かっくんとゆっくん

@kamometarou

かっくんとゆっくん

(かっくん)

 二時間目の、「とぶ」ことの授業が終わった。先生が終わりの挨拶をすると同時に、いっちゃんが俺のところまで跳んできてこう言った。

「かっくん、どうしてゆっくんにひどいこと言うのよ」

「気に入らないやつには、傷つくことを言ってもいいんだよ」

 俺は、何の悪びれもなくそう答えた。俺の言葉に、いっちゃんは反論してきた。

「ああ、そう。じゃあもうウチ、かっくんと仲良くしないから。かっくん嫌い!」

 いっちゃんは、泣き始めた。俺がしばらく何も言わずに黙っていると、いっちゃんはどこかへ跳んでいってしまった。

「ったく。めんどくさいやつだ。俺は悪いことなんかしてないじゃないか」

 今回のことで謝るつもりは、さらさらなかった。俺が傷つけたゆっくんにも、いっちゃんにも。

 いっちゃんがどこへ行ってしまったかは知らないけれど、内心どうでもよかった。三時間目の「およぐ」ことの授業を受けに、俺は川のほうへと、飛び跳ねて進んだ。



(ゆっくん)

 夕方、僕は、今日の授業をすべて終えて、川の向こう側にある長老がえるの家に遊びに行った。

 僕らの通うかえるの学校は、一時間目から六時間目まであった。

 一時間目は、「なく」ことの授業。四時間目は、「かえるの種類」についての授業。五時間目は、「かえるの歴史」についての授業。六時間目は、「正しいオタマジャクシの育て方」という授業だった。

 いつも、「かえるの種類」と「かえるの歴史」についての授業は退屈でつまらない。いっぽう、今日の「正しいオタマジャクシの育て方」という授業は面白かった。特別に、学校の先生ではないかえるが、ボランティアで授業をしに来てくれたのだ。本来なら、その時間には「餌の摂り方・天敵の避け方」という授業をやる予定だった。

 「正しいオタマジャクシの育て方」の授業では、授業をしてくれたかえるが何やら怖いことを言っていた。

「何があっても、オタマジャクシに暴力を振るったり、深く心の傷を負うような言葉を言ってはなりません。万が一、オタマジャクシについ口走ってしまったなら、後で必ず謝ってください。気持ちとしては難しいことかもしれませんが、オタマジャクシが『かえる』になったときに、それが彼らの心を救うのです」

 暴力を振るうだなんて、まさか、僕がそんなことするはずがないじゃないか。もう少し、信用して欲しいなあ。そう思ったものだった。

 いっぽうで、そのかえるはこんなことも言っていた。

「虐待は、ごく普通のかえるがすることなのです。特別なかえるが虐待をするわけではありません。普通のかえるというのは、いまここにいる、あなたたちのことですよ」


 *


 長老がえるが、葉っぱの上にコオロギを載せて、僕にごちそうしてくれた。長老がえるの家は、広々としていてくつろぐことができた。

 僕は、今日あった傷ついた出来事を、長老がえるに話した。

 一時間目の「なく」ことの授業や、二時間目の「とぶ」ことの授業、三時間目の「およぐ」ことの授業は、実技科目になるため、退屈ではないものの、楽しくもなかった。むしろ、僕は苦痛を感じていた。

 それは、かっくんの存在が原因だった。かっくんは、実技科目が苦手な僕に、当たりが強かった。

 話を一通り終えると、長老がえるは僕にこう尋ねた。

「ゆっくんは、かっくんに悪意を向けられて、どう思った?」

「すごく、傷つきました。それと、嫌な気持ち」

 ゆっくんはうつむいて、押し黙った。長老がえるは、ゆっくんに優しく微笑み、言葉を続けた。

「ゆっくんは、かっくんの悪意に対し、怒りを感じる?」

「はい。感じます」

「それは、どうして?」

「どうしてって、悪意をもって人を傷つけるのは悪いことだからです」

「ほんとうにそうかね?」

 長老がえるから帰ってきた返事に驚き、思わず顔を上げて彼の顔をまじまじと見つめてしまった。ゆっくんは、咄嗟にこう言った。

「じゃあ、悪意を向けてもいいって考えが正しいって言うんですか?」

 長老がえるが答えた。

「いや、そうじゃない。どちらが正しいとか、悪いとか、そういうことじゃない。

 人は誰しも、自分の考えをもっていて、その考えにそって行動する権利があるんじゃ。ただし、法に触れない範囲で。

 いま、ゆっくんが答えてくれた、悪意で人を傷つけるのはいけないことだって言い分も、ひとつの考え方でしかない。どちらが正しくてどちらが正しくないかは、誰にも決められないことなんじゃよ。

 もちろん、悪意を向けていいという考えにうなずく必要はないし、悪意を向けてはいけないというゆっくんの考えを、変える必要はない。誤解されぬように言っておくが、わしもおぬしの考えに賛成じゃがのう」

 ゆっくんは、長老がえるの出し抜けな言い分に、平面だと思って足を出したらそこには段差があり躓いて転んでしまったときのような気持ちになった。ぽかんと口を開けたまま、何も言えなくなってしまった。知らぬ間に、目から大粒の涙が零れ始めた。

「おっと。ゆっくんが悪いわけではないんじゃよ。わしの語感が強かったかもしれんな。悪気はないんじゃ。すまない」

 長老がえるはそう言って、緑色の細い手で僕の頭をそっと撫でた。彼の瞳は、優しい光を放っていた。

 僕は、自分がなぜ泣いているのかわからなかった。長老がえるは謝ってくれたが、きっと、長老がえるに問題があったわけではないだろう。頭に触れる長老がえるの手が、暖かかった。

「わしの言ったことが、必ずしも正しいとは限らない。これも、ひとつの考え方に過ぎないんじゃ。だから、ゆっくんがこの先生きていく中で、わしの考え方が間違っていると思うということもあるかもしれない」


 長老がえるが、僕に精一杯の誠意を払ってくれているのは理解できた。

 でも、胸につかえるもやもやはまだ消えてくれなかった。


 この先、長老がえるの言うことに納得できる瞬間がおとずれるのだろうか。それとも、それとは反対に、間違っていると感じるのだろうか。

 今より少し成長した自分を、おぼろげながらも想像してみた。


 *


 この後、授業をサボってそこらをほっつき歩いていたいっちゃんにより、以前バケモノクサのあった崖から、ゆっくんとひーちゃんが飛び降りたところが発見された。彼らの命は、助かることはない。

 ゆっくんとひーちゃんは恋人同士で、互いに愛し合っており、この日、心を病んだゆっくんが、ひーちゃんと心中を図ったのではないかと言われている。

 悪意が、相手の心をどれだけ傷つけるのかは、誰にも予測ができない。相手によっては、全然傷つかないかもしれないし、反対に、予想を遙かに上回る傷を相手が負ってしまうこともありうる。

 また、かえるや人がどれだけ精神的に追い込まれている状況なのかは、しばしば外から見ただけではわからないことがある。なるほど、外側にわかりやすく出る人も多い。

 ところで、かっくんは、ゆっくんとひーちゃんの訃報を聞いて、ひーちゃんの死に対しては涙を流して悲しんだが、ゆっくんの死に関しては微塵も頓着していなかった。

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