第103話.試練

 音の発生源に目を向けてみると、100mほど先の場所で、巨大なクマのような生き物が闊歩していた。


 グレンたちのいる場所からはだいぶ遠いのだが、体高が5mほどもあるので、はっきりと肉眼で視認できる。


「な、何ですかアレ……」


 流石のグレンも、その巨体には慄き、少し顔を引きつらせてワーゲンに問う。


「あれはジャイアントシザーベアーだな。珍しい……」


 ――ジャイアントシザーベアー。


 第4位階の魔物で、非常に巨大で、ハサミのような手の形をしているのが特徴だ。


「いや、なんでそんな冷静なんですか……」


 しかし、こんな怪物のような魔物を前にしても、冷静に分析をするワーゲンにグレンは突っ込みを入れる。


 グレンが突っ込みを入れるというのも、随分と珍しい光景だ。


「あー、確かに初めて見たら驚くよね。けど、あの巨躯きょくだからね。見た目は怖いけど、動きが遅いから戦闘能力は大したことがないんだ」


「あー、確かに言われてみれば、あんなに大きな魔物が素早く動けるわけがないですよね」


 ワーゲンの言葉に、グレンは安堵する。


「まぁ、巨体で素早く動く恐ろしい魔物もいるけどね。それに、ジャイアントシザーベアーも、これまで戦ってきた雑魚とは違うよ? 魔力を豊富に持っているし、単純な腕力も、見た目通り強い。動きが遅いとはいえ、油断して一撃でも貰ったら即死の危険性もある」


「な、なるほど……」


 即死、という言葉に身震いするグレン。


 しかし、想像していたよりは危険な魔物では無かったようで、少しだけホッとする。


 とはいえ、それでも魔術師10人の戦闘力に匹敵する、第4位階の魔物なのだ。


 対してグレンたちの方は、グレンとワーゲンを含めても8人しかいない。


 アルザート王国に来たばかりの頃のグレンなら、何とかなるだろう、などと言って突撃していたが……。


「流石に逃げますか? だいぶ戦力的に心許こころもとないですし」


 今のグレンは冷静な判断が出来る。


 別に追いつめられている状況でもあるまいし、戦力が不足している状態で戦う必要性はどこにもない。


 しかし……。


「いや、戦ってみよう」


 昔から冷静なワーゲンが逆に、無謀にも思えることを言いだす。


「えぇ!? 何故ですか!」


「いや、確かに人数的には少し厳しいけど、今この場にいる皆は精鋭だからね。そこまで恐れることは無いよ。何より、ジャイアントシザーベアーは動きが遅いんだ。もしも厳しそうだったら逃げればいい。グレンもそろそろ雑魚ばかりを狩り続けるのは飽きて来ただろう?」


「……!」


 確かに、戦いと言うのはどちらかが死ぬまで続くわけではない。


 途中で逃げるという選択肢もある。


 そして、相手よりも機動力で上回っているのなら、それはそう難しいことではない。


 グレン自身は冷静なつもりであったが、どうやらそうでもなかった様だ。


 そう言われて、グレンは笑みを浮かべると……。


「確かに……! 正直指揮を執ってばかりで、自分でも身体を動かしたいと思ってたんですよ! 義兄にいさん、どうすればいいですか?」


「いや、グレンが指揮を執るんだ。戦闘に参戦してもいいけど、これはグレンの経験を積むためだからね」


「えぇ!? い、いや、それはそうかもしれないですけど、流石にこの状況では自信ないですよ」


「はは、心配しなくても、マズイと思ったらサポートするから。出来る限りは頑張って」


「うっ……、分かりました」


 グレンは緊張したような様子を見せながらも、覚悟を決めたようだ。


 遥か彼方を闊歩かっぽするジャイアントシザーベアーの姿をじっと見据え……。


「とりあえず第一部隊は左から、第二部隊は右から。回り込むように攻撃を仕掛けるんだ! 義兄にいさんは俺と一緒に正面から攻撃をお願いします!」


 そう言ってグレンも自ら駆け出す。


「了解!」


 ワーゲンもそれに答えて後を追う。


 かなり堂々と動いているが、ジャイアントシザーベアーは気が付く様子が無い。


 そのまま全員が射程に入り……。


「攻撃開始!」


 グレンの合図で一斉に魔術を放つ。


 流石にグレンの声には気が付いたようで、グレンの方に視線を向けるジャイアントシザーベアーだったが、すでに遅い。


 直後に放った魔術が全て着弾する。


 だが……。


「ゥオォーォ!」


 大地を揺るがすような鳴き声を上げるだけで、着弾した足には目立った外傷は見えない。


「うっそーん……」


 これには思わずグレンも呆然として間抜けな声を上げてしまう。


「ジャイアントシザーベアーの皮膚はかなり頑丈だからね。とはいえ、無敵って訳じゃない。ダメージは確実に蓄積していくよ」


「そ、そうですよね!」


 ワーゲンの言葉に、グレンは気を取り直すと、再び攻撃を再開する。


 だが、ジャイアントシザーベアーも、ただサンドバッグになっているだけではない。


 狙いをグレンに定めると、その巨大な右足を持ち上げ、グレンの身体の上に持ってくると、一気に振り下ろす。


 あまりに足が巨大すぎて、グレンのついでにワーゲンも巻き込みそうになるが……。


「トロいんだよ!」


「この程度では当たらないね」


 グレンもワーゲンも軽い身のこなしでこれを回避。


 かなり余裕を持って避けることが出来た。


 どうやら、動きが遅いというのは本当の様だ。


 そのままグレンたちは攻撃を再開しながら、敵の攻撃を回避し続けた。


 しかし、対するジャイアントシザーベアーの方も、魔力を使って防御を構築してきたりと、中々倒すことが出来ず、戦いは膠着状態に陥った。


 魔物にも疲労と言う概念は当然存在するだろうが、今のところその気配は見えない。


 対して、グレンたちは少しづつ疲れが出て、動きが鈍り始めていた。


 このままでは、先にミスが出るのはグレンたちの方だ。


 そして、そのミスと言うのは即死を意味する可能性だってあるのだ。


 グレンの中に、焦りの感情が再び現れる。


 ――何か起死回生の策を考えなければならない。


 そんな思いが浮かぶが、元から頭が回る方ではないグレンが、その上冷静さを欠いていては、良い策など思い浮かぶわけがない。


 だが、そのせいで焦りはドンドン加速していき……。


「ふぅ、これは逃げるとしようか」


 そんな時、ワーゲンがグレンに向けてそう言ったのだった。






 ーーーーーーーーーー






「まぁまぁ、そんなに落ち込まないでよ」


「いや、でも……」


 ジャイアントシザーベアーを倒せず、グレンたちは逃げることになり、無事に王都に帰ってくることが出来た。


 逃げること自体は、そんなに大変なことではなく、全員無事だ。


 しかし、討伐に失敗してしまったことに、グレンは随分と気落ちした様子である。


「確かに、着実に自信を付けてきた中で、今日失敗してしまったのは悔しいかもしれないけど、別にだからって何があるわけでもないだろう?」


「それは……そうですけど……」


 ワーゲンが言っていることが正しいことは、グレンも分かっている。


 落ち込んでいても仕方がない。


 しかし、感情の問題は理論では解決しようがない。


 グレンの表情は暗いままだ。


 ワーゲンは少し困ったような顔をした後……。


「失敗も経験だよ。今日は何で上手くいかなかったのか。どうすれば勝てるようになるのか。それを一緒に考えて行こう。大丈夫、リベンジするチャンスはあるさ」


「……! はい」


 ワーゲンの言葉に、何かハッとしたような表情を浮かべ、少し晴れやかになった顔で頷いた。

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