卒業しなけりゃ生き残れない

撫川琳太郎

卒業しなけりゃ生き残れない

 人生なんてのは、自ら動くのを放棄した瞬間、勝手に動き出す。

 とはいえそれは、奈落への線路へ繋がるものなのだ。




 どうしてこうなったんだろうな。

 いつもの布団。いつから洗ってないっけ。

 いつもの天井。蛍光灯は半分ついていない。

 もう昼過ぎだってのに、カーテンのおかげで薄暗い光しか入ってこない。

 パソコンの駆動音だけがその世界の全て、そう言っても過言じゃなかった。


 俺は、その日初めての行動をする。

 なに、何気なく、腕を上に上げただけだ。

 その先につかんだ四角いカードを目に据える。

 全面銅色の、自分の間抜け面が載っている紙切れ。

 俺は恨めしそうにそれを見つめる。


 と、急に呼び鈴がなって、俺は即座に扉へ振り向く。

 その後、時計を見て、時間を確認し、そうして納得して玄関へと歩を進める。

 開けた先には、面構えの良い長身の男が立っていた。


 男は開口一番、


「よう、元気にしてるか?」


 白い歯を見せながらそう言う姿に俺は呆れながら、


「この姿を見てそんなこと言えると思うか?お前目洗ったほうが良いぞ」

「何言ってんだよ引きこもりが。おら、さっさと着替えてこい、飯行くぞ」


 俺は渋々頷き、部屋の奥へと踵を返した。


 ぼろいマンションの一室なんて小さなもので、探し物なんかはすぐに見つかる。

 汚れた靴を履いて二階の外に出ると、丁度頂点に存在する太陽が俺を見上げてくる。

 俺たちは錆びれた階段を下りて、徒歩五分のファミレスへと向かう。


 俺はもう何か月も引きこもり生活をしており、そして同時に何か月ともこの男と顔を突き合わせている。

 こいつは唯一と言っていい俺の友人。毎週土曜日に同じ時間に俺の家までやってきて、無理矢理飯に連れて行かせられる。勿論割り勘で。


「お前も飽きないよな」

 愚痴を言ってみる。

「そうかなぁ。俺は楽しいぞ」

 効果はない。

「そりゃ大学卒業して就職先まで決まってるお前は良いだろうよ」

 地面を見ながらそう言うと、


「お前はまだそんなこと言ってんのか。さっさと卒業しちまえよ、二つの意味でな」


 そのセリフに、俺は眼を大きく広げる。

 何ということを言いだすのだ。


 片方はどうでもいいとして、もう片方が重要なのだ。


 そしてそれこそが、俺を今生きるだけのロボットと化させている諸悪の根源なのだ。


 時は五十年前、当時の総理大臣だかなんだかの偉いさんの作った法案により、この世界は童貞ないし処女を卒業していないものは社交力の足りない存在として、社会的存在を格下げるという国になった。


 社会力のないものには何を任せても意味がない、または何かしら問題を起こす。ならばその卒業を一つの観点として掲げようではないか、というのが根拠らしい。


 何を言ってんだ?


 そう思ったことだろう。しかし人というのは郷に入るとへぇへぇ従うものであり、結果として旧人類社会の価値観とは大幅にずれた世界が構築された。


 まず性に関するハードルはもはやないと言っても過言ではない。とはいえ外で堂々とやるのはマナー違反らしいので、外面は変わっているようには見えない。


 そしてもう一つ、それを卒業したかどうかを確認するため、国は免許証なんてものを製作しやがった。


 結果、三種類に人類は分けられる。


 銀色。卒業したことがきちんと国に確認され、社会的存在を確立したもの。約七割。

 金色。政治やらお金やらで法律を越えた最早説明もしたくない存在。約一割。

 そして、銅色。成人年齢を越えても卒業していない存在。カス。不純物。転生する存在を間違えたのかな?約二割。


 そして俺はその低レートに配分されちまったわけだ。

 なんでか?知るかよそんなの。


 田舎出身のせいでそういった価値観変革に置いてきぼりにされた親から生を受けた結果と言えるかもしれないが、それでもこうなったことに明確な理由なんてない。


 人生なんてそんなもんで、だからこそそんなことで人生を決定された結果、俺は今大学留年引きこもりになっているわけだ。


 これは本当に俺のせいか?

 そんなことしたいとも思わないのに。


 と、ぶつくさ頭の中で試行している間友人の話題は二転三転したが、すべて覚えていないような気がする。


 ではなぜ俺がこいつと一緒にいるのかというと、そりゃ気を許せる旧友というのもあるが、同じ情報系の学部で悪友として働いていた結果でもある。


 何をしたかって?これから見せてやろう。


 大体の店には免許証を見せねばならない。最早銅色免許証に基本的人権はない。日本国憲法なんてものは日本史の中にしか存在しないのさ。


 だったら俺ははじかれるはずだろう?


 だが美味しい匂いの充満する中華料理チェーン店に俺は足を踏み入れられるのさ。


 理由は簡単、偽装免許証である。

 元々この世界に不満しかない俺が友人とともにひそかに作成し、その効果は折り紙付きなものの、これを公の場で見せるわけにもいかず、俺は結局中途半端なんだなと実感しただけのものだが、こういうちょっとしたところだったら使えるもんだ。


 何せ、ガバガバの管理体系だったから、偽装も簡単だったよ。


 そんなわけで俺たちは、金髪の女店員に指定された奥の方のテーブルへと腰を落ち着ける。

 今まであんな店員いたっけ?何か既視感を感じたが、まぁ無視して進むこととしよう。


 テーブル席に向かい合い、友人は窓際のメニュー表を取り、机に広げる。


「どれいくよ?やっぱランチセットに餃子二人前は外せねぇな」

「お前いつもそれだな」

「お前だってどうせチャーハン一人前、以上だろ?店が泣くぞ?」

 何で俺が店の心配までせにゃならんのだ。

「それはそうか」

 とか言いつつ笑ってるこいつは何なんだ。


 メニューを一通り聞き終えた店員が帰ると、友人は水を一杯飲んで、

「で、実際どうすんだよ、その生活永遠に続けるわけにゃいかんだろ?」

 どうもこうもない。俺は俺の好きに生きたい。

「とはいってもさ、郷に従うっていうのは、ある種普遍性を試されてるとも思うぜ」

 そう言ってメニュー表を片付けながら、


「いちいち天邪鬼決め込んでる奴って一定数はいるけどさ、そういうのって大体否定するところから始まるわけだ。もとからあることに対して、いや俺はこう思うって。そうやって自らのアイデンティティを保ってるのかもしんないけど、その実自分の意見をなくしているだけだとも思うわけだ。」

 何が言いたい?

「つまりさ、否定した意見が本当に自分の意見なのかい?ってことだよ」

 俺は正しいと思ってるんだがな。


「それでもよ。結局損するのはお前なんだぜ?もちっと考えたらどうだ。ほら、今じゃもうお見合いブームが再度到来してもはや日常みたいになってるから、出会いなんて簡単じゃないか。どうせチラシやら広告やら来てるだろ?一回そういうのに無心になってやってみたらどうなんだ?」

 そんな誰彼構わずなんて、それこそ自己を否定してるようにしか見えないぞ。


 そういうと眉をピクリと上げて、


「なんだ、やっぱりお前、胸中の人物がいるんだろ」


 結局これか。

 もう何度目だ。


 ずいと顔を寄せてきた悪友。顔が近い、離れろ。

「誰なんだよ、その子は。俺たちゃ中学からの腐れ縁、全部もったいぶらずにさらけ出そうぜ。今はそういう時代だ」


 クソ。何だこの居心地の悪さは。まるで他人しかいないホームパーティに誘われたみたいなこの孤独感。誘われたことないけど。


 そういうわけで俺はテーブルから離れることにした。

「どこ行くんだよ?」

 という問いかけに対し、

「トイレだ」

 と、顔を見ずに返しながら。


 男女が左右両側にあるトイレでことを済ませたのち、手を洗いながら俺は自分の顔を見つめる。髭それてないななんて思いつつ、友人の言葉をリフレインしていた。


 ―お前、胸中の人物がいるんだろ―


 確かにな、いるよ。お前にも話したくないけどな。

 多くは喋らん。だが確実にそう感じた人はいる。

 高校時代だ、それも三年間。

 何だろうな、その人を見た瞬間、失礼だが俺の中でシンパシーを感じたんだ。

 まるでこの世界に居場所がない、そんな感じだ。


 誰もかれもが今の時代を楽しく生きてるわけじゃない、それなのに周りはそういうのばっかに見える。

 店の玄関からテーブルに着く時だって、一昔前なら下ネタと両断されていた人によっては不快に感じる言葉も公然の場で最早何度も使われていた。


 別に昔の時代を生きていたわけではないが、俺は今の世界を正しいとは思えない。


 開放感があるようで、その実とても窮屈な、そんな世界。

 だが、その人はその中でも異彩を放っていた気がする。


 結局二年生のとき一回隣同士になったぐらいで、人とあまり話さない俺は大して何の接点もなかったんだけどな。


 あぁくそ、あいつのせいで変なこと思い出しちまった。

 さっさと戻ろう。もう昼飯が来てる頃間だ。ここのチャーハンだけは認めてるんだ。冷めたらおいしくなくなる。


 と、ドアノブを持ってトイレの扉を足早に開いた瞬間、

 ガンッ、と鈍い音が鳴った。


 こういう狭いところは引き戸にすべきだろう、という言い訳が頭の中によぎりながら、その音の原因を探ると、想像通りだった。


 人が頭頂部を抑えてうずくまっている。半開きの対面のドアを見ながら俺は全てを理解する。なんということだ、男子トイレは中から外へ、女子トイレは外から中に開くという建築方法のせいで、人が出てきた拍子に俺の開けたドアへと頭をダイレクトアタックする羽目になってしまったのだ。


 俺はしゃがんで、

「すみません、大丈夫ですか」

 と声をかける。よく見ると、先ほど案内していた金髪の女店員だった。


「はい、はい、大丈夫です。こっちも不注意でした。ごめんなさい」

 とか何故か謝ってくる。


 俺は申し訳なくなって手を差し伸べようとしたが、その時、信じられないものを見た。


 床に落ちたのはポケットか何かから落ちたからだろう。


 しかし、その物が重要だった。




 銅色の、カード。




 件の少女は、俺が体を中途半端に曲げたまま固定させたのを見て、その視線の先を捉え、


 口をぽかんと開けた。

 顔面、真っ青。


 そうして俺は次の瞬間、掴んだカードと共に対面のドアの中へと連れ込まれた。情けなし俺の筋力。


 木製開き戸に俺を打ち付けると少女は見上げながら、


「……見ました?」

 そりゃもう、ちょっとだけ。


「申し訳ない」


 そう答えると、少女は深刻な顔つきで顔を下へと向ける。その気持ちお察しするよ。そりゃそうだ、客側に銀色カードが必要なら、店側も当然必要だ。

 そして店員として働いている姿を見るに、これは俺と同じだ。


 理由は知らないが、免許証を偽装している。


 よく公の場でやったものだと感心するが、本当に申し訳ないです。本当に。なので、

「あー、えーっと、安心してくれ。俺もそうだから」

 言うしかあるまい。


 少女、とはいえ俺と同じくらいに見える女性、は瞬時に顔を上げ、

「本当ですか?」


 俺が財布から忌々しき免許証を見せると、驚きを顔全体に表して、


「…本当だ。いたんだ、まだ」

 失礼だな。

「あぁ、ごめんなさい。でも、えと、じゃああなたも訳あり…?」

 あぁそうだとも、訳しかなくて押しつぶされそうだ。


 とはいえ少女は動揺を隠せていないらしく、手をあわあわさせたり額につけて考え事をしたりして忙しい。


 その姿を見ながら、俺はようやく自分が今いる場所を理解した。


 ため息をつきながら、

「誰にも言わないから、帰っていいか」

 流石にここにはいたくない。俺は彼女の免許証を差し出すと、その写真を見て、


 …あれ?


 この黒髪の人は、もしかして。

 誰だ…?見たことがある気が…。

 と、もう少しでこのしこりが取れそうな瞬間、少女はカードをもぎ取りながら、


「あ、えっと、あの、ちょっと待ってください!えっと、あれ?」

 先に確信にたどり着いたのは金髪少女の方だった。


「もしかして、高校の時同じクラスだった…?」

 ずいと顔を近づけてくる。

 その大きな双眸を見ながら、俺はそこに写る一等星のような輝きに確信を抱く。


 俺は髪の揺れる少女の肩をつかんで距離を放し、今一度その顔を覗く。


 あのときの、あの子だ。


 金髪は偽装というわけか。体面は重要だものな。

「二年の時隣だったと思う」

「やっぱり…。こんなチャンス、ないですよね、ねっ!」


 とはいえ少し疑問が残る。

 当時はこんなキャラだったっけ?


 捲し立てる姿を見ていると、何故だか焦っているように見える。

 トイレの床を見つめながら、しかし焦点はどこにもあっていないその両目はキラキラと輝いている。

 そうして少女は何故か汗ばんだ顔を俺に向け、まるで言うことを脳内で考えていない位、迫真の様に次の一言。


「私と…」


 と言って静寂が広がる。少女は次の言葉を言わず、


 ただ口を半開きし、

 ただでさえ大きな眼をさらに大きくし、

 整った顔を耳までみるみるうちに赤らめて、



「ご、ご、ごめんなさい!」



 と言って扉を勢いよく開け放し、駆け出して行った。


 無論俺は扉から射出されて壁に頭を打ち付け、痛みを抑えながらふと対面の鏡を見る。


 先ほどの言葉を反芻する。


 …何と言いたかったのだろう、あの子は。


 とはいえ俺は考えを改めないといけないようだ。




 人生なんてのは、自ら動くのを放棄した瞬間、勝手に動き出す。


 しかしてそれは、俺を未知の線路へ繋げるものらしい。

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