第21話 宝石が街にのこしたもの(前)

 イアリアがベゼニーカを出立して、数日後。


「くそっ、くそくそクソっ! どうして上手くいかないっ!?」


 その一角に本店を構えるそれなりに大きな商会の、2階建ての2階にある一室で、誰もいない空間に喚き散らしながら、手当たり次第に書類や宝石といった貴重品を鞄に詰め込んでいる男が居た。

 これが他人の部屋なら強盗だが、この部屋の主はこの男だ。そしてこの部屋はこの商会における最上位の地位……商会長の肩書を背負う者の為の部屋だった。そう、現在ひたすら他人への呪詛を吐き続けているこの男、これでも1つの商会を纏め上げて率いる代表者である。

 もっとも現在、普段商売に携わる者としての冷静さや温和な外面は見る影も無いが。普段を知る者が見れば、一体これは誰だと困惑する程の変わりっぷりである。


「あぁくそ、何で上手くいかない! くそっ、それもこれも、あの盗賊共に金庫を奪われてから……! いやそれ以前に、あのガキを逃がしてからだ! くそっ!」


 ある種の狂気すら感じる顔で鞄に貴重品を無理に押し込んでいた男だったが、俄かに階下が騒がしくなった事を、無数の足音として聞き取って動きを止めた。

 かと思えば部屋の状態をそのまま、慌てて部屋の奥にある仕掛けを動かし、隠し通路から脱出する。

 普段の運動不足に加えて接待と言う名の暴食がたたり、建物の外に出た時点ですっかり息が上がっている。が。


「探せ! そう遠くには行っていない筈だ!」

「部屋に居ない!? そのまま探せ! 隠し通路があるかも知れん!」

「建物を回り込め! 絶対に逃がすな!」

「ひっ……!」


 ガチャガチャという金属音を伴い歩き回るのは、ベゼニーカの平和と治安を守る守役騎士達だ。彼らがここまで大挙して動くという事自体が滅多にない。それはそのまま、犯した罪の重さに比例していた。

 引きつった声を呼気として零しながら、重い身体と鞄を引きずるようにして男は路地の奥へと走って……否、逃げていく。入り組んだ路地をひたすらに人の気配の少ない方へ、何の当ても無く走り続ければ、あっという間に現在位置は分からなくなるだろう。

 それでも男は逃げるしかない。息が続かなくて悲鳴を上げる身体と頭には幾人かの「協力者」の顔が浮かぶが、もうどちらに行けば「安全な場所」に辿り着けるのかは分からなくなっていた。


「ひ……っ! ひぃ……っ! どう……して……!」


 そんな状態になってもなお呪詛を吐くその男は、やがて路地の奥の奥、街の住人ですらあまり近づく事の無い、所謂スラムへと辿り着いていた。昼にも関わらず陰鬱な空気が漂っているその場所は、普段なら危険極まりない場所だ。

 しかし現在、周囲は静まり返っていた。それはそうだ。スラムというのは闇取引の温床でもある。そんな場所に致し方なく留まる以外の選択肢が無い人々は、危険を察知する力に長けていた。そんな彼らが、守役騎士による大捕り物の気配に気づかない訳が無い。

 そんな変化に気付くことなく、息を荒げ、目を血走らせ、滝のように汗をかいたその男は走っていく。だが既にそこに速さは無く、本人は走っているつもりでも、子供の歩みほども進んではいなかった。


「いたぞ!!」

「ひっ!」


 であれば当然、周辺一帯を捜索していた守役騎士が追い付くのも然程かからない。一般市民には頼もしさを覚えさせるその重厚な金属鎧を纏ったその姿と足音は、現在の男にとって死神にも等しい恐ろしさを覚えさせた。

 時間稼ぎにすらならなくても、逃げ込める場所を求めて男は周囲を見回す。その視界に映ったのは立て付けが悪くなっていたのか、僅かに隙間が開いている扉だ。

 守役騎士にとってはそれなりの、男にとっては僅かな距離が詰められる前に、鞄をしっかりと握りしめた男はその扉へ突進した。鞄も含めれば男は相当な重量を持っている。非常に古びて痛んだ扉はひとたまりもなく吹き飛ばされ、男は申し訳程度に家の形を保っているその内部へ転がり込んだ。


「ひ……っ! ひっ、くそっ! まだ、まだまだ、これからだって、のに……」


 ここまで来てもまだ逃げる事を諦めていない男は、呪詛を吐きながら逃げる場所を求めて顔を上げる。そしてその視線の先に、この、分類は一応家である場所に住んでいる、この場所の住人が居るのが見えた。

 病でも患っているのか、やせ細って顔色の悪い、薄っぺらな毛布を幾枚か重ねただけの寝床に半身で起き上がっている女性。そしてその腕に抱えられた、女性と同じ目の色をした幼い少女。

 男の視線が、もう1人。女性と同じ髪の色をした、少女と同じく女性の腕に守られている、少女より僅かに年上の、それでもまだ幼い少年を捉えた。固まって震えている3人をまとめて視界に入れて、その血走った目が見開かれる。


「てめぇ……クソガキ……こんなところに居やがったのかぁあああああ!!」


 そしてその見開かれた目は、即座に憎悪へと塗り潰された。後生大事に掴んでいた鞄すら放り出し、その少年だけを視界に捉えて、目と同じく憎悪に満ちた叫びを上げる。獣染みたその叫びと共に、男は少年へ飛び掛かろうとして、


「――確保ぉっっ!!」

「ぎゃっ!」


 後を追ってきていた守役騎士に、ほとんど地面と変わらない薄い床へと叩きつけられた。そのまま腕を捻り上げられ、全身を金属鎧に包んでいるという重量を上からかけられて、完全に身動きを封じられる。


「クソガキ、クソガキ!! てめぇさえ、てめぇさえ死んでりゃ今頃! 今頃は俺が! 俺が天下のスタッフォード商会の頭だったのごげぇっ!!」

「うるさい、黙れ。それ以上口を開くな、この大罪人が」


 それでもなお呪詛を喚き散らしていた男だが、守役騎士が重量をかける位置を僅かにずらして肺を圧迫する事で強制的に黙らされた。これをやると最悪肺が潰れる事を原因とした窒息死となるのだが、守役騎士にその辺を気遣うつもりは一切無い。

 そうこうしている間に他の守役騎士が追い付き、鞄を回収して中身を確認。それがあの部屋から持ち出された、歯抜けになっていた部分の書類だという事を確かめて、男と共に回収していった。

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