生と心

もちろん、猫同士にコトバはないから


声にニュアンスと、フィーリングでつたわるものが


ことば、である。



犬もそうだし、霊長類の隣人もそうで


京都大学霊長類研究所(当時)の

1980年代の文献を読むと「観察の為に、ゴリラたちの言葉を

覚えて、交流を図った」とあるl。


ゴリラくらいになると、言葉がある。それでも

雰囲気が主、だったりもして


この研究者の論文は、当時西洋の学者には受け入れ難かったらしい。


しかし、例えばハワイで「アロハ」と言うコトバが

ニュアンスで様々な意味を持つ、と言う

飛行機会社のコマーシャルのように(笑)。



人間でもニュアンスが大切なのである。


犬もそうだし。


まして、猫は当然そうであった。





しかし。


にゃごは、もちろん猫であるが

転生した過去を持っている。



それは、割と有難くない過去であったから

悪魔くんになる前、人間であった頃


生まれてすぐ、両親の都合が優先されるような

環境で育っていて、心を痛めた。



だから、人を信じなかったし、女、特に母親のようなタイプには

心を許せなかった。



勝手な都合で、可愛がりたい時だけ可愛がって。

子供の気持なんて考えていない。


ぬいぐるみじゃないんだから。



そんな、気持がどこかにあった。


けれど、天使さんに出会って、その気持は変わった。



それは、天使さんが生き物ではなくって、心だけ、魂だけの存在なので


天使さん自らの主張もなければ、自分を際立たせたい、なんて欲もない。


そういう天使さんは、至上の存在だと思って


魔界を捨て、いまはにゃご、猫になって暮らしている。



それで、美人猫さんが寄り添ってくれているけれど


にゃご、彼にとっては

どことなく、やっぱり「生き物」としての限界を感じてしまう


にゃご、だった。



その寄り添う好意に、生命としての摂理があり

故に排他的であるあたりに、母親を連想させて

ちょっと心が冷めてしまう、そんな彼だった。



もちろん、今はにゃご自身が猫なので


心だけでは生きていけないのだけれども。




いつか、転生して.....。


その時、はじめて自由になれるのだろう。

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