香が塗り込まれており、それが臭い。


だが当人の女の子たちは、悪臭も煙も意に介することなく、一心不乱に調理を続ける。

このコンテストに勝てば、命の輝き様がたこ焼きを食べてくれるからだろう。

つまり最高の栄誉が与えられるということだ。


スピード、盛り付け、味。


この1年、少女たちはずっとたこ焼きを改良し続けてきた。

命の輝き様に、食べてもらうために。

その成果がここで決まる。

だから、少女たちは目を見開き、額を汗まみれにしながら、たこ焼きを焼く。


踊るシャーマンたちが調理場の周囲を3周した頃。


ついに、1人の女子生徒がすらりと手をあげた。

「―――長老、料理できました!このたこ焼きはどうでしょうか?」

ピンと伸びた背筋が特徴的な、優等生的な少女が立ち上がった。赤みがかったサラサラのポニーテールが、ふわりと揺れる。セーラー服のスカートから覗く手足は白くて、心配になるぐらい華奢だ。

凛とした佇まいから、圧倒的な真面目さと控えめな自信が感じられる。


美穂。この村の少女で一番優秀と言われている女の子だ。

美穂はたこ焼きの1つに爪楊枝を刺すと、大胆にも長老に差し出した。

「どうか、試食してみてください」


自分から、長老に差し出すなんて。


周囲の女子たちの間でざわめきが広がる。

ここ、大阪万博準備村では、長老が主導権を握らなければならない、とされる。

長老が一番最初に行動する。長老に対していかなる助言もしてはならない。

というのが、基本だ。


しかし、長老は「おお、いいね」と言い、美穂に言われるがままに、たこ焼きを口に運んだ。

出しゃばるなよと怒ることもない。

美穂が長老に信頼されていることがわかる。


「どうぞ、長老!お代わりです」

追加でたこ焼きを差し出す美穂の頬は少し赤みが差し、どこか興奮しているようだった。

「このたこ焼きでどうでしょうか?」


「うん、良いじゃないか美穂。どんどん上手くなっているぞ」

「ありがとうございます」

「しかしねぇ、美穂ちゃん、まだ美味しくすることはできるぞぉ」

猫なで声で、長老が美穂を慈しむようにアドバイスする。

「究極の味には到達できていない。たこ焼きの味を改善し始めたのは、美穂の曾おばあさんだが、彼女は至高の味に到達できるのは200年後と言っていた。だから、あと50年は改善を続けてみてくれ。そして完成したら、命の輝き様に献上しよう」


美穂は笑顔で頷いた。「了解いたしました」


長老に律義に深くお辞儀して、それから、美穂が離れたところから見学していた私の方に向かって走ってきた。

「ねぇ、絵里―!すごかったでしょ?」と誇らしげだ。


「大丈夫だった?随分長いこと長老と話してたみたいだけど」

心配する私に、美穂はニコニコの笑顔を返してきた。「うん。長老さんに褒めてもらえたよー」

「ふーん、よかったじゃん」

「これも絵里ちゃんのおかげだよ」

「私?」

「うん。絵里ちゃんが、なんだかんだ言って大阪万博の準備のために頑張って日程調節とかしてくれたから」

ひねくれ者のわが子を褒める母親のように、美穂は笑った。


別に大阪万博のためじゃなくて美穂の頼みだったからなんだけど、と思いながら

「これからどうするの?」

と、訊いてみた。


「そりゃあ、50年後にたこ焼き開発プロジェクトは終わるって長老さんが言ってたから」首をかしげて、美穂は私の顔を覗き込む。大阪万博開催に向けた使命感にあふれる凛々しい目つきだった。「逆に言えばそれまではたこ焼きの味を改善し続けることになるんじゃないかな」

「ことになる、じゃなくてさ。美穂はどうしたいの?」

「私が〈どうしたい〉とか関係ないよー。大事なのは大阪万博を成功させるために、私が〈何をすべきか〉だよ」

「…ほんとに、美穂って優等生だよね」

大阪万博と長老をキラキラした瞳で信じている美穂をみて、私はため息をつかずにはいられなかった。

「どうしたの、私たち幼馴染なんだから、私の成績がいいことぐらい絵里ちゃんは知ってるでしょ?でも絵里ちゃんは学校の成績でははかれない頭の良さがあって、その能力でしっかり大阪万博に貢献してると思うよ」

「…そう」

「じゃあ、私はまだ作業があるから、後でね。」


去っていく美穂の背中を見送りながら、私は「しょうもないな」と思った。

大阪万博が延期になって150年が経っている。その間日本はどんどん少子高齢化で過疎化して、東京だけに人材や企業が集中するようになり、東京以外は森林の中に部族が暮らすようになった。

こんな状態で、いつか大阪万博が開催できる日が来ると思っているんだろうか。

バカバカしい。


憂鬱な気分になってきたところで、悪寒が背中を走った。


視線を背後から感じたのだ。

慌てて、振り返る。


誰もいない。

気のせいかとも思ったが、違った。確かに、人はいない。

しかし、視線を上にあげれば、背後の山の頂上には命の輝き様が祀られている。

視線の主は、命の輝きだった。

ドーナッツ型の赤い体に、青い目がランダムについている。

見上げると、命の輝き様の青い瞳と目が合った。

グニグニした肉の中で、ギョロっと動き、私を睨む。

視線を感じて、心底ぞっとした。

振り返り、そそくさと部屋に帰ろうとして、足が止まる。



まるで、命の輝きから逃げてるみたいじゃないか。



大阪万博の悪口を言っていたのに、命の輝きによる一睨みでビビり逃げ帰る。そんな自分の無様な姿が癪に障った。


私は、逃げない。


衝動的な怒りを胸に、親戚のおばさんに電話した。

あの人はずっと前から、命の輝き様の管理をしている。

私が頼めば、命の輝きを見せてくれるかも。


そんな企みを胸にスマホに向けた私の耳に、

「おっ、もしもし。絵里ちゃんじゃないの。どうしたのー?」

久しぶりのおばさんの明るい声が聞こえてきた。


「今から命の輝きのところに行きたいんですけど、大丈夫ですか。」

「あぁ、いいよー。大歓迎!」受話器越しでもウンウン頷いているのがわかる程の食いつきだった。「今命の輝きの世話をしてるのは、私だけだから、私の権限で入れさせてあげられるよ。むしろ若い女の子と話して活力を得たいから、来てほしいぐらい」

「わかりました。今から向かいます」


村の北の端にある高台の東の斜面に、石の階段がのたうつように走っている。500段くらい登ったら命の輝きが祀られている頂上につくのだが、200段を過ぎたあたりから酸っぱいツンとした匂いが周囲に満ちてきた。

どこか、嗅いだことある悪臭だなと思いながら、階段を登る。


あ、そうか。これはトイレの匂いだ。アンモニア臭ってやつだ。


匂いの正体に気づいたときに、頂上に着いていた。


顔を上げると毒々しい赤が、目に飛び込んでくる。

下から見ているとわからないが、至近距離まで見ると、命の輝き様はとても大きい。

何本も浮き出て拍動する血管が、小指の太さだ。

これが、命の輝き。大阪万博準備村を支配する、正体不明の怪物だ。

一説によると100年ほど前に大阪万博のマスコットとして作られたかもしれないとか。

でも今は「なぜこんなキモい生物を崇めているか」すらわからずに、ただ慣例に従う長老の言うままに、みんなが崇めている。

大阪万博準備村の愚かさと老害の象徴。


その根元で腰かけているすらっとした中年の女性がいる。「あらー、来てくれたのね。前に会ったときより大きくなってるじゃないの」

管理人の洋子おばさんだった。上品そうな口調からはおしゃれなおばさんのイメージだったが、実際に会ってみると青い作業着を着ていて少しギャップを感じた。


「お久しぶりです」


「それで?」

洋子おばさんは、首を傾げた。見透かしたような目つきで、尋ねる。「いきなり連絡してきてどうしたの?何か聞きたいことでもあるのかしら?」


「洋子さんは、ここで命の輝きの世話をし始めたのはいつの頃ですか」


「ああ、そんなこと?そうねぇ、今から50年前の頃だったわ」


「え、じゃあその時洋子さんは、」


洋子おばさんは、遠くを見る目をした。「10歳だったね」


「今までその仕事してきて、苦痛だったりはしないんですか?」


「10歳くらいの頃はねぇ、いつかこの万博開催予定村から逃げようって思ってたの」


「今は」


「今は、そんな愚かなことは思わないよ」そんなの当たり前じゃないかと言うように、おばさんは笑っていた。「だって大阪万博開催は日本の希望だからね。大阪万博さえ開催できれば、昔みたいに日本の全土が東京なみの発展した都市になるのだから」

「そう、ですね」


そこからは昔の日本がどれだけ発展していたかという昔話が始まった。

もう、会話がしたくなくなって、私は適当な相槌だけを残して、その場を離れた。

老人の自慢話がツラいのではない。あの利発なおばさんが、命の輝きの世話をするうちに、こんなにも悲しい話をするようになってたことが、嫌だった。


逃げるように階段を駆け下りながら、何故こんなにも気分が悪くなるのか、理解する。


このおばさんが、美穂の将来だからだ。客観的に見て開催できるわけない大阪万博のために、二度と手に入らない若さを犠牲にする。おしっこの匂いがする肉塊の奴隷として、「昔はよかった」と言いながら一生を終える。


美穂のような、可愛くて性格が良くて頭がよくて料理も上手な、ハイスペック女の子が、おばさんのような無価値な人生を送っていいはずがない。そんな理不尽があってたまるか。


私は山から駆け下りた勢いそのままに、寝床エリアに向かった。

もう、日が落ち始めているので、日中たこ焼きを作っていた女の子たちが、各自テントを立てて寝ている。

大阪万博準備村の建物は大阪万博が始まった時のために使わずとっておく。

だから村人はみんな、野生動物除けの焚火をしてテントで寝るのだ。


美穂のテントの赤色を私は覚えている。


だから私はそのテントに飛び込んで「美穂、私と一緒にこの村を出よう!!拒否権は、ないから」と言って、ナイフを美穂に向けた。


あまりにも乱暴な手段。

でも、山から駆け下りてここに来るまでの時間では、これしか思いつかなかった。

抵抗されることも覚悟している。その時は無理やりにでも連れ出して、いつか大阪万博の希望の幻から、目を覚まさせる。


そう意気込んでいたのに。実際の美穂は、「やっぱり、絵里ちゃんも同じだったんだね」と笑顔だった。


「同じ?」

「私も、絵里ちゃんと同じこと考えていたんだよ」肩透かしを食らった私に、美穂は優しく笑う。「大阪万博なんてクソだと思ってたの」


そう言って、3cmほどの大きさの瓶を私の前に置いた。

黄色い液体が入っている。

「私は、絵里ちゃんと違ってここから出ていくだけでは満足できなかったの。みんなも救いたくて。だから私は命の輝きにたこ焼きを献上する役を勝ち取ったうえで、この物質をたこ焼きに入れようと考えてる」

「何、これは」

「絵里ちゃんなら、わかるでしょ?」美穂は微笑んだ。「毒だよ。命の輝きの毒殺計画に、絵里ちゃんも協力してほしい」


そう言いおわるやいなや、美穂は私に抱き着いてきた。

私はナイフを、落とした。


はじめは、拒否しようと思った。50年も待っていて、状況が変わったらどうするのか。そもそも普通の毒物が、あの命の輝きに効くのか。もし効いたとして、人々は大阪万博の準備をやめるのか。

いくらでも穴が見つかる計画だ。


でも、そんな冷静な思考が消し飛ぶほどに、「美穂も命の輝きに逆らおうとしていた」という事実がどうしようもなく嬉しい。

疑念も懸念も、私を抱きしめる美穂の体温が溶かしていく。


気が付くと「…わかったよ」と歯切れ悪く頷いていた。


これほど気分が高揚して頷いても、100%の同意はできない。

何に引っかかっているかは、自分でわかっている。


結局同じなのだ。

低い確率の望みに縋っているという点で、大阪万博の開催の可能性に150年縋っている大人たちと、「50年後に命の輝きを殺そう」と言っている私たちは、何も変わらない。

だから、せめてしっかりとした終わりを作ろうと決意する。

引き際を失った大阪万博と同じにならないように。


私は50年後に、命の輝き様の殺害に失敗したら、美穂を殺して自分も死ぬ。

この気持ちだけは忘れずに生きていく。

この気持ちだけが、私たちと大人たちを隔てる物だから。


そう決意しながら、私は「わかったよ、美穂ちゃん。一緒に頑張ろうね」と言って美穂を抱きしめた。


美穂は私をより強く抱きしめ返した。


一緒に命の輝きを殺すまで、私たちずうっと一緒だよ。

美穂は私にそう囁いた。



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