第21話 お風呂
「ん、ふっふふーん」
どういう仕組みかわからないけど、浴槽に注がれるお湯は適温に調節されていた。たぶん、41度か42度。半身浴するには高めの温度だけど、おばあちゃんが熱いお湯が好きだったので私の家ではお風呂の温度は結構高めだったのだ。
しかも、お湯が冷えないように浴槽にも火の精霊石が仕込まれているようで温度を一定に保っているらしい。異世界侮れないよ。
こっちの世界の石鹸はたぶん重曹が使われているんじゃないかな。
タオルを濡らして石鹸を使うと泡立つけど、シュワシュワと発泡するような泡立ちかたで匂いはない。柑橘系のエキスでも入れれば売れないだろうかと思考を躍らせながら、身体を隅々まで洗っていく。
化け狒々に舐められた身体がきれいになっていくのがわかる。
たぶん感覚的なものなんだろうけど、あの時つけられた気持ち悪い涎、化け狒々の体毛、肌をザラザラとさせる不愉快な息が、お湯に溶けて流れていく。
髪の毛を洗うシャンプーのようなものが見当たらなかったから、オイルを混ぜて使用する。といっても食用の油なんだけど、何も使わないよりはいいかな。
ギスギスになっていた髪の毛にオイルを浸透して少しだけ指通りが滑らかになったような気がする。
こっちの世界じゃ黒髪黒目が目立つみたいだけど、私はこの黒髪が気に入っている。一時は茶髪にあこがれたこともあるけど、やっぱり日本人には黒髪が一番似合うと思うのだ。
身体を洗った後は、湯船に浸かってのんびりする。
まあ、屋敷の中はごちゃごちゃしているみたいだけど、ぜんぜん気にしない。
けれども、私は別にお風呂好きってほどでもない。
日本にいるときはシャワーで済ませることの方が多かったくらいだ。
だけど、こうしてお湯の中でまったりしていると落ち着くのはなんでだろう。
「はぁー、それにしても気持ちいいなぁ」
私は湯船の縁に身体を預けながら、ドア向こうのオルトを思った。
本当に彼ってば人がいい。
今もわざわざドアの前で見張りをしてくれているらしい。もちろん、住民が来ないようにというのもあるけど、男爵を警戒してのことだ。
屋敷のゲート前で殺されていた兵士以外にも屋敷の中で数人の死体を確認した。
ああ、こんな風に人の死体のことを確認したなんて一言で片づけるなんて、異世界二日目で私は相当毒されている気がするけど、それは置いておこう。
男爵は逃げたというけど、すぐに戻って来るとは思えないからたぶん安全だと思う。いくら武装した兵たちでも、数の暴力には勝てない。それもあの男爵を守るために命を懸けて戦う兵というのは、たぶん護衛として男爵の周りにいた3人くらいじゃないだろうか。
まあ、つまりここにいて襲われる心配はほとんどないわけで、私はゆっくり湯船につかってられるのだ。
********************
「オルト―、ちゃんとそこにいるよね」
「ああ」
風呂に入ったアイカを守るために、俺はこうしてドアの前に立っている。こんなふうにしていると、兵士になったばかりのころ見張りの任務を思い出すのは不思議なものだ。
初めのころは門番や街の中の巡回などの基本的な仕事と訓練の日々だったっけ。
会議室の前でひたすら警戒していた事もあったが、その対象は位の高い人たちで、流石に入浴中の女性を守るなんて任務に就いたことはない。
というか、あっても女性兵士があてがわれるだろうしな。
アイカ。
不思議な女性だ。
自分では性格が悪いと嘯くけども、俺はそんなふうには思わない。
アンガートの奥の村での行いも、この街でのアイカの言動も決して褒められることではないだろうが、結果として彼らを救いに導いて行っていると思う。
俺のことをお人よしだと謗るけど、俺はただ中途半端なだけなんだ。
守りたいという気持ち、救いたいという気持ち、そういう思いで騎士を目指したけども俺に守れたものなんて何もない。
何も……。
仕事を失った女性にも、男爵に連れていかれた女性も、俺には救えなかった。
それを為したのはぶつぶつと文句をいっているアイカの方だ。
彼女は強い。
突然見知らぬ世界に連れてこられた可愛そうな女性。
そう思って何とか力になってやろうと思ったけど、蓋を開けてみればどうだろうか。アイカに手助けが必要だとは思えない。
彼女なら一人でも生きていける。
たった二日の付き合いだが、そう確信できるものがアイカの中には感じられる。だからといって、ここで放っておくことはできない。彼女は「私には関係ないもの」と興味がないようなことを言いながら、厄介ごとに首を突っ込むような危うさも兼ねている。
あんな風に馬車を止めて、護衛の男は怖くはなかったのだろうか。
あんな風に貴族に啖呵を切って殺されるとは思わなかったのだろうか。
いや、違うんだ。
彼女はそれをわかったうえでやっている。
俺が守ると信じているからだろうか。
昼間、アイカに言われてドキリとした。
アイカと二人の女性の違い。
なぜ、アイカに手を貸して二人のことを諦めたのか。
アイカに手を貸したことには理由はあるが、本質的なところはそこじゃない。彼女が口にしたように、お金を援助することは可能だった。潤沢な追跡資金とは言えないが、鬼獣の駆除で得たお金はそれなりにある。だけど、俺はそれをしなかった。
別にこの街に限った話じゃない。
困っている人がいれば、出来ることはしてきたつもりだ。多少のお金を渡したこともある。でも、俺のやったことは一時的な救いで、アイカのように根本の解決に導けたことはない。
所詮俺は一介の剣士に過ぎないのだ。
剣の腕には自信はあっても出来ることはたかが知れている。
でも、アイカは違う。
彼女は非力だ。でも、それを払拭できるだけの心の強さがある。
まあ、こんな場所で優雅に入浴するのはどうかと思うが。
そんな風に思っていると、湯気を立ち上らせながらアイカが浴室から出てきた。
「はぁー、さっぱりした。オルトも入る?」
「いや、俺はいい」
「ほんとに」
いきなりアイカが俺の懐に潜り込んできた。ふんわりと柔らかい匂いがする。女性の湯上りというのはなんていうか……いや、そうじゃない。
「おい、何してんだ」
くんくんと匂いを嗅いでくるのでアイカを突き放す。なんていうか、ちょっとこの女は変だ。異世界では普通なのだろうか。
「不思議といい匂いだけど、お風呂に入るとさっぱりするわよ」
「そうだろうが、こんな場所で悠長に風呂に入れるか」
「ま、それもそうね。入っていた私がいうのも何だけど。それじゃあ、男爵の執務室にでも行ってみましょうか」
「何がそれじゃあ、なのかわからんが、どうするんだ。住民の話じゃ金目のものは持ち出されて空っぽみたいだぞ」
「なんだ。わかってるじゃん。もちろん探すのよ」
「聞いてたのか、俺の話」
何となくアイカの言動がわかるようになった気はするが、どうにも話がかみ合わないことが多々ある。多々あるというか、ものすごくある。
執務室のある二階の部屋に移動しながら、アイカはあちことに視線を飛ばしている。こういう貴族の邸宅というのは一般にはない物珍しいものも多いから仕方ないだろう。
「住民に襲われて慌てて逃げ出したんでしょ。まとめているものは持ち出したとは思うけど、隠してあるようなものまでは手を付けてないと思うわよ。 逃げ出したからって戻ってくるつもりがないとは思えないしね」
「それは大変じゃないか」
「大丈夫でしょ。戻ってくるって言っても、他の貴族に助けを求めるかは知らないけど、そのまますぐってことはないでしょ。手元にある兵で制圧できるならしてるだろうから。だから、明日の朝には街を出る私たちは問題ないわ」
「住民はどうするんだ」
「そんなこと知らないわよ。外壁あるんだし、籠城戦でもすればいいんじゃない。勘違いしないでほしいけど、私にこの街の人を助けたいなんて気持ちはこれっぽちもないんだからね。オルトも見てたでしょ。男爵が首謀者は誰だーみたいな話をしたとき、アイツら全員私を見たのよ。私がいつ屋敷に乗り込めって言ったのよ」
彼女が言っていることは事実だ。
だが、それは詭弁だろう。
「だけど、煽りはしただろ」
「かもしれない。でも、私が与えた情報で決断したのは彼らじゃない。大人だったら自分の行動には責任を持つべきでしょう。それなのに風向きが変わった瞬間、私をあっさりとスケープゴートに仕立て上げようとした。そんな連中どうでもいいわよ」
そんな風に答えるのはわかっていたし、彼女の言い分は理解できる。それに実際のところ、現状でも街の人たちを救っている側面もある。男爵と対立するのなら、それなりの手順を踏むべきだろう。それをせずに乗り込んでしまったのは住民の落ち度だ。違う世界で生まれたアイカと違い、この街の住民は貴族というものを理解しているのだろうから。
だからといって、放っておくこともできないな。住民とあったときにでも言っておくか。
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