ファイル2 攻めすぎには注意しろ事件

「っと、後ろ通るわよ」


 桜浜高校ミステリー研究部は、歴史こそ長いが代々廃部寸前だったらしい。


 そのため割り当てられた部室は狭いくせに、物が多い。


 ミステリー小説、漫画などは当然のこと、安楽椅子、西洋風ランプ、また誰も見ない地球儀、誰も着ないトレンチコート、誰も吸わないパイプ、誰も使い方が分からないレコード、誰も中身を知らないビデオテープなどが所狭しと密集し、隅っこにはダンボールやガムテープもある。


 部員が歩けば、他の部員にぶつかるほどだ。


 だから、やや甘ったるいジャスミンの匂いに気づいた。


「あなたの髪、凛が使っているのと同じシャンプーの匂いがするけど?」


 私が言うと、小説を読んでいたアイリは肩をビクリと震わせた。


 だが、


「そそそそそうなんですか? ああああ頭から出る皮脂が同じ成分なのかもしれませんね」


 相変わらずバグったロボットだった。


 先日から私はたびたびアイリを追求、詰問しているのだが、このロボットはいつもすっとぼけており、私は溜息をつくばかりだった。


 当初、私は実妹から恋愛的好意を持たれていると分かると、改めて悶々と悩んだのだが、このロボットを見るたびに、その悩みが薄れ、溜息で処理するだけになっていたのだ。


 それに、さすがにこんな痛々しい妹を見るのも、それはそれで辛いので、最近ではこれくらいは世間話の一環としてスルーするようになっていた。


「そういえば昨日の、伊達さんは転んだ、見た?」


 私は昨日放映されたドラマに話題を変える。


 ところがだ。


「ああ、あれはまだ見てな――いえ、みみ見ました」


 アイリの答えに、私は少し驚いた。


 そのドラマは現在人気の刑事モノで、私も凛も(アイリも)見ているものだった。


 ただ、夜が苦手な凛はさっさと寝て、番組は録画しておくのが日常であり、このドラマも例外ではない。


 なので、アイリ=凛であるならば、当然アイリはこのドラマを見ていないはずで、私も答えが分かりきっていて聞いたのだが、アイリは見たと言った。


 ひょっとしたら、凛との相違点を作り、別人であることを強調したいのかもしれない。


 だが、


「へえ。見たんだ。どうだった?」


 私はアイリの隣の椅子に腰掛け、話を広げる。


 私は、ここをチャンスと見た。


「どど、どうだったって、面白かったですよ。伊達さんもカッコよかったですし」


「うんうん、カッコよかったわね。それで?」


「そそそそれでって?」


「いや、アイリの感想を聞きたいのよ」


 私は言うが、アイリは返答に詰まり、「ええええええっと」と、バグったロボットに再びなる。


 痛々しい姿だが、この話題ならばアイリを追い詰められるかもしれないのだ。


 私は身を乗り出す。


「えええええ、ででででででも、鈴先輩はまだ見ていないんじゃないんですか? ねねねねネタバレになっちゃいますよ?」


 アイリは必死になって考えただろう言い訳をひねり出してみせた。


 しかもネタバレ配慮という筋の通った言い訳だ。


 それに私がネタバレを唾棄するほど嫌っているのは凛も知っていることだ。


 だがそれでも私は「大丈夫」と手を振ってみせた。


 なにせ――。


「だって、私はお昼にネット配信で見たから」


 私が言うと、アイリは目を見開いた。


 まるで自分が犯人だと指摘されたかのような顔をしている。


 それに対して私はあくまで平然として、世間話をするときの笑顔をキープしてみせる。


 そう。いつもなら私は凛に合わせて録画したドラマを見るが、まれに果南に付き合ってお昼休みにドラマを見ることもあるのだ。


 そして今日がそのまれな日だった。


「ほらほら、感想聞かせて?」


 私はさらに身を乗り出し、アイリの肩を掴む。


 するとアイリは明らかに動揺し、言葉を詰まらせたが、なんとか口を開けた。


「えええええええっと――、じじじじ実は、私も見たは見たんですけど、細かいところは忘れちゃって。えへへへへへへへへへへへへへへ。たたたたたたまに、そういうことありません?」


 アイリは呑気な笑みを浮かべてみせるが、その額にはわずかに汗のきらめきが見えていた。


 それに言い訳も苦しい。


 だが、私の狙いはその妙な言い訳などではない。


 私は「じゃあ」と口を開き、またさらに身を乗り出す。


「じゃあ、私が感想言うわ。そうしたら思い出すでしょう? まずは、これまで謎の黒幕だったミスターFが、まさかあの人だったとはね――」


 私はまたさらにさらにアイリと密着するほど身を乗り出し、プレッシャーをかける。


 するとアイリはまた目を見開くが、目の泳ぎ方はもはや尋常のそれではなかった。


 混乱してきたのか、頬も赤々としている。


 なぜそうなっているのか、無論、語るまでもない。


 アイリはドラマを見たと言っているが、実際は見ていない。


 なのに、私は物語の核心についての話をしようとしている。


 つまり私は、世界中の人間が唾棄するネタバレをしようとしているのだ。


 それにアイリは強烈な不安、あるいは恐怖を感じているのだろう。


 ただアイリはドラマを見たことになっているので、形式的には私はネタバレをしていない。


 もしここでアイリが、ネタバレをやめて、と言えば、自身の嘘が白日の下に晒されてしまう。


 すると、なぜ嘘をついたか、ということが問題になるが、それを合理的に説明できるアイリではない。


 しかも、その上で私は、アイリが「トイレ」などと言って逃げ出したりしないように、興奮しているのを装って、身を乗り出し続ける。


「ミスターFの正体はネットでもいろいろ議論されていたじゃない? 本部長じゃないか、相棒の藤原じゃないか、あるいは恋人じゃないかって、でもまさかねぇ――」


「あ……あ……」


 アイリが声にならない声をあげている。


 だが、


「でもまさか、あの人がミスターFだったとはねぇ。でも言われてみれば、第一話から伏線もあったなぁって――」


 私は語るのをやめない。


 もしやめるとしたら、アイリが実はドラマを見ていないと正直に話したときだ。


 さもなければ、私は語り続けるし、アイリを逃しはしない。


 そして、私はまたまたさらに身を乗り出す。


 身を乗り出して――


「鈴先輩、あの……私……もう……」


 アイリが顔を赤くして、何かもう限界だというような雰囲気になる。


 とうとう自白するか。


 私は小さく拳を握った。だが、


 だが、アイリのその表情は、ネタバレをされる不安そうなものではなく、ものすごく恥ずかしそうな顔。


 それが、私の目の前にあった。


 すぐ目の前に……………………


 ふと思う。


 しまった――と。


 いや、身を乗り出すのは正しい。


 私はアイリにプレッシャーをかけると同時に、アイリを逃さないようにしていたのだ。


 それこそジャック・バウアーの尋問という名の拷問よろしく、鼻が触れ合いそうになるほどの近距離になって。


 身体もしっかりと密着させて。


 先日、アイリが大きくて柔らかいと評価してくれた胸も、素肌が露出しているスカート下の太腿も、本来なら人に触れてほしくない身体の部位の上位陣が密着している。


 とても暖かく、いやむしろ熱く――。


 私はアイリの顔を改めて眺める。


 確かに恥ずかしそうな顔である。


 しかも目の奥の水気を持って光り、眉間は寄っているも、眉は釣り上がるどころか垂れ下がっていて――


 これはマズい状況だった。


 私は、攻撃しているつもりが、誘惑している形になっていたらしい。


 それに気づいた私はただちに反省、後悔するが、時すでに遅かった。


 エイリアンにしろ、ターミネーターにしろ、ジグソウにしろ、狂気は必ず舞い戻るものだ。


「鈴先輩、私……もう我慢できません!!」


 暴走する殺人鬼リターン。


「ああああああ! ままままままさか鈴先輩からこんなアプローチしてくれるなんて! わわわわ私の気持ちが通じたんですね!?」


 アイリは私の背中に腕を回し、力強く抱きしめた。


「通じてない! 誤解だから! 誤解だから!!」


 私は怒鳴るが、アイリには通じない。


 細い身体のくせに、私はもう身動き一つ取れない豪腕だった。


「いいいいいいいいえ、ごごご誤解なんてしていませんから! ごごごご誤解できるチャンスだなんて思っていませんから!」


「確信犯じゃないの!! だったらすぐ離れなさいって!」


「でででででも! このチャンスを逃したら、次なんてなさそうですし!!」


「最初からこのチャンスもないのよ!!」


 私は言うが、アイリの身体は火照り、もはや興奮で我を失っていた。


 その証拠に、


「大好きです! お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」


 私に対する呼び方が「鈴先輩」から「お姉ちゃん」になっている。


 隠す気がゼロだ。


 だが、その分だけ危険が増大しているとも言える。


 さっきから私はアイリを突き放そうとしていたが、アイリは私を圧死させんばかりに力を込めていた。


 胸も潰れ、大声をあげるのもきつくなってきている。


 私の残る手としては、足を踏みつけたり、蹴ることだが、さすがに妹相手にそれはしたくないし――


 選択を迫られる私だったが、その時、先日と同じく彼女は良いタイミングで現れた。


「やあやあ、ボンジュール。ミス研部長の果南だよ、みんな元気かい? っと、今日は抱き合っているのか。とても仲良しだね」


 まったく空気を読まないミス研部長の果南だ。


「果南! いいところに来た! ちょっとこの子を止めて!」


「ぶぶぶぶぶ部長! わわわ悪いタイミングです! ちちちちちちょっと鈴先輩と二人っきりにしてください!」


 これまた、先日と同じような展開。


 だが私は前回と同じ轍を踏みたくはない。


「果南! この子を止めてくれたら、あんたがオススメする京極夏彦の本、読んであげるわ!」


 そして語り合いましょ。


 私が言うと、果南は「ほう」と小さく唸る。


 またアイリも負けじと「わわわ私は――私は――」と良い条件を言おうとしていたが、何もでなかった。


 私は勝ったと思った。


 悪友とはいえ、果南の考えはちゃんと分かる私なのだ。


 私は果南に微笑みを向ける。


 が、


「姑獲鳥の夏は読んでもらいたいが、この状況も実に面白い。ただ、中途半端にこれを放置しては我が友モ・ナミの不興を買うことになる。そこで折衷案だ」


 そんなことを言うと、部室の隅をゴソゴソとしだし、ガムテープを手に取った。


「ちょっと、あんた、まさか――」


 悪友とはいえ、果南の考えはちゃんと分かる私なのだ。


「これで、ぐーるぐーるぐーるぐーる……と」


 しばらくの間「ぐーるぐーる」と果南は言い、まもなく「完成だ。トレビアン」と手を叩いた。


 そして、私とアイリは密着したまま、ガムテープでぐるぐる巻きにされた。


「こうすればアイリ君は動けず、私は我が友モ・ナミのお願いを聞いたことになる。そして同時に、アイリ君の願いを断ることになるが、まあこの状況でもアイリ君は満更でもなさそうなので、アイリ君に対しても部長の面目が立つ」


 言うと果南は、部室窓際にある安楽椅子に腰掛け、優雅に足を組んでみせた。


 長々とした足が、綺麗に伸びる。


 しかしその分だけぶっ殺したくなる。


 しかし一方でアイリはと言えば、


「部長……とととトレビアンです……」


 感極まった口調で、私の首元に鼻を近づけていた。


 アイリの息が私のうなじを刺激する。


 なので、さしあたって……


「痛い!」


 私はアイリの足の甲を踏んづけた。


 迷いはなかった。





 ・・・幕間・・・



「ふふふ、我が友モ・ナミ。復讐は何も生み出さないんだよ? 知っていたかい?」


「いいえ。復讐は私の気持ちを晴れ晴れと豊かにしてくれるものなのよ。知っていたかしら?」


 私は果南の言葉にそう返事をしつつ、安楽椅子に座る果南をガムテープでぐるぐる巻きにしていた。


 また、部室の外では水の入ったバケツを持たされたアイリがいた。

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