星神と命の軌跡

@mikusu1231

第─話 枝帽子の旅人

 西方の国、ハリスポンドにある町、メルロイ。

噴水のある広場を中心に、組み石造のレンガでできた青黒い屋根の家々が立ち並び、石畳の道を駆けて行く子供たちを井戸端会議をしていた女性たちが見送っている。

そんなありふれた平和な町の郊外、

木々に囲まれた場所にその教会はあった。ドーム状の赤い屋根に菱形の窓、

白い外壁は経年劣化でくすんではいるものの、庭の草は綺麗にむしられており、

荒れ果てたような印象はうけない。

不意にその扉がぎいと開いて中から少女と女性が出てきた。少女は簡素な服の上に鉄の胸当て、籠手、脚甲といった出で立ちで、腰には小さなバッグと細身の剣を差している。

女性のほうは顔と手以外を覆う殉教服を着ているところをみるとこの教会の修道女なのだろう


「行ってきます!」


「気をつけるのですよ」


見送る修道女に

少女は振り向いて笑い返すと、町のほうへ駆けだそうとした。直後のことだった。

どさっ


「きゃあああ!」


「イスティ!?」


悲鳴を上げ尻もちをつく少女。

突然、眼の前に何かが落ちてきたのだ。


「な、なによこれ・・・?」


修道女は息をのみ、青くなる。


「まさか、人・・・?」


そう、茂みに転がったそれはどう見ても人だった。

大部分は紺色のマントに覆われて隠れているが、力なく投げだされた

手足は見間違えようもない


「死んでるの・・・?」


「近寄っちゃだめですよ!ああ、どうしましょう!」


「お、落ち着いてお姉ちゃん」


慌てふためく修道女とは対照的に、少女、イスティは

戸惑いながらも、死体と思わしきものがどんな状態にあるか確認しようとにじり寄り、

こわばる手でまずはそれの顔を確認しようと紺色の布をゆっくりとめくりあげる。

するとあらわになったのは美しい光沢のある三色の髪だった。日の照り返しを受けて輝く髪に

少女は思わず目を細める。


「ん・・・」


その時、死体の頭がぐっと持ち上がり、薄緑色の目が少女を見据えた。


「きゃああ!」


「む、少女よ、何故殴る」


驚いた少女の拳が反射的にその頭を打ちすえたものだから、死体と思われていたそれは

緩慢な動作で起き上がり、両手で頭に手をやった。


「まあ、生きていたのですね・・・」


「何事かね?」


「何事かってこっちのセリフよ!あなたどこから湧いてきたわけ?」


死体あらためその人物は

くっついた葉っぱを払い、文句を言いながら傍らに落ちていた方位磁針と角灯がくくりつけられた木の杖を拾って立ちあがった。

イスティよりニ、三歳ほど年上に見える少年だ。

整った顔立ちに翡翠のような緑瞳、ふわりとした亜麻髪には差し色のように薄紅、栗色、緑が入っていて少し奇抜だが、紅顔の美少年と言って差し支えない容姿である。

少年は返事の代わりに寝ボケ眼をこすったその手で真上を指差した。

イスティはつられて見上げるが

そこには葉をつけた木々の枝、何の変哲もない空が広がっているのみである。


「空、から?」


それを聞いた少年は一瞬キョトンとしたあと、吹き出すように笑ってそばの木の幹肌に手をあてがって言った。


「あはははは、いやいや、空ではない。この木の上だ」


「なっ、笑うことないでしょ!っていうかどうして木の上なんかにいたのよ?」


イスティが顔を赤らめ、恥じらいを隠すように問い詰めた時、一連のやり取りを見ていた修道女が歩み寄ってきておずおずと二人に声をかけた。


「あの 二人とも、とりあえず中に入りませんか?」





「朝ごはん、まだですよね。たいしたものはだせませんけど、よかったらめしあがってください。」


そう言いながら修道女が差し出したのはさらにのったパンと白いカップに入った湯気の立ち上る若葉色の香茶だった。くすぐる様なさわやかな香りが部屋に広がる。


「ありがたい。敬虔なる修道女よ、感謝する」


少年は帽子を取ってエニに一礼するとパンをちぎって食べ、紅茶を半分ほど飲みほしてほうと息をついた。


「自己紹介がまだだったわね。あたしはイスティ。見てわかると思うけど冒険者をやってるわ」


少年がコップを置いたのを見計らって、

腰の剣を持ちあげて見せるイスティ。


「はじめまして、イスティの姉でこの教会の管理を任されているシスター エニと申します。どうぞよろしく」


シスターエニは手を胸の前で重ね、丁寧に小さくお辞儀をした。彼女の動作には香る様な気品が感じられ、見る者も穏やかな心持ちになるようだ。


「ふむ、名乗られたからにはこちらも名乗らねば失礼というもの。我の名はアスクという。呼び捨てで良い」


「わかったわ、アスクね」


少年の端的な挨拶を耳半分に、イスティは早速話を本題に持ち込む。


「で、話の続きだけど、なんで人んちの木の上なんかで寝てたの?」


「寝る場所を探していた時、偶然ここを見つけたのだ。教会ならとがめられることもあるまいと思って一夜の床とさせて貰ったのだ」


「え?」


「迷惑であったか?」


「いや別にそんなことはないけど普通に一晩泊めてくださいって言えば済む話でしょ。なんで庭なのよ」


「ふむ、端的に答えるならば、趣味、ということになるな」


「は?趣味?」


また思いっきり怪訝な顔をしたイスティに少年はうなずく。


「うむ。野営はいいぞ。なにせ世界を感じられる。だが悲しいかな、町は騒がしい上に屋根のない場所で寝ようとすると決まって誰かに呼び起される」


「いや当たり前でしょ・・・あなた相当な変人ね。人の家を勝手に野営地扱いするし。この時期に外で寝るし」


あきれ切った目で見られ、

少年は笑う。


「ははは、そういった認識でかまわぬよ。なにせ八万年前から変わらぬ性分ゆえ赦し願いたい」


「えっ?神代から生きてらっしゃるのですか?」


「お姉ちゃんさすがに純粋過ぎでしょ!冗談を真に受けるのは恥ずかしいからよしてっていってるのに」


「あら、冗談だったのですか?」


「もう・・・」


口元に手を当てるエニと恥ずかしげに顔を覆うイスティ。

少年はそんな姉妹のやり取りをにこにこしながら眺めている


「長い旅をしてきたが汝らのように仲のいい姉妹を見るのは久方ぶりだ」


「あら、旅を?そういえばさっきも流浪の身だって言っていましたね。わかいのにすばらしいことです」


「ああ、北の方角、閉ざされの大地からはるばるとな」


「閉ざされの大地!?危険な魔物と雪あらしで人が住めたもんじゃないって噂の魔境じゃない!」


「私も知っていますよ。確か神話に登場する神様の居城がある素晴らしい土地でしたよね。信徒としてうらやましい限りです」


「あのねお姉ちゃん・・・」


「その手前の村、と言った方が正確であるが」


付け足すように言う少年もとい旅人。


「それにしたってここからすごい距離よ?貴方いったいなんでそんな過酷な旅をしてる訳?」


すると旅人は、紺のマントの内側に手を入れて、何かを取り出して円卓の真ん中に置いた。

カロン、という柔らかく澄んだ音が鳴る。


「これは・・・?」


「まあ綺麗」


それは、精巧な彫刻が施された、小さな乳白色の鈴だった

美しく、どこか神秘的な雰囲気をまとうそれに見入る二人。


「これは「神器」と言う物の一つであってな、よく見ればわかるとおり、光っている。」


「んん・・・ああ、確かに」


「あ、言われてみればうっすらだけど白く光ってるわね。不思議」


「形大きさはさまざまあれど、淡い光をまとい、時に特異な力を発揮する道具「神器」。我はこれをを探し求めている」


「へえー。よくわからないけど、あなたの旅は珍しいお宝集めの冒険の旅ってこと?」


「・・・おおむねそうであるな。汝らは何か知っているか?」


旅人の問いに、姉妹はそろって首をひねる。


「すみません、こういった道具の事を見たのも聞いたのも今が初めてで・・・」


「ふむ、そうか」


「うーん・・・私も心当たりはないかなあ。冒険者ギルドでも聞いたことないし。バートさんなら何か知ってるかもしれないけど」


「バート?」


首をかしげる旅人。イスティはどこか誇らしげな顔でその人物について簡潔にかたってくれた。


「知らないの?この国最強の冒険者よ。人呼んで「無双のバート」。丁度一年前にこの町に現れて冒険者登録をしたかと思えば強い魔物を何十匹と倒して、歴代最速の二十日で

ギルドに最上級の実力を認めさせた、生きた伝説みたいな人よ。それにいくつもの国を渡り歩いてきたって言ってたわ」


「二十日・・・異常・・・いや・・・あるいは・・・」


あごに手を当ててつぶや旅人。


「驚いたり出鱈目だとおもったりするとおもうけど、全部事実よ」


「ふむ、見識の広い大人物であれば、当たる価値は大いにある」


顔をあげた旅人にイスティはうなずく。


「そ。確証はないけど話を聞いてみて損はないとおもうわ。ね、お姉ちゃん」


「え、ええそうですね」


その時、確かに微笑んでいるシスターの表情に一瞬、憂いが漏れ出たような翳りが差したのに、イスティは気付かなかった。


「丁度今日はバートさんがギルドに顔を出す日だからギルドまで付いてくるんだったら私の用事ついでに取り次いであげるわよ?」


「本当か?それは実にありがたい。汝には重ねて礼をせねばな」


「いいのよそんな慇懃な。見つかったと決まったわけじゃないんだし。

じゃ、さっそく行くわよ」


「では改めてお見送りしましょう」


「別に出かけるたびに見送らなくてもいいのに」


「これもシスターの務めですから」


イスティはバッグをかけなおし立ち上がる。

表へ出て行くイスティについていく旅人。しかし玄関を眼の前にして教団のところでふと、足をとめた。


「これは・・・」


その眼は入って右の壁にかかっている一枚のタペストリーに釘付けになっていた。そのまま吸い寄せられるように歩み寄り、その画面に触れ、絵を見上げる。

かなりの年季が入っているのか、全体的にいろあせているが、清貧を絵に描いた様な講堂内では目立つ調度品だった。

二色の縁どりに縦の構図、その上部には後光を放っている神神しい女性が天の雲の上に立ち槍を掲げており、下にはそれを見て歓声をあげている、あるいは膝をつき女性を拝む人々の様子が描かれている。そしてそれらに挟まれる中間。そこにあったのは、銀の尾を引きながらまっさかさまに落ちていく、夜闇のような黒一色で描かれた《ひとがた》人形。


「・・・この絵は?」


「あら!よくぞきいてくれましたね!教会に代々受け継がれてきた貴重なものなのですけど、これに興味を持ってくれる若い人はあまりいなくてさみしかったんですよ」


旅人の問いに、

シスターは嬉しそうに絵の由来を語り始めた。


「このタペストリーはですね、世に災いをばらまく名もなき厄神に困り果てた人々の祈りに主神レイオン様が答え、厄神の対峙したのち、見事打ち払い世界を救ったという神話をもとにしたものなんです。そして二柱が顕現し戦ったのがこの地、メルロイ。ここはれっきとした聖地なんですよ」


「なるほど・・・」


「まだなの?おいていくわよ!」


呟き、どこか遠い目で絵を見つめていた少年だったが、外からの声に我に返りシスターに向き直る


「おっとまずい、では」


「あ、ちょっとまってください」


「?」


「聖徒としてここはひとつ、あなたの為に祈らせてください」


シスターは振り返った旅人の革手袋をつけた手をとると、自分の両の掌で包み込み眼を閉じ、祈りの文言を唱える。


「貴方の旅に大いなる主神様の導きと御加護があらんことを。・・・これでよし。気をつけていってきてくださいね!」


「・・・汝ら姉妹は本当に優しい人間だ。出会えてよかった」


花のような笑みをうかべたシスターに微笑み返すと、少年はこんどこそ、薄暗い講堂から外へと駆け出した。


「いやはや許し願う。汝の姉と少しばかり話していた故」


「ああそう、お姉ちゃんの話ながいのよねえ。なんでも神話になぞらえてはなしたがるから。まあそんなことはどうでもいいわ、いくわよ」


こうして二人はギルドに向かい歩き出した。


現在、少年とイスティが歩いているのは、大勢の人々でごった返している市場である。カラフルな布の屋根の露店が軒を連ねていて、


「そんなにキョロキョロしてるとはぐれるわよ」


「おっと」


いつの間にか、二人の間には 2フッツ(2.4メートル)弱の距離が開いていた。頭をかきつつも旅人は楽しげに言う。


「それにしても素晴らしい盛えぶりだ。楽しくなってくる。ここは毎日こうなのか?」


「さすがにいつもはこんなににぎわってないわ。今の時期は、この土地に神様が降臨した日を祝って国中でお祭りがひらかれてるからよ。今はまだ前夜祭だけど」


「祭りか。祭りはいい。神々も精霊も喜ぶ」


「貴方もお姉ちゃんみたいな事言うんだ・・・」


どこかおもしろくなさそうな顔をするイスティに、旅人は首をかしげる。


「感じられぬものを語る人間は嫌いか?」


「 そういう訳じゃないけど神様とかを必要以上に意識して敬うのはどうかと思うの。例えば毎日を生きられているのはどう考えたって自分が頑張って生きてるからなのに、いちいち神様が守ってくれるお陰だっていうのはおかしいでしょ?」


「ふむ。信仰自体は人の自由とはいえ、汝の言うことにも一理あるな。 もし人が神に生かされているというのなら、逆にその庇護がなければ人類は皆死に絶えることになってしまう」


「でしょ?」


「ところでギルドに着くまでにそのユースケと言う人物の人柄について詳しく聞かせてくれぬか。交渉に役立つかもしれぬからな」


「あ、聞いちゃう?私にバートさんを語らせたら長いわよ?」


途端、乗り気になるイスティ。その表情はタペストリーについて語った姉とそっくりだった。


「道中の時間に収まる範囲でたのむ」


「うん。簡単にいえば、大雑把だけどとっても優しい人よ。ずっと前困ってたお姉ちゃんを助けてくれて、そのあとも私に親切にしてくれてるの。たまに人の事考えないで行動するせいで迷惑をかけることもあるけど

、それを除かなくてもすごく魅力ある人だと思うわ。」


目をキラキラさせ、胸の前で手を組んで言うイスティに旅人は苦笑いした


「もうすでに私情が入ってきていないか?」


「えへへ、ごめんなさい。ついね」


そうこうしているうちに市場を抜け、広場を抜け、目的地に到着した。


冒険者ギルド。あらゆる場所へ赴き、魔物の討伐、捕獲、鉱物や植物の採集などを専門とするものと依頼者の間を仲介する組織である。

所属する者は「冒険者」の肩書を受け、受けた依頼の成功時、報酬の一部をギルドにしはらうシステムだ。

その構造は国ごとに微妙な違いがあるが、基本的には民営、しかし武力を有する機関であるため、国の監視下におかれている。

この町のギルド、「薄明」の建物は、外装こそ他の建造物と差異のない石とレンガ、木材でできた建物だが、大きさは民家の十倍はあり、

大扉の横につるされた、美麗な竜の彫刻が彫りこまれた銀の看板が印象的だった。


大きな入口から入って奥の突き当たりには受付窓口があり、受付嬢たちがせわしなくおとずれる冒険者や依頼主の応対に追われている。

ホールの左の空間はクエストボードが占めており、その端には冒険に必要な消耗品がそろっているこじんまりとした売店が。

右側は小さな酒場になっていて、まだ昼にもなっていないというのに酒を飲んで雑談に興じている者たちがいる。


「バートさんが来てるかちょっと聞いてくるわ」


そう言ってイスティが受付まで行こうとした時。


ズダーン!


「!」


建物をゆらす地響きがギルドの全員をどよめかせる。

いや、全員ではない、訳知り顔で落ち着いた様子の者も何人かいた。


「広場だわ!」


イスティが外へ飛び出したので旅人も後へ続く。

広場には大勢の人間が集まっていた。


「はあーいつもこともなげにこんなものを狩るんだからしびれるわあ」


「やっぱりあいつが?こりゃまたすごい魔物だな」


「信じらんねえ・・・」


「ははっお前それ言うの何回目だよ」

ギルドの前に集まるヤジ馬たち。その関心と目線が向く噴水の前。

そこには大人のからだの五、六倍はあるかと思われる大きな鳥が、七羽ばかりでんと積んであった。

それによりかかって腕組みし、さあ絵にでも書いてくれと言わんばかりに自慢げな笑みを浮かべている男が一人。

ヤジ馬の話を聞く限り、この男が一人で怪鳥を討伐し、ここまではこんできたらしい。


「あ!やっぱりバートさんだわ!」


「あの男がか?」


しかもイスティが音で判断したあたり、この男がこんな成果を上げてくるのは日常的なことなのかもしれない


男が例のバートだと知り、旅人は人ごみ越しの遠目ではあるがまじまじと男を観察した。

他の大人より頭一つ分高い身長、あごには突き出すな長めの無精ひげを生やしており、あまり見かけない襟の崩れたボタン付きの服に黒いズボンと革の靴を身に着けている。

めずらしい服装ではあったがそれ以外特徴がない上、何とはなしにけだるげな目をしているのでとても魔物を屠る英俊豪傑には見えない。

しかし積み上げた怪鳥と、首に輝く最上級冒険者の証である、金のプレートが、その実力を示していた。


「相変わらず凄い成果ね。私もいつかあの人みたいに・・・」


ふとイスティは言葉を切り、眉をひそめた。


「ご主人様あ今夜は私におあいてさせてくださあい」


ヤジ馬の騒ぎに混じったやけにつやっぽい声。見ると、

ふくよかな胸をした美少女ががしなを作ってバートにすりよっていた。

彼女だけでなく、他にも見せつけるようにべったりと寄り添う女たちがいる。


「おまちになって。狩りに疲れたご主人様を癒すのは私ですわ」


青髪を右腕で制し、前に出たのは、緑の髪に白い肌、横に長い耳を持ったエルフだった。

プライドが高く、喧騒や異文化を不浄とし、忌み嫌う種族故、他種族との交流を好まずテリトリーを離れないエルフが、町に、しかも人間につき従うのは珍しい。


「ずるいぞ!二人とも二日前と昨日、主と寝たよな!?今度はおれの番だぞ!」

そうわめくのはバートの腰から頭一つ分高いくらいしかない背丈をした犬耳の獣人である。彼女にいたってはとても色話にくわわる年齢とは思えないが・・・


「あの者たちは?」


少年の問いにイスティは僅かながら不愉快そうに答える。


「・・・見ての通りバートのさんが囲ってる女の子たちよ。この前まで二人だったんだけどいつの間にか増えてたわ。この見境なく手を出す癖がなかったらもっとかっこよかったのに」


「英雄色を好む、か」


「あら、おもしろいこというじゃない。どこの言い習わし?」


「ここからはるか遠いところとだけ言っておこう。」


「ちょちょ!通してください!」


会話を遮ったのは、急ぎ焦る女性の声だった。


その主はバタバタとギルド出入り口から飛び出してきた瓶底眼鏡をかけた女性職員である。


「おうアーノラ。丁度良かった。いつも通り買い取りを頼む」


「はあ、やっぱりバートさんでしたか・・・まったくあなたは加減というものをしらないんですか?毎度毎度こんなに上級魔物を持って帰ってこられてもこまるんですけど?」


「悪い悪い、まとめて襲ってくるもんだからついつい狩りすぎたんだ。許してくれ」


「はあ、バートさんですから今回は注意で済ませますけど、次からははぎ取りを済ませて、騒ぎにならないよう裏口からもってきてくださいね?」


「オーケーわかったわかった気をつける」


女性職員は真面目に受け止めた様子もない様子のバートに溜息をつく。


「もう少し真摯に受け止めた様子をみせてくださいよ・・・では、書類にサインと要項の記入をよろしくお願いします」


「りょーかいっと。あーめんどくせえなあ」


げんなりとした顔をした後、バートは

女たちに表で待つように伝え、職員はギルドの奥の部屋に入って行った。


「まいったわね。高額になる魔物はギルドで買い取りできないから王都で競りにださなきゃならないから特別な手続きがいるのよ。

これじゃまだ話せそうにないわ。集合時間に間に合うかしら・・・」


「すまぬ。汝も当然ながら仕事に出ねばならぬわけだな。ここからは我一人でどうにかする。汝は私事を優先するが良い」


「ごめんね、自分から言い出したことだから最後まで付き合いたいんだけど・・・お言葉に甘えて行ってくるわ。!私の紹介で会いに来たって行っていいから!帰ってきたら結果をきかせてね!じゃ!」


「良い冒険を」


走り去るイスティの背中を見送った後の待ち時間は長かった。その間、旅人は放置されていた木箱に腰かけ、広場を行きかう人々を

眺めていた。


「にぎやかでよい町だ」


旅人は時間にして一時間の間、それを退屈顔どころか、楽しげに微笑んで続けていた。

そして少年が16回目の伸びをした頃、やっとバートが先程の職員と喋りながら出てきた。二人の話が終わった瞬間に声をかけられるよう、少年が立ち上がって外套を羽織りなおしたその時だった。


「キュンギイイイイィ!」


「!」


だしぬけに耳をつんざいたのは、空からのとてつもない奇声、いや鳴き声だった。突風が瓦が飛ばんばかりの突風が吹き荒れた

鳴き声の聞こえた広場の方に飛び出す旅人。

皆も何事かと空を見上げては、驚愕の表情を浮かべている。


地面から数十メートル上、堂々たる極彩色の翼をもった怪鳥がせんかいしつつ血走った目でこちらをみおろしていたのだ。

特徴的な羽の色からしてバートが狩ったものと同種と思われるが、大きさに関しては五倍をゆうに超えている。

パニックに陥り蜘蛛の子を散らすように逃げて行く人々。

騒ぎを聞きつけてきたギルド職員、冒険者たちも上空をみて青ざめ、茫然と立ち尽くしている。


「ま、まさか長鳥?殺された仲間のにおいをたどって追いかけてきたの!?」


「っはあ。めんどくせえな」


傍で男と女の声がした方を見れば、

バートと先の受付嬢であった。

騒ぎの原因をつくったらしい当の本人は微動だにせず、気だるげに怪鳥を見上げていた。

その横で、腰を抜かしてへたり込んだ受付嬢は震える声で言う。


「どどどど、どうしましょう!あれほっといたらあたり一帯ふきとんじゃいますよ!」


「うふふ、心配はいりませんよ。すべて主様にまかせればよいのです」


「そーだぞ。わめきすぎなんだぞ」


「なんであんたがえらそうにしてんの?」


いつの間にかバートの元へ寄ってきた取り巻きの女たちは対照的に落ち着き払ったものである。まるでこんな事件は日常茶飯事とでもいいたげだ。


「なら早くなんとかしてくださいい!」


ここで、怪鳥がバートたちをその燃える目に捉えた。そして仲間を屠った相手だと分かったのか、今までよりも殺意に満ちた金切声をあげると、勢いをつけて頭から突っ込んでいく。


「キュゲエエ!」


「ひいいいい!」


「ふっ、たく、しょうがねえなあ」


恐怖のあまり叫ぶ受付嬢。

対照的にバートはうろたえるどころか、

にやりとわらった。

次の瞬間、バンという音とともに土煙が上がり、それに驚いたのか怪鳥は衝突寸前で突進に羽を広げブレーキをかけ、空へと舞い戻った。

羽ばたきの風が土煙を吹き散らした時、受付嬢は驚愕する。


「なっ、地面が、壁に!?」


そう、土が石畳を突き破り、盾になるかのように隆起していたのだ。


「ちっ。今のを避けるか。爪をオッ立ててかかってくるだけの子分鳥とは違うな」


舌うつバートの右足は、地面に半分ほど埋まっている。なんと彼は踏みこんだ勢いだけで地面をひっくり返したのだ。


「おい、びびって降りてこないのか?じゃあこっちから行くぜ。お前ら出てくんなよ」


「は、はい!」


警戒してかなかなか攻撃に転じない怪鳥に、バートは口の端を歪めると、自ら作った即席の壁の前へと五、六歩すすみ出る。

刹那、その眼がの目が獰猛に光った。


「これでどうだ!」


ドンという音と同時に石畳に放射状の亀裂と陥没が起こり、バートのすがたが消える。

直後、

尋常ならざる跳躍によって背面に回りこんでいたバートの組んだ拳が、怪鳥の体の芯にたたきこまれた。

ボン!という音とともに怪鳥の体には大きな風穴があく。

この間わずか二秒。まさに超人技。

激しい落下音と一緒に舞う砂埃。

それが晴れたときそこにあったのは

広場を埋める大きさの怪鳥の首元をふみつけ、満足げな顔をしているバートの姿だった。


「よし、終わりっと」


直後、割れんばかりの喝さいが方々から上がった。先程のヤジ馬や冒険者たちである。物陰からずっと戦いをのぞいていたのだろう。

遠くまで逃げていなかったあたり、早々にバートが討伐に成功するのを見越していたようだった。


「いつもの事ですが、やはり言いましょう。お見事です!」


「さすがご主人様!」


取り巻きの女たちも負けじと口々にバートをほめたたえている。


「・・・空々しい。」


ただ一人、旅人がだけが静かに傍観していた。その眼は虚しげでいてほんの少し悲しげだった。


「アーノさん!ちょっとアーノさん!だいじょうぶですか!?」


「ふへえ・・・」


瓶底眼鏡の職員は完全に放心してしまっていた。駆け寄ってきた仕事仲間の呼びかけにもろくに応じられないじょうたいである。

バートは服のほこりをはたくと、女たちを集めてうでで肩を囲むようにだいた。


「じゃあな。俺たちこれから予定があるんだ。この鳥の事は任せたぜ。」


「っちょ、これをですか!?というか足速っ!」


「おっと」


厄介な処理を押し付けられた職員の悲痛な叫びに旅人は我に返ると外套を翻し、すでに大きく離れていたバートの背を追いかけた。


「失礼、我は」


「なんだ、今忙しいんだ後にしろ。」


見向きもしないでそうかえされ、一瞬言葉を失う少年、しかし、へこたれはしない


「イスティという少女の紹介で会いに来たのだが、少しだけでも聞いてくれはしないか?」


「なに?イスティが?なんだ先にいってくれよ」


驚いたことにこれが効果覿面。

仲介人の名を出した瞬間、ぴたりとバートの歩みが止まり一転、笑顔でふりかえる。

取り付く島もないかと思われたが思わぬ手のひら返しに面を食らう。

だが、すぐに切り替え、旅人は自己紹介を始めた。


「我はアークという。旅の途中、わけあってこの町を訪れた」


ここで犬耳が空気を読まず口をはさんだ。


「バートお!はやく服買いに行こうぜ!そんなのほっといて!」


「私は時間がかかろうと構いませんわ。夫の急な舵きりを受け入れるのも妻の役目ですもの。ええ」


「何かこつけて正妻面してんのよ!」

エルフの発言に食ってかかったのは青髪巨乳だ。


「そーだぞ正妻はオレだぞ!」


それに便乗して犬耳がマウントをとろうとしたのがカンに障ったらしい、

青髪巨乳がかがむように詰め寄り

たちまちいい争いが始まった。


「生意気言うんじゃないわよちびっこ!」


「ちびっこじゃない!オレはもう18だぞ!」


「あらあら喧嘩はおよしなさいな」


事の発端になることを言ったエルフはことばこそ静止を呼び掛けてはいるが

本気で止める気はないらしい。むしろこの軽い修羅場を岡目でたのしんでいる。

この口げんかはしばらく続くと思われた、その時。


「おい、うるせえぞ。少し黙れ。いま俺が、喋ってるだろ」


冷たく、苛立った声音が女たちを凍りつかせた。


「ご、ごめんなさい・・・」


「悪いな、うちの女がうるさくて。で最強冒険者の俺に何が聞きたいんだ?」


向き直り、旅人の言葉を促すバートの顔は先程と同じ笑顔に切り替わっていた。

賽の目のようにかわる態度。常人がみればこの読めなさに恐れをなすだろうが、イスティはこの男を気さくと評した。

いつもはこの限りではないのか。いずれれにせよ、危険な二面性があると考察するにはじゅうぶんだった。

それはさておき、少年は鈴を出して見せながら自分の聞きたいことを単刀直入に質問した。


「汝はこの鈴のような淡い光をまとう、不思議な力を持った道具の所在を知らぬか?」


「・・・・さあ、心当たりはないな」


返事ははずれを意味する即答だった。しかしまた様子がおかしい。鈴を一瞥した途端、ユースケの態度は急によそよそしいものになり、

目をそらしだしたのだ。


「三人もそうだろ?」


後ろを向いて取り巻きたちにも問うバート。先程怒られたのがまだ聞いているのか黙ったままだが、揃って首を振る


「ま、こんなところだ。じゃあ俺たちは行くぜ。」


「もう少しだけ話を」


踵を返そうとするバートを引きとめる少年。


「悪い、時間が押してるんだ。また今度にしてくれ。」


バートは背を向けたまま断ち切るように言うと、まるで逃げるかのように女たちの背を押して、繁華街の人ごみへと消えて行った。

彼らの背が見えなくなった後、

少年は帽子のつばをなぞり、呟いた。


「あたりだ。わかりやすい男がいたものだな。そのうえ__」


カロン、カロン カロン カロン


「!」


不意に、不思議な音が響いた。鈴が、ひとりでに、鳴っているのだ。

不安をかきたてるようなリズムで。


「まさか・・・」


あわてて周囲を見回す旅人。その翡翠の目がふと捉えたのは、東のはるか遠くに白く輝く光だった。

その方角へと走り出した旅人が背にした町の空、西から、薄黒い黒い雲が、流れてきていた。その様子はまるで平和を侵食する何かの暗示のようだった。





「はあ、はあ、はあ、はあ。 」


日暮れが近づき、薄暗くなっていくうっそうとした森の中を、少女はひた走っていた。

その首にかかっている銀のプレートには、狼等級 イスティ・アローの文字が刻まれている。

彼女はアゼフォンと別れた後、固定パーティーのメンバーである大盾持ち、弓使い、魔法使い、斧戦士の4人といずれも同年代で六段位のうちの下から四番目である狼等級の仲間たち合流し、手早く相談して一つの依頼を受注した。

ギルドから足掛け二時間の場所にあるオンタペイの森で、青い模様をもった小型の豹のような獣、バンベルを十五体、狩ってその毛皮を納める。それが達成条件だ。バンベルは鋭い牙と爪をもつ凶暴な獣だが、万全の準備をして来た統率がとれたのパーティーにとっては、2,3匹まとめて相手取ろうが大した危険のない戦闘力だ。

現に討伐は負傷すらなくサクサクと進み、パーティーは浮足立った。この分では日が落ちる前に帰れそうだと。

しかし、気持ちよくうまくいっている時ほど、成功直前でけつまずきやすいもの。

依頼達成まであと、二匹というところでぱたりとバンベルに遭遇しなくなったので彼らはしびれを切らし当初の予定を変更。森の外周をまわる探索ルートを外れ、森の奥へと進むことにしたのだ。提案したのはリーダーを務めているイスティであり、仲間たちも乗り気で賛成した。だが、その判断が悲劇を招いた。獲物を求めて移動し続けるうち、パーティーはより危険度が高い生物の生息区域に侵入してしまい

それに正面から遭遇してしまったのだ。彼女は刹那の判断で

その生き物の鼻面につぶてを投げつけ、大声で自分と反対方向ににげろと叫んだ。

結果、自分一人がターゲットになることに成功したイスティだったが、彼女とて逃げきる自信があるわけではない。

現に木々をバギメキと弾き倒す音は恐ろしい速さで追随してきている。


「皆をバラバラにしないで逃がせたから全員生還できるとは思うけど・・・このままじゃ・・・私が死ぬ!一か八か、やるしかない!」


自分の体力が尽きる時は、森を出るよりも早くやってくることを察したイスティは覚悟を決め、足をとめた。死ぬためではなく、生き延びるために。

彼女はつばを飲み込んで干上がったのどをなんとか潤すと目を閉じ、怪物が迫るまでの間の十秒間をたっぷり使って深呼吸した。

心臓から体の末端へと集中力を充填する。そしてかっと目を見開くと腰の剣をすらりと抜き放ち、両手で正中へと構えた。


「ヴルオオオオオオオオ!」


「っ・・・!」



大地を鳴らし迫ってくる怪物の放つ大地を揺るがすような咆哮。決意とふりしぼった勇気をふき飛ばされそうになる。しかし、及び腰になるのをすんでのことでこらえ

眼前に迫る怪物へ歯をむいて吠え返す。


「かかってっ・・・・きなさいよっ!」


「ヴルオオオッ!」


怪物の正体は全長五メートルはあろうかという前足が大きく発達した毛深いクマのような獣だ。それが冒険者の間でその獰猛性としつこさから端的に「皆殺し」と呼ばれている個体であることを、イスティはしらない。

「皆殺し」は勢いに任せ、侵犯者へ突進した。イスティは右に飛んでかわす。背にしていた太い木がぶち砕かれるのを見てきゅっ息をのむが、間髪入れず、二の攻撃、三の攻撃が飛んでくる。

イスティは打ちおろされる剛腕を綺麗なステップでかわし、隙を右後ろ脚に中段の剣劇を浴びせる。しかし剣が腕に伝えたのは肉の切れる感触ではなく、毛皮の分厚さと硬さだった。


(硬い!)


イスティはこの部位に攻撃を通すことはできないと判断し、攻撃された方向に振り向く熊の死角を利用して素早く左に回り込み

地面をけって背骨に近い部分に切りかかる。しかしこれも長く垂れ下がる毛束の一部を散らしただけにおわってしまう。


「くう・・・一旦回復を!」


イスティは後ろバックステップで距離を取りなが視線を大熊に固定したままで腰の左手でポーチをさぐり、つるりとした手触りのポーション瓶を取り出した。

だが栓を抜いて口にしようとしたとき、中身が空であったことに気づく。


(そうかさっき使ったんだった!)


じわじわとはあるが肉体の疲労を回復してくれるポーションは、持久を必要とする冒険者の生命線だ。

しかしイスティは持参していた一本をバンベル狩りの道中で使ってしまっていた。


「くっ!」


もっと持ってきておくんだったと悔いるが、すぐにないものはしかたないと切り替えて瓶を脇へほうり捨てると、また突進をしかけようとしている大熊を睨みつけ対峙する。


その後も大地を揺らす轟撃をかわし続け、隙を見つけては反撃を試みるがどの部位を攻撃しても結果は同じ。イスティの息は次第に

上がっていった。


「ああもう歯が立たない!なんで私はこんなに弱いの!?これじゃ子供と変わりないじゃない!」


イスティは荒い息の合間に自分の非力を嘆き、血が出んばかりに唇をかむ。

しかしその眼はまだ光を失ってなどいなかった。


「でもっ・・・!諦めないわよ!」


イスティは茶色の髪を振り乱し鼓舞するように声に出して言う。だが状況は依然ジリ貧、体力か気力が底を尽きれば肉塊になるのみ。


(手段はあるはず・・・考えるのよイスティ!)


その時、攻撃があたらないことにいらついたのか、「皆殺し」はまた咆哮すると攻撃方法を切り替えた。周囲を両の腕を無茶苦茶に、横向きの軌道でふりまわしはじめたのだ。


「!」


イスティはその変化に瞬時に反応、

木々が次々と薙ぎ飛ばされる中、ばねのように後方へ跳躍した。しかし、打ちおろすパターンの攻撃に慣れきっていたのと、

疲労動きが鈍っていたせいで脇腹に攻撃を受けてしまった。


「うあ!ぐっ!」


かすった程度だったが、威力は絶大だ。イスティは吹っ飛ばされ、中ほどから折れた木の幹にぶつかってしまう。

口に広がる鉄の味。攻撃が当たった個所の鉄の防具は裂け、その下の肉もまた、えぐれてドプリと血があふれ出している。

起き上がって距離を取らなければと考えるが、痛みとショックで体が思うように動かない。ふらつきながら膝で立つのがやっとだった。


(一撃でこの威力・・・!)


そして、イスティの上に影が落ちる。

剣を地面に突き立て見上げるとそこには、一通り木がなぎ倒されたおかげで差していた夕陽を遮るように、大熊が長い毛の下に目を光らせ後ろ足で立ち上がり腕を振り上げてとどめを差さんとしていた。

しかし、腕が打ちおろされる寸前、イスティは動く。

剣を両手で握りなおし、力を振り絞って立ちあがると、姿勢を低くして一歩倒れこむように「皆殺し」の懐へもぐりこんだのだ。

片膝をつき、体の重心と一直線になるよう、腕をのばす。その剣先は「皆殺し」の心臓があるであろう胸をとらえていた。

腕を振り下ろすところだった「皆殺し」は必然的に、そこへ全体重を賭けることになる。


「グオオオオオオッ!」


腕を地面に叩きつけた地響きと同時に「皆殺し」の体が跳ね、苦悶の声をあげる。

その毛深い胸にはあれだけ歯が立たなかったイスティの剣が半ばまで刺さっていた。


「やった!」


彼女はのしかかった重量に腕から肩の骨を軋ませながらも、剣を離さずしてやったりとばかりに不敵な笑みをこぼした。

これが彼女のねらい。「皆殺し」の体重と予見しやすく大ぶりな攻撃を利用した策だ。


ぐおおおおおん!


「うあっ!」


だが現実は非情。その剣先は心臓に届いてはおらず「皆殺し」を絶命させるには至っていなかった。すぐに「皆殺し」痛みと怒りに体をぶるんぶると震わせて立ち上がった。おかげでイスティは剣を放してしまう。

彼女には振り落とされ落ちゆく間がローモーションに感じられた。

「皆殺し」の顎が哀れな侵入者に牙を突き立てんと開き、つばの糸を引く。


(やっぱり無理、か。みじ、かい人生、だったな)


観念した瞬間、全身の力が抜け、ていく。脇腹の出血も相まって薄れゆく意識とは逆に、過去の映像や音が鮮明に、かつすさまじいはやさで駆け巡る。走馬灯だ。


(・・・・・・・あ・・・・でも私がいなくなったら、お姉ちゃんは・・・ひとりぼっちだ)


最後に浮かんだのは、他の誰よりもあいしてやまなかった姉の笑顔、やがてそれも掻き消え、意識の最後のひとかけが闇に沈もうとしたその時。

からだがふわりと何かに受け止められた気がした。


「よくがんばった。汝の奮闘、覚えておこう」


(な、に・・・?)


その声と感覚が現実か自分の心が生んだ幻か判断する間もなく、イスティは気を失ってしまった。







「う、うう・・・・」


意識を取り戻したイスティの眼前にあったのは、流れる石畳みとブーツをはいた何者かの足だった。


「目が覚めたか」


やけに近くから聞こえた声に、のどの渇きと頭にまた割りつく鈍痛にさいなまれながらも、イスティはあわてて頭をもたげた。

出血のせいか記憶がおぼろげだ。


「はっ!?あの化け物は!?ここはっ

いたっ・・・」


あたりを見回そうと身じろぐと、紺色の布切れで応急処置がされている脇腹が痛んだ。苦悶すると同時にイスティは先程の戦いが夢でなかった事を再認識する。


「落ち着きたまえ。動くと傷に響く」


数秒かけ、イスティはここが森へ向かう時に通った街道で、自分は今朝ギルドへ向かうついでに案内した旅人の背中で揺られているこという現状をやっと飲み込んだ。


「あ、あなたどうして・・・どうして、どうやって貴方が私を?」


イスティは困惑の声をあげた。

少年は行き先を知っているはずもなければ森にくる理由もない。したがってイスティを助けに来ることは不可能なはずなのだ。


「話す前に町の医院が何処にあるか教えてくれぬか。処置はしたものの治療が必要だ」


「あ、ああ、それだったら心配ないわ。うちのお姉ちゃんが治療魔法を使えるの。これくらいの傷なんて痕も残らないわよ」


「ならばこのまま汝の家まで送るとしよう」


「ありがとう。えへへ、人に背負われるなんて何年ぶりかなあ」


イスティは照れ臭そうに頬をかいた。


「では事の顛末を話そう」


旅人はうなずくと、自分が何故イスティのところへと向かうことができたのか語りだした。


「何故汝のいるところへかけつけられたかについてだが、何のことはない。これのおかげだ」


「・・・?それは・・・」


旅人がとりだして肩越しに見せたのはあの白い鈴だった。今朝は言われるまでわからなかったが夜になるとその輝きが一層映えて美しい。


「神器「狩神の檄」。見知った者の危機を知らせる能力を秘めている。われはこれが鳴った後すぐに冒険者ギルドに出向いて汝の出立先を聞き、森へむかったのだよ」


「ああ、そういえば神器は不思議な力を持ってるって言ってたわね・・・何にしても助けてくれてありがとう。

あれ、じゃあ・・・あなたがあの怪物を倒したってこと?」


「・・・いいや。我が森の中で汝を見つけた時、汝を襲ったらしい魔獣も傍らにいたが、すでに絶命していた。」


少しの間を開けて少年が言うと、

イスティの頬が、驚きと興奮でみるみるうちに紅潮した。


「てことは私、勝ったの?やった!自分でも信じられない!明日皆に報告して素材はぎ取りに行かなきゃ。ギルドに顔出したら幽霊が出たって驚かれそうだけど」


「喜ぶのはとがめないが元気なものだな。あの大きな熊に単身戦いを挑むという無茶をしておいて打撲と裂傷だけで済んだこと自体奇跡なのだがな?」


生死の境で踊った緊張感はどこへやら喜の感情を前面に出すイスティにもっともな意見をだす旅人。


「別に好き好んで戦ったわけじゃないわよ。皆を逃がすには私がおとりになるしかなかったの!」


「おとりに?犠牲になるつもりであったのか?」


「いきなりのことだったから自分がどうなるかまで考えてなかったわ。

でもあきらめなくて正解だった。貴方が来てくれなかったらどっちにしろ死んでたけど。」


「ははは、本当にそうであるな。汝は豪運の持ち主だ」


「あら、貴方だってそうじゃない。その年で「閉ざされの大地」から無事にここまでこれたんだから。

あ、そういえばバートさんとは話せた?」


「少しだが収穫はあった。彼が怪鳥の長と戦うところを間近で見ることもできた」


「ええ!?ホント!?うらやましいな~かっこよかったんだろうなーバートさん・・・きっと鉄拳でこうがーってあいたったたたたたたた」


興奮気味に腕を振り回すジェスチャーをして傷を刺激してしまい、痛がるイスティに旅人は

やれやれと首を振り、呆れ半分おもしろさ半分といった様子で言う。


「・・・汝は長生きするだろう。予言してもよい」


「ちょっとどういう意味よ」


今朝あったばかりとは思えない距離感の二人の頭上で、フクロウが鳴いた。




数分後、二人は教会へたどりついた。


「着いたぞ」


「ありがとう。はあ~、門限軽くすぎちゃった。それにこの傷、お姉ちゃん泣きながら怒るだろうなあ。貴方は心配ばっかりかけて、

どうか無事に帰してくださいとずっと神様にお祈りしてたのよって」

背中からおろされるイスティ。


「よい姉を持ったものだ。感謝を忘れるでないぞ?」


「感謝はいつもしてるわよ。あ、そうだ。お礼代わりになるかわからないけどあなたさえよければ、これから毎日でもうちに泊まっていいわよ。まだしばらくこの町にいるなら悪くない提案だと思うけど。お姉ちゃんもきっといいって言ってくれるわ。」


旅人はすこし迷うようなそぶりを見せ、首を振った。


「今日は宿をとっている。泊めてもらうにはおよばない。」


「そっか。じゃあお礼はまた今度ね。おやすみ。」


「ああ、良い夜を」



そして、イスティは扉を開けて講堂の中に入った。


「ただいまー・・・」


しかし返事はない。あるのは隙間風の細い音だけだ。


「あれ、いつもだったらバタバタ出てきて飛びついてくるのに。こんな夜に出かけてる訳もないし・・・手紙?」


イスティはいぶかしみつつがらんとして暗い講堂内を進む。そして教壇に置かれた紙を見つけ、拾い上げて開いた。

その顔がみるみるうちに青ざめて行く。


「え・・・?ど、どういうこと・・・?」


震える声で言った後、彼女は踵を返しかけていた旅人はをはねのけてバッと表の石畳へ駆け出した。


「行かなきゃ!」


「む、なにごとであるか?急を要するなら我も一緒に・・・」


「これは私の問題よ!」


拒絶するように叫び、イスティは風のように走りさった。

彼は彼女が去った方を見ながら首をかしげ、手紙を拾いあげる

そしてそれに目を通すと、帽子のつばをなぞった。


「・・・これは・・・」


冷たい風が吹き、木の葉をどこかへと連れ去った。




イスティ・アロー。彼女の名をつけたのは母でも父でもない。

姉のエニである。

父親が病気で早逝し、母親はイスティを産んだ後死んでしまったあと、当時十三歳だった彼女は身一つでイスティを育て上げた。

過去について彼女は多くを語らなかったが、イスティがこの歳になるまでの十四年間、大きな苦労があった事は想像に難くない。

さびれた教会のシスターになったのも、雨風をしのいで寝ることができる場所を手に入れるためだったのかもしれない。

普段の信心深さを鑑みるに、それがシスターになった理由の全てではないだろうが。

優しくけなげな姉をイスティは心から慕うと同時に、彼女を守るのは自分しかいないと思い続けてきた。

常に命の危険がある冒険者になったきっかけも、教会本部から支給される僅かな費用とお布施をやりくりする姉を最大限に助けたかったからだ。

幾多の逆境を超え全六段中三段である狼等級に昇格できたのも、姉への思いあってこそ。

だからこそ、姉が残した手紙の内容はイスティを激しく混乱させた。


突然いなくなってごめんなさい。

心の整理がついていなくて何から書き出していいかわからないので、大事なことだけ書きますね。

私はバートさんの下に嫁ぐ事になりました。

理由は話せません。この手紙を読んでもどうか会いに来ないでください。

もう貴方の元へ戻ることはできないけれど泣かないで。お母さんが亡くなったあの日から十四年、

嬉しくて涙が出るほど、貴方はりりしく立派に成長してくれました。

私の事は忘れて、幸せに生きてください。最後にたくさんのキスを送ります。


貴方の姉、エニより。


(納得できるわけ、ないでしょ!)


バートとは親交があったし、自分も尊敬している。しかし、神に貞淑を誓った修道女が男に嫁ぐなどあり得ない。

その上まるでピースを半数しか使っていないジグソーパズルのような、断片的な文面。自分の事をいつも気遣ってくれた姉が、

こんな合点させるつもりも感じられない手紙を理由もなしに書くはずがない。しかも乾いた羊皮紙にインクで書かれた文字は

涙の痕で滲んでいた。

これはただ事ではないと感じた彼女は、傷の痛みをこらえ、街路を走り抜けて行く


(まっててねお姉ちゃん。何があったかわからないけど、お姉ちゃんが大変な目にあっているなら、私が、絶対助けるから!)


十数分後、彼女は夜の街で町で唯一明るい場所大きな門の前にたどりついていた。格子の奥に広がる魔導街灯や彫像、花々が植えられた庭と豪邸は、全てバートの所有物だ

イスティは深呼吸して取っ手の金の輪に手をかけるが鍵がかかっているのかびくともしない。

やむを得ずイスティは飾りを足がかりに3フッツ(2・6メートル)はある門扉を乗り越え、向こう側に降り立った。


「うづっ・・・!」


着地したとき、衝撃のせいで痛みが走りイスティは脇腹を押えてうずくまってしまう。ねばつき生ぬるい感触。手を見ると当て布にしみ込んでいた血がべっとりと付いていた。無理に動いたせいで出血と悪化が進み、鼓動とともにずきずきと襲ってくる痛みは、今や味わったことのないものへと変貌を遂げている。常人なら気を失っているだろう。

それでもイスティは構うものかとばかりに手のひらを芝生に擦りつけると、額の脂汗を手の甲で拭いながら立ち上がり、

よろめきながらも玄関へ続く道を歩いていく。

その心には、姉への思いだけがあった。


「お姉、ちゃん・・・」


そして、道の半ばにさしかかった時。ビイーと警告するような音が鳴り響いた。


「はっ!」


慌ててあたりを見回すと、

道のわきに設置されていた鎧の像の眼窩に、赤い光がともっているのに気付く。

まさか、とイスティの背筋に寒気がはしった。

そのまさかである。

膝をついていた一対の石像は、重くこすれる音とともに磨かれた円形の台座からゆっくりと立ち上がり、イスティに向かってハルバードを構えたのだ。


「・・・・警備用の、魔象(ゴーレム)!?貴族が買うような代物があるなんて・・・・」


「おーストップストップ」


能天気な声に呼応するように

ゴーレムはぴたりと動きを止めた。

扉を半分だけあけてバートが玄関の外へ出てくる。


「よお、イスティ。どうしたこんな時間に。もうみんな寝てるぞ」


イスティが踏み石に血を滴らせ、息も切れ切れなことに触れもせず平然とそうのたまうバート

人間として明らかにおかしいその態度は不気味なものだった。


「とぼけないで、ください!お姉ちゃんを一体どこにやったんです!?」


傷を押さえて問い詰めるイスティに、ユースケは心外だとでもいうように大げさにもろ手をあげる。


「おいおいなんだその言いぐさは。俺が誘拐犯みたいじゃないか。きいてなかったのか俺とエニは正式に結婚するんだよ」


「そんな話一言も聞いてません!いるならお姉ちゃんをよんでください!あんな手紙じゃ納得できない!」


「あーめんどくせえな・・おい」


奥に向かってバートが顎をしゃくると、震える、くぐもったエニの声が聞こえた。


「・・・来ないでと言ったのに・・・・お願い、何も聞かないで帰って・・・」


「そんなことできるわけないでしょ!出てきてよ!なんで、ぐっ・・・ううっ!」


叫ぶイスティだったが、傷の痛みにうずくまってしまう。


「イスティ!?もしかして怪我をしているの!?今治療を!」


「あっ、おい!」


「ああっ!」


扉をはねのけ横をすり抜けようとしたエニの髪を反射的につかみ、阻止するバート。

玄関の明かりに照らし出された、その姿を目にし、イスティは驚愕した。


「お姉ちゃん・・・!?どうしたのその格好、どういう言うことなの!バートさん」


「見ないで・・・私を見ないで」


清楚で美しかった様相は見る影もなく、彼女のシスター服は胸元が引きちぎられた上に、裾が鼠渓まで引き裂かれてぼろぼろに、白かった顔は殴打や張り手を受けたのか赤くはれている。

とても花嫁の、いやまともな男の配偶者となった女性の姿とはいえなかった。

自分がエニに何をしたかばれ、開き直ったのかバートはイスティの知らなかった真実、もとい子供のような不服をまき散らし始めた。


「出るなつったのにしゃしゃりやがってくそがよ・・・元はと言えばこの女が悪いんだ。俺が嫁にしてやるといったのに、

宝石や花束を持って何十回通ってやったのに頑なに拒みやがる!下手に出ればつけあがりやがって!」


そして、罵倒が一段落すると深呼吸し、嗜虐的な笑みを浮かべ、ねっとりと次の一文を垂らす。


「・・・だから、ちっと根回ししてやったんだ」


「根回し、ですって!?」


「ああそうさ、創神教のお偉いさんのところにひとっ飛びしてな、名前を貸してやるってになってやるっていったら

すぐ動いてくれたぜ。

信仰の権利をはく奪されて、裏切り者の焼印を押されるか、俺の物になるかの決めろって言ったときの

こいつの絶望した顔よな。あれはまじで高ぶったぜ」


イスティは愕然とした。英雄として尊敬していた人物は、傲慢で邪悪な本性の持ち主だったのだ。


「信じられない・・・!どっちにしても神様に背く事になる最悪の選択肢じゃない!今までずっと尊敬していたのに!私に良くしてくれたのも点数稼ぎのつもりだったわけ!?」


「ああ、義理の妹になるんだからいい顔しとかなきゃなと思ったからさ。お前はそうならず死ぬわけだが。

この女が前もって言いくるめてくれなかったせいでな」


「っ!この・・・英雄の皮をかぶった悪魔!」


「ゴーレム、やっていいぞ」


端的な死刑宣告とともに、動きを止めていたゴーレムが動き出す。

出血と疲労で動けそうにないイスティと未だ万力のような力で髪をつかまれ床に這っていたエニは絶望の表情を浮かべた。


「やめて!やめさせてください!貴方の物になると誓いますから!あの子だけは!あの子だけは!」


修道女の悲痛な叫びに、町の人気者はますますにやけ、狂気に目をらんらんと光らせる。


「だめだ。俺をめざめさせたお前とこれからやるってタイミングで来たあいつが悪いんだぞ」


「やめて・・・イスティにげて!」


イスティは背中の剣に手を伸ばそうとするが、もう体は動かなかった。

迫る無骨な図体を前にして薄れゆく意識。彼女は歯噛みし、目をつぶって世界を、唐突に

降りかかった理不尽を呪った。


(なんでよ・・なんでこんなことになるのよ・・・ただ、お姉ちゃんと一緒に暮らすだけで私は幸せだったのにそのためだけに必死に努力して生きてきたのに・・・こんな終わり方なんて・・・)


今、その命が終わると言う時、彼女は星ひとつない天に祈り叫んだ。


「・・・けてよ・・・」


「 神様!いるなら助けてよ!」


刹那のことだった。水晶を鉢で叩いたような音が響きわたった。餌をあさるネズミに、野良犬に。寝かしつける親と渋る子供に。酒場の男たちに。ギルドの冒険者や受付嬢に。耳の聞こえない老人に。町の全ての人々に。

誰にも等しく伝わる音。

唐突にイスティの首を飛ばさんとしていたゴーレムが粉々に砕け散った。

そしてイスティの前に立っていたのは、上等なブーツに紺の外套、小枝の刺さった妙な帽子の下から金髪と翡翠の目をのぞかせる、神秘的な少年だった。


「アス、ク?」


少年は前を向いたまま、老人が諭すような、かつ子供が素直な心思いを伝えるような沁み入る声と語調で語りかける。


「イスティよ。優しさあふれる者の妹よ。エニよ、勇気あるものの姉よ。

今までの傍観をどうか許し願いたい。我の力はやすやすとふるってよい物ではない故。

そしてもう涙する必要はない。あるとすればそれは、姉妹が互いに謝りあい互いに許しあう時だ」


バートは突然処刑を台無しにした闖入者に顔をしかめた。


「なんだお前、昼間のガキじゃねーか。天賦使いか魔法使いだったのか?」


「どうして・・・」


何が起こったのかわからないまま、茫然とその背を見つめるイスティ。ただ、彼女は理由もなくその存在にこの上ない頼もしさを感じていた。

旅人は翡翠の目でバートを見据え、言い放った。


「さて、懸命に咲く花を無理やりにたおらんとする力を持った愚者よ。我は汝を鉄槌を下してしかるべき存在と確信した。赦しを乞うのなら命まではとらぬ、平伏せよ」


「笑わせんな!どんな能力を持ってるか知らねえが一発で粉クソにしてやる!」


「きゃあ!」


敵意をむき出しにしたバートはエニを後ろに飛ばすような衝撃波を残して姿を消し、

一秒後に旅人の背後に現れた。


「!」


あまりの速さにイスティが声をあげる暇もなく

怪鳥に風穴を開けた拳が旅人の後頭部を襲う。

だがそれが当たる事はなかった。

移動してきたのとほぼ同時に、旅人の軽く曲げられた人差し指と中指がバートの頬を捉え、存外な威力を持ってして

真横へぶっ飛ばしたからである。


「くぼあ!」


バートはすさまじい勢いで空を切って鳥をかたどった噴水へ突っ込み、その瓦礫に埋もれた。


「・・・左腕の動きだけで・・・・・・・強いとかそういう領域じゃない・・・」



規格外の力を前にして、イスティは彼に助けられた時の事を思い出す。

かれは自分の危機を神器の力で察したと言っていたが、接敵から気絶するまでの時間は体感では長くとも、

実際は五分もなかったはずだ。ギルドで行き先を特定する時間を加味しなくとも常人の足では失血死する前に間に合うはずがないのだ。

あのときも、隠していた力を使ったのか。大熊を倒したのは実は自分ではなく、彼だったのか、とイスティは霞がかった頭で推測する。


「イスティ!」


そこへエニが走り寄ってきてイスティをぎゅっと抱き締めた後、

傷口に手をかざし、治療魔法をかける。裂けた脇腹を暖かさと光が包みこみ徐々に傷が癒えて行く。

イスティは思った。これほど姉の優しさと温もりを肌で感じたのはいつぶりだろうかと。


「こんな怪我をしてるのに・・・もうっ・・・!」


「うっ・・・うっ・・・お姉ちゃん・・・」


熱いものがこみ上げる。


「うわああああああん!ごめんね、ごめんね、お姉ちゃん!お姉ちゃんがずっと苦しん出たのに気付かなくて!」


イスティの目から、死にかけていたときでさえこらえていた涙が滝のようにあふれ出る。イスティ。その体をより一層つよく抱きしめた。エニも同じだった。


「私も、本当の事を隠してて悪かったわ。貴方の理想像を壊すことになると思うと、胸が絞まって言えなかったの・・・」


旅人は抱き合う二人を肩越しに一瞥し、微笑むと真剣な面持ちになり、バートに向き直って歩み寄ってい

く。


「はっ、まだ油断しないで!バートは大岩の下敷きになった時でも平気で出てきたの!」


「わかっている。まったく哀れで愚かな男であるな。力を手にしたばかりに己に手にできぬ物はないと勘違いをしていたのだろう?」


「くそ、がはっ!い、てえ!」


バートは悪態をつきながら血を吐き捨て、頬を押さえながらよろりと瓦礫の中から立ち上った。


「くそ・・・」


服が破れているものの、その身で石を砕く程の衝撃を受けていながら体自体には目立った外傷はない。

バートは精悍な顔つきを怒りと混乱に歪ませ、自分にきつい一発を見舞った枝帽子の少年をにらみつける。


「痛え・・・痛え・・・!俺がぶっ飛ばされただと・・・?ありえねえ・・・何なんだお前!?」


「さて、もはや我にもわからぬ。今しがた、汝の敵対者であることは間違いないが」


「舐めやがって!俺を本気にさせたことを後悔するなよ!」


わななき、歯をむき出して腕をまくるバート。すると肩口に金色に光る紋章があらわになった。

天賦能力の証だ。


「さっきは油断したが俺の「轟撃無双」の天賦は最強だ。ただ体を強くする能力だが最大限に使えばこういうこともできるんだぜ!おらっ!」


言うなり、バートは地面に腕をずぼりと肘まで突っ込んで力み、

おとぎ話の巨人のような力で五メートル四方の地面をぼこりと掘りおこしを旅人に向けてひっくり返した。


「くだらぬ」


旅人は動じずただ一言。そして右の人差し指をはじいた。


キン!

短く高い音が鳴ったかと思うと、

降りかかってきていた土の塊が大きな音をたて派手に砕け散った。


「おらっ!」


だがバートはひるまない。土の投げつけは次の一手への布石だったからである。

バートは立ち込める土煙をぎゅんと割いてが旅人の頭上からかかと落としをしかける。

かつて岩さえ砕いたその攻撃の軌道上に旅人はその人さし指を無造作にさしだした。


(何!?)


バゴン!

衝突の瞬間、少年の足元がクレーター状に陥没する。常人達人の比ではない破壊力だ。

だがそれよりも異常だったのは旅人の方だ。攻撃を指で受け止め地面に蹴りの威力を仲介したにもかかわらず。

ダメージを受けた様子を見せるどころか、姿勢を崩しさえしなかった。

そして旅人はバートを翡翠の瞳で見上げ、一言。


「そして浅はかであるな」


「何─」


バートが言葉を発し終わる前に、旅人はその手首を掴んだ。その瞬間バートの背中にビリ、と悪寒が走る。それは言わば動物的直感。意識より迅速に体が危険を認識したのだった。

だがそれですら回避行動をとるには遅過ぎた。

刹那、バートの体が空中で弧を描いたかと思うと、凄まじい遠心力で上空に投げ出された。


「うおおおおおっ!?」


宙に舞いながらバートは体制を立て直そうとするが足場がない上視界が高速でぶんまわっているのだから常軌を逸した身体能力があろうとも土台無理な話だった。

縦に回転しながら屋根より高く上がった所で、放物線軌道は頂点に達し減速がかかったお陰でバートはなんとか地上を垣間見る事が出来た。しかしバートはまたしても驚愕する。


「いない!?」


そう。さっき自分を投げ飛ばした旅人の姿がどこにも見当たらなかったのだ。

これが何を意味するか、バートには嫌でもわかった。そして体が落下し始めると同時に反転する。

そして、視界に入った。曇り空を背景に静かな怒りを滲ませ、杖を握り込んだ旅人が。


「飛ん、でる…?」


「待っ」


「問答は無用。応報の時だ!」


刹那、旅人の一撃が無防備なバートの脇腹に

叩き込まれた。


ドゴオオオン!


轟音。


「きゃあああ!」


砂ぼこりと衝撃に、大分離れていたイスティとエニはうずくまった。

そして、それらが過ぎ去った後二人が目にしたのは、

地面に降り立った旅人、そして

旅人の足元に出来たものを上書きするように形成された巨大なクレーターとその中心に大の字で倒れるバートだった。


「凄い・・・」


自分が何十年修行したとしても遠く及ばないであろう実力のバートをそれを上回る圧倒した旅人にイスティは感嘆符しか出ない。


しかし、戦いはまだ終わってはいなかった。

倒れたバートの指がピクリと動いたかと思うと

彼は跳ねるように起き上がり

砕けた彫像のところまで飛びのいた。


「ハアッ…ハアッ…」


肩で息をする満身創痍バートを見て、旅人は

帽子のつばを親指でぞった


「力の差は十分わかっただろう。観念するのだ。汝では、痛みを知らぬただ偶然に力を」


「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」


旅人の声はバートに聞こえてはいない。

彼は薬物が切れた時の禁断症状のように身もだえし、頭をゴリゴリとかきむしる。

両の指先はもう赤く染まっていた。

どろりと、こめかみから頬にかけて赤いラインが引かれていく。

彼の自我は崩壊しかけていた。


「こんな・・・こんなことがあっていいはずがねえ!俺の無双を邪魔できるやつがいていいわけがねえ!」


バートは全身を痙攣させ、目を剥いて吠えたかと思うと、親指を口に突っ込んでギリギリと噛みしめた。


「ひっ…」


当然ながらあふれでる血。果てには骨まで見えた。それでも指を噛むのをやめないバートの狂気をはらんで爆発する寸前の風船の様子を見たイスティの頬を汗が伝う。


(なんなのこの不安…何か、このままじゃ終わらない気がする…)



単なる偶然か、それとも第六感かこのときのイスティは漠然とした黒い予感が的中するとは、思ってもみなかった。




バート・デカスタスは、平凡な農村に生を受けながら、生まれついての勝ち組だった。彼には人間人口の二十分の一ほどしか存在しない「天賦」と呼ばれる特殊な力があったからだ。

種類は豊富であれど、どれも限定的ながら法則を逸脱することができる「天賦」は

親の遺伝で授かることもあればある世代で突然発現することもある。

バートの場合は後者で、それも抜きん出て強力なものだったため彼は幼いころから魔物や盗賊の討伐を簡単にこなすことができ、両親や周囲の人間はその功績を讃えた。

だが、賞賛を当たり前の浴びて育ったバートは段々と傲慢になっていき、自分に思い通りにならないものはないと考えるようになっていった。成人して村を出た後、彼は冒険者になり金や名誉、女を欲望のままに手に入れ、王様になったような気になっていた。

だからこそ、全てを手に入れてきた自分の力が突然現れた枝帽子の旅人に全く通じない事に大きく狼狽し、憔悴した。まるで立っている大地が音を立てて崩れていくようだった。

反面、自分中心の世界を壊されている事実を受け入れられず、滅茶苦茶になっていく心の中で彼は思った。


(こんなはずは 俺の天賦は最強のはずだ・・・まだもっと、力を・・・)


すると頭の中に名状しがたい声が響いた。


(チカラガホシイノカ?ナラバ、スベテヲユダネヨ)


そして体の中に何か得体のしれないものが流れ込んでくるのを感じ・・・


「うう…」


バートはふらりと酩酊し、うつろな目になって無意識に首にかかっていた紐を思い切り引きちぎり、何かを胸元から引きずり出した。

それを見て、

旅人の目の色が変わる。


「・・・!それは!今すぐ手放せ!人が扱う代物ではない!」


掲げられたのは紫色の小さな球体。淡く光るそれの真ん中にブドウの皮がむける様に割れ目が開く。

それは瞳だった。黄色く濁った結膜と、灰色の虹彩と瞳孔の瞳。


「ウウウウウウクウ」


バートの物ではない、不気味なこえがあたりにこだました。

にわかに空気が嫌な粘りを帯び、あたりに黒い霧が発生した。

檄をとばした旅人は手を伸そうとするが

黒いオーラがバートに集まって全身を包み込んだのをみて、悔しげに手を引いて拳を握る。


「のまれてしまったか・・・!」


庭の花を踏みつけ踵を返す旅人の背後、

渦巻く瘴気の繭の中から名状しがたい恐ろしい雰囲気を持った声が響く。


「オボボボバハハハ!ハハハハハハハハ!テニ、イレタ、ゾ!」




黒い風がごうごうと吹き荒れ、眠っていた鳥たちが目を覚まして四方八方に飛び散る。


「なに、あれ・・・うっ・・・急に吐き気が・・・・」


「わかりません・・・ただ、人が絶対に触れてはいけない何かのような気がします・・・」


離れた位置で一部始終を見ていた姉妹は、背骨を冷たい手で絞られるような怖気に襲われていた。

黒い繭は植木をや装飾をのみこみ肥大していく。断続的に人間のものとは思えない唸り声が響き渡り

震えを加速させる。


「ご主人様!?ご主人様!?」


「なんだ!?凄いことになってるんだぞ!?」


「あらあら・・・・あらあら・・・貴方達は?あれはいったい?主様は?」


さすがに飛び起きたのか、玄関から取り巻きたちが玄関から出てきて、

現状を認識してそれぞれ混乱を口にする。


「汝らの主は今、邪神に体を乗っ取られている」


集まった五人の元へ跳ねるように走ってきてとんと着地しながら少年は言った。


「邪神!?邪神って神書とかにでてくる!?」


「ああ、信じられぬだろうがあれは古に語られる存在そのものだ。どこで手に入れたのか、あの男は悪しき神の欠片を肌身離さずもっていたらしい。

眠っている状態だった故に我も気付かなかったが、たった今それがあの男自身の歪んだ欲望に呼応して目ざめてしまった。

もはや猶予はならぬ。我が食い止めている間に汝らは少しでも遠くへ逃げるのだ。」


「ど、どうする気なの!?」


繭の方へ向き直った旅人はの肩を両手でつかむイスティ。食い込まんばかりのその手をはやんわりとはずし、優しく握って、旅人は安心させるように微笑んだ。


「案ずるな。我は使命を果たすのみだ。」


「ウオオオオオオオオ!!」


「きゃああ!」


ひときわ大きな咆哮が、風の音を打ち消して空気を震わせた。

あまりの恐怖に座り込んでしまう青髪。


「成るか」


百メートル先で、渦巻くオーラの表面にポコリと穴が口を開けた。そして泡が割れるように

中身の全貌が明らかになる。


「ウボゴボボゴボゴオオオ!」


その姿、まさに異形。

夜闇より黒い暗雲が立ち込めた空の下、

巨大なナメクジに足が太い人の足が何対も生えた体躯。その前面から伸びあがっている人型の上半身には四対の大きな腕。背中から無数にのびる先端が手の形をした触手は、つかむ何かを求めるかのようにのたくり伸縮を繰り返している。

中央にめり込んでいる頭部にはかろうじてバートの、人の面影が残っているが、顔はもはや形容できない物になっていた。


「主様、なの・・・?」


「大きい・・・!あんなのが暴れたら町が滅んじゃうわ!」


おぞましい笑い声をまき散らす怪物の両の目が、イスティらをとらえた。


「く、来る!?」


怪物は屋敷の壁を壊し、地面の土を削り飛ばしながらイスティらの方へと進攻を始めた。

生物的にバランスが悪いフォルムにもかかわらず、そのスピードはかなり速い


「・・・滅ぼさねばならぬ」


旅人は一層表情を引き締めると韋駄天のごとく走り出し、その巨躯を正面から迎え撃つ。

それは傍から見れば無謀極まる絵面だった。

彼の帽子が風に吹き飛ばされ、闇に舞う。


「解放せしは一の鍵、静銀の戒(コヴェラス・ティーダ)!!」


旅人が

謎めいた文言を唱えると

黄金の杖の先から幾条もの捩れた青い光の帯が拡散するように放たれ、怪物の体を幾重にも包み込み縛る。


「ウウ?」


「ま、魔法!?」


あっけにとられる青髪。


「走れ!」


「わ、わかりました!」


旅人の肩越しに叱咤に、

五人は我に返って慌てて走り出した。


次々に光の帯を放つ旅人。

しかし怪物はまとわりつくそれを嘲笑っては六本の腕でかたっぱしから引きちぎっていくのでらちが明かない。

そのうち一本、上から三番目の右手が振り下ろされた。

旅人は飛びずさってそれを回避、どばんと地面が揺れ、大穴があく。

逃げた先へ手持無沙汰だった細い腕が数十本ずつまとまって伸び、旅人に襲いかかった。

少年はそれに対し杖をふるった。金の軌跡が宙に描かれ、腕の群れは造作もなく千千に切り飛ばされる。しかし、ちぎれた腕は断面がぐちゃぐちゃとうごめいた後、ぶじゅると粘着質な音を立てて再生してしまった。

それを見た旅人は不快そうに眉をしかめると

真上に飛ぶ。下から追い上げる腕の群れ。旅人はそれを物理法則を無視した二回の空中ジャンプで切り返すように交わし、地面に向かう過程で

本体の拘束が完全に解ける前に杖を向けて文言を唱える。


「解放せしは三の鍵!業鋼の裁!(バルド・レイズ)」


少年の頭上に、巨大な黄金の光陣が出現した。そこから月の光を赤くを照り返す何かが顔をのぞかせたかと思うと、大質量を感じさせる杭が空を射出され怪物に激突する。


「ぼがっ!」


「うわっ!」


轟音と衝撃波に、走っていたイスティは前のめりにこけてしまう。

怪物の巨躯は地面に大規模な引きずり痕をのこして大きく後退し

いろいろなものを下敷きに横向きに倒れた。


「ううううう!」


が、まだ勝敗は決していない。


「・・・エニ、エニ、ウウ、ウ」


バートの意志が残っているのかエニの名前を呟きながら

赤金の杭に、その身を深々と貫かれながらも怪物はゆっくりと地響きとともに起き上がる。衰えを見せないどころか、細い触手の攻撃に加えて、六本の大きなうでで旅人に積極的につかみかかってくるようになった。


「異常なしぶとさであるな。」


凄まじい速さで走り跳ねとび、細い手をかいくぐって距離を詰める旅人。

更に大きな右の腕の攻撃を杖で弾き返す。


「ウルア!」


その間隙をついて左右二番目の腕の掌が両側から迫る。

それを回避することができず、旅人はあえなく羽虫か何かのようにばちんとはさみこまれてしまった。

とうとう一巻の終わりかと思えたが

刹那、怪物の腕に光が走ったかと思うとばらりといくつもの輪切りにされた

再び無傷で現れた旅人の下げた両手に握られていたのは杖ではなく、輝く二本の大剣だ。


苦悶する怪物と落下する大小の肉片。

旅人は怪物の前に下り立ち振り返ると、イスティらがもう少しで敷地の外へ出るところである事を確認した。


「頃合か」


旅人が一人ごちると、両手の大剣が光の粒へと変化し、再び右手に凝集して杖の形をとった。

それをくるりと一回転すると旅人を中心に青白い波動が広がり、

そして旅人と怪物、屋敷の敷地全体を囲う領域が形成される。


「わっ!!何この光!?」


「結界、でしょうか?あの人は一体何を・・・」


道まで避難したイスティとエニは

突如、現れた彼我を隔絶する光の壁の向こうで怪物と対峙している旅人を見守る。


「なんだありゃ・・・」


「新しい花火か?」


町からはそれが小高い丘の上に突如現れた極光の柱のように見え、

夜を照らすその明るさに人々はこぞって指を差す。


何が起こっているのかわからないイスティ達の視線の先で、旅人を中心に景色がゆらいだ。


「・・・ここから先は、神の領域。」


「ウルルルル!」


頭部をがくがくとけいれんさせる怪物。

三対の腕と数百本の触手が怒涛の勢いで旅人へと殺到する。

結界が丸く切り取ったべた塗の空に、白い光の紋章が浮かび上がった。


「あっ!あれは!」


怪物を前に、旅人は静かに杖を掲げると翡翠の目をカッと見開き、凛と告げる。


「我が真名において宣告する。」


「汝の世界は」


「今終わる」



振り下ろされる金の杖。瞬間、燐光が炸裂した。


「ア、アアアアアアアァ!」


怪物の体が頭から真っ二つに切り裂かれる。そして数秒の間の後、断末魔をあげて爆散した。

波動が空気に伝播する。

静寂。



「本当に、倒しちゃった・・・」


砕けた体の黒い破片が塵と消え行く中、呪いが解けたように暗雲は去り、太陽が山陰からのぼりだす。

黒い風は止みあたたかな日の光が、庭に降り注ぐ。

そして役目を終えた結界と空の紋章もまた、薄れてなくなった。


「あっ!あそこ!主様が!」


「お、落ちちゃうぞ!」


怪物の中から出てきたのか、まっさかさまに落ちて行くバートを指差す青髪。

三人の取り巻きたちは急いで落下地点に走った。

姉妹も顔を見合せ後に続く。




地に降り立った旅人の頭上、バートが降ってくる。旅人はその腰を片手で受け止めて勢いを殺し、あらためて

地面に放り出した。

破れた半袖から露出した肩からは、輝く紋章が消えていた。


「結局、神器の持ち主ではなかったか・・・」


旅人は残念そうに首をふり溜息をもらした。


「主様!」


「アーク!」


そこへイスティらが

駆け寄ってくる。


「ご主人様!目をあけて!ご主人様!」


「バートおおおおお!」


「ん、んん・・・アリー、ドリーナ、それにメディ・・・俺は・・・一体・・・」


三人がすがりつき揺さぶると、

バートはうめきながら目を覚ました。


「よかった・・・主様!」


「気分はどうだ。いや咎人よ」


旅人はその鼻面にガジャ、と杖の頭をつきつけた。


「ひっ!」


「やめて!」


のけぞるバートを青髪が横から抱えるようにしてかばう。

残りの二人は背中側に寄り添った。


「ほう、立ちはだかるか。汝らは修道女に自分の物になるよう権力を行使して無理やり要求をのませ、」

暴力をふるい、悲痛の叫びを楽しんだ上でこの少女を殺そうとし、邪神の欠片まで保持していた男をかばいだてするのか?」


「っバートさんはそんなことっ!うう・・・」


バートを囲う三人娘に少年は冷たく事実を突き付けた。

青髪は反論しかけたが、鋭い目でにらむイスティとズタぼろにされたエニをみて言葉を詰まらせる。


「我は我に課した責に基づいて、人に裁けぬ罪を裁かねばならぬ。この男の罪を赦せというのなら、赦すなりの道理が必要だ」


「・・・確かに、この人は大きな罪を犯したのかもしれない・・・けど、私たちにとっては、暗闇で手を差し伸べてくれた英雄なんです!

本当は悪い人じゃない!」


青髪は絞り出すように言う。

しかし旅人の雰囲気は緩まない


「汝らの過去に何があったかは我の知るところではないが、この男の本性は英雄ではなく衝動を抑えきれぬ子供よ。故に思い通りにならぬ修道女に執着し牙をむいた。汝らの知らぬ余罪があるやもしれぬ。」


「こ、こんなことをしたのは今回が初めてだ!魔がさしただけなんだ!あのペンダントだって洞窟でひろっただけだ!なぜか誰にも渡したくないって思って隠し持ってたけどあんなやばいものだったなって知らなかったんだ!信じてくれ!」


どうやら飲み込まれる寸前までの記憶は残っているらしいバートは必死に弁明しだした。

最強の冒険者としての余裕や風格はもはやどこにもない。旅人は小物になり下がったバートを蔑んだ目で見下す


「わめくでない。それについては魂に審問すれば分かること」


「へ?魂?」


「我が目が見通すは浮世だけにあらず。人の魂の色を見極める。と言ってもわかるまい、特別に具現しよう」


呆けるバートの前で旅人がパチンと指を鳴らすと、バートの胸から薄黒い火の玉のような何かが飛び出した。


「うべ!」


「!?何を!?」


反動で倒れこんだバートを、エルフが受け止める。


「これが汝の魂だ。汚く濁っている。今一度聞くが、汝は以前、我がの気分勝手で人を害したか」

旅人はは視線をゆらりゆらめく光の玉を見ながら聞く。


「し、してない!」


「邪神の欠片はどこで手に入れた」


「本当にたまたまひろったんだ!」


バートの顔と火の玉を見比べていた旅人は顔を上げ意外とばかりに言い帽子の縁を親指でなぞった。


「・・・ふむ、揺らぎがない。嘘ではないらしいな。汝の悪行の半分ほどは、欠片の影響のせいかもしれぬ」


「だ、だろ!?だから」


「黙れ。今度の行いが赦されるかどうかとは別の話だ。」


旅人は忌々しげにバートの額を杖で小突いた。

鈍い音。

バートは再び昏倒した。


「バート様!」


悲鳴をあげるエルフと猫耳をよそに、一番事態を重く見ているらしく、唇を噛んでややうつむいている青髪に向けて旅人は粛々と続ける。


「さて、余罪の有無は証明された。翻って改心の余地もあろう。だが」

この男の精神と生活の柱であった異能はもうない。我が破壊してしまったからな。権力も財力も消え失せ、ただの人間以下になったこの男を、汝らは変わらず愛せるのか?」


ぱんっ!高い音が響いた。

青髪が、旅人をきっと睨みつけ頬をしたたかに打ったのだ。


「あっ・・・」


口元に手を当てるイスティ。


「馬鹿にしないでよ!私たちがそのへんの売女みたいにお金や権力目当てで近づいたとでも思ってるの!?

とんだ侮辱だわ!たとえバートが無一文の素寒貧になったとしても、私の心は揺らがないわよ!」


「私も同じ気持ちです!彼の傍にいない私なんて私じゃない!」


「オレは死んでもバートといっしょにいるぞ!」


「神に誓って、か?」


頬を打たれたことを気にする様子もなく、旅人は念を押す。


「誓うわ!!」

「誓いますわ!」

「ちかうぞ!」


真剣そのものの三人を前に、旅人はちらりと後ろを見返ってイスティとエニに問うた。


「・・・どうする。汝らはこの男に私罰をくだす権利があるが。」


「赦します。」


「ええ!?何でよ!」


粛々とした態度で、なんの迷いもなくエニは言いきった。その瞳はただ、まっすぐだった。

素っ頓狂な声をあげるイスティ。


「彼の罪は拭える物ではありませんが、心から愛してくれる人がいるなら、人は変われるはずです。私は創世神の聖徒として、彼が改心してくれると信じます。」


イスティは頭を抱えてぼやく。


「ああもうお人よし過ぎでしょ・・・今まで尊敬してた私ですら首根っこ引き裂いてやりたいと思ったのに。・・・まあ、いいけど。未遂だし、力がなくなったなら教会がお姉ちゃんに嫁入りを強制する理由はなくなるわけだし。でも赦しはしないわ。この人が目を覚ましたらすぐにこの町から消えて。」


「わ、わかったわ。約束する!」


するどい目におののきながらも青髪たちはこくこくとうなずいた。

面々を吸い込まれるような翡翠の目でかわるがわるみつめる旅人。そして小さく首をふったかと思うと、くるりと外套を翻し背を向けた。

「いやはや、業人がこうも縁に恵まれているとは。人世はかくも理不尽なるかな。仕方あるまい、今はその命、預けておこう。」


「あっ、ちょっと!」


旅人は五人から離れ、飛び石の方へと歩いて行く。そして植え込みに引っかかっていた帽子を拾って埃を念入りに払って頭に載せ

そのまま立ち去ろうとしたところで、後ろにたたずんでいるエニ達に振り返った。


「あの・・・ありがとう。あったばかりの私たちを何度も助けてくれて」


「貴方のおかげで救われました。本当にどうお礼をいっていいか・・・」


深々と頭を下げるエニに少年は静かに首を振る。


「我は使命を全うしただけだ。それに力ある我の行いより、汝らの兄弟愛の方がよほど尊い。これからも二人で苦楽を共にし、助け合って生きるがいい。」


エニは少し黙り、そして抱かざるを得なかった疑問を投げかけた。


「あの・・・先程の力は魔法などではありませんよね?何かもっと、上の次元の力・・・というか…貴方はいったい何者なのですか?」


その疑問に、旅人は帽子を引き下げて言った。


「・・・知ることは必ずしも幸福な事とは限らぬ。それでもなお、汝は問うか?」


踏み込んでくるなと暗に示す言葉。厳かな声音。

それを感じ取りつつもエニは乾いた唇を動かそうとする。

だが、先に言葉を紡いだのはイスティだった。


「お姉ちゃん、そこまでにしておいたら?私だって気になる事だらけだけど、せっかくアスクが守ってくれたおねえちゃんとの普通の毎日がまた壊れたりしたら、私こんどこそどうにかなっちゃうわ」


「イスティ・・・」


エニははっとして、怪我をしながらも自分を追いかけてきてくれたいとしい妹を見つめ、相貌を崩した。


「ふふっ、そうですよね。忠告してくれているのに、興味本位で踏み込むなんて愚かしいですよね。」


「・・・懸命な心がけだ。」


「あはは、誰にだって話したくないことはある物だしね。」


イスティは髪をかき上げ、朝日を背に明るく笑った。


「でも私、貴方の正体が何者だとしても、貴方と出会って助けてもらった事を忘れないわ。歳をとっておばあさんになっても、死んで骨になっても絶対覚えてるから。だって、昨日と今日以上に泣いて怒って苦しんだけど嬉しかった日なんて来るわけないもの。」


「・・・!」


旅人は一瞬、それとわからないぐらい驚いたような、なつかしむような顔をしたが、すぐに帽子のつばを引き下げて表情を隠して言った。


「・・・そうしてくれるのなら我としても嬉しい。ああ忘れるところであった。これを汝に」


旅人はポケットから何かを取り出し、イスティの手に握らせた。其れは花をモチーフにした彫金飾りのついた流れる様に細くしなやかな銀色のチェーンだった。


「これは・・・」


「我の贓品の一つだ。剣の鞘にでも巻くとよい。」


美しいその品と旅人の顔を交互に見て、イスティは目を瞬かせる


「え?いいの?私結局何も役に立ててないのに。」


旅人はゆっくりと首を振る。


「これはこの出会い、運命への感謝だ。それに汝の勇気ある行いと魂の輝きは敬意を表すべきであり、誇るべき素晴らしいものだった。どうか受け取ってはくれないか」


「・・・照れ臭いこと言わないでよ。・・・でもそういうことなら。大切にさせてもらうわ」


その変事聞いてこくりと満足そうにうなずくと、旅人は街道へ降りて道なりに歩き始めた。イスティは贈り物を握りしめ、最後にその背中に大声で呼びかけた。


「アーク!私、もっと修行してもっと強くなるから!次に会う時はきっと、貴方の事をきかせてね!」


不思議な旅人は言葉を返す代わりに黙って枝つきの帽子を持ち上げた。

その背はやがて街道の向こうへと消えて行った。


「本当に不思議な人でしたね。」


「うん。きっと、私たちが想像もできないような旅をしてるんだわ・・・」


イスティはエニに振り返って顔を見合せ笑顔で言った。


「さ、帰ろっか。私たちの家へ」


それを見て、エニはイスティの髪ををいとおしげに撫でて微笑んだ


「・・・ええ、そうですね」


姉妹は手をつなぎ、二人にとってかけがえのない場所である我が家へと歩きだした。

朝焼けの町を見下ろす丘に穏やかな風が吹き、二人の栗色の髪がふわりと揺れた。






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星神と命の軌跡 @mikusu1231

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