異世界帰還者のセカンドステージ -冥府魔道を潜り抜け蠱毒の坩堝へ-
崖下
主役不在の前日譚
かつて世界を支配していた神や魔性が姿を消し、人が世を統べるようになり、どれだけの時が流れたことか
下位存在の認知によって存在を確立し、力を得る上位存在の再誕を恐れた人々は神魔が姿を消して以降、二度と上位存在に支配される時が来ないよう、神魔への認知を操作し続けてきた。即ち、神も悪魔も幻想。非現実的なものである、と
古代の中務省陰陽寮を起源とする秘匿されし省。降魔省はそういった神や悪魔、それらが類する異端の秘匿と隠蔽を生業とする、対異端専門の省であった
人々が二度と異端を認知することがないよう情報を操作し、何かの間違いで魔性やそれに類するものが表舞台に出て来ぬよう処理を施す。そんなことを彼らは長きに渡り続けてきていた
そうすることで、人の世は永遠のものとなる。二度と神や悪魔といった人ならざるものに恐れる時代は来なくなる。そう信じていた
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世界はいくつもの
しかし、異端に類するものの中には層を認識し、時には層と層の間を行き来するなどを可能とする技術も存在していた
京都と重なる層のひとつに作られた降魔京もまた、そんな技術によって作られた秘されし都であった
対異端を生業とする降魔省の総本山。異端と戦うための牙を研ぎ続けた闇の精鋭たちが集うその地が、今、灼熱の業火に包まれ灼かれていた
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「――くそがぁっ!」
一人の呪術師の青年が罵声と共に防壁から身を乗り出しながら放ったのは漆黒の炎。死者の怨嗟を炎という形で具現化する東洋の呪術の火が、眼下を埋め尽くす程の赤い獣の群れへと投げ込まれる
しかし群れから飛び出してきた一頭の赤い狼に一口に飲み込まれ、獣の胃袋の中へと消えていってしまう
「っざけんなぁっ!ありえねえだろ!」
目の前で起きた出来事を、青年は一瞬受け入れられないでいた
あの炎は青年が今まで戦ってきた数多くの妖や魔性を屠ってきた自慢の呪術であった。それが眼の前の獣にとってはあまりにも無力。獣の餌程度でしかないということは大きな衝撃であった
周りを一瞥して見れば、他の戦闘員たちの攻撃もどれもが赤い獣たちには通じておらず、獣たちの足を一時的に留める程度の効果しか発揮していない様子であった
それでもと炎を投げ続けながら、一体どうしてこうなったのかを思い出していた
――事の起こりは半年前であった
前触れ無く超常的な力に目覚めたり、突如として人が変わったように性格が変わった者が続出したという報告が入ったのが始まりだった
調査を進める内に、彼らに一つの共通点があることが判明する。それは性別や国籍、年齢などではなく、たったひとつの経験。彼らは口を揃えてこういった
異世界に行って、帰ってきたと
地球という星に生まれ育ちながらも異世界という全く未知の法則に支配された世界で過ごした彼らは異世界の法則を身に纏い、超常の力を得たり、人によっては人ならざる者への変異すら起こした者すらおり、さらには地球とは異なる文化圏での生活は彼らの倫理観や価値観に大きく影響を及ぼしてもいた
これは看過し得ない異端であり、降魔省が動くべき案件であった
彼らがその力を、異端となった身を隠し生きるのであればそれでよかった。しかし多くの帰還者は手にした力を誇示し、自らの欲望や野心を満たさんとし、降魔省の望む異端の秘匿に対し非協力的な姿勢を見せる
となれば取るべき手段はひとつである。異端の抹消。即ち、秘密裏に殺害することである
しかし降魔省という共通の敵を得た帰還者たちはひとりの偉大なる指導者の元に結集し、徒党を組んで降魔省と戦争を開始した
古代より続く護国の組織と、どれだけ強大な力を持っていようとも有象無象の寄せ集め。両陣営の争いは降魔省側の勝利に終わると思われていたが、現実は真逆であった
降魔省は敗北に次ぐ敗北を重ね、苦渋の決断の末に海外の魔術組織や対異端組織らの協力を得ながらもたった一度の勝利を得ることすらできず、ついには本拠地とも言うべき降魔京にまで攻め込まれるに至ってしまった
戦いは一方的であり、圧倒的であった。すでに殆どの地区の守備隊は壊滅し、散り散りとなった残党を除けば降魔省の幹部たちが集まる本丸を守護する中央守備隊のみを残すのみとなった
二丁の拳銃を自在に操る薄汚れたジャージ姿の男がいた
三角帽子に黒いローブを纏った扇状的な格好の魔女がいた
子供くらいの体格の髭面をした、巨大な戦斧を持った男がいた
銀髪に褐色肌の耳の長い西欧の民族衣装を纏った女がいた
銀の毛並みをした二つの足で立つ狼男がいた
巨大な蛇のような下半身をした女怪がいた
赤い鱗に大きな翼を生やし、大空を舞う竜がいた
誰もが絶大な力を持った絶対強者。その中でも特に、ここの本丸を攻めてきた獣の群れは別格であった
帰還者と比べるべくもない魔性の群れ。されど一頭一頭が伝承に名を残すような特級魔性と同等の力を秘め、それが地を覆い尽くすほどにいて、群れをなしているとなればそれはすでに大災害と言っても過言ではないだろう
「――あっ」
気がついた頃にはもう遅い。防壁の上から抵抗を続けていた青年は壁をよじ登り迫ってきた一頭の獣に飛びかかられ、その首筋へ鋭い牙を突き立てられる
防壁が破られ、獣たちが雪崩込む。あちこちから悲鳴が上がり、生々しい肉を啜り喰らう音が聞こえてくる
そんな赤き災害が生み出す惨状を、遥か遠くにある小高い丘より見下ろす赤髪の男がいた
「呆気ねえなあ。これがこの国の守護者なのかよ」
清潔感の欠片もない乱雑な赤い髪に無精ひげ。気怠げな空気を漂わせた燕尾服を着崩した白人の男。傍から見たら何の取り柄もなさそうな凡俗にしか見えないこの男が、まさか彼こそがあの大災害とも言うべき獣の群れの指導者であるとは誰も思わないだろう
赤い獣――血の一滴一滴から生まれ落ちた悍ましき化生。それら全てがこの赤髪の男より生まれ、この男に支配されている。即ち、このやる気なさげにしている男こそが大災害の主。獣たちの王なのである
「やっぱり、東洋の猿じゃあこんな程度か。そうは思わねえか?北条」
男が語りかけた先に、一人の少女が居た
薄い灰色の髪をピンクのリボンでポニーテールの形に纏めた、影のある表情を浮かべる法衣を纏った少女は、赤髪の男へあからさまに見下したような目線を向けた
「……相変わらず品性の欠片もない下劣な男。油断をしたら足を掬われますよ、アルブレヒト」
「なんだ。沖縄でやらかしたあいつらの話でもしてんのか?けけっ。オレをあんな劣等と一緒にすんじゃねえよ。見ろよこのザマをよ。こっからどうすりゃ足元掬われるって「いたぞ!あれが術者だ!」
アルブレヒトと呼ばれた赤髪の男の言葉を遮るように、叫び声を上げながら揃いの着流しに身を包んだ一団が丘の上へと上がってくる
どうやってかはわからないが、獣の王であるアルブレヒトの存在に勘付き、それを倒すべくやってきた降魔省の戦闘員たちのようである
「足元掬われそうですけど?」
「キヒヒ。おいおい。オレがこんな劣等共にやられるとでも?」
「なにをごちゃごちゃと!」
兵団の中から刀を携えた一人の男が怒号と共に飛び出てくる
一歩。たったそれだけ踏み込んだだけだというのに男はアルブレヒトの間近にまで近づき、手にした刀を勢いよく振るう。が、男の放った渾身の一撃は軽く突き出された手に受け止められた
「なっ!?」
「おらよっ!」
無造作に払った拳。アルブレヒトにとっては寄ってくる虫を払いのける程度の感覚で放ったそれは、男の頭蓋を容易く砕いてみせる
「た、隊長!?」
「ほらな」
「力だけはあるんですよね、あなた……これで人品もあればよかったのですが」
自らの頼れる隊長を失い恐慌状態に陥りつつあった兵団を前に、アルブレヒトと北条はまるでカフェでお茶をしているかのような気楽な調子で言葉を交わし合う
大勢の武装した人間に囲まれていながらも、二人にとって彼らは何の障害にもなりえないということが、二人の様子から伺えるようであった
「しかし、鬱陶しいですね……エレノア。うるさいから黙らせてもらっていいですか」
北条が言うと、彼女の影からひとりの女が浮き上がり、その姿を現した
お嬢様というパブリックイメージを具現化したような金色のドリルのような形をしたツインテールの、朱色のドレスを纏った少女。されど本来瞳があるべき眼孔はぽっかりと空いていて、顔の下半分がレザーのマスクで覆われていて、整った容姿とは裏腹に凄惨な印象を感じさせる少女――エレノアは両の手に大鉈を構えると、勢いよ駆け出し、戦闘員たちの只中へ突っ込んでいった
「――なっ!?」
そうして始まったのは闘争ではなく、蹂躙であった
大鉈が振るわれる。その度に人の首がひとつ、ふたつと飛び、いざ彼女へ攻撃を仕掛けようにもすでにそこにはエレノアの姿はなくまた別の首が飛ぶ
人の眼で捉えられぬ化外を前に、彼らはただただ無力であり、丘の上で生きているものはアルブレヒトら三人のみとなった
「テメェの相方やるねえ。さすがは悪役令嬢サマ」
「やめて」
「別にかまやしねえだろ。聖女サマと悪役令嬢サマたあ、いい組み合わせじゃねえか」
「……そういうデリカシーのないところが嫌いです。だから女に逃げられるんじゃないんですか?」
「あん?今なんつったテメェ?」
「非モテの寝取られ野郎って言ってるんですよ。この粗チン野郎」
「腐れ趣味のクソレズ女が」
物言わぬ躯が転がる丘の上を覆う一触即発の空気。このまま殺し合いが始まりそうな雰囲気だったが、突如、前触れ無く両者の間に漂う緊張が弛緩する
「止めましょう。あの方に迷惑がかかります」
「チッ。いつか殺す」
互いに背中を向けて捨て台詞を吐き合う。しかし内から湧き上がる衝動を完全に押さえ込むことができず、二人の表情からは溢れ出す殺意がにじみ出ているようであった
そうして生まれた僅かな間の後に、ふと、アルブレヒトが何か思い出したかのように口を開いた
「……なあ、ジェレミアのやつはどこ行った?」
「気になるのですか?」
「別にそういうわけじゃねえよ。オレらが働いてんのにサボってるようなら許せねえからよ」
「あの人はあなたみたいに怠けるような人ではないですよ。堕ちたとは言え、英雄である彼はいつでも渦中にいる。それは今もそうでしょう」
告げる北条の視線は降魔京の中央に聳え立つ本丸。天を貫かんと屹立する五重塔へと向けられていた
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「――大勢は決しました。降伏してください。これ以上の流血は無用でしょう」
五重塔の最上階。畳張りの大広間の中で、純白の鎧に身を包んだ騎士ジェレミアは、古の時代より異端から日ノ本を守り続けてきた降魔省を統べる老公たちを前にそう告げた
豪奢な金色の髪に、朗らかな微笑みをたたえる甘いマスク。纏うは壮麗な装飾の施された純白の鎧。身の回りには一対の白き盾が彼を囲うように浮遊しており、透き通るような緑白色の刀身の剣を手にした姿は物語に登場する聖騎士か、あるいは、勇者と呼ぶべきか
「あなたたちの危惧するところはわかっています。人という弱い種を守るために異端を排するという考えも理解できないわけではありません。しかし、それではこの先がないこともわかっているでしょう」
「四半世紀も生きていない若造がわかったような口を」
「このようなカビ臭い部屋にこもりっぱなしの老人よりは、マシだと思いますよ。それで、ご返答は」
ジェレミアの言葉に対し、老公たちは口を開くことなく、嘲笑うような笑みを浮かべた
怪訝に思いジェレミアが警戒を強めると、瞬間、畳の下から、天井の上から、広間のあちこちから突如として妖が姿を現し、ジェレミアへと襲いかかる
「油断しおったな!」
それは老公たちが部屋に忍ばせておいた式神たち。一体一体が人を大きく超えた絶大なる膂力を有する異形の群れ
ジェレミアはそれを目の当たりにしても尚静かな顔を欠片も崩すことなく、両手で剣を掴み、ぐっ、と念を込めた。すると剣から緑白色の衝撃波が放たれ、辺り一面へ破壊の奔流を引き起こす
それを見た老公たちは咄嗟に結界を張り、迫る衝撃を防ごうとするが僅かに勢いを削ぐだけに留まり、彼らの枯れ枝のような身体が吹き飛ばされていく
やがて聖剣より放たれた衝撃が収まった時、荒れ果てた室内には虫の息の老公たちと、それを見下ろすジェレミアの姿があり、彼を取り囲んでいた式神たちは影すら残さず消えていた
「こんな結末になって残念です」
ジェレミアが剣を掲げる。刀身から仄かな淡い光が灯り、剣から眩くも恐ろしい輝きが放たれる
それは宇宙の彼方より舞い降りたひとつの種子より作られた剣。数多の邪悪を屠り、数多の善を裁く聖剣
「――スターダストッ!セイバー!」
振り下ろされた剣から放たれた光が、世界を包み込んだ
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緑白色の光の柱が五重塔から立ち昇り、天を貫いた
「あーあ。ありゃあ終わったな」
丘からそれを見届けていたアルブレヒトは足元で転がる躯で遊びながら、けらけらと愉しげな笑みを浮かべていた
「残敵の掃討も終わったようですね。これで国内の反抗勢力はいなくなる。後は海の外の勢力を一掃すれば、私たちに敵対する者もいなくなる」
「それじゃあ大将は面白くねえんだろ?敵も味方もあるていど残して主役の登場を待つたあ、随分と迂遠な事をすんだなあ」
「不服ですか?」
「別に?面倒くせえ女だとは思うがな」
「可愛らしいじゃないですか。実に純な恋心だと思いますよ。正直、あそこまで好きになれる方がいるなんて羨ましいです」
「あーそうかい」
「ところでひとつだけ忠告させていただきたいのですが」
「あん?」
「あの方が見てますよ?」
北条が告げた途端、アルブレヒトの右腕が血しぶきを上げて弾け飛んだ
「――ッ!?がああああああっ!」
「あの方は総てを見つめておられる。わかっていたことでしょう」
傷口を抑えながら崩れ落ちるアルブレヒトを見下ろしながら、北条は薄っすらと笑みを浮かべながら告げる
「不用意な発言は死を招く。今のあなたがそうであるように。愚かにもあの方に刃を向けた多くの者たちがそうなったように」
呻き声を上げながら怒りに満ちた形相を浮かべるアルブレヒトから目線を外し、北条は恍惚とした表情を浮かべながら、天上を見上げた
炎に包まれた降魔京に照らされ、赤く染まった空。その彼方から、こちらを見下ろす者の気配を感じながら、北条は彼の者に仕える事に喜びを抱いていた
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そんな北条を――否。彼方より総てを見下ろすものがいた
数多の光が頭上より降り注ぎ、深き闇が下を覆う世界。光と闇に挟まれた天も地もない虚空に漂う荘厳にして壮麗な黄金の御座に座する者がいた
艶やかな黄金の髪。純白の荘厳なドレスに包まれた身体は見るもの全てを魅了する程に整えられた肉体美の具現。女体の黄金比とも言うべきものがそこに体現されていた
「ああ。ああ。舞台は整いつつあるぞ、我が愛しの怨敵よ」
女は総てを見つめていながら、総てを見ていなかった
地の上でどのような悲劇が、あるいは喜劇が繰り広げられていようとも、彼女にとって全てが等価値にして無価値。平等に意味のないものであった
彼女が価値を見出すのは自身という尊き身と、たった一人の愛しき人
「これ以上、焦らしてくれるなよ。でないと、世界が壊れてしまうかもなあ」
胸に開いた傷痕を愛おしく抱きながら、女は御座の上で揺蕩う
彼女の望む主役が現れるその日を想いながら――
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この日、古来より日本を護り続けてきた降魔省の総本山が陥落した
降魔省側の生存者は皆無。対して攻め手の異世界帰還者側には僅かな負傷者のみが出るのみで死者は一人として居なかった
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