という言葉は本来、日本になかった。

ない、ということは完全符号する概念、意味も存在しなかった。

ということでこれは輸入された概念である。

たしかキリスト教と共にやってきた。もちろんキリスト教はご法度の時代だったから、一般に広まったのはやはり倒幕後。小説なども大いに貢献していたろうと想像する。


そう、彼の文豪もこの概念をどう伝えるかで考えあぐねたのかどうか、「I love you」を「月がきれいですね」と訳しているのだから、なおさら『愛』という概念の斬新さに目がいっちゃう。


そんなこんなで『愛』が普及し始めて百年あまり。

この言葉は巷にあふれてる。

みな華麗に使いこなしているように見えるけれど、オイラは腑に落ちてない。


なにしろ洋画で主人公がピンチの時は必ず家族や恋人へアイラブユーを遺すけど、いまだ違和感あって気持ちが入りにくい。そもそも日本人が真似たとして、目の当たりにしたなら嘘くさくて、どうした! ってつっこむほかないのだから生活には馴染んでない。

出典の宗教上では『エロス(性愛)』と『アガペ(神の愛)』があるけれど、『アガペ』こそメジャーじゃないし、やっぱ仏教だし神道だし。

ならラブロマンスとして王道の『エロス』があるじゃないかというけれど、ぶっちゃけ『愛』抜きでも性行は成立するわけで、異性間での愛からそれを抜いたら結局、なんのこっちゃ焦点はズレまくるし。さらに馴染めていない「隣人を愛せよ」ってヤツもあるし。

しゃらくせぇや。といったところで『愛する』は『好き』でもなくて、日本式に『めぐ』『いとし』『うるわし』等々、あてがい解釈すりゃあいいっしょ、ってアレンジはもう逃げだし。

(このへん、「かわいい」の回につながっていないかい?)

こうなりゃ、それも愛なら、これも愛、たぶん愛、きっと愛。

ヤケクソになったところで、本質は何なのか、むしろ分からなくなってゆく有様。

いや、分かってないのはオイラだけか。

だー、れー、かー。


だからして『愛』を表現するべく「愛しています」と言わせることに敗北感を感じるオイラとしては、かなり考える。それはもう、舶来文化と精神への理解を試されてるかのような気がするほどに。

恋愛ものはどこかそんな目で見てしまうし、実際、苦手なそれが理由。


いや実質、誰も分かっていないなら、テキトーに流してもバレないんだけど。そして誰も分かってないから、テーマとしてそれぞれに掘るんだとは思うんだけど。なわりに、容易く使い過ぎだと思うわけで。『愛』を使う時は要注意だぞ、と思うのである。

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