Aが産まれた

 Aが産まれた。

 Aはある宇宙のある星のある国のある都市のある年に生まれた。Aがどこでいつ産まれたかは実のところどうでもいい。Aは場所Xの時間Xで産まれたと記述すればよく、Xにはもちろん任意の場所と時間をあてはめてよい。

 Aは幼少期を過ごした。Aの幼少期は子どもにふさわしい自由があったかもしれず、子どもに特有の不自由があったかもしれない。そしておそらくは幼少期の両親との関係――特に愛情が十分であったとかそうでなかったとかいうこと――によって、彼の人生の次と次のセクションが大いに規定されることになるだろう。

 Aは少年期を過ごした。Aには同世代の仲間がいたかもしれないし、いなかったかもしれない。その事によって彼は初めて社会というものを経験することになるかもしれないし、まだそうとは言えないかもしれない。しかし彼が徒党を組んだにせよ一人であったにせよ、自分と両親以外の存在と深く関わることによって大きく世界が拓けることになったのはまず間違いないだろう。この頃はきっとあらゆるものが刺激的に感じられたかもしれないし、そうではなかったかもしれない。しかし記憶の中ではたとえセピアであろうとも、今よりずっと彩度の高い世界であっただろう。

 Aは青年期を過ごした。Aは何もかもが自分と違って思えたかもしれないし、何もかもが自分と同じだと思えたかもしれない。いずれにせよ彼にとって世界はもはや関心のあるものではなくなりつつある。あらゆる物が極端に大きく、あるいは極端に小さく感じられる。ごくごく些細なことが面白く感じられ、面白いものが些細に感じられる。そうやって意味はあらゆる局面で相対的であることを彼は身を持って体験することになる。あるいはそれに全く気が付かない。

 Aは過去を振り返る。それは就職面接のためかもしれず、終活のためかもしれず、精神疾患の治療のためかもしれない。Aは社会に何者かと問われてはじめて人生を振り返る。あるいは終わりを前にして振り返る。あるいはずっと後ろを向いている。そうしてAの人生にはなにもなかったことを、これからなにもないであろうことを直感する。もちろんAにはたくさんの記憶、たくさんのエピソードが存在する。しかしそのどれもが語るには及ばぬ些細なこと、思い出したとて面白くもないちんけなことと思われる。

 これはAの物語である。しかしAが誰であるのかは実のところどうでもいい。ただAと記述すればよく、Aにはもちろん任意の人物をあてはめてよい。

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