第36話 訪問者1
その日、コケコッコーといういくつもの甲高い雄鶏の鳴き声でメリルは跳ね起きた。
「うわ」という声に目線を移すと、メリルが飛び起きた際に押し出されたらしいアルヴィンがベッドのふちから半分落ちかけている。
「だ、大丈夫?」
思わず手を伸ばすが、アルヴィンはそのままどさり、とゆっくり床に落ちた。メリルが覗き込むと、むくりと立ち上がって伸びをする。
「おかげで目が覚めた。おはよう」
アルヴィンは笑ってそう言うと、メリルの頬にキスをして、窓を開けて朝の空気を入れた。外からは早く起きろといわんばかりに鶏の声が響いていた。
「小屋から出してやらないとな……」
「お願いね」
アルヴィンは指をくるっと回すと、一瞬で寝間着から着替えて外へと出て行った。
――さっと着替えられるの、便利よね――
あれは早く身に着けたいわ、とメリルは唸った。火や水、風などの基本的な魔法は使えるようになったものの、アルヴィンのようにはなかなかいかない。
しょうがないので、自分は部屋を出て、向かいの――、アルヴィンの師匠がもともと使っていた部屋へ行って、クローゼットから服を選んでゆっくり着替えた。髪を整え、一階に降りると、魔法でお湯を沸かし、紅茶を入れる。
茶葉の良い香りが漂ってきたころ、アルヴィンが籠に卵や野菜を入れて戻って来た。
「――卵と――、野菜も食べごろみたいだから、採ってきたよ」
「本当ね。――美味しそう。野菜はスープにしようかしら? それと朝は――目玉焼きでも良いかしら?」
「いいな! 頼む」
アルヴィンは顔をほころばせると、座って紅茶を飲んで一息をついた。
メリルはエプロンをかけるとキッチンに立って、水と風の魔法で野菜を洗って切った。望む大きさに均一に切るのがなかなか難しいのだが、今朝は良い感じにスパスパッと切れたので気持ちが良い。
思わず鼻歌を歌いながら、魔法で起こした火で切った野菜を炒めて、水を入れて煮ながらスープを作った。街で買ってきたパンを切って焼きながら、卵を割って目玉焼きを作る。最初は火加減が難しく、フライパンや鍋ごと火で包んでしまったこともあるが、今ではスープ、パン、目玉焼きと3つ同時に適度な火加減で調理ができるようになった。良い匂いを嗅ぎつけたのか、白い犬が足元にやってきて、物欲しげに鼻を鳴らした。「あなたの分は後でね」と頭を撫でて待たせると、皿に盛った料理を机に運ぶ。
「――美味い……」
食事を一口食べるごとに、アルヴィンは噛み締めるように呟いた。
「いつも疑問だったんだが――、君が作ると何で、こんなに美味しいんだ?」
「――色々、調味料を使っているからかしら?」
大げさね、と苦笑しながらメリルは首を傾げた。
魔法の扱いがまだうまくできなかった最初のころはアルヴィンが料理をしていた。
ただ、彼の料理は全部が同じ味付けで――、最初に一緒に食べた兎の香草焼きと同じ味――、香草と塩をかけて終わりなのだ。そのため家にかけた空間魔法を解いたことで、毎日食事が必要になると、食べ飽きてしまった。そのため、街でいくつか調味料を手に入れられてからは、味付けはメリルの担当になった。
メリルは籠に残った野菜を見る。二人で食べきるには余る量だ。
庭の一角を畑にして育てているだけだが、魔法を使いつつ育てているので、嬉しいやらもったいないやら、次から次に収穫ができてしまう。
「また……売りに行く?」
今までも何度か作物が採れすぎたときは、人里に出て市場で売るようにしていた。
アルヴィンは頭を掻いて笑った。
「そうだな。育てるのが楽しくて、つい植えすぎるな。――と言いつつ、畑をまた綺麗にしてしまったんだ」
綺麗にした、ということは収穫し終えたものを全部一度抜いて、畑を平らに戻したということだ。メリルは笑った。
「売れたら売れたで、お金になるものね。どんどん植えちゃいましょう。私も魔法の練習にちょうど良いし」
***
メリルはアルヴィンと庭に出ると、持って来た植物の種を掌に載せて目を瞑って、軽く拳を閉じた。掌の中で、種が弾けて、緑の新芽が芽吹くのを感じる。目を開けて、手のひらを開くと、それぞれの種から双葉が出ていた。
「うん。もうばっちりだな」
アルヴィンは腕組みをして頷くと、悪戯っぽくメリルに問いかけた。
「じゃあ、次は? 今日は植えるまで1人でやってみてくれ」
「えぇっと、まず、
メリルは畑の土に手を触れると、瞳を閉じた。慣れない魔法はまだ目を閉じないと使えない。綺麗な畝の形を頭にイメージする。ゆっくり瞳を開けると、イメージ通り、整った形に土が盛り上がっていた。
「――――俺より、上手くないか?」
アルヴィンは少し面白くなさそうに唸る。メリルは得意げに笑った。
「そうかしら?」
「――うう。じゃあ、次は?」
「等分に、植えるわ」
先ほど芽吹かせたものを、風で巻き上げると、ふわりと一つずつ間隔を開けて、先ほど作った畝の上に落とす。それから、再び土に手を置くと、土の中に新芽を少し潜らせた。
目を開けると等間隔に綺麗に緑の双葉が並んでいる。
「――完璧じゃない?」
くるりと振り返るとアルヴィンは少し不満げに「確かに」と呟いてから、もう一袋、植物の種が入った袋をポケットから出した。
「じゃあ――、じゃあ、この花を咲かせてみてくれ」
「えぇ……種から……?」
メリルは不満げにぼやく。芽を出すことはできても、種から完全に花を咲かせるところまで成長させる自信はなかった。アルヴィンは笑って大げさに肩を持ち上げた。
「――メリルには、まだ早いか?」
「――――できるわよ――――」
メリルは口を尖らせると手のひらを差し出した。ぱらぱらと種を受け取ると、目を瞑って力を込める。
掌の中でむくむくと発芽した種が伸びるのを感じて、手のひらを開いた。
そして、目を開く。
「あー……」
思わず落胆の声を漏らす。花は発芽して指2本分ほどの長さに伸びただけだった。
「――良かった」
アルヴィンはメリルの手を横から包むように握った。手にじんわりと魔力が流れるのを感じる。茎がどんどん伸び、葉が広がり、蕾ができ――そして、違った色の花がぱっと開いた。手の中にいつの間にか根付きの花束ができあがっている。
「――良かったって――、嫌な人ね」
メリルはさらに口を尖らせた。アルヴィンは苦笑する。
「だってさ、君は物覚えが良すぎるんだ。俺の立つ瀬がない」
それから、オレンジの花を
「これで機嫌直してくれるか?」
「――いいわよ」
別に本当に機嫌が悪いわけではないのだが、「しょうがないわね」という風に頷いてみせると、アルヴィンは笑ってその花をメリルの髪に挿した。
「これは君に、あと――残りはサニーに」
アルヴィンは残った花を手に持つと、庭の片隅に作った花畑に植えた。
黒猫のサニーは何月か前に、眠るように息を引き取った。
その身体は、この花畑に埋めた。
メリルはアルヴィンの背中を撫でると、微笑んだ。
「――畑に水もあげておかないとね」
水やりのため、魔法を唱えようとしたとき、突然、日差しが消え空が暗くなった。
ぽつり、ぽつりと雨が降り出す。
「水やりしなくてもよくなっちゃったわ――」
「――――誰か、森に迷い込んだかな」
メリルが顔を見上げると、アルヴィンははぁとため息をついて、黒いローブのフードを被った。
「ちょっと見に行ってくるから、君は家にいてくれよ」
迷いの森は、ところどころで、外の――普通に人々が暮らしている街や村の森につながっているようで、稀に人が迷い込むことがあった。そういうふうに普段と違う存在が紛れ込むと、天気がおかしくなるのだ。精霊と対話できないと、森の中で道を見極めることは難しいので、迷い人がいる場合は気づけばアルヴィンが外へ案内してやっているらしい。
一緒に暮らし始めてから迷い人はこれが初めてだったが。
「わかったわ」
メリルは頷いて、小走りで家に戻った。
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