第二章 魔神教と孤児院

第23話 オルトの過去(2)

「ありがとうございました」


 店員の声を背後に受けながらレンは花屋を後にした。

 手にしているのは薄紫色をしたクレレシアの花束。中央都市の道は馬車や自動車という馬の引かない最新技術の粋を集めた乗り物が通るためかなりの幅がある。

 大通りともなれば、人の歩く道と車の通る道と分かれているほどだ。


 レンは大きな通りから一本入った街の南西に位置する庶民の住まう安アパートのある路地に入っていった。ノーブレンの領主とともに中央都市に入って二か月が経ちここでの仕事にも、この街にも慣れてきたところだった。

 騎士用の宿舎に住まうレンは、アパートに足を運ぶこの時間が何よりも好きだった。もちろんソフィと過ごす時間も大切だけど、その道中も楽しいことが待っていると思えばワクワクが止まらない。

 跳ねる気持ちを抑えて、いつもの調子でトントンと二度ノックする。


「ソフィいるか」

「いるわよ。ごめん、手が離せないから勝手に入ってきて」

「鍵くらいかけろよ。ここは中央都市なんだぞ」

「そろそろ来る頃だと思ってたの」

 

 部屋に入るとソフィは夕食の支度をしているところだった。いい香りが鼻孔を通って胃袋を刺激する。


「今日は何を作ってるんだ」

「肉団子のベリーソース掛け。それに新鮮な野菜とマヨネーズも手に入ったからサラダもいっぱいあるわよ」

「そいつはいいな。それから、これは弟子入りが決まったお祝い」

「わぁ、クレレシアの花ね、ありがとう。この花すごく好きなの」

「改めておめでとう」

「うん。時間かかったけどようやくね。これからいっぱい勉強しないといけないけど」


 ソフィは料理作りを一度中断して手を洗うと、花瓶を一つ取り出してレンから受け取った花束を窓の横の黄色い鉢植えの横に並べる。


「そっちの花もまだ元気なんだな」

「うん。プセンタの花もきれいでしょ。毎日、マナを注いでるからね。水だけよりやっぱり長持ちするみたい」

「土の加護をそういう風に使うのってソフィだけじゃないか」

「そんなことないわよ。薬師の先生も同じようなことしてるって言っていたし、そうそう先生から聞いたのだけど土の加護持ちは薬師に向いてるんですって。調合の効果が上がるらしいの。私の採用面接のときに聞かれたんだけど、それが採用の理由の一つなんだって」

「へえ、そんなことがあるのか」

「これも精霊のお導きなのかしら。それとね最近教えてもらったんだけど、クレレシアの根っこは胃腸に効くそうよ」

「じゃあ鉢植えで買ったほうがよかったか」

「ふふっ、そんなことないわ。レンは私に薬草の材料を買ってきたわけじゃないでしょ。それにレンは別に胃痛持ちでもないじゃない? クレレシアはきれいな花だし香りもいいもの。ああ、そうだ。こういう使い方もできるんだった」


 そういってソフィがクレレシアの花を数枚ちぎると、レンのために用意した紅茶にふわりと散らした。


「どうかしら」

「ああ、すごくいい匂いがする」

「でしょ。それ飲みながら待ってて、夕飯はもう少しかかるから」

「何か手伝おうか」

「いいの。いいの。ゆっくりしててよ」


 椅子に腰かけて夕食の支度を続けるソフィの背中をぼんやりと眺める。中央都市の仕事は大変だった。騎士としてやるべきことは変わらないけども、領主の騎士でいることと王の騎士であることは似ているようで全く違う。

 王として他国の重鎮を迎えることがあれば、当然そこに生まれる責務というのは変わってくる。守らなければならないのは王の命だけではないのだ。

 ただの騎士の行動であっても他国が絡めば国際問題になることだって十分にありうる。つまり今まで以上に気を引きしめて動く必要があるということだ。

 今のところ他国へ行くことはないが、そうなればますます緊張を強いられるだろう。

 そんな中、ソフィとの時間はすべてを忘れることのできる貴重で大切な何事にも代えることのできないものなのだ。

 テーブルの上の紅茶を口に含むと、その香りが鼻から抜けて――。


―――――――――――――――――――――――――


「……夢か」


 そっとつぶやき窓の外を見るとまだそこは夜の帳に覆われていた。高級なベッドっていうのも逆に眠れないものだなと思い身体を起こす。

 ふかふかのベッドには何のためについているのか天蓋まで備わっている。ベッドから足を下ろし窓のそばに立つと、大きな庭を挟んで静かな街並みが見える。

 革命と呼んでいいのか定かではないが、男爵を追い出した夜というには余りにも静かな時間が流れていた。


 屋敷での騒動の後、アイカが折角だからここに泊まりましょうと言って屋敷に残ったのだ。肝の据わったと一言で片づけていいのか、男爵がすぐさま引き返してくる可能性は低いと思うがそれでも普通そんなことを考えるだろうか。

 宿代を払っているのだから勿体ないなんて考えるのは俺が庶民だからだろう。そんなことをボンヤリ考えながら、傍らのベッドを見るとアイカはすやすやと幸せそうな顔で眠っていた。


 もちろん、そんなことをする気はないのだが、男である俺と同じベッドで寝ることが怖くないのだろうかと疑問にも思う。宿ではお金を節約するという建前はあったけども、ここでは違う。そもそも宿には二つのベッドがあったわけだが、ここはいくら巨大とはいえベッドは一つしかないのだ。心象も違うだろう。


 俺はかぶりを振るう。

 いや、そうじゃない。

 見知らぬ土地に来てまだ二日なのだ。

 アイカを見ていると錯覚してしまうが、強いように見えても不安でしょうがないのだろう。知り合いも何もないこの世界で夜一人きりというのは耐えがたいんじゃないだろうか。

 たとえ男と一緒のベッドで寝ることになっても、その方がマシだと思えるほどに。


 まさか、俺のことをまだ男色家と疑っているのか。

 しっかり否定したはずだが……。

 まあ、どうでもいいか。いや、よくはないのだが。


 それにしても多彩な女性だ。

 アイカの描いてくれたアルバートの人相書きは効果てきめんだった。屋敷に集まっていた住民連中に話を聞いてみれば、何度かこの街にも顔を出していたらしい。ともすればアルバートはずっと村に潜んでいたわけじゃないらしい。

 生贄召喚という外法な行いのために村に戻ってくるが、それ以外の時間はどこかで何かをしていたのかもしれない。いままでも、それなりの目撃情報を得ていたわけだが、決してまやかしではなかったということだろう。

 危険を冒してまで手に入れた召喚術の使い道としてあまりにも不自然極まりないし、他国へ渡ることなく何をしていたのか気になるところだが、それが何であれ俺がやるべきことは変わらない。見つけて殺す。それだけだ。

 いや、もう一つ重要なことがある。

 殺す前に送還術について聞きださなければならない。果たして俺にそれができるのだろうか。殺さずに無力化する。あの男を相手にそれはかなり厳しいと思うが、アイカのことを思えばやらないわけにはいかないだろう。

 彼女がこの世界に召喚された原因の一端は俺にもあるのだ。

 あの時、俺が――。


「眠れないの?」

「悪い、起こしてしまったか」


 気がつくと、目をぱっちりと開けたアイカがこちらを見ていた。


「ううん。今日はいろいろあったでしょ、疲れすぎると逆に眠りが浅くなることってあるでしょ。それよ」


 たしかに今日はすごく濃厚な一日だった。

 いや、考えてみると、アイカと出会ってからまだ二日しか経っていないのかと思うほどに色々なことがあり過ぎたような気がする。


「そういえば昔、訓練で疲れ果てているのになぜか寝付けないことがあったよ。次の日も、訓練があるから休まなきゃって思うのに、頭が冴えてしまって結局寝付いたころには日が昇り始めていて、訓練で酷い目にあったっけ」

「オルトってやっぱり兵士だったの」

「ああ、話してなかったな」

「よかったらそのころの話を聞かせてもらえる? 頭が冴えてきちゃったし」

「そうだな。俺が軍に入ったのは――」


 こんな風に昔のことを誰かと話すのはいつぶりだろうか。

 そんなことを思いながら、アイカが再び寝付くまで新兵時代のことをぽつりぽつりと語った。

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