第12話 掃除

「――その前に、少し掃除した方が良いな」


 アルヴィンは浴室を見回すと呟いた。――確かに、タイルの上には風で吹き飛ばせなかったほこりが積もっている。


「私がやるわ」


 使わせてもらうのだからそれくらいしないと、と思って申し出るとアルヴィンはにっと笑った。


「じゃあ、君の妖精たちにやってもらおう」


 私の周りをふわふわ飛んでいた妖精たちは顔を見合わせた。


“ボクらお客様だよ、アルヴィン”

“お客様はおもてなししないと”

“ねえ、メリル”


 同意を求められて私は苦笑して首を振った。


「お願いよ。お掃除してくれたら嬉しいわ」


 ざわっと妖精たちが騒めいた。


“メリルが嬉しいって!”

“じゃあやる!”

“やろう”


 いつも、話しかけられるのを嫌々返事してばっかりだったから、こういう風に何かを妖精たちに頼むのは初めてだった。


――この子たちが――私のことを大事にしているらしいのは――本当だ。


私はまた、何ともいえない気持ちになった。

 アルヴィンは古びた布と、木のバケツを持って来てタイルの上に置いた。

 指をくるっと回すと、今度は水の塊が空中にぽよんと浮かんで、バケツの中に落ちて水を満たした。次に布をその水で濡らして絞ると、妖精たちに話しかけた。


「おーい、これでぴかぴかに拭いてくれ」


“はーい!”


 妖精たちは声をそろえると布に群がって、ぶちぶちぶちっとその小さな手に握れる大きさに千切って、部屋中に飛び散った。キュッキュッとタイルをこする音が響く。


「――自分たちのところに来ないかって誘ってくるのを除けば――慣れれば役に立つ奴らだよ」


 アルヴィンは私に語り掛ける。


 ――妖精たちのところ、あのお花畑の向こう――

 

 私はあの色とりどりの花が咲き乱れる風景を思い出して、身体を押さえた。

 あれはとても綺麗だったけど、あまりに綺麗で非日常的な、思い出すとぞわりとする光景だった。


「あっちに行くと、どうなるかあなたは知っているの?」


「――小さい頃、君みたいに誘われて、足を踏み入れたことがある。夜だったけど、近づいたらここみたいに明るくて――、俺くらいの年の女の子が花畑で花輪を作って遊んでるのが見えた」

 

 アルヴィンは遠い昔を思い出すようにゆっくりと話し出した。


「妖精たちに囲まれて、妖精たちが着てるみたいな花でできた服を着てて――、できた花輪を被って踊り出したんだ」


 言葉に実感がこもってくる。


「笑い声を上げて、くるくる踊りながら俺の横を通りすぎて行った。すごく楽しそうに笑ってるんだけど――、何が楽しいのかもわからないような、そんな笑い方だった。周りのものは何も見えてない感じで、俺のことにも気づかに花畑のずっと先に消えて行った」


 その光景を想像して、背中がぞくりと冷えた。

 その子は今ももしかしたら、同じようにあの花畑で踊っているのだろうか。


「それで、怖くなって元来た道を走って戻ったが――、自分の家へは戻れずに『迷いの森』に辿り着いて、師匠に拾われた」


“できたよ!“

“ピカピカ!”

“見て、見て”


 得意げな妖精たちの声が響いた。それぞれが持った布地は真っ黒になっている。

 視線を浴室のタイルに移すと、さっきまで曇っていたベージュのタイルがキラリと光った。


「綺麗になったわね」


 思わず感心して呟くと、妖精たちは得意げにくるくると回りを飛び回る。


“綺麗でしょ”

“メリル、嬉しい?”


「――嬉しいわ。ありがとう」


 周りでキャッキャッと歓声が上がった。


「よし、お湯を入れるか」


 アルヴィンはこれもピカピカに磨かれた白い陶器のバスタブに向かって手を動かした。大きな水の塊が浴槽に落ちて水を溜める。次に彼はその水に手をかざした。――そのまましばらくすると、ほかほかと湯気が上がってくる。


「熱さは、こんなもの?」


 聞かれて、私は手を入れた。ほどよい温かさだ。

 私はいったん外に出て、2階の彼の師匠さんの部屋からドレスを、アルヴィンからタオルを借りて、また浴室に戻った。

 

 鍵をかけ、服を脱ぎ、湯船に浸かると、じわっと嫌なことが全部お湯に溶けて行くような気がした。窓からはさんさんと日光が差し込んでいる。


 屋敷であったことが夢なのか、今ここにいるのが夢なのかわからなくなるような気がした。


“メリル、お花持ってきたわ”

“花、浮かべよう”

“いい匂いになるよ”


 いつの間にか窓の外に行っていたらしい妖精たちが、どこから持って来たのか、白やピンクや赤の薔薇の花びらのようなものをそれぞれ手に抱えて外から飛び込んできた。


 彼らはバスタブの上で花びらを降らせた。

 ぱらぱらと花びらが降り注いで、甘い香りが立ち込める。

 私は湯の上に浮いた花びらを掌で持ち上げて香りを嗅ぐと、顎までその中に沈んだ。




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