第33話 もう大丈夫
私たちは家の中に戻ると、リビングでお茶を入れて向かい合って座った。
「明日になったら、買っていた苗や種を植えよう」
アルヴィンはお茶を一口飲んで、弾んだ口調でそう言った。
「明日――、明日、そうね、明日――」
私は頷きながら首を傾げた。ここに来てから1日の感覚がないので、『明日』という言葉が不思議な響きで感じられる。
「慣れないよな、『明日』」
アルヴィンもそう言って、笑った。それから私の手を取った。
「メリル、今度は君のことを聞かせてくれ」
「私のこと?」
「何が好きで何が嫌いか――とか。君のことを、もっと教えて欲しい」
「そうね……、家にいたときは……、ほとんど本を読むか、絵を描いて過ごしていたわ」
屋敷の中にじっとしていて、時間を潰すにはそれくらいしか選択肢がなかった。
アネッサが持ってきてくれた花や、窓から見える庭の景色を何度も繰り返しスケッチブックに描き込んだ。
「絵?」
「――ペンと紙はここにある?」
アルヴィンは「ちょっと待て」と言うと、書斎に姿を消し、手にペンと紙を持って戻って来た。私はそれを受け取ると、ペン先にインクをつけて床に寝そべっているジャックの姿を描いた。誰かに見せるために何かを描くのは初めてだ。「どうかしら」とアルヴィンに見せると、彼は紙を手に取って目を丸くした。
「――そっくりだ。すごい」
――そこまで驚いてくれると、描きがいがあるわね。
「――羨ましい。魔法文字って、精霊の姿をそれぞれ文字として記してるんだよ。だから、その姿を上手くとらえられると覚えるのが早いって師匠が言ってたけど……、俺はそれが下手で」
「絵と関係ある?」
「絵をうまく描けるってことは、ものの形がよく見えてるってことだろ。だから、たぶんメリルは魔法文字も早く覚えるよ」
そう褒められると嬉しいわね。アルヴィンは紅茶を飲み終えると、欠伸をして、目をこすった
「――魔法を解くのに魔力を使ったからか、眠いな」
「――寝たら?」
揺り椅子やソファでアルヴィンがまどろんでいる姿は何度か見ているけど、こんなに眠そうなのは初めてだ。
「そうだな。しばらくぶりにベッドで寝てこようかな。君は?」
アルヴィンは黒猫を小脇に抱えて立ち上がると私に聞いた。
まだ目は冴えていて、眠れそうになかったので首を振る。
「まだ起きてるわ。サニーを連れて行くの?」
「こいつは――、あとどれくらい元気でいてくれるかわからないから、できるだけ一緒にいたい。――おやすみ」
アルヴィンは私に近づくと、身体を落とし額にキスをして、そのまま階段を昇って行った。
私は彼の姿が見えなくなるのを確認してから胸に手を置いて、深く息を吐いた。
それから床で丸まるジャックに話しかけた。
「まだ、どきどきしているの」
ジャックはクゥーンと鼻を鳴らして、あしらうように尻尾を揺らした。
この子も眠そうだ。
――リル
その時、耳元で私の名前を呼ぶ小さな声が聞こえた。
――妖精の声だわ。
私は顔を上げて周りを見回す。妖精たちの姿はどこにも見えない。
――メリル、どこ?
――わかんない。
――いないね。
彼らの声は私を探しているようだった。
「あなたたち、どこにいるの?」
私はいつもと違うその様子に、思わず大きな声で呼びかけた。
――すると、ぽつぽつとランプで照らされた薄暗い室内に、妖精の白い光が現れだした。
“メリル、いたっ”
“いつもだったらメリルのところにすぐに行けるのに”
“場所がわからないんだもん”
彼らは口々に囃し立てる。
――こんなことが、ついさっきもあった。あれは、街から帰って来た時。
私は彼らとの会話を思い出した。
“だってメリル、ボクたちがいなくたって楽しそうだったんだもん”
“そうそう、私たちがいなくっても気づかないし”
“話しかけても聞こえてないみたいだった”
「あなたたちは、いつもどうやって私のところに来るの?」
彼らの本来の居場所は、あの花畑の広がる世界だ。
そこから空間を超えて、妖精たちは私のところにやってきている。
“すぐにわかるよ”
“メリルはいつもボクたちと遊びたがってるから”
“ワタシたちと遊びたい子の場所に、行くの”
――私がこの子たちと遊びたがってる?
私は首を振った。そんなふうに思ったことは一度もない。だって、あなたたちがいたせいで、私は気味が悪いって言われて、家族の邪魔だって思われて――
だけど。
私はそこではっとした。
――最初に、妖精たちが現れたのは――
あれはずっと小さい頃。家でアネッサのお誕生日が開かれた時だ。私の誕生日会より大きなもので、たくさんのお客さんが来ていた。綺麗なドレスのアネッサがよちよちと挨拶をする。歓声が沸き起こる。『お父様とお母様にそっくりの、綺麗な金髪ね』『天使のようにかわいいわ』賛辞の言葉が溢れて、屋敷中が華やいでる中、私はひとり置いてけぼりだった。
――ねえ、わたしは?――
私の問いかけに、小鳥の
“とってもかわいい子!”
“名前はなんていうの?”
きらきら光るその小さな光の塊は私の周りをふわふわと舞う。
――メリル――
“メリル! 素敵な名前だね!”
“ねえ、メリル、ボクたちと遊ぼう!”
それは、妖精たちだった。彼らを最初に求めたのは、私の方だった。
――『大人になる頃にはいなくなってた』
アルヴィンの言葉を思い出す。大人になるということは、きっと――、
誰か大切な人を見つけて、居場所を見つけることなのかもしれない。
妖精たちを求めないような、居場所を。
「――ごめんね」
思わず声が震えた。
「最初は私があなたたちを求めたのに」
“メリル、何で泣いてるの?”
“今度は誰がいじめてるの?”
“ボクらがまたやっつけてあげるよ”
妖精たちは慰めるように私の髪を撫でた。
「違うの。――私はもう、大丈夫よ」
私は目元をぬぐうと、ペンを手にとって呟いた。
「……あなたたちを描くわ」
わぁっと周りで歓声があがった。
“絵になるの? ボクら!”
“かわいく描いてくれないと、髪の毛引っ張るよ!”
“メリルは上手だから大丈夫よ!”
私は紙の上に、小さな花でできた洋服を着た妖精の姿を描き始めた。
一人ひとり、机の上で得意げにポーズを決めてくれる。
――このまま、きっとそのうち、あなたたちと私は離れて行くでしょうけど――
私の周りにこの子たちがいたことを残しておきたい。
私はペンを走らせた。
――気がついた時には、窓から朝日が差し込んでいた。
机の上いっぱいに紙が散らかっている。その上にはいろいろな姿の妖精たちがいる。
「おはよう」
そう呟いて回りを見回しても、妖精たちの姿は見えなかった。
代わりに、「おはよう」と低い声がして、初めて見るパジャマ姿のアルヴィンが目をこすりながらリビングに入って来た。
彼は机の上に散らばる紙を見て驚いた顔をする。
「――これは、君が描いたのか?」
「上手いでしょう」
私は笑って立ち上がると、窓を開けた。
朝の清々しい風が吹き込んでくる。青い空は庭に野菜を植えるのにうってつけの天気だった。
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