第2話 姉弟
あー、しんど。
両親共働きなので、帰ると結構家事がたまっているからだ。
洗濯ものの取り込みにご飯の仕込み、明日からは土日なので楽をしようと風呂掃除までやっている。
稽古の疲れもあって、両親が帰ってくるまでにやることといったら、後は風呂に入るくらいだ。
去年までなら姉と二人でやっていたことだが、負担自体はあまり変わらなかった。
あの姉ときたら、光に関わることならいらぬことにまで首を突っ込んで構いたがってくるくせに、それ以外はずぼらというかものぐさというか、極めて面倒くさがり屋だったのだ。
おかげでというか、幼い頃両親の代わって育ててくれた祖母の教えの甲斐もあって、光は一取り家事全般をこなせるようになっていた。
しかし、今頃あのバカ姉はどうしているだろうか。
今は京都の女子大に通い、母方の叔母の世話になっている。迷惑かけてなければ──
と考えていたその矢先だった。
「ミッ、ちゃぁああん!! たっだあいまー!!」
突然かん高い声が聞こえたかと思うと、光の上に小柄な人影がドスンと柔らかく重量感のある衝撃とともに襲いかかってきた。
光は面倒くさそうに起き上がり、そして相手を見て「げ」と唸る。
そこには小柄な少女が居た。
年の頃は中学生位だろうか。だが身につけている衣服は大人っぽいカジュアルなものだった。
光と同じような流れるようなしなやかな髪は明るく茶色に染められており、それを肩口で綺麗にカットしたショートボブにして嫌みの無い髪型をしている。
大きくくりくりとした黒目がちな大粒な瞳と、小さくちょこんと顔の真ん中に乗った形の良い小鼻。そしてつぼみのような唇。
何より光に似た顔立ちのその少女は──
「いつも言ってるが、人の部屋に入る時はまずノックをしようかっ!? 姉ちゃんっ!!」
相手は『
──バカ姉だった。
「良いじゃない~。姉弟なんだし?」
光のマウントを取ったまま、どう見ても中学生にしか見えない姉は意に介した様子もなくケタケタと笑う。それにつられるように小柄な身体に似つかわしくないメロンのようなモノが、胸元でゆさゆさと揺れた。
「姉弟でもプライバシーってもんがあんの! 大体姉ちゃん、なんで家にいるんだよ! 大学はどうしたっ!?」
「あはは、今日は
「誰が愛しい姉だ、このバカ姉が。んなこと言ってどうせロクな用事じゃねぇだろう?」
ちなみに命が下宿している京都の叔母の家から実家までは、どんなに急いでも2時間半は優にかかる。学生が気軽に帰ってこれる距離では無い。
「あーっ、バカって言ったぁ! バカって言う方がバカなんだからっ」
「幼児かお前はっ! とにかくまずは俺の上からどけ!」
「あうぅ……ミッちゃんがすっかり反抗期に。昔はあんなに可愛かったのに」
そういいながら命は量感のある胸を見せつけるように腕を組む。
絶対わざとだ。昔からこのバカ姉は変わらない。実の弟を女の武器を使ってまでからかってはぐらかすのだ。
こうなるとなかなか本題に入らない。いっそ部屋からつまみ出そうかと思っていた矢先だった。
「それはそうと、ミッちゃん結婚するんだって?」
光は思わず吹き出した。
「一体誰から聞いたんだっ、それ!」
「んとね、マコちゃん」
あいつめぇええええ!?
光は
無論真琴は他意も悪意も無かっただろう。だが情報を渡した相手が悪すぎた。
この姉がこの手のイベントに首を突っ込むとろくな事にならない。それどころか大惨事を引き起こしかねないのを真琴は知らないのだ。
大体命は光に対してろくなことをしたためしがない。
そもそも光がフリルだの王子だのと呼ばれている原因がこの姉だ。
時は夏のIH《インターハイ》で優勝した時にまで遡る。
去年の夏、激戦の中辛くも優勝をつかんだIHではあったが、その後がいけなかった。
光自身記憶力は良い、というより見聞きしたもの全てを完全に記憶してしまうという異能じみた記憶力の持ち主なのだが、それでも優勝インタビューの時緊張のあまり自分が何を言ったのかろくすっぽ覚えていない。
ただ緊張のあまり、嫌な冷や汗が流れていたことはよく覚えている。その汗を拭おうとハンカチで汗を拭ったまではよかったのだが、問題はそのハンカチだった。
なぜかその日に限って自分のハンカチでは無く、姉が愛用していた女物のそれもフリルのレースが付いたハンカチだったのだ。
剣道専門誌や地方メディアがそれに食いついて、挙句付けられたのが『フリル王子』という異名なのだった。
そのおかげで地元でも妙に有名になってしまい、IH優勝という偉業よりも道を歩けば『フリル君』だの『王子様』だのと指を刺される羽目に
後になってから知ったのだが、いたずら好きなこのバカ姉がいつの間にかこっそりと自分と光のハンカチをすり替えていたのが原因だったのだ。その結果日高家ではちょっとした家庭内裁判が行われたが後の祭りである。
まぁ、それくらいなら良しとすべきだったのだろう。メディアにしろ大衆にしろ熱しやすく冷めやすいモノだと光は割り切っていた。そう思わなければやっていけないと思ったからだ。
だが、本当の
当時、光のクラスの出し物は『姫喫茶』というものだった。
コンセプトとしてはロリータ系の衣装に身をつつしんだウエイトレスがお客様をおもてなしするという、
当初はメイド喫茶が候補の筆頭に上がっていたのだが、二年生のとあるクラスがメイド喫茶をやるというので上級生から圧力がかかってしまい、やむなく路線変更となったのだ。
ただ結果的にそれが功を奏した。まず衣装だが大半の女子が私服で
後は役割分担なのだが、女子が
ただし光に対しては意外というか至極当たり前のように接客側に回される事となった。
自他共に認める女顔の光ではあるが、あいにく女装趣味などという性癖は欠片も持っていない。一応姉の
そういう事でと辞退しようとしたが、そうは問屋が卸さなかった。
浮いた予算の一部とクラスメイトのカンパによって、光専用服一式が用意されたのである。
こうして始まった文化祭だが、滑り出しまずまず好調だった。初々しいウエイトレスのおもてなしに豊富なメニューとあってそれなりの人気を得たのだ。
光にとって誤算だったのが、またしてもこの姉の存在だった。
面白がっていらぬ気をきかせたあげく、方々に根回しをした結果、上級生に部活のチームメイト。他校に進学した光のゲーム仲間に中学の後輩たちを呼び寄せる事になってしまったのである。
おかげで店は黄色い悲鳴や爆笑の渦などが轟く、光にとっては阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまった。
更に口コミやLINEで話題が広がってしまい、光とは面識の無い他校の生徒や父兄までもが殺到。
さらには命が軽い気持ちでインスタに投稿したものだから、地方在住にも関わらずメディアやゴシップ誌までもがやってきて対応しきれなくなってしまったのだ。
これに関しては学校側に直訴して対応してもらう事となった。このまま取材を受けていたらどうなっていたやらと未だに冷や汗が止まらない。
こうした紆余曲折を経て、光のクラスは全校の売り上げトップを更新し続け、盛況の内に材料が尽きてしまい、光達のクラスは早々に店じまいをすることと相成った。後は楽しい自由時間となるはずだったのだが──
その後命と中学の後輩一人が面白がって光を女装させたまま校内を引きずりまわしたのだ。その結果、光は上級生の女生徒ことごとくを尊死させ、一部健全な男子生徒を腐の魔道へと堕とし込む羽目になった。
こうやって光とって悪夢のような文化祭は終わりを告げた。後に残されたのが数々の伝説と異名だった。
従来の『年上殺し』『フリル王子』に加え『ミスタープリンセス』。
振り返ってみると光の黒歴史の陰には姉である命の姿がちらほら見える、というよりほぼ元凶と言って差し支えない。
今でも思い出すたび、けたけたと馬鹿笑いする命の姿が浮かび上がって、頭痛と
しかも命本人は全く悪意も無く、それどころか無自覚ときているから余計にタチが悪い。
「ああ、そうだよ。ただしゲームの中でだけどな」
「知ってる。だからお姉ちゃん頑張ってレベル50まで上げた」
万事面倒くさがりで飽きっぽいこの姉が、良くもまぁと光なりに感心した。
だが疑問は残る。
命が光の影響を受けてヴィクトーニア・サガを始めたのは意外に最近のことで、命が高校2年の夏休みの頃だった。
もっとも光がその頃は中学3年で、そろそろ受験かというころだった事もあり、命のプレイ歴は実際には短い期間だ。
加えて光が受験から復帰すると、今度は命が受験生となり、卒業して大学生になって時間が出来ても復帰する様子も無く、アカウントは実質放棄されていたのだ。
一体いつどうやって? いやそれ以前に──
「……念のために聞くけど、何のために?」
「やだぁ、ミッちゃんと結婚するために決まってるじゃない」
──はい?
光は聞き間違えたかと、思わず姉の顔をガン見する。
「でね? ゲームで結婚できるのがレベル50でしょ? それは覚えてたんだけど、どうしたら結婚出来るか分かんなくて」
「ちょっと待て。じゃあ何か? 姉ちゃん、まさかわざわざ俺とゲームで結婚式挙げる為に帰省して来たのか?」
「そだよ」
「……俺と
「うん!」
それを聞いて光の中でぷっちんと何かが切れた。
「アホかーい!! どこの世界に弟の結婚の邪魔する姉がいるかっ!?」
「ここに居るよ~。むっふっふ 、マコちゃんもまだまだ甘いね。敵に情報を進んでリークしてくれるとは」
「だからって帰省してまで邪魔するか? ふつーっ! 大体、姉ちゃん真琴との付き合いをあんなに賛成してくれたじゃねぇか!」
「そりゃマコちゃん良い子だもん。男前なのに乙女な部分もしっかり持ってるし、ミッちゃんのこと、よく考えてくれるしね」
「なら何が不満なんだよ」
「ミッちゃん今度の
なんだろう? さっきとは声のトーンが微妙に変わって、弟を心配する『姉』の姿が浮かぶ。
光は少し腰を据えて話を聞くため、ベッドに再び体を預けた。
「ご指名がかかってやることになったんだけど……それも、真琴から聞いたのか?」
「うん。でもマコちゃん、心配してたよ? 2年生になってから、本調子じゃなさそうだって」
これには心臓が跳ね上がるほど驚いた。確かに2年になってから光は伸び悩んでいたのだ。
真琴の観察眼にも恐れ入るが、それだけ恋人は自分の事をよく見てくれているのだなと、嬉しさも感じてしまう。
「あー……別にスランプってわけじゃねぇんだ。多分
「ぷらとー?」
「伸び悩みって事。去年は周りに強いやつがゴロゴロ居たんで、結構ガツガツ行けたんだけどな。2年に入ってからこっち、稽古やっててもスカっとしねぇんだわ。それどころかしんどいばかりでさ」
「ミッちゃん、大丈夫なの?」
「まぁ、今度の玉竜旗じゃいきなり強いやつと戦う事になるだろうしな。そういう意味じゃいい刺激になるかもしれねぇ」
「ミッちゃん、昔から負けず嫌いだったもんねー」
ふふっと慈母のように笑う姉に、意外に心配かけてしまっていたのかな? と、柄にもなく思ってしまう。いつもはけたけたとやかましい笑い声を立てるのに、こういう時だけなんかずるい。
「んで? それが俺と結婚する事とどう繋がるんだよ」
「だって、マコちゃんがうらやましいじゃない。お姉ちゃんが知らないミッちゃんの事、ちゃんと見てくれんだなぁって。わたしが知らないミッちゃん、知っているんだなぁって。それが悔しくてさ、ゲームでならお嫁さんにもなれるし、せめて本当に二人が結婚するまで、マコちゃんからミッちゃんNTRしてやろうって」
「……NTRって、姉ちゃん意味分かってんのか?」
リスのように頬膨らませ、パソコンチェアの上で子供の様に膝を抱えてすねる姉を見て、光はやれやれとため息をついていた。
ようはちょっとした嫉妬だ。可愛がっていた弟が他の女の子のものになる。しかもその子は性格が良くて、もしかしたら自分より弟を大切に思ってるかもしれない。そんな女の子の出現が、やはり理屈ではともかく内心穏やかではなかったのだろう。
そう考えれば説明もつく。と言うかそうとしか考えたくなかった。
だから月並みだが、こう言ってやった。
「姉ちゃんだっていい歳なんだから、そろそろ彼氏でも作ったらどうなんだよ」
正直言えば、彼氏が出来たなら出来たで光も心穏やかでいられるか自信はない。
だが、姉の人を見る目は確かだ。良い伴侶を見つけてそのうち自分の幸せを見つけるだろう。
殊勝にもそんな事を考えていたら──
「あーっ、そゆこと言うんだぁ。あんなに愛し合った仲なのに、しょせんお姉ちゃんとは遊びだったんだね。ぷんすか」
──聞き捨てならない事を言っていた。このバカ姉は。
「おいこら! なに人様から指さされるような事抜かしてんだ、お前は!?」
「一緒のベッドで熱く過ごしてたじゃない」
「あれ姉ちゃんが『雷怖い』だの『寒いから暖めて』とか言って、勝手に俺のベッドに侵入してきたんだろ!?」
「お風呂だって仲良く一緒に入っていたし」
「俺が入っている所に無理やり乱入してきたんじゃねぇか!」
「その割にはお姉ちゃんのオンナノコ、ガン見してたよね?」
「目の前でくぱぁされたら、誰だって驚くわ!? この天然痴女が!!」
駄目だこりゃ。
本気で心配してるのにこの有様である。
どうもブラコンなのは本人も自覚があるようなのだが、それを一向に改めた事はない。ちなみに以前、両親もこれには呆れ果てて説教していたが、見てのとおり効果はまるでなく匙を投げる始末であった。
「あー、わかった。今日結婚するキャラは無理だが、サブで作ったキャラがあるから、そいつで良かったら結婚してやる」
自分も大概シスコンだなと呆れながら、光は遂に折れた。
それを聞いて、花が咲くように命の表情が輝く。
「わーい! ミッちゃん大好きっ!!」
そう言うやいなや、命は光に抱きついて胸の豊かな
甘くミルクの様な姉の体臭と胸の膨らみに、なぜか光の『男』が刺激される。
「やかましいわ! ほらっ、結婚指輪取りに行くクエスト受けにいくから準備しろ!」
その動揺を悟られまいと、光は乱暴に命を引き剥がすのだった。
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