浸食

 煉王歴三五三年十二月十日


 アトラス王国の首都サルヴォからおよそ四百キロ北東、ヘイザー共和国との国境付近の宿場町ヘイゼル。辺りはもうすっかり日が落ちている。

 最高級と言っても過言ではない大規模な宿の敷地には、通常のものより幾分大きい三頭引きの馬車が停められている。勿論、アトラス王国軍所有の特殊車両だ。

 停車場の側にはこれまた立派な馬小屋が併設されており、強化術式を密かに施された三頭の名馬が、思い思いに飼葉を食んでいる。

 御者のロンネイルは彼らの健康状態に異常がないことを確認した後、魔具の携行ランプを展開し、地図を確認する。

 目的地まではまだまだ遠い。馬を潰さぬよう、慎重に急ぐ必要がある。

 彼もまた王直属の諜報部隊員ではあるが、まだ齢二十一歳、ルーキーと呼んで差し支えない。

 しかしその基礎能力の高さから、副隊長のマーティスに目を掛けられ、入隊から異例の早さでこの重要な任務に起用されることとなった。

 もっとも、危険度が段違いに高い場合が多い、撤退時の任務に携われるのはまだ先の話だが。


『ジェイルから最大限に学べ。あれは為すべきことのために犠牲を積み重ねて来た男だ』

 マーティスがそう言うのだから、彼が大それた男であることは間違いないのだろう。

 しかし──

「……気に食わないな」

 誰にも聞き取れない小声で、ロンネイルは吐き捨てる。

 あの亜人の女魔術師と銀髪の女の子……両方、彼にべったりじゃないか……

 アトラス王国軍の中でも、屈指の難易度の入隊試験に合格し、王直属の部隊員としてキャリアを積み始めたロンネイルだったが、その内面は女性へ鬱屈したコンプレックスの塊であった。

 彼は生来の能力で、幼少時から本心を露わにする事はなかったが、その心中は女性への憧れと高いプライドがせめぎ合い、なんとも複雑なものであった。

 勿論、その心中はマーティスには看破されており、これから諜報部隊員として、その弱点を克服出来なければ、昇進にも大いに関わるぞと入隊時に釘を刺されている。


 そうは言ってもなあ……

 ロンネイルはあくまでポーカーフェイスで思う。

 これまでの道中を思い返して、両手に華の中年剣士を心中で呪う。


 ──その時。

 ガチリと聞こえた金属音。

 ロンネイルはすぐさま姿勢を整え、懐中の暗器、特殊な棒手裏剣に手を伸ばす。

 その柄内部には圧縮空気を溜め込んだ魔具が仕込まれており、投擲と同時に空気を解放することで、通常を遥かに上回る速度で飛翔する。

 その威力は、簡素な板鎧であれば容易に貫通するほどだ。

 その直径は細く、敵を即死させるには至らないが、剣先には即効性の痺れ薬が塗布されている。

 生かさず殺さず、標的を瞬時に無力化可能な二段構えの暗器。


「──剣呑だな。すまないが、鍛錬の時間だ」

 左手で手刀を切りながら、申し訳なさそうに建物の陰から現れたのは、ジェイル。

 右手には建材用だろうか。太さは手首ほど、長さはおよそ2メートルの金属棒を持っている。

「さっき出掛けられたと思ったらそれを買いに行かれてたんですか…」

 ロンネイルは暗器から手を離しながら、少々呆れたように言う。

「本当はかなり物足りないんだが、馬車に鉄塊を積んだら顰蹙ものだろう」

「……いや、それより、何故僕が武器を抜くのがわかったんです?見えてなかったのに」

 ロンネイルは、ジェイルの実力の片鱗を認めた上での質問を投げかける。

「うーん、場の緊張感だな。言語化は難しいが……まあそういう類の感能力は、マーティスの下で鍛錬を積んで働けば、嫌でも身につくことになる」

「……あなたがアトラスに来られる前の事は記録に残っていませんでしたが、余程の修羅場を潜り続けられて来られたのでしょうね」

 そう言うロンネイルに対し、ジェイルは思うところがあったのだろう、感慨深げに答える。

「そうだな……言葉で表すと修羅場の一言で足りるか。しかし最近は、いつになったら終えられるのだろうという気分にもなる」

 そう言いながら、ジェイルは珍しく自虐的な笑いを見せる。

 一瞬ではあるが、目の前の男の隠している本質が垣間見えてしまったような気がしたロンネイルは、若干焦ったような様子で言う。

「そんな……弱気なことを仰らないで下さい」

「すまない。マーティスから君の話は聞いているからな。つい気が緩んでな」

「……『神殺し』の任務については、数日前に初めてお聞きしました。まだ信じられませんが……」

「奴等は世界中に散らばり、その一体一体が、人間の理の外の存在だ。各国との協力が必要不可欠だが、奴等が何処に潜んでいるかわからない以上、慎重に動くしかない」

「世界の人間と亜人種が手を取り合って戦えば……と考えてしまいますが……」

 当然だが、ロンネイルはまだ現実を把握し切れてはいないな、とジェイルは思う。

 国家転覆を企む組織などとは、本質的に違う存在なのだ。

「そうだな。そう出来れば一番だが、下手に刺激すれば、今は水面下に留まる奴等の活動がどうなるかわからない。かつては世界を滅ぼした連中だ」

 それに、とジェイルはロンネイルに二の句を継ぐ。

「こんな事を言えば傲慢と取られるかも知れないが、おそらく自分とアリア以外に、奴等を殺す事は出来ないだろう」



 侵食



 神鎧外骨格『蟲鎧』は、アリアが自らの神力を練り上げて生成するものだが、生体鎧とでも言うべき特性のため、単なる対衝撃性能や、各種生体機能の拡張用途としては、恐るべき能力を発揮する。しかし、強酸や強アルカリ液、各種毒物への曝露や、高温や低温に対する耐性は、それ程備わってはいない。

 それ故、この度の『祟り神』討伐任務でも、彼らが苦戦を強いられるのは至極当然とも言えた。


 ヘイゼルよりさらに北東へ四百キロ地点。

 ヘイザー共和国領内

 カルヴァド火山帯



 その深層部で、複数同士で対峙する影。

「……ラルゴ、相手がお前とはな」

 珍しく、アリアが張り詰めた雰囲気で言う。

「──久方振りだなぁ、アリア。それと、ジェイルというのかお前は。あの時の美味い美味い絶望……また味わわせて貰えるのかな?」

 ラルゴと呼ばれた少女の顔つきは端正に整ってはいるが、虚ろな表情や、極端に青白い肌、過剰にやせ細った身体のせいで、見る者に底知れぬ不気味さを感じさせる。

 それに加えて、ジェイルの出鼻を挫くような、煽り台詞。

 ジェイルは冷静を装い、無視しつつも、納刀されたままの小太刀の柄を握るその力は尋常ではない。そうしたまま、戦いに備えて思考を巡らせる。


 ──ラルゴ……アリアに聞かされた名。侵食の力を司るという祟り神……

 ジェイルは、アリアの神子になって間もない頃のことを思い出していた。一目見るなり名前を言い当てたのも、その力の一端か。


「んー?それとアリア、あの女は?」

 少し離れた場所からこちらを伺うルチルの方を指差してラルゴが問う。

「彼女は記録係だ。手出し無用だぞ」

 アリアの面倒臭そうな返答に、ラルゴは続ける。

「そうか、ふむ。ルチルというのか。肌の色は違うが、似ているなぁ?あの女に」

 ラルゴは舌舐めずりをしながらルチルを見る。

「ラルゴ、いい加減に──」

「──安心した。お前のような屑なら、斬ってもむしろ夢見がいいと言うものだ」

 ジェイルはアリアの台詞を遮り、静かな怒りを込めて言う。

「さあてさて、脆弱な人間風情に出来るかな?できるかな?バレバレなんだよね、ジェイル。本当は──斬りたくないくせにね」

「な……」

 ジェイルは思わず黙り込む。


 ──そんな甘ちゃんなら、先が思いやられるね。

 そう続けながら、ラルゴはバチっと指を鳴らす。

 すると、彼女の近くの岩陰から、巨大な生物がぬるりと姿を現した。

 巨大なナメクジを連想させる、青白い軟体動物だ。

 その正体は、海牛をベースに構築されたオルディウム。

 体長二メートル半、体重は一トンほどだろうか?

 その体表には、無数の古代文字が所狭しと描かれており、グロテスクな外見に相まって、異様な雰囲気を湛えていた。

「供犠の神子にしては小振りだな……それに、その体表……まさかな」

 アリアが珍しく怪訝な顔で呟く。

「名はドリスというんだよ。ふふ、かわいいよね」

 ラルゴの言葉を黙殺するジェイルに、アリアは続けて言う。

「──ゼル、こいつはとんだ隠し球かも知れん。心しろよ」

「むりだよ。ジェイル、お前は殺しの才がない。こいつと一緒に、今からそれを教えてあげよう」



 ──そこからわずか一分後、巨大なウミウシのオルディウム、ドリスと対峙するジェイルは、岩石の影に隠れ、兜を脱ぎ捨てる最中だった。

 頭蓋骨まで深く食い込んだ無数の鋲ごと、力任せに引き抜く。

 ガシャ!と派手な音を立てて地面に落ちた兜は、所々黒い油を塗布したように変色し、その部位からは激しく白煙が上がっている。

「酸か……」

 顔を血に塗れさせたジェイルが小さく吐き捨てる。

 対して岩石越しのウミウシのオルディウムは、姿を現した時から、何も変化していない。

 その周囲に浮かぶ、雷雲のような黒い霧を除いては。


「──馬鹿な。範囲攻撃は封じられている筈だ」

 光の檻の中で、アリアが焦燥を込めて言う。

「ふは、アリア。私に冠された名を忘れたのか?」

 何とも嬉しそうな表情で問い掛ける、ラルゴ。

「まさか……道化師の封印自体を侵食して弱体化を……」

「めちゃくちゃ時間はかかったけどね。そもそもデパスの作戦も、私の能力がなけりゃあ、成功しなかったろうさ。お前は半殺しにされてたから知らないだろうけどね」

「おかしいと思ったんだ、セラがどうやってあの封印を搔い潜ってデパス王を籠絡したのかと……」

「私ぁ、あのお方にも好かれてなかったし、あの頃のあんたらに比べたらただの雑魚中の雑魚だからね。道化師も油断したんだろうよ」

 自嘲気味に言いつつも、一層嬉しそうにラルゴは続ける。

「──でもこれでようやく、私も人並みに……あのお方の寵愛を受けられるってもんさ」


 ジェイルはしばし考えた後、背後の岩を小太刀の柄で一撃し、握り拳大の石を削り落とす。

 そして、一瞬だけ敵に身体を晒し、渾身の力で投擲した。

 アリアの神子として、人間離れした破壊力の斬撃を自在に使いこなすジェイルだが、その効果は投擲物にも応用することが可能だ。

 その要領は斬撃とは異なり、よりシンプル。

 投げる寸前まで腕と投擲物の質量を減らし、極限まで加速させ、放つ。この時、投擲物の質量を減らしすぎると空気抵抗で失速したり、あらぬ方向に飛んでいくので注意が必要だ。

 ジェイルの手を離れた投擲物は、急速に神力の影響を受けなくなり、元の質量に戻っていくが、それでも投石のような手頃な投擲物の初速は、秒速七十メートルにも迫る。

 そうして放たれた投石が、一直線にドリスの頭部に迫るのを見て、ラルゴは言う。

「ふふ、足掻くね」

 投石はドリスが展開した雷雲のような霧に触れた瞬間、砂状に風化し、辺りに飛散する。

 ドリスの体表には、傷一つ付いていない。

 ──ただの酸ではない……ジェイルは考えを改める。作用する時間が余りにも早過ぎる。

 岩の陰で思考を巡らせるジェイルを嘲笑うかのように、雷雲はその範囲を広げつつある。

「……」

 辺りの岩や石は全て砕かれ、ドリスの周囲には、まるで砂漠のように、堆積した塵が広がっていく。

 そして、範囲を拡大する雷雲はジェイルが隠れている岩をも、粉微塵に分解し始めた。

「楽しみだよ、そちらはどんな隠し球を用意しているのか」

「……」

 ラルゴの台詞に、アリアは珍しく黙ったままだ。

 やがて、ドリスの侵食の能力が、ジェイルが隠れている筈の岩を砕き切った時──

「は?」

 ジェイルの姿は、どこにもない。

「──下かっ!」

 ラルゴが焦燥を込めて叫ぶも、ドリスは全く反応を示さない。

「……残り十二秒」

 唐突にアリアが小さく呟く。

 すると、辺りを覆っていた雷雲が、一瞬ですべてかき消える。


「……そうか……やはり、負け、か」

 ラルゴは諦めたように呟く。

 見ると、ドリスの接地面が、大量の青い液体で濡れている。

 これは紛れもない、ドリス自身の血だ。


 瞬間。

 縦に二等分される、ラルゴの神子、ドリスの身体。

 そして、ドリスの中から現れたのは、双剣を抜刀したジェイル。その身体は、余すところなく青い血で覆われていた。

「がはっ……!」

 ジェイルは、窒息寸前の所から、ようやく無害な空気を肺腑いっぱいに吸い込み、荒く呼吸している。

 ジェイルは、蟲鎧装着時に使う、踏み込む足の直下の地面を強化する術式を、逆方向に応用させた上で、自らの質量を細かく増減させる事で泳ぐようにドリスの直下まで這い寄ったのだった。

 ただし、あくまでも補助的な術式であったので、練度はそれほど高くなく、窒息寸前まで時間が掛かってしまったが。

「土に潜って……あそこまで?まるで土竜じゃないか」

 ラルゴはまるで他人事のように呟く。

「……」

 その様子に、アリアは黙り込み、何か思案している。

「やった……!流石だ、ジェイル!」

 観戦していたルチルが、思わず大きな声ではしゃぐ。


「想定通りさ、ここまでは」


 パキィ!


 甲高い音を立てて砕ける光の格子。

 そして。

 アリアの着地地点に全力で駆けてきたのは、ルチルだ。

 その表情は、身体とは裏腹に戸惑いに満ちている。

「──ッ!ゼル!まだ蟲鎧を解くな!」

 ルチルは叫ぶアリアが着地した直後の背後を取ると、一切の無駄のない動きで、アリアの右手首を右腕一本で捻り上げ、続いて、左掌でアリアの口を塞ぐ。

「アリア。抵抗すると、その娘の身体が壊れるよ?お前がもう人間を殺せないってことも、バレバレだからね」


「……謀ったな」

 ジェイルが額に汗を浮かべて呟く。

 これはまずい。

 ラルゴは、ルチルの無意識を侵食する術式を密かに発動させ、ルチルの身体を支配下に置いたのだった。


「私ぁ、ずっと寂しかったのさ……そういう意味では見下してたあんたら人間と、なんら変わらないんだろうね」

「……!」

 ジェイルの手が、止まる。

 その機を見逃すラルゴではない。

「ジェイル、確かに私ぁ、人を殺したさ。でもね、全く大した人数じゃないよ。そう、そこのアリアと比べたらね」

「……」

 ──考えないようにはしていた。

 アリアが、かつてはいくつも国を滅ぼし、何万人もの人々を殺戮した事実。

 その中にはきっと……あの娘のような、ラピスのような人間も……なぜ今頃……十五年前に決断した筈なのに。

「ぐっ……!」

 ラルゴの言葉が、一切の抵抗なく、心の深層に突き刺さるようだった。

「ごらんよ。私の見てくれをさ、人間の女の子そのものだ。あんたはそんな無抵抗の女の子を、両手の剣で、切り刻んで殺すのが嬉しいのかい?それで、あんたは本当に幸せになれるのかい?私はよーく知ってる。今まであんたはもう充分に頑張っただろう?いいんだよ、楽になっても。もう、疲れたんだろう?」

 ジェイルに優しく語りかけながら、ラルゴはゆっくりと近付いていく。


 所詮は人間、心のヒビを針で少し突いてやるだけで、容易に瓦解する──

 自分の神子に首を刎ねられる時、アリアは一体どんな顔をするんだろうねと、ラルゴは下卑た思考を巡らせている──が、しかし。



 ──ズドッ!



「……えっ?」

 ラルゴの間抜けな声が響く。

 畳み掛けるような『侵食』の言葉に晒されたジェイルは、それに屈する直前、自らの両耳を双剣で刺突したのだった。


「……!?……!」

 すぐに外耳全体からどろりと溢れ出す大量の血が、ジェイルの聴覚を奪う。

 一歩間違えれば脳を損傷させかねない、極めて危険な行為だ。

「……!………!?…!」

 ラルゴがまだ何か訴えているが、ジェイルの予測通り、この能力は聾の者には一切通用しないらしい。

 蟲鎧の機能の一つである、痛覚の緩和が機能しているとは言え、両側の側頭部が、焼けるように熱い。


「……棄てたのだ、自分は」

 自分の声すらまともに聞き取れないまま、俯いたジェイルは呟く。

 引き抜いた小太刀の切っ先から、自身の鮮血が、ぼとりと滴り落ちる。


「───だからもう、終わらせて欲しい……」

 ジェイルは虚空を仰ぐと、疲れ切った昏い目で懇願する。

 その相手は、守れなかった大切な人か、あるいは自分自身か。


「……!」

 ラルゴはこの期に及んで、まだジェイルに付け入ろうとしている。

 聴覚がダメなら視覚と、ルチルに掛けた視覚から侵食する術式を発動させようとするも、範囲術式の起動時間短縮のための媒体にしたドリスは文字通り両断され、そもそもジェイルはこちらを見ていない。

 焦燥の余り、その身振りは先ほどとは大きく変化する。

 じりじりと後退りしながら、惨めに両掌を突き出しての命乞い。

 そこには、神としての尊厳など、ない。

「………!………!!」


「聞こえない……」

 体の自由を奪われつつも、起こる全てを目の当たりにするルチルにとって、そう呟くジェイルは、涙を流さぬまま泣いているようだった。


「何も!」

 一瞬で間合いを詰めたジェイルの薙ぎ払いの一太刀で宙を舞う、ラルゴの両腕。

 間髪入れず、地表を削るほどに重く、鋭い踏み込みと同時に放たれる、二の太刀。


「何も……!」

 数秒後、ラルゴの頭部が、ゆっくりと地に落ちる。


「……」

「──ゼル!」

 納刀すら出来ず、そのままの体勢で前のめりに倒れ込むジェイルを、ルチルの拘束から抜け出したアリアが、寸前で支える。

 そして、ルチルも遅れて駆け寄り呟く。

「なんで……ここまで。ぼろぼろになってまで……」

 ジェイルはアリアに支えられたまま、気を失っていた。

「──わたしも近頃……そう思うんだ」

 アリアの深層が漏れたような呟きに、ルチルは彼女を見るも、俯き、銀髪で隠れされたアリアの表情は窺い知れなかった。


「……ジェイルは?」

 ルチルは、アリアと共にジェイルを横たえながら問う。

「肉体的な損傷なら大丈夫だ。刺し傷も脳まで届いていない……問題なく戻せる。しかしこれは、内面の問題だ。ゼルは、私たちを殺す事で深層意識でずっと、強い罪悪感を溜め込んで来たらしい。それが神子としての性質と相反して、ゼルの心身に致命的な損傷を与えている。このままでは、まずい……」

 アリアはただならぬ顔色で、昏倒しているジェイルを見つめながら、続ける。

「……ゼル、すまない。お前の命を繋ぐため、もう一度、あの地獄を見てもらうしかない……」

「それはどういう意味なんだ……?ジェイルは、助かるのか?」

 ルチルもまた、心底不安そうな面持ちで、アリアに言葉の意図を問う。


「十五年前、今も内戦で荒れに荒れている、かつてのデパス王国領土内、果ての神殿。そこで起こったことをわたしの能力で追体験させる──いかに強靭な意志でも時間の流れは人間に変化を与えてしまう。それを上書きし直すことで、この事態を乗り越えられる筈だ……それまで、ゼルの心が砕けずにいてくれれば」


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