最強最速の帰宅部

三衣 千月

第1話  出会いの帰宅

 ――学生たるもの、学校に来る時間が決まっているなら、家に帰る時間が決まっていないとおかしいじゃないか。


 かつて、そう言い放った政府中枢のお偉いさんがいた。

 間の抜けた話だ。まるで現実味がない。帰宅時間を定める意味もない。だが世の中にとっては不幸なことに、お偉いさんは地位と名誉と権威を兼ね備えた、社会的影響力のある阿呆だった。


 取り巻き連中に対して、


「だぁってほら、帰宅部ってあるだろう、キミ。あれ、おかしいと思わないか」

「は、はぁ」

「部だよ、部。何もしていないのに部なんて名乗っちゃあいけない」

「そ、そうですね」

「何かやらせなさいよ。競争でも、なんでも。だって部活動なんだから」


 と訳の分からない理論を述べ立てた。

 それに付き合わされるのはいつだって気苦労ばかりの部下連中である。


 あれよと言う間に太閤検地もかくやと言わんばかりの地理調査が行われ、全国各地で学区内の交通量調査、および通学平均時間が算出された。帰宅時間を守ることこそが正しき学生の規範であると大々的に打ち出され、優秀帰宅者には、進学および就職で有利になる制度もできた。


 そして有史以来、流行を金に変えてきたのが先見の明のある阿呆達である。

 阿呆の思い付きに阿呆の行動力が層をなし阿呆のミルフィーユが生成されたことで、流行は一つの形を成した。


 競技帰宅。別名、Extreamエクストリーム Reachリーチ toトゥ Doorドア、その略称をEx=ReDエクス・レッドとする競技が生まれた。




   ○   ○   ○




 春風が校舎を、校門までの桜並木をゆるやかに吹き抜けていく。

 学校名の書かれた重厚なプレートが嵌まったレンガ壁にもたれる女生徒が一人。彼女は下校していく生徒一人一人を見ている。


 彼女の容姿はかなり整っており、有り体に言って美少女だった。真剣な眼差しを緩めることなく、校門から吐き出される生徒の群れを見つめる彼女に対して、声をかける女子が一人。ぽてっとした体型を制服で包み、やあやあと手を挙げて美少女の隣へ立つ。並んでくっきりと分かる頭一つ分小さいその姿は、掛けている丸眼鏡も相まって、愛くるしくもパンダの如く丸い。


「おほぅ、精が出ますなあ、万里まりお嬢様。進捗、いかがにござるか」

根亀ねがめ。あなた気が緩んでいてよ。また一層と頬の肉付きがよくなったのではなくて?」

「ふくよかさは母性と癒しと包容力の象徴にて。ささ、お嬢様も癒されていかれよ」

「結構」


 小さくて丸い女子がパパッと腕を広げるが、美少女は相手にせず長い黒髪をかきあげ、帰宅者たちの動きを観測している。

 彼女には、大いなる野望がある。それを成就させるために、競技帰宅、EX=ReDの適性がある者を探しているのだ。空前絶後の帰宅ブームはやがて成熟し、競技としてその形態を整えていく中でルールが形成され、フィジカル面において適性のある者とそうでない者の差が広がっていった。

 まず体格がしっかりしていれば、それだけで有利である。そして、体重の移動に無駄がないこと。さらに、何よりも大切なのは短足でないこと、である。


「万里お嬢様の欠点は数多あまたあれど、もう少し拙者めへの優しさにステータスを割いてはいかがでござる」

「……あなたが有能でなければ即座に解雇している所ですわ」

「はて。お嬢様の無理無茶無謀、難問難題にお応えできる他のメイドなんぞ、お屋敷におりましたかなあ」

「まったく、わざとらしい。それで、首尾はどうなったのです」


 万里は自分が入学したこの学校で、競技帰宅の部活を新設し全国大会で優勝することを目標にしていた。入学式で校長の話を遮るように壇上に上がり、マイクをひったくって競技帰宅部の設立宣言、および部員の募集を行った。

 当然、すぐに引きずりおろされ、危うきに近寄りたくない君子たちは彼女のことを平穏な日常の危険因子と認識した。あれは高嶺の毒草だ、良い子は見てはいけないと思わせるに余りある行動だった。

 美少女が校門に立っているのに誰も声をかけてこないのはそういった経緯がある。


 とはいえ、彼女は部の設立を諦めてはいなかった。必要な書類や各種申請を、雇っているメイドの一人である根亀に押し付け、なんとかするように、と厳命した。


足屋あしや家の名を出しますれば、事は滑らかに滞りなく」

「よろしい。あとは部員を確保するだけですわね」

「お嬢様。その前に報酬のナッツバーを頂戴したく」

「ええ、よろしくてよ」


 もちもちした根亀の手に、ナッツバーが乗る。砕いたナッツをキャラメルで固め、チョコレートでコーティングしたカロリーの暴力は、根亀の好物だった。

 鼻歌交じりに包みを開けて、ぷっくりとした唇でナッツバーに口づけてから満面の笑みでそれを齧る。


「ひと仕事のあとの一本はたまりませぬなぁ」

「まったく、女子高生のたしなみとはとても思えな――」


 根亀に苦言を呈そうとした万里は、一人の男子生徒の帰宅姿に目を奪われた。

 すらりと高い身長、がっしりとした体格。乱れることのない一歩一歩のストローク。加えて、重心のブレのなさが、実に美しいウォーキングを生み出していた。


「根亀。あの男子生徒、名前は?」

「追いナッツバーくれたら思い出せるでござるよ」

「もう、いやしいったらない!」


 叩きつけるようにそれを渡せば、自動音声インフォメーションのように滔々と情報が紡がれる。


「1年3組、九条端くじょうばた鉄雄てつお。部活動には所属せず。交友関係は平凡。ふむぅ、あの足運びは、一般人とは思えませぬなぁ」

「追いますわよ」

「食べ終わったら追いますゆえ、どうぞお先に」

「追いながら食べればよいでしょう!?」

「嫌でござる。断固、チョコとナッツとキャラメルのハーモニーを堪能する所存にて」


 むふん、と意気を示せば、ぽよん、と肉が揺れる。

 埒が明かぬとばかりに美少女は男子生徒を追って小走りに駆けた。




   ○   ○   ○




 一見して普通に歩いているだけに見える鉄雄を追いながら、万里は確信した。

 間違いなく逸材だと。ゆったり歩いているように見えるが、その体格の大きさからそう見えるだけで、実際にはそれなりの速度が出ている。小走り程度では追いつけない事実に、胸が高鳴る。


「そこのあなた! 止まりなさい! そこの、ええと……九条端くん!」


 名を思いだして声をかけるが、彼からの反応はない。

 速度を上げて隣に並び、なおも声をかけてようやく鉄雄は万里の存在に気が付いた。


「この私が名を呼んでいるというのになぜ気づかないのです!」

「すまない。帰宅に集中していた」

「い、逸材ッッ!」


 二言三言の会話の間も、鉄雄は一切その速度を緩めることはない。無神経とも取られるその行動は、逆に万里の気を引いた。


「急いでいるんだ。それに、俺は君の名を知らない」

「足屋万里。身長167㎝、体重53kg、上から89、58、82のFカップでしてよ。これでよろしくて?」

「ずいぶんと明け透けだな」

「みなさん、おっぱいに興味はおありでしょう。足を止めるためなら安い情報ですの、って止まってはくれませんのね!」

「おっぱいは好きだが、今はそれよりも帰宅だ」

「才能の塊ッッ!」


 無駄に情報を開示した万里の息があがり始める。

 鉄雄は、ただの一度も歩みを止めず、一定の速度を保っている。少しでも止まってくれたら呼吸を整えることができるのにと心の中で悪態をつく万里。


 十分以上歩いたが、歩みは止まらない。

 横断歩道も踏切もことごとくそれら全てが鉄雄の帰宅を妨げることはなかった。


「もう! 一度も止まら、ないっ、なんて!」


 なんて運が悪い、と続けようとした万里の脳裏に、一つの可能性がよぎる。


「九条端くん、あなた、もしかして、いつも、こう……なのかしら?」

「ああ。この速度で歩けば、一度も止まらずに帰宅できる」

「非凡の権化ッ!?」


 万里は確信した。彼は、天賦の才を、与えられた者だと。競技帰宅界を遍く照らす光になる存在だと。

 胸は熱く高鳴り、呼吸が荒くなる。


「話は終わりか? 休んだ方がよさそうだぞ」

「な、にを、仰います、の」


 ――苦しい。

 大きく肩で息をしながら必死でくらいつく。冷静に考えてみれば、美少女が苦しみ喘ぐ様を見ても知らぬ顔でスタコラと歩くなど非道だ、特殊性癖だ、人道に反する、と一瞬だけ思った。


 そうではないのだ。これは、試練なのだ。競技帰宅部の絶対的エース足り得る存在を前にして、己の意地を、意志を、矜持を貫けるかと、天に問われているのだ。


「わたくし、にはッ! 野望が! ありますの!」

「俺には関係ない。帰る」

「ええ、お帰りあそばせ! その、帰宅が! 欲しいのですッ!」


 こひゅう、と乾いた息が漏れる。血の味が滲む。

 髪が汗で顔にまとわりつくのも構わず、彼女は己の心の内を叫んだ。


 しばらくあるいた所で、ぴたりと鉄雄が歩みを止める。

 必死の言葉が通じたかと思ったが、そうではなかった。


「俺の家はここだ。じゃあな」

「待って! どうか、わたくしの競技帰宅部に……!」

「断る。君が帰宅すればいいだろう」


 ドアを開け、振り返る事も躊躇することもなく、住宅地の一軒家の中にその姿は消えた。

 大きく息をしながら、そのドアを見つめる。


 そして、辺りを見回して眉を下げた。

 彼女は、競技帰宅ができない。その最大にして絶対の理由。


 彼女、足屋万里は方向音痴だった。

 ここからの帰り道など、分かるはずがない。来た道を戻るなど、方向音痴の前にはおよそ神技にも等しい芸当である。

 だから、彼女は深く息を吸った。そして告げる。


「根亀ッ!」

「はは、これに」


 どこからか、しゅたっと姿を現す丸いフォルム。着地と同時に万里の傍らに片膝立てて跪き、むっちりとした太ももの肉を揺らす。


「彼を競技帰宅部に迎えます。彼の身辺をもっと調べて」

「御意に」

「あと、わたくしを連れて帰って」

「なれば、しめてナッツバー2本にござる」


 彼がいれば、間違いなく帰宅全国大会で優勝できる。

 万里は、そう確信していた。

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