第17話.アドレイア・ロドグリス

 びっしりと書物が敷き詰められた本棚。


 横2m、縦1mはあるかという大きな木製の机。


 部屋に敷かれた質の良い絨毯。


 赤いカーテンの掛かった、純白の大きな窓。


 大量の絵画に、大きなシャンデリアが2つ。


 ここは、ロドグリス王城の数ある部屋の中の一つ――国王の執務室である。


 この部屋の主である、アドレイア・ロドグリス。


 彼は、今日も今日とて、大量に運ばれてくる報告書と睨み合っていた。


 仕事内容は、報告書に目を通し、印を押すだけ。


 一見簡単に見える仕事。


 しかし、これがなかなかどうして、大変な作業なのだ。


 アドレイアの元に送られてくる報告書というのは、当然国王に見て貰わなければならないような、国の運営において重要な内容のものばかり。


 流し読みという訳にはいかない。


 しっかりと内容を理解したうえで、印を押さなくてはならないのだ。


 しかも1人で大量に。


「ふぅ、疲れたな……」


 アドレイアは、この地味に大変な作業を、かれこれ2時間以上休憩も取らずに続けている。


 集中力がちょうど途切れてしまったところで、コーヒーに手を付ける。


「ん? すっかり冷めてしまったな。おい、淹れ直してきてくれ」


 アドレイアは、近くでずっと無言のまま控えていたメイドに命令する。


 2時間以上も、コーヒーを飲まずに放置していたのだ。


 近頃は冬も過ぎて、段々と気温も高くなってきた。


 とはいえ、これほどに時間を置けば、流石に冷めてしまう。


「かしこまりました」


 命令されたメイドは、美しい所作で一礼をすると、素早く部屋を立ち去る。


 部屋に誰もいなくなったのを、アドレイアは確認すると、気が抜けたように姿勢を崩す。


(はぁ、本当に疲れた……。王という立場上、そばには常に誰かが控えている。そのため、執務の大変さもさることながら、だらしない態度を見られる訳にはいかないという、心理的プレッシャーも、疲労の加速に拍車をかけている)


 そんなネガティブなことを考えながら、束の間の休息を味わっていた時だった。


 トントントン、と優しく扉が叩かれ……。


「失礼します。陛下、エルナです」


 扉越しに、アドレイアの耳に高い女性の声が届く。


「は、入れ!」


 慌てて姿勢を正すアドレイア。


 エルナとは、幼少期からの付き合いだし、別にリラックスしたまま会っても、全く問題ない。


 しかし、国内外の貴族や有力商人と会う時は、国王としての振る舞いにふさわしい態度を取っていたためか、いつの間にかそのような癖が普段からついてしまった。


 ゆっくりと扉が開き、エルナが室内に入ってくる。


「で、用件はなんだ?」


「はい。実は、今朝けさからリガル殿下の姿が見えないようです」


「なんだと!?」


 先ほどまで、落ち着き払っているように見える態度で、座っていたアドレイア。


 しかし、エルナの言葉を聞いて、思わず椅子から立ち上がって驚愕する。


 アドレイアがこれほど驚くほどに、リガルの行方が分からないというのは危険事態なのだ。


 正妃との間に設けた男子は、リガルだけでなくグレンもいる。


 だが、親の目から見ても、グレンが王になれるだけの能力を持っているとは、到底思えない。


 無論、グレンにも優れた点はある。


 頭はあまり良くはなく、脳筋気味なグレンであるが、魔術の才能はリガルをも凌ぐと、アドレイアは思っている。


 とはいえ、戦闘能力だけじゃ、王にはなれない。


 それに、王としての器以前に、嫡男であるリガルの死は、国が揺らぐほどの一大事件だ。


 慌てるのは当然。


 なにより、国王としての立場ではなく、純粋に親として、リガルの安全が気になった。


 だが今回は……。


「い、いえ。御安心ください。すでにリガル殿下の居場所は把握できています。現在も、隠密行動部隊の隊員数名がひそかに監視しております」


「そ、そうか。もちろん何事もなかったんだろうな?」


「はい」


(よかった……)


 アドレイアは、その言葉に安心する。


 そのため気が抜けたのか、正していた姿勢を崩す。


「で、あいつはどこで何をやっているんだ?」


 しかし、アドレイアはすぐに冷静さを取り戻し、リガルの行動を尋ねる。


「はい、リガル殿下は城下町に繰り出していったようです。そこで――」


「ん? 待て待ておかしいだろ!」


 エルナが話を始めてすぐに、途中でアドレイアがそれを遮る。


 アドレイア目線だと、もうこの時点で突っ込みどころがあるのだ。


「まず、なんで城を出ることが出来る? 門番は一体何をしていたんだ!」


「いえ、申し訳ありませんが、それは不明です……。隠密行動部隊が、リガル殿下の姿を発見した時には、すでに外に出ていたものですから」


「そうか。ったく……。あいつは賢い奴だが、賢すぎるのも考え物だな……。で、それで?」


「はい、まずリガル殿下は城下町を普通に歩いていました。どうやらお金が無かったようで、特に何か店に寄ったりという事はありませんでした」


「なるほど。確かに、あいつには金を渡していない。そもそも、あいつ自身が金を使う必要が無いからな」


 本来、リガルが城の外に出る機会などそうは訪れない。


 だから金を渡す機会も訪れなかった。


 そのせいで、リガルは自由を求めて、アドレイアに話すことなく、城の外に出てしまったわけだが。


「まぁ、だが散歩したぐらいなら、許してやるか。いつも城内に籠ってばかりでは、可哀そうだしな。護衛に関しては、次からは隠密行動部隊を初めから付けておけばいい」


 国王としてではなく、父として息子を思いやる気持ちを見せ、寛大な処置を下そうとしたアドレイア。


 しかし直後に、エルナが言いにくそうに口を開く。


「そ、それが……。無事ではあったのですが、実は……」


 そう言ってエルナは、リガルたちがヤンキー少年2人組と戦闘を行ったことを話した。


 街を歩いていたら、ヤンキー2人組が気弱な魔術学園の生徒をいじめていたこと。


 それを、レイは見過ごせずに止めようとしたこと。


 ついでに、リガルはそれを平然とスルーしようとしたことも。


「レイがそんなことを……。まぁ、あの子は年の割にはしっかりしているものの、結局は7歳だからな……。責めることは出来ないか」


「えぇ、結果的には怪我も全くありませんでしたし、かなり一方的な戦闘でした。特に、リガル殿下の戦いぶりは凄かったと聞き及んでいます」


「あぁ。だからまぁ、それは不問だ。だが……」


 100歩譲って、といった感じで渋々、戦闘を起こしたことは許すアドレイア。


 しかし、それ以外に不満があるようだ。


「いじめられている者を平然と見過ごすなど……。あのバカ息子め、どれだけ性根が曲がっている……」


 本来、リガルの取った行動は正しい。


 王子であるリガルが、自ら危険を冒してまで人を救う必要性が無い。


 もちろん、アドレイアもそんなことは分かっている。


 しかし、だとしても、躊躇ちゅうちょする様子くらいは見せてほしかったのだ。


「ま、まぁレイちゃんが戦闘を始めようとした時には、ちゃんと戻ってますし……」


「あぁ、まぁ説教1時間くらいで済ませておこう。で、その後は?」


「は、はい。それが、なにやら話した後に、いじめられていた魔術学園の生徒の少年を連れて、クライス商会に向かいました」


「は……? クライス商会なんぞに向かって、一体何を……」


「分かりません。流石に建物の中に踏み入っては、見つかってしまいますので。しかし、しばらく時間が経過して、クライス商会の屋敷から出てきた時には、大量の金貨が詰まった麻袋を手にしていました」


「な……!」


 アドレイアは、その言葉に椅子から勢いよく立ち上がり、驚愕の表情で固まる。


 まさに、顔面蒼白という言葉が相応しいほどに、その表情からは動揺が見て取れた。


「ま、まさか……。王家の権力を振りかざして、金を手に入れたのではあるまいな……!?」


 金を持っていないで、城の外を歩いていた状況。


 クライス商会から出たら、何故か突然大金を手に入れていたこと。


 嫌な予感が、アドレイアの頭を過る。


「さ、さぁ……。しかし、リガル殿下は、幼くも非常に聡明なお方。そのような暴挙に出るとは考えられません」


「私もそう信じたいが……。すぐにでも強引に連れ戻せ! リガルは今どこにいる!?」


「はい、リガル殿下は、クライス商会を出た後に、魔術研究所に向かい、正午を大きく過ぎてから昼食を取り、今から15分ほど前にレストランから出てきたようです」


「魔術研究所……? またよく分からないことを……。まぁいい。全ては捕まえて問い質せば分かることだ」


「分かりました。すぐに現在リガル殿下を連れ戻してまいります」


「あぁ、頼む」


「はい。では、失礼します」


 そう言って、エルナは一礼すると、部屋を出て行った。


 しかし、すぐ直後に再び扉が叩かれる。


「失礼します。コーヒーをお持ちしました」


 扉の向こう側から聞こえてきたのは、先ほどコーヒーを淹れなおしてくるように命令したメイドの声だった。


(あー、そういえば頼んでたな。さっきの話の内容が濃すぎて、完全に頭から抜け落ちていた)


「入れ」


 そう、一言で答えるアドレイア。


 コーヒーを渡し終えると、メイドはまた目立たない場所に移り、控えた。


 アドレイアは、すぐにカップを手に取ると、コーヒーを軽く冷ましてから喉に流し込む。


(そういえば、コーヒーを淹れなおしてもらって、それを飲んだら仕事を再開するつもりだったな)


 アドレイアは、自分で決めたことを思いだして、報告書の1枚を上から取って目を通すが……。


(ダメだ。リガルのことが気になり過ぎて、仕事が全く手につかん……)


 報告書を読むことに集中できず、ダラリと態勢を崩す。


「今日はもう、これで休ませてもらう……」


 そして、生気の抜けた表情で、ポツリとそう呟いたのだった。


 王というのも、楽ではないものだ。

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